エピローグ『今は、寸足らずの歩幅で』最終話

「――、えええッッ? じゃあ何? 大槻って、七期山の中に住んでるワケ?」



「すっげぇ。熊とか出るんだろ? ウチのじいちゃん、若い頃はパンダも見たって言ってたぜ」

「つうか、俺は今朝も虎に襲われたんだけどな」

「ぎゃはは! マジかよ!」

「そりゃウケるわ!」


 いや、シャレじゃねえよ? とは、さすがの勢十郎も言わなかった。


 授業中にいきなり彼女(不本意ながら切絵の事である)を連れ出したヤンキーとして、しばらくクラス中から干されていた彼も、今ではこうして友人と話のできる身分になっている。


 勢十郎を野球部へ勧誘しにきた鶴田と、後ろの席の野上は、まだ笑い転げていた。


「登下校に時間がかかりすぎて、運動部には入らない。つーか、無理だ」と断った勢十郎に、話を聞いていた野上が「……ってかさぁ。お前、どこに住んでんのよ?」と、ツッコんだのが、この問答のはじまりだ。


「あはははっはは。マジすげえな! 家に温泉とかあるんだろ?」

「じゃあ、アレだ。一度、大槻んちに行こう、泊まりで!」

「あ、女子! 女子も一緒な!」

「勝手にしやがれ。……ああ、でも俺の家の周り、コンパスとか役にたたねえぞ? 毒ガスも出る」

「いや、ガチすぎるだろ……」

「それ、さすがにひくわ……」


 鶴田は坊主頭まで真っ青になり、野上は気まずそうに顔をそむけた。


 勢十郎が複雑な顔をしていると、その左腕へ、細くしなやかな二の腕が絡みついてくる。

 宮戸高校で勢十郎にこんなマネができるのは、ただ一人である。彼がおそるおそる振り向くと、頭半分低い位置に、ミディアムカットにした茶髪が揺れていた。


「――、話の途中、悪いね。そろそろ帰ろうか、大槻君」

「お、おう」


 その途端、鶴田と野上はを思い出し、放心状態になっていた。


 自他ともに認める美少女であり、クラス委員も務める松川切絵を転校二日目で彼女にした『ナンパ神』として、勢十郎は一躍時の人になっている。彼もはじめは否定していたのだが、そのたびに機嫌を悪くした切絵からすさまじい報復を受け、今では愛想笑いとスルー・スキルを身につけていた。


「わ、悪い。また明日な」


 鶴田と野上は、クラス一の美少女にさらわれる勢十郎を、呆然と見送った。


◆     ◆     ◆


……人を殺した、という自覚はある。


 事件の翌日、馬鹿正直に警察へ自首しようとした勢十郎に、切絵は首を振った。


「刀仙に法律は適応されないよ。だから君がやったのは殺人じゃない。法的にね」


 特別、強い罪の意識があるわけではなかった。だが、それでも松川切絵の言葉は、勢十郎を黙らせるのに充分な破壊力を持っていた。


 真に自由に生きるという事は、あらゆる庇護ひごを離れる、という意味だ。


 ただ強くなりたかった。剣一筋に生きてみたかった。

 そんな単純な思いさえ、この世の中で実現するには途方もないペナルティーを科せられる。人と違うという事は、それだけで軋轢あつれきを生んでしまうのだ。

 つくづく、人生とはうまくいかないものらしい。


 スーパーカブを押す勢十郎の隣を、切絵は勝手気ままに歩いている。彼女には仕事着である法力僧の袈裟けさよりも、今の制服姿の方がよほど似合っていた。


「もうずいぶん前から、死にたかったみたいだね」


 それが東条の事だと気付くのに、勢十郎は少しだけ時間がかかった。


「彼のモノガミから話は聞いたよ。東条は、刀仙として一期一振を探していたわけじゃない。自分の人生を終わらせる為の、破滅の刀を探していたんだ」

「なんだって、そんなことを……」

「簡単さ。奴は不死身だったんだろう?」


 あえて反論はしなかったが、勢十郎は彼女の答えを不正解だと考えていた。


 東条の過ごした百五十年という時間は、確かに長い。不死身である事は、周囲の人間からも、時の流れからも置き去りにされる。握りしめた刀と強さ以外、あらゆるものが、彼とすれ違っていっただろう。

 だが、その程度の孤独で、あの東条が本当にを上げるだろうか? 


