第四話『彼らの秘密』その6

 聞き覚えのある甲高かんだかい声に勢十郎が振り向くと、誰もいなかったはずの屋上に、狐面の青年が立っていた。


「……よぉ」


 言いながら、勢十郎は冷静に東条の姿を横目で探す。モノガミがいるという事は、すなわちそれを使う刀仙も、すぐそばにいるはずなのだ。


 ところが狐面の影から現れたのは、大きなゴーグルで目元を隠した少女のモノガミだった。……不思議な事に、少女はベルト、そして狐面は腰帯に、それぞれ日本刀を差している。


 その『意味』を、先に理解したのは切絵だった。


「あれは……」


 顔色を変える彼女の横で、勢十郎も遅れて彼らが何をやっているのか、気付く。


「なるほどな。


 モノガミは依り代から四メートル以上離れて行動できない。そして、その依り代には触る事もできない。つまり遣い手がいなければ、モノガミに自由はないのである。

 そのルールに隠された、意外な盲点。


 勢十郎はもう一度、東条のモノガミ達が寄り添うように屋上の縁に立つのを見た。


……確かに、可能だ。

 ああやって、お互いの依り代を持ち歩き、かつ付かず離れずの距離さえ保っていれば、人間がいなくても動き回ることはできる。


 この方法を使って、狐面とゴーグル少女は大花楼に侵入したのだろう。


「やぁ。久しぶりだね」


 まるで旧知の友と再会したように、切絵は笑顔を貼り付けている。ただしその手は、目にも止まらぬスピードで、スカートの内側から数珠じゅずを引き抜いていた。


 狐面の青年は、せせら笑う。


「なにそれ? それで勝てるとか、思ってる?」

「私はナメられるのが、好きじゃない」


 純銀製の数珠が、ギャラリ、とにぶい音を立て、切絵の手首に熱気が宿っていた。


 常人には見る事さえできないはずの霊圧に、勢十郎は本能だけで、先ほど潰した銃以上の破壊力を感じ取る。松川切絵のたおやかな手首にかかった数珠は、見る者を圧倒するほどの存在感を放っていた。


 屋上の風に身を任せる狐面の青年も、切絵が発する霊気に肩をすくめてた。


「やだねー、これだから法力僧はさぁ。オマエも何か言ってやりなよ、雀女」


 狐面の声が届いていないかのように、ゴーグル少女はグラウンドを眺めている。その容姿は十歳前後の華奢きゃしゃな少女だが、モノガミの実力は外見と比例しない。勢十郎は気をゆるめなかった。


「ホント、東条がいないとただのデクノボーだよね、オマエ。……まぁ、いいや。小憎、東条から伝言だよ」


 矛先を向けられた勢十郎は、狐面を睨み返した。


「今夜十一時、七期大社の禁足地で待ってる。望み通り、勝負してやるってさ」

「おう、上等だって伝えとけ。松川、教室に戻るぞ」


 勢十郎の呼びかけに、しかし法力僧は首を横に振っていた。


「……大槻君、今はまだ約束の『夜』じゃない」

「えっ?」


 バチン! という音がして、松川切絵の持つ小ぶりな数珠が弾け飛び、屋上にEMPを放射した。


「おい松川!」

「これでもう逃げられない」


 法力僧・松川切絵は本気だった。


 校舎内では全校生徒が授業中である。グランドでは体育をしているクラスもあるが、勢十郎は彼らの話し声や物音が、屋上へ一切聞こえてこない事に気づいた。

 四方に飛んだそれぞれの念珠ねんじゅは、浮遊しながら奇妙な振動と騒音を放ち続けている。代わりに、周囲の雑音は完全に消えていた。


 切絵はこの状況を漏洩ろうえいするつもりなど、毛頭ないのである。どうやっているのかは不明だが、おそらくあの念珠が、屋上の外側から見えているこちらの景色や、聞こえる音を遮断しているのだろう。


「では始めようか」


 残った念珠は松川切絵の周囲をくるくると空中浮遊し、内蔵していたレーザーサイトで狐面とゴーグル少女を捕捉しはじめている。


「面白いじゃないか。二度も同じ手が通用するとか思ってる?」


 その気になった狐面が、切絵と向き合う。

 もはや戦闘は避けられない、と、誰もが思ったその時だ。


「――松川。やめろ」


 ギチュン! という音を立てて、空中浮遊していた念珠の一つが、勢十郎の手に握り潰されていた。


「……だからさ、どういう握力をしてるんだ? 君」


 思わず素に戻ってしまうクラスメイトに、勢十郎はスクラップにした戦闘兵器を突き付けた。


「やめろ」

「それさ、いくらするか知ってる?」

「…………わかったよ」


 切絵が言うや否や、念珠はひとりでに集結し、彼女の手の中で数珠つなぎに再結合した。


 もうすぐチャイムが鳴る頃合いである。

 数珠を仕舞い込んだ切絵は、今度こそ階段を降りていく。ところが、彼女に続いて屋上を去ろうとした勢十郎の足を、狐面の甲高い声がその場に縫い止めていた。


「お前、弱いクセにりないね。もしかして東条が人間だから、僕達より弱いとか思ってる? だとしたら底なしのマヌケだけどね! それとも、ただのおバカさんなのかなぁ?」


 今更この程度の挑発に乗る勢十郎ではない。足こそ止めてしまったが、彼は素っ気なく「さぁな」と返した。


「あれだけボコられて、まだ力の差が分からないってのがさ、いかにもってカンジ」


 勢十郎の口から、ため息が出た。


 狐面はあくまでも、この場で大槻勢十郎を『つまみ食い』する気でいるらしい。

だが勢十郎は、血の気の多い彼にしては珍しいほど冷静だった。


「悪いな、俺は忙しいんだ。燃えないゴミに付き合ってるヒマはねえんだよ」


 その意趣返しは、効果抜群だった。


「……今の言葉、必ず後悔させてやるぞ。薄汚いニンゲンが……ッ」


 コンクリートタイルが砕け散るほどの力強さで、狐面の青年は屋上から飛び去った。そしてとうとう一言も喋らないまま、ゴーグル少女も互いの距離を拡げすぎないように、相棒の後を追っていく。


 だが勢十郎には、狐面の捨て台詞さえ耳に入っていない。彼は狐面とゴーグル少女が去っていく、七期山だけを見つめていた。


「なぁ」


――――、あんたも、あんなふうに油断してくれるかい? 東条さん。


「……はは、は」


 絶対にあり得ない、と、勢十郎は確信していた。 


 東条という男は常に本気である。いつでも、どこでも、誰が相手でも。

 勢十郎にはちゃんとわかっていた。法力僧に囲まれた時、東条が刀を抜かなかったわけも、勢十郎を結界に閉じこめたわけも、だ。

 すべては東条が自分の手の内を隠す為の、茶番に過ぎなかったのである。


 正確には、東条は勢十郎に『経験値』を与えたくなかったのだろう。異常な体験をした赤ジャージの少年が、わずかでも成長してしまうのを、東条は危惧していたのである。だからこそあの刀仙は、けして必要以上の危害を勢十郎に加えようとはしなかったのだ。

 そんな人間が、間違っても安易な油断などするわけがない。


 教室に戻ろうとした足が、小刻みに震えている。


 しかし、それが武者震いだという事には、勢十郎も気付かなかった。


◆     ◇     ◆ 

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