第五話『激突する一等星』その7

「……そこ、に……、いるのか? は、八、兵衛……」


 額を横一文字に切り裂かれた東条は、血で視界がふさがっているらしい。勢十郎が虎徹で与えた数々のダメージは、着実に刀仙の体力を奪っているようだった。


「おい黒鉄……、あいつ、なんか様子が変だぞ?」

「……お前、だな? そこに……、いるんだな? 八兵衛」


 確かめるような問い掛けに、勢十郎はうすら寒くなった。

 東条がしきりに八兵衛と呼ぶのは、他でもない勢十郎である。


 胸騒ぎ、予感、白昼夢。

 ありとあらゆる前兆が、一斉に大槻勢十郎へ警戒をうながした。


「みせて、やる……ッ。い、ま……」


 思えばここまでの攻防、ただ速さや力が異常なだけで、すべての技術が人間わざ範疇はんちゅうだった。つまり東条は、まだ刀仙らしい剣術を一度も使っていない。


 長刀を下段に構えて満月を背負う東条の姿は、勢十郎が映画やドラマの中でしか見たことのない、『侍』そのものだった。


「いく、ぞ……、八兵衛。これが、……。約束の――、剣だッ」

『チィッ。歯を食いしばれィ、小僧ッッ!』

『いけない!』


 勢十郎の両手から致死量に近い霊気を吸い上げた黒鉄が、どんな攻撃がきても迎撃可能な体勢をとる。握りしめた虎徹と太刀が、これまでになく光り輝く。


 すべて、意味はなかったが。


 東条が刀を振り抜いた途端、虎徹と太刀を包む霊気の輝きは消し飛んでいた。

 同時に、体の自由が戻ってきたその意味を理解するよりなお早く、勢十郎はガードを固める。だが、真正面から飛んできた『なにか』は、交差した腕をすり抜けて、彼の心臓に激突した。


「がぁぁああああああああああッッ!!」


 胸を掻きむしって、勢十郎は土の中をのたうち回った。


「うあっ? あっがッ、ぎッッッ!?」


 勢十郎の頭の中で、物凄い轟音ごうおんが鳴り響く。強打された心臓は血流のリズムを掻き乱し、動悸どうき嘔吐おうと喀血かっけつのセットに加え、半身が麻痺――。


 まともに生きていれば、けして味わう事のなかった異常な激痛が、腹から脳へ駆け抜ける。あまりの痛みに、勢十郎は頭を地面に叩きつけていた。痛みから逃れるための痛みが必要だった。


『勢十郎どの! しっかりしてください! 勢十郎どのッ!』

「がっ! はっ、はーッ! はぁッ! はぁああッ!」


 彼女の呼びかけに合わせるように、勢十郎の呼吸が少しずつだが、深くなる。

 手元で叫ぶ黒鉄が、竜の鍔が奪っていった霊気を逆流させているらしい。ぬるま湯に浸かるような安らぎがゆったりと体を包み込み、勢十郎はどうにかまともな視力を取り戻す。


「ま……、マジか、よ……」


 地面にいつくばる勢十郎の前には、炎に巻かれた竹林が広がっていた。


 この災害規模、間違いなく一般人にも目撃されている。山火事は一向に収まる気配がなく、報道機関に嗅ぎつけられた日には、全国紙を飾る事件になるのはあきらかだ。


「がはっっ。……あの野郎……、なに、しやがった?」


 刀仙が放った絶技の正体を見破ったのは、黒鉄だった。


『信じ、られない……ッ。き、……ッ』


 かつて黒鉄は言っていた。霊気は生命力そのものである、と。

 近代医学にならうなら、すなわちそれは血液。そして東条はその血液を、手も触れずに破壊したのである。予備知識ゼロの状態では、まず誰にも避けられまい。


 勢十郎が納得いかないのは、なぜ東条がこの技を今まで温存していたのか、という事である。この絶技を使えば、いつでも勢十郎を戦闘不能にできたはずだ。


『………、イヒッ、いひひひひひひひひひひひひッッ!』


 彼が下卑げびた笑い声を聞き咎めたのは、その時だ。


『いひひッ』


 この声、東条のものではない。

 狐面は、死んだ。あのゴーグル少女のものでも、ない。


 笑い声のする方へ首を動かした勢十郎は、今度こそ、本気で吐きそうになった。


「……そうか。そういや、

『れっ! レイキィッ! モットれいきくれえええッッ! 東条ぉおぉおぉおッッ』


 東条が握る長刀は、こちらの虎徹や太刀に劣らぬ逸品に違いない。

 この戦いが始まった時に、勢十郎は妙だと思っていた。あれほどモノガミに執着する男の、最後の愛刀が、なんのひねりもない骨董品であるはずがない、と。


 そうして勢十郎は、がむしゃらに特攻を繰り返す刀仙の戦法が、剣術だけを頼りにしたものであるとミスリードさせられていたのだ。日本刀のモノガミにさえ注意していれば勝機はある、という、こちらの思い上がりを、この男はちゃんと読んでいたのである。


 その結果が、これだ。


『おぉぉおぉい東条ッッッ! レイキ! レイキ! レイキくれぇええええっっっ』


 東条の足下で、あの


 モノガミはあらゆる物品に宿る、神霊の総称である。けして、日本刀のみに存在するわけではない。

 誰よりもそのことを理解しているはずの黒鉄ですら、東条の『刀』以外には注意を払っていなかった。刀仙との戦いにおいては、それほどの盲点だったのだ。


『あのモノガミが、東条が切り離したこちらの霊気を、炎に変えていたのですね』


 考えてみれば、根っからの刀仙である東条が、モノガミ自体の研究をおこたっているわけがない。戦闘に有利をもたらすモノガミであれば、この男は躊躇ちゅうちょなく登用する。たとえそれが、刀ですらなかったとしても。


『霊気レイキレイキレイキレイキッッぐぎぇあぁあああッッ!??』


 勢十郎が起きあがりざまに投げ打った太刀が、天狗の面を串刺くしざしにする。その歴史的価値は計り知れないが、依り代を破壊された途端、モノガミはこの世から消え去っていた。


 東条は刀を振りきったまま、動かない。

 これほどの破壊をもたらす超人技。間違いなく、東条も刀仙モードになった勢十郎に匹敵するほどの霊気を消耗したはずである。


 ところが、動き出した東条はすぐに、先ほどとまったく同じ構えをとっていた。


 勢十郎は血の気が引いた。

 東条はさっきの絶技を、今度はモノガミなしでやるつもりなのである。たった一発もらっただけでこのザマ……、もう一度もらえば、間違いなく終わりだ。


 だが、戦いに終止符を打ったのは、あろうことか東条のうめき声だった。


「が、う……、ううぅう」


 一瞬、勢十郎は東条の演技なのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

 刀仙は命よりも大切なはずの長刀を放り出し、本気で苦しんでいたのだ。


「こ、今度はなんだ?」


 東条の身に起こったさらなる異変、それに答えたのは黒鉄だった。


『……時間切れです。あの男は、霊気を使い過ぎました』


 ハコミタマの分析は、刀仙の敗北を意味していた。

 東条が際限なく長刀と天狗の面つぎ込んだ霊気は、彼の肉体から生命力を枯渇こかつさせてしまったのである。


 あらゆる意味で、最低の油断だった。


 勢十郎は完全に無防備な状態で、かつて東条だった『モノ』の、拳を喰らった。


◆     ◇     ◆ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る