 答えは、断じて否である。


 その証拠に、彼の剣技には一片の迷いも、くもりさえもなかった。だからこそ勢十郎も、敵である東条を腹の底から尊敬したのだ。


 本当に、最後の最後の最後まで、自分の生き方を貫いて、あの刀仙は死んだ。

 それだけは、間違いない。


「東条のモノガミは、お前の家にいるのか?」

「まあね。今は妹の下で見習い巫女をやっているよ。七期大社の人間は代々モノガミとは縁があるから、父もこころよく受け入れてくれた。……だが、あの娘が落ち着くまでは、君はしばらく来ない方がいいだろうね」

「ああ」


 仕方がなかったとはいえ、勢十郎はあのゴーグル少女の依り代を、谷底へ投げ捨てた張本人である。そして同時に彼は、彼女の仲間であった狐面と、主の東条を殺したかたきなのだ。


「あの夜。谷底に落ちた刀を拾った東条が、我々の前に現れたときには本当に驚いたよ。まさか刀仙から頼み事をされたうえ、礼まで言われるなんて思いもしなかった」


 歩く速度で回り続ける原付のタイヤを、勢十郎は目で追った。


「あいつ、本当は俺のじいさんと戦いたかったんだよ」


 東条が望んでいたのは、同じ刀仙同士の真剣勝負だった。

“相手の霊気を斬る”という、モノガミの神通力すら超越したあの最終剣技も、すべては八兵衛との対戦を見据えて、み出されたものだったはずだ。


「なら、最後に奴の願いは叶ったわけだ。君という『刀仙』と戦って」


 勢十郎は、素直に同意できなかった。


「だと、いいけどな」

「大槻君。もう一度、いつかの質問に答えてくれないかい?」

「……竜退治の刀を作るのに、生けにえになった奴らがどんな気持ちだったのかって、あれか?」


 クラスメイトは、こくりと頷いた。


 田園風景を、桃色の花びらがいでいる。田舎らしい、車一台通るのがやっとの土手を歩くのは、半人前の刀仙と、法力僧の二人だけ。


「後悔なんて、しねえだろ。自分で選んだ事なんだからな。、たぶんすげえ頭が悪くて、生きてる間は、損ばっかしてたんだろ。……けどよ、きっと、誰よりも強かったんだと思う」


 帰り道が別れる三叉路にさしかかり、勢十郎は足を止めていた。彼の口から、思いのほか素直な言葉が出てきたので、切絵は少し意外そうに笑っている。


「私も同意見だよ。きっとその女性は、責任感の強い人だったんだろうね」

「松川。俺からも、一ついいか?」

「なんだい?」

「お前を、お前にしてるものは何だ? ってかれたら、答えられるか?」


 クラスメイトは勢十郎に背中を向けて、アスファルトを蹴りながら手を振った。


「はっはっは! ――――、


 じゃあね。と、一度も振り返らずに切絵は坂道を登っていく。


「……すげえな、松川。お前は知ってんのか」


 いつか、何者かになれた時、自分にも分かるようになるのだろうかと、勢十郎は思いをせた。

 東条の十分の一ほどしか生きていない高校生の彼には、いまだに未来の形が見えずにいる。勢十郎が大花楼に来てからずっと考えていたその答えは、今も雲のように、輪郭りんかくさえ曖昧あいまいなままだった。 


