第五話『激突する一等星』その2

「――油断するな正宗ッッ!」


 鋭く叫んだのは、東条だった。


 あまりの声の大きさに、勢十郎、ペンギン、少女が同時に硬直する。固まらなかったのは大治郎と、当の狐面だけだった。


 一瞬のうちに間合いを詰めた大治郎の一撃が、狐面を軽々と突き飛ばす。同時にすさまじい火花が弾け飛び、かち合う太刀と打刀が、柔らかな月光を反射した。


 かろうじて防御が間に合った狐面――、正宗は、グルグルと喉を鳴らした。


「どいつもこいつも、僕を馬鹿にして……ッ。僕はッ、僕は正宗なんだぞッ?」


 その刀なら、勢十郎も知っている。大治郎の依り代、虎徹をしのぐほどの名刀だ。


『正宗』は日本刀剣史上、もっとも有名な刀工の一人である。

 かの戦国武将・石田三成も正宗を愛用していた記録があり、現代では国宝に指定されているものさえ存在する。その作風は風光明媚ふうこうめいびの極みにあり、日本刀のもつ凶器としての本質を、忘れてしまうほどに美しい。


 虎徹と正宗、互いに名刀を依り代とするモノガミ達は、己の出自と誇りを賭けて、勝負を再開した。大治郎は大太刀を、狐面は打刀を手にとって、それぞれが上段、下段という対称的な構えで間合いを削る。彼らの得物は、互いのそばにいる相棒の依り代――、ペンギン、そしてゴーグル少女の本体であった。


 その様子を遠巻きに見ていた勢十郎は、彼らの距離を再確認した。

……繰り返すが、モノガミは自分の依り代から約四メートルほどしか、離れることができないのである。ペンギンからゴーグル少女までの距離は、およそ五メートルほど。つまり大治郎にも正宗にも、


 さわさわと、夜風に草が揺れている。ふもとの方から聞こえていた和太鼓の調べが、いつの間にか干潮を迎えた海のように、夜の静寂に溶けていた。


 突然、勢十郎の背後から笛のような音がした。

 打ち上げ花火が夜空に咲くのと、二体のモノガミが動いたのは、ほぼ同時だった。


 上段と下段から、猪首切先いくびきっさきが交差する。

 秒間数十発の剣戟けんげきが、嵐のような火花を散らす。フェイントもクソもない。大治郎と正宗は互いに足を止め、一撃で相手を消滅させるべく、超高速の刺突しとつと斬撃を繰り出していた。


「すげえ……ッ」


 絶え間なく弾ける閃光と金属音に、勢十郎は魅入ってしまう。

 考えてみれば、モノガミは霊気で実体化しているのである。生身でない彼らには、人体の構造を無視した機動さえ実現できるのだ。


 事実、勢十郎の目には、大治郎も正宗もまともな姿には映っていなかった。高速戦闘には不向きなはずの和装で、なぜ、ああまで素早く動く事ができるのか。ここまで展開が早くなると、もはや通常の剣捌けんさばきなど意味がないはず――。


 しかし、剣風けんぷうを巻きあげる二体のモノガミは、まるで一流棋士が指し合う将棋のように、計算し尽くした軌道で刃を相手に送り込み、またそれを防いでいるのだった。

 火花の残像と、擦過さっかする金属音の激しさが、戦いの凄まじさを物語る。さらに馬鹿げた事に、二人は剣の勢いを保ったまま、間合いを詰めはじめていた。


 固唾かたずを呑んで大治郎を見守る勢十郎に、東条は哀れむように首を振る。 

 その仕草に気付いた赤ジャージの少年は、はっとした。


 つまるところ、モノガミ同士の戦いは『霊気量』と剣技の『記憶量』によって勝敗を決する。順当に考えれば、偽物かもしれない虎徹の大治郎が、刀仙の刀である正宗に、霊気や剣技が勝っているはずがないのだ、と。


「だ、大治郎……ッ」


 その証拠に、徐々に大治郎が正宗の勢いに押され出していた。


 激しさを増す光景は、勢十郎が子供の頃八兵衛に連れて行ってもらったサッカーの試合のようだった。絶望的な点差をけして諦めず、ロスタイムまであがき続けた選手達の姿が、大治郎の背中とダブッて見える。絶対に引かない、弱音も吐かない大きな背中。


 そう。あの時もたしかに、勢十郎はこんな気持ちだったのだ。


「頑張れ……、いけ大治郎ッッ! 頑張れッ、いけッッ」


 向こう側にいる東条は、はじめに叫んだっきり黙りを決め込んでいる。

 あれが大人の男だ。

 けして取り乱さず、必要な時にだけ必要な行動をとる。無駄がない。


……なら自分は、ガキでいい。無駄だらけでもいい。

今叫ばないと、一生後悔する。


 そう思ったから、勢十郎は無責任な「頑張れ」を叫び続けた。


「大治郎――ッッッッ」


 声を上げた途端、正宗の放った何百発目かの一刀が、大治郎の面を直撃した。太刀よりも小回りの利く打刀を操る狐面は、大治郎へ繰り出したノーモションの一撃に、会心の手ごたえを感じ取る。


「じゃあね! 偽物!」


 自らの本心を隠すといわれるモノガミの仮面、大治郎の般若の面が、相手の刃に触れて砕け散る。


 決着? こんな形で衆目に素顔を晒すのは、大治郎にとっては屈辱に違いない。


 しかし、そこまでだった。


 相手に恥をかかせてやった喜びと、小手先の技倆ぎりょうに酔っていたモノガミ、正宗は――、、焼けつくような痛みで知った。


 左上段から振り下ろされた大治郎の斬撃が、刀を持つ右手ごと、正宗の体を切り倒す。大治郎ははじめから、自分の仮面を破壊されるのを覚悟して、相手の致命距離まで踏み込んでいたのである。


