第四話『彼らの秘密』その5


……この少年を説得するのは、もう不可能だ。


 それを悟った切絵は、法力僧として一つの選択に迫られていた。

 任務遂行のさまたげになる大槻勢十郎を、始末するか否かを。

 彼女のクラスメイトは、まだ土下座を続けている。


「頼む。今夜だけ見逃してくれ。手を出さねえでくれッ。俺に、東条とタイマンさせてくれ!」


 だが勢十郎の願いもむなしく、決断は下されていた。切絵は袖の中に仕込んでいた銃を音もなく取り出し、彼の延髄えんずいに狙いを付けている。


 頭が悪い事は、それだけで罪なのだ。


 切絵は勢十郎を心底痴愚ちぐだと思った。こんな無駄話をするヒマがあるのなら、彼はどうして真っ先に、東条の元へ殴り込みに行かなかったのか。

 法力僧に、否、大人の社会に泣き落としなど通用しない。そこにあるのは厳然とした合理主義と資本主義。今日までずっと、切絵もそれを繰り返してきた。


 しかし、彼女は撃てなかった。


 引き金を引く直前に、勢十郎が土下座した状態から銃把じゅうはを握りしめていた。


「う、動かな……ッッ?」


 剣道と法力僧で鳴らした切絵の握力は、並の男性よりもはるかに強い。


 ところが勢十郎は、そんな彼女の手からあっさり拳銃を奪い取り、。ステンレスとカーボン材が素手で圧搾あっさくされる、という悪夢のような光景に、切絵は開いた口がふさがらず、呆然とした。


 屋上を吹き抜ける風が、あまりにも冷たく感じられた。


 幾度も計測した霊圧計の数値は0.03A。つまり大槻勢十郎の霊気量は、常人の3パーセントにも満たないのだ。テントで彼に行った生体スキャンの結果も、オールグリーン。万に一つも、彼が一部の法力僧のようなサイボーグである可能性は、ない。


 彼女の逡巡しゅんじゅんをよそに、いつのまにか勢十郎は立ち上がっていた。


「松川。俺、やっぱり東条と『同類』だ。バカだから、止まれねえ……ッ」


 切絵の背筋に、冷たいものが走った。


 本気。

 こいつは、どうしようもなく本気だ。

 少しでも切絵が応戦の素振りをみせれば、すぐにでも襲いかかってくるだろう。


 一体どうなってしまうのだろうか? あの『拳』をまともに喰らったら。


 石灯籠を担いで七期山を登ってみせたけた外れのスタミナと、拳銃を紙屑かみくず同然に丸めてしまう国宝級の馬鹿力が、勢十郎の東条に対する『勝算』なのだ。


 そこで切絵はようやく、彼の体格の正体に気付いていた。

 おかしいとは、思っていたのだ。異常な筋量の胸板と腹周り、それに比べて、いかにもボリュームが足りないようにも見えるが、ちゃんと太い腕と脚。

 すべてのバランスが、意図して作り上げられたものだとしたら? 


 理由は不明だが、おそらくこの少年は、長い年月をかけて肉体改造を行った。その結果、彼は霊気量の低さをもろともしない、この凶悪無比な力を手に入れたのだ。


「……わかったよ。今夜一晩だけ、君達を見逃せばいいんだね?」


 ここへ至って、切絵は追いつめられたのが自分の方なのだと思い知る。下手に勢十郎を刺激して、あの馬鹿げた力で暴れられた日には、目も当てられない。


 当の勢十郎は、もううつむいてはいなかった。


「……すまねえ」

「これで君には、貸しが三つだ」

「わかってる。東条とケリをつけたら、今度は俺がお前の言う事を聞くよ」


 勢十郎に背を向けていたのを良い事に、切絵は小さくガッツポーズをする。


「話が長くなったね、そろそろ教室に戻ろうか」

「そうだな。お前も、俺みたいな奴と変な噂が立つと困るだろうし」

「へ? い、いや私は別に――」


 急にしどろもどろになりながら、切絵が屋上の鉄扉を開いた、その時だった。




「――――、? 




◆     ◇     ◆ 

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