 隙だらけになっていた勢十郎の右肩に、ひかえめな拳が、ぽすっ、と当てられたのは、その時だ。



「……ずいぶん、好き勝手に言ってくれましたね」



 怒ろうにも怒れない、そんな顔で、黒鉄が濃紺の瞳を勢十郎に向けていた。


 自分が竜の鍔を首から提げている事をすっかり失念していた勢十郎は、気まずさのあまり、スーパーカブを強く押しはじめた。


「き、聞いてたのかよ!」

「き、聞こえるのです!」


 恥ずかしさのあまり、黒鉄はまぶたを伏せてそっぽを向いた。

 だがそれを良い事に、勢十郎はそっと彼女を盗み見る。彼の同居人は、アイボリーカラーの七分そでニットにシルクの黒いスカートという、どこからどう見ても、人間そのものの姿だった。コーディネートしたのは、お蘭だろう。


 離れ過ぎず、かといって、くっつき過ぎもせず、健康的な二本の足が進み出す。

 勢十郎も、後を追う。


 緑と桃色が入り交じる七期山は、東条との戦いであれほど傷ついたのが嘘のように、活気を取り戻していた。きっとこの大らかさも、大槻八兵衛の愛したこの山の魅力なのだろう。東条の道術がけた神崎巡査などは、今頃あの駐在所で、満開の桜をさかなに酒盛りでもしているのではあるまいか。


 それにしても、話題らしい話題がない。

 黒鉄の服は似合っているが、面と向かって伝えるのも嘘臭く思った勢十郎は、まるで場違いな、しかし今回の一件で最も印象に残っている事実を呟いた。


「……


 それは、いつわらざる彼の本音だった。


「天才でした、間違いなく。……わからないのは、ハコミタマを欲していた彼が、それがしに何もしてこなかった事です。あの男の道術なら、簡単にそれができたはずなのですが」

「そりゃお前、あいつの『意地』にきまってる」


 黒鉄が不思議そうに人差し指を自分の額へ押し当てたので、勢十郎は苦笑する。


……わかんねえってよ、東条。


 自分のやる事は、自分一人が理解できていれば、それでいい。


 あんたは、そう思ってたんだよな?


 だが勢十郎は、言葉にしなければ伝わらないものがある事を、もう知っている。

 大花楼にやって来て、モノガミ達と出会って、黒鉄を知って。そして八兵衛の気持ちを理解した勢十郎には、自分の気持ちを伝える事の大切さが、以前よりもはっきりとわかっていた。


 たとえば、大花楼を受け継いだ自分が、何をすべきなのか。

 目の前を歩く少女に、何をしてやりたいのか。


「……一度しか言わねえぞ、黒鉄」

「はい?」


 濃紺の瞳をもつ少女は、生真面目に足を止めて振り向いた。


「俺が必ず、お前を人間に戻してやる」


 八兵衛の肩代わりをするわけでは、ない。

 手伝ってやるのだ、彼女を彼女にしてやる為に。

 勢十郎はそれぐらい真面目な気持ちで言ったのに、あろうことか黒鉄は実体化を解き、竜の鍔の中へと戻ってしまう。


 しかし彼女はすぐに、小さな声で彼に言った。



『…………期待しないで、待ってます』



 勢十郎は大きく笑って、スーパーカブにまたがった。


 嘘が下手くそなところは、相変わらずである。「期待しない」と言った、彼女の顔こそ見えないが、勢十郎にはそれが、このモノガミなりの照れ隠しなのだとわかっていた。


 アクセルを軽く引きしぼると、吹き付けていた風も少しだけ重くなる。

 七期山へ続く満開の桜並木から、輝くような花びらが降ってきた。この景色だけは、ずっと昔から、そしてこれからも変わらないのかもしれなかった。


 竜の鍔から、鈴のような声がした。


『だ、だ、だ、黙らないでください! わ、本当に期待してません!』

「あー、はいはい。そういう事にしといてやるよ」

『う、嘘ではありませんっ。嘘じゃ――』



――――けど、嘘なんだろ? それ。



 とうとう勢十郎は、声を上げて笑ってしまった。


……証拠なら、ちゃんとある。

 春風に目を細めながら、勢十郎は赤ジャージの胸元を見下ろした。



 そこで揺れている彼女の気持ちが、今は木漏こもれ日のように、あたたかい。



                                     完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モノガミ 腹音鳴らし @Yumewokakeru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