 右肩口から左腰まで一直線に切り裂かれた狐面のモノガミは、青白い霊気片を血のようにきながら、草むらの中を転げ回った。


「ひぃッ!? い、いやだ! 死にたくないッ! まだ、まだまだまだまだまだまだあぁぁぁぁああああああああああッッッッ!」


 己の体を形作っていた霊気を、最後の一欠片まで吐き尽くし、狐面は文字通り消滅する。


 しかし、事態はそれだけにとどまらなかった。

 ゴーグル少女が胸に抱えていた狐面の依り代、名刀正宗その本体が、鞘ごと砕け散ってしまったのだ。


 


 虎徹を手入れした事で大治郎の姿が変化した通り、依り代の受けた扱いは、その霊体へダイレクトにフィードバックされるのだ。

 その逆も、またしかり。大治郎が実体化した狐面に与えた『限界を超えるダメージ』は、本体である名刀正宗に跳ね返ったのである。


 そして、これがモノガミの、完全なる『死』であった。


「今しかねえッ!」


 勢十郎と、正宗を切り伏せた大治郎、そして彼の依り代を持つペンギンが、同時にスタートダッシュをきめる。


 自分が狙われている事を察した東条は、岩から素早く腰を上げ、背後に隠してあった新たな日本刀を引き寄せた。直後、彼の眼前に到達した大治郎の、豪雨のような刺突によって、地面もろとも岩が粉々に吹き飛ぶ。


 辛くも攻撃回避に成功した刀仙は、空中で素早く抜刀し、それが愚策であった事に、遅まきながら気がついた。……ふところに忍ばせていた、竜の鍔がない。


 大治郎の突きにまぎれて脇へ飛び去っていったペンギンが、東条の刃をかいくぐり、竜の鍔をスッていたらしい。だが取り返そうにも、刀仙は高く飛び過ぎているせいで、対応できなかった。

 この隙に、勢十郎は先ほどまで狐面が使っていた打刀を拾いあげ、それを崖下に目掛けて力一杯投擲していた。


 自分の依り代を使う者がいなくなり、その場から動けなくなっていたゴーグル少女の体が、本体である打刀に引き寄せられて宙を舞う。無論、依り代からは離れられない、というモノガミのルールが働いているのだ。少女は悲鳴をあげなかった。


 相手の刀が少なくなれば、それだけこちらが有利になる。ところが、そう思ってやった勢十郎の行動が、まったく予想外の事態を引き起こしていた。


「えっ!?」


 東条が、いきなり崖に飛び込んでいったのだ。


 唖然あぜんとする勢十郎を尻目に、空中でたぐり寄せた日本刀を抱えたまま、刀仙は真っ逆さまに谷底へ落ちていく。


「東条ッッ!」


 勢十郎は闇に溶けていく東条に、「すぐに戻ってくる」と、言われた気がした。


「……ほれ、小僧」


 崖下を見つめていた勢十郎の利き手に、ペンギンは今しがた東条から奪い返した、竜の鍔を握らせる。

 じわり、とてのひらに広がる金属質の体温が、そこに『彼女』がいる事を告げていた。


「黒鉄! おい、返事しやがれ!」


 だが、鍔を揺らしても叩いても、黒鉄は一向に現れない。勢十郎に会いたくないのか、それとも東条に妙な細工をほどこされたのかもしれなかった。


「落ち着けい。今は、実体化するだけの霊気が足りんのじゃ」

「んなこと言ったって、どうすりゃいいんだ? 神饌しんせんか?」

「そんなものがどこにある? やれやれ、儂と大治郎で霊気を分け与えるしかあるまいよ。……小僧、お主は儂らの依り代と黒鉄を連れて、どこかで雨をやり過ごせ。じき、降ってくるでの」


 そう言って勢十郎に日本刀を押しつけると、ペンギンは実体化を解除した。続いて大治郎が竜の鍔に手を置き、やはり雲散霧消うんさんむしょうする。


 その直前、勢十郎はあらためて彼の素顔を見た。

 面を失った大治郎は、彫りは深いが妙にすっきりとした、試合を終えたサッカー選手のような表情をしている。


「約束だからな。……二度と、誰にも、偽物なんて言わせねえよ」


 無愛想な大花楼の住人は、それを聞くと、満足げに笑って消えた。


 知識のない勢十郎には、彼らの霊気がうまく竜の鍔に補充されたのかは分からない。ただ、ペンギンの予言通り小雨の気配が漂い始めたので、彼はとりあえず二刀をベルトへ差しおき、雨宿りができそうな場所を探すことにする。


 そうして歩き出そうとした勢十郎の右手を、ふいに、誰かが握り返した。


「あ……」


 七期大社の春祭りは、お開きのようだった。

 月と星と、花火の名残を、薄雨雲が覆っていく。

 すべてが静けさを取り戻す中、勢十郎には自分の心臓の音だけが、やけに騒がしかった。彼の手を握る細い指にも、それは伝わっているだろう。


 小雨の降り始めた夜空の下で、濃紺の瞳をもつ少女が口を尖らせている。


 何か、言うべき事があったはず。


 勢十郎が迷っていると、右手を握る黒鉄のそれは、少しずつ暖かくなっていた。



「……こっちです」



 ただ、いつも通りの彼女がそこにいた。


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