幕間① 真帆の章

「『幼少の折 無下限の檻 うしお土塊つちくれけだもの 縁取りの御業みわざ 四方八方十六方 組み上げなさい』」


 暗い夜道に凛とした女性の声が響き渡る。

 現代に残る魔法使いの末裔による呪文の詠唱。

 言葉を告げ終わると当時に真帆は右手を大きく振り上げた。その瞬間アスファルトの地面が勢いよく隆起し、相対している男を取り囲むような檻を形成する。

「これは……まさか魔法ッ!」

 突然現れた壁に四方を阻まれた男は絶叫した。

「あれれ、“吸血種”の間にも魔法っていう概念はあるんだ。なんでもいいけど、大人しくしてくれたら危害は加えないよ」

 真帆は再び右手を振ってアスファルトを変形させ、くねくねと男の足を絡めとるように巻き付かせて固定、拘束をした。

 彼女が唱えたのは地属性の魔法。

 地の精霊の力を借りることにより、地属性のものを自由自在に操る魔法だった。

「舐めてんじゃねえ!」

 しかし男は再び絶叫し、足首を拘束するアスファルトに右手を叩きつけ、それを破壊した。

「うそでしょ、アスファルトだよ?」

 真帆はまさか拘束が簡単に解かれるとは思っていなかったので、驚きを隠せなかった。

 彼女は”吸血種”の存在は知っていたが、実際に相対するのは初めてだった。

「お前は吸血種について少しばかり知っているようだがなァ!」

 男はそう言いながら、柱のように男の四方を取り囲んでいたアスファルトの塊を殴りつけ、いとも簡単に素手で破壊していく。

 そのまま彼は地面を蹴り、弾かれた弾丸のような速度で真帆の目前に迫った。

 やば、と思う間もなく、彼女は驚きの声をあげるだけで精いっぱいだった。

 「

 振り上げられた男の拳はあまりにも速く、真帆の目には映らなかったが、彼女は反射と直感で顔を両腕で覆う。

 バチン、と、人間と人間がぶつかったとは思えないような音が響いて、攻撃の勢いを殺し切れなかった真帆はそのまま後ろへと吹っ飛び、勢いよく壁に叩きつけられた。

 土埃が舞う。

 アスファルトを砕く力のある拳で少女を思いきり殴りつけたのだ。

 吸血種と呼ばれた男は顔に微笑みを張り付けて小さく呟く。

「はッ、死んだか」

「うーん、失礼だなあ」

 しかし、真帆は何事もなかったかのような顔で、土埃の中から姿を現した。

 男は微笑みを消す。

「どォして無傷なんだ?」

「無傷じゃないよ。ほら」

 真帆はポケットから画面の割れたスマートフォンを見せつけた。

「スマホの画面ってどんなタイミングで割れるのかなってずっと不思議だったけど、こういうことだったんだね」

 それはたぶん違うのだが、この場に一般常識を持ち合わせている人間はおらず、そのまま話が進んでいく。

 傷ついたのはスマホのみ、すなわち真帆本体は全くの無傷だった。

 吸血種の男はその意味が理解できないようで、しきりに「なんでだァ」と繰り返す。

「『幼少の折 無下限の檻 潮と土塊の獣 縁取りの御業 四方八方十六方 組み上げなさい』」

 真帆は、先ほどと全く同じ呪文の詠唱を行い、荒れ果てたアスファルトを操って道路を元の形に戻した。

 翌日にこの荒れ果てた道路を残すわけにもいかない。

 魔法の世界は基本的に秘匿されるべきなのだ。

「ねえ、吸血種の君、ひとつだけ教えてほしい」

 男は無反応だったが、真帆は構わず言葉を続けた。

「どうして人間を襲ったのかな」


 吸血種は、

 これが、真帆が幼少期に魔法の師匠から聞いた絶対のルールだった。

 真帆は、師匠が言っていた話を思い出す。

 吸血種とは文字通り生物の血液を糧にして生きる生物の総称のことで、現代の日本にも少数ながら確かに存在している。

 魔法使いたちは長年、そんな彼らの扱いに困っていた。

 魔法使いの目的は魔力を持たない人々を守ることだったが、吸血種は生きるために人間の血を吸うしかない。

 彼らが食事をする権利まで奪っていいものなのだろうか。人間が家畜を食べるのと変わらないのではないだろうか。魔法使いの中にもそういう考えの吸血種容認派がいたため、百年ほど前までは基本的に不干渉を貫いていた。

 しかし百年前のある日、事態が一変する。

 突然、吸血種による人間の大量虐殺がはじまったのだ。 

 食用ではなく、殺すために殺していたその凄惨な現場に駆け付けた当時の魔法使いは、強引にその場を収め、二度とそんなことが起きないよう魔法でを打った。

 その楔の強制力はとても強く、以降吸血種はいたずらに人間を襲うことができない、とされていた。


 そんな昔話を聞いていたからこそ、洞窟の中で風の精霊が「人間が吸血種に襲われている」と教えてくれた時も半信半疑だった。

 しかし、風の精霊の言葉を無視するわけにもいかず、剣との時間を中断してまで瞬間移動で駆け付けたところ、まさに目の前の男が女性に噛みつこうとしているところだったのだ。

 百年前の魔法使いは吸血種というに楔を打ち込んだはずだ。

 もしその楔が破られたのだとしたらとんでもない話だ。

 しかし今は楔どうこうではなく、目の前の女性を助けることが最優先。

 真帆は風の魔法を使い女性を男から引きはがして、遠くへと運び、戦いが始まったという流れである。


「人間を襲った理由? ハッ、変なことを聞くなァ。人間が牛を屠るのと何が違うんだ?」

「全然違う。それは全然違うよ。君がただ血を吸っているだけならわたしも何も言わない。でも君は明らかにあの女性を殺そうとしていたよね」

「むしろ聞きたいんだが、どうしてどうせ殺すのに殺す過程を楽しんじゃいけねェんだ?」

「……」

 かみ合わない。話し合いは無駄だ、と真帆は悟った。

 この際、どうして楔を無視して人間を襲えたのかはどうでもよかった。

 今大切なのは、この吸血種をどう処理するか。

 真帆は気持ちを切り替える。

「おっ、その目はなんだァ? やる気ってことか?」

 吸血種は首を左右にゆっくりと振りながら拳を握り締めた。

 うーん、アスファルトが効かない以上、地の魔法はあまり有効じゃないかも。でも、この場には火も水もないし、火属性も水属性も使えそうにないかな、と真帆は思考を回転させる。

 魔法というと手から炎を出したり水を操ったりするようなイメージを抱くかもしれない。しかし現実は違う。

 魔法とは、この世界に漂う地水火風それぞれの精霊の力を借りて超常現象を引き起こす奇跡の技であるため、その属性の精霊がいない場所では何もすることができないのだ。

 火のないところでは火は起こせない。

 世の中には自分の中に流れる魔力をイメージと混ぜ合わせることで様々な属性の力を自在に使用できる人種もいるが、自身の魔力を使う奇跡の技は魔術と呼ばれ、明確に魔法と区別されている。

 魔法使いである真帆は、精霊の力を借りないと何もすることができなかった。

 地も火も水も駄目なら、風の魔法で……。


 真帆がそう思った瞬間、吸血種が足に力を込めたのがわかった。


 そこから先を目で追うことはできない。文字通り目にもとまらぬ速さで男が突っ込んでくる――ッ!

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