第四話『彼らの秘密』その4

「……、困るんだけどね、こういう事をされると」


 初めて見る松川切絵の露骨な怒り顔は、八方美人な彼女のイメージにはそぐわなかった。勢十郎も、それだけの無茶はしたつもりである。文句を言われる覚悟はできていた。


「保健室に行きたかった、わけではないよね?」


 勢十郎に教室から連れ出された切絵は、校舎の各所に設置されている監視カメラから逃げるように屋上までやってきた。そして彼女は、これから彼が厄介事を持ち込むのも承知しているらしい。


 馬鹿に真剣な勢十郎を前にして、切絵は諦めたようにため息を吐いていた。


「忠告したはずだけどね。この業界は、ろくでもない連中ばかりだって」

「ああ」

「私は法力僧だよ」

「ああ」

「私には君の頼み事を聞いてやる義理も、ヒマもない」

「ああ。そうだろうな」


 とりつく島もない。


 しかし切絵の立場を思えば、これが当然の対応である事も、勢十郎は理解していた。彼女の欠点が、こうして屋上まで来てしまう優しさだとも、知りながら。


 二人の髪を撫でていく風は暖かい。事情を知らない者がこの状況を見たら、どう思うのだろう。

 屋上からは、七期山も見えている。


 それで、勢十郎の気持ちは固まった。


「今夜……。今夜一晩だけ、俺と東条を見逃してくれッ」

「お、おい! いきなり何するんだ、やめろ!」


 勢十郎には、生まれて初めてのことだった。

……他人に、女の子に土下座するのは。


「頼むッ、この通りだ……ッッ」

「バカ! やめろ! やめろったら!」


 動転した切絵がすぐに二の腕を掴んでくるが、どれだけ強く引っ張られても、勢十郎は顔を上げなかった。

 聞き入れてもらえるまでは、絶対にやめない。勢十郎はコンクリートをむしり取る勢いで両手を踏ん張り、額を地面にこすりつけた。


「どうして!? どうして、そこまでするのかな?」


 まるで理解の及ばない勢十郎の行動に、切絵の困惑は深まるばかりだ。


 厄介事を嫌う勢十郎が、これ以上大花楼に居続けて、モノガミと関わるメリットはどこにもない。だからこそ切絵も、法力僧のキャンプから彼を五体満足で返してくれたのである。

 

 恩をあだで返す形になってしまったが、勢十郎も切絵にだけは誠実でありたいと思っている。だから彼は頭を下げたまま、彼女の上履きをじっと見つめていた。


「俺、思ったんだ。……たぶんもう、こんなチャンス、二度とねえって…………」


 その瞬間、とうとう切絵の怒りが臨界点を超えた。


「君、本当に頭がどうかしてるんじゃないのか? この状況のどこをどうみたら、チャンスになるんだッ!? 君はもう刀仙に眼を付けられてるんだぞ!? このうえ法力僧にまで喧嘩を売るつもりなのかッ!」


 勢十郎の後頭部に、雷のような切絵の怒声が降り注ぐ。屋上に敷き詰められたコンクリートタイルの臭いを吸い込みながら、彼は批判を受け止めた。


 法力僧・松川切絵は、霊気と超科学を操り、裏社会で暗躍する掃除屋である。

 一般人である勢十郎が何度も助けてもらえた事は、単なる彼女の気まぐれに過ぎない。ゆえに、今切絵が見せている反応が、本来の法力僧の姿なのだろう。


 だが勢十郎には、このクラスメイトの言う理屈が、たまらなく窮屈きゅうくつだった。


 正しい事が、そんなに大事なのか? 

 勢十郎は違うと思う。

 絶対に違うと、言い切れる。


「……東条と話をした時、俺、本当に殺されると思った」

「それは当たり前だよ。実際、奴は人殺しで――」

ッッ! ! 東条が心底怖くて、お前や先生に『もう関わるな』って言われてッ、ッッ! 逃げちまったんだッッッ!!」


 喉が痛い、目頭が無性に熱かった。


 こうしている間にも、攫われた黒鉄は、東条一味にどんな扱いを受けているかわからない。それを考えただけで、勢十郎は全身が破裂しそうな悔しさで満たされた。


 もし本当に、ここで自分が逃げ出したら――、どうなる? 


「おッ、おッ、俺はッッツ! これから先ッ、絶ッ対自分を許さないッッ!」

「おおつ……」


 勢十郎は、すべてをぶちまけた。


「じ、自分に笑われてッ、い、い、一生ッ、後ろ指差されて生きてくなんて、真っ平だッッ! 死んだ方がマシだッ! 負けるくらいなら! 逃げるくらいならッ! !!!」


◆     ◇     ◆ 


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