第四話『彼らの秘密』その7

 悠久の時を生きるモノガミにとって、他者との出会いや別れは日常茶飯事である。


「……ふーっ」


 八兵衛が死んでから、お蘭は窓辺でぼんやりと煙草を吹かす事が多くなった。

 ツクモガミとして『格』の違う先生には、四六時中ベタつくわけにもいかない。そもそもお蘭は、かのモノガミに晩酌程度の付き合いしか許されていなかった。


 日がな一日、自分探しに没頭できる大治郎と違い、お蘭は感性豊かなツクモガミだ。彼女の依り代である朱塗りの短刀は、江戸時代初期に一文字派の刀鍛冶が鍛え上げた、まぎれもない逸品である。だが、その確かな出自にもかかわらず、運命のいたずらによって様々な遊郭ゆうかくを渡り歩いたという、希有けうな来歴をもつ短刀だった。


 吸い慣れたロングピースの火種を見つめながら、お蘭はいつかの風景を思い出す。

 夜光虫のような儚い希望を胸に秘め、気丈に生きていた吉原の娘達。まだツクモガミになる前の短刀を、彼女達は愛おしげに撫でていたものだ。


 とりわけ、お蘭が鮮明に覚えているのは、一日の務めを終えて窓辺に寄りかかる娘達の横顔だった。時代が変わり、主も失い、この窓辺以外にり所のなくなったお蘭は今、彼女達と同じ真似をしている自分に気づき、笑ってしまう。


「……なんで死んじまったんだい? 八兵衛」


 それがどういう感情なのか、モノガミである彼女には分からない。


 人はいつか死ぬ。モノガミと同様に。


 あらかじめ決められた行程を辿るだけのことが、こんなにも多くの想いをこの世に残していく。だからこそ美しい、とは、綺麗事が好きな連中の言い分だ。過ぎ去る時の流れと友の姿を、ただ無常と突き放すほうが、お蘭もの信条には合っている。


 だというのに、煙草の先端から立ち昇る副流煙のようなにごりを、お蘭は心のどこかに感じてしまうのだ。

 それは辛いとも、苦しいとも違う、今までの彼女の中にはない感情だった。


 このテの疑問に答えをくれるのは、大花楼では黒鉄だけだった。生真面目で馬鹿正直なあの小娘は、こんな戯言のような質問にさえ、微笑みながら、優しい解を示すだろう。

 お蘭もそんな黒鉄の事が、嫌いではなかった。


 胸をくようなこの気持ちの正体を、お蘭はただ知りたいと思う。


 三ヶ月前までこの部屋の主だった男も、こんな気持ちになったのだろうか?

 偉大な男だった。だから尚更、八兵衛の後継者があのような小僧だったのが、お蘭には不満でならなかった。一体、なぜあの男は、自分の息子ではなく、未熟な孫を大花楼によこしたのだろう、と。


 負けん気が強いだけの子供が、生き残れるような世界ではない。数多あまたの刀仙達をその目で見てきたお蘭は、力のない者がどういう末路を辿るのか、人間以上に熟知していた。


 だからこそ、それを見たとき、本当に驚いたのだ。


「あんた……、どうしてここに?」


 夕暮れの竹林を抜けて、破壊された正門を堂々とくぐり、庭からこちらを真っすぐ見上げる赤ジャージの少年。それはいつか見た大花楼の主の姿を、彼女が思い起こすのに、充分なものだった。


「あー、その、なんだ。……


 また腹の立つことに、照れたような少年の笑顔が、八兵衛とそっくりだった。


◆     ◇     ◆ 

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