第四話『彼らの秘密』その8


 後ろめたさがない、といえば嘘になる。


 少なくとも勢十郎はあのペンギン直々に退去を命ぜられ、二度と大花楼の敷居をまたぐことを禁じられた身だ。


 荒れたままの大花楼は、四月だというのにとんでもなく冷えていた。外から吹き抜けてくる山風が、木造建築の隙間に容赦なく突き刺さり、体温と鍔迫り合いを演じている。


 母屋にあがった勢十郎は、迷わず居間へ足を運んでいた。狐面とゴーグル少女が破壊していった家具はそのままになっているが、屋内は多少綺麗になっている。例の襲撃後、住人達が片付けをしたのかもしれなかった。


 雲海が描かれた襖を引き開けて、勢十郎は大広間へと足を踏み入れた。

 あの年老いたモノガミは、おそらくここにいる。彼はそう目星をつけていたのだが、その予想は大きく外れていた。



「……?」



 とんでもない怪物が、そこにいた。


 行燈あんどん明かりがゆらめく大広間で酒杯を傾けていたのは、天井に届きそうなほどの上背を持つ、全身甲冑の荒武者だったのだ。戦国時代に使われていた折り畳み式の床几しょうぎに腰を下ろした荒武者は、漆塗りの大盃になみなみと注がれた日本酒を、豪快に干している。

 もちろん勢十郎は、大花楼でこんなモノガミは見た事がない。


 ところが、


「……わからぬか? 小僧」


 仮面兜の奥から、なじみのある声がした。


 荒武者のそばには、さっきまで二階にいたはずのお蘭が侍っていた。妖艶ようえんな笑みを浮かべながら酌を務めている彼女もまた、普段着ではない。お蘭はいつもより濃い色の紅を差し、大きくはだけた着物姿で、金髪を花魁おいらんのようにい上げていた。

 これが、モノガミとしてのお蘭の本性なのだろう。


 彼女は空になった荒武者の杯へ、粛々しゅくしゅくと酒を注ぎ込んでいく。


「まさか……、先生なのか?」

「応よ」

「マジかよ……」

「小僧、この姿で会うのは初めてになるのう」


 荒武者が愉快そうに笑うたび、鎧のぎ目がガシャガシャと不気味な音をたてている。勢十郎はなんとか気持ちを落ち着かせると、怪物の前に胡座あぐらをかいた。


「俺、東条と勝負するよ。もう決めた」


 こうして座ってみると、あらためて相手の大きさがよく分かる。


 そびえるような巨体は、かつて出会ったどんな大男よりも雄大で、かつ危険な気配に満ちていた。その気配の正体に、勢十郎は心当たりがある。

 東条が、旅館の中庭で一瞬だけみせた気配……、『殺気』だ。


 勢十郎を見下ろす仮面の奥には、獣のような瞳が炯々けいけいと輝いている。


「運命に魅入られたな、小僧」


 この世界のどこかに、自分だけの運命がある。


 はじめて大花楼に来た日、あの露天風呂で勢十郎はそう思っていた。

 自分だけの特別な体験や、出会い。そうしたものを望んで、勢十郎はここへきたのだ。だが目の前にある『これ』は、彼が想像していたものとは似ても似つかない。


 東条も、そうだったのだろうか? 百年以上もかけて、理想とかけ離れていく自分の姿に、苦悩していたのだろうか? あれほどの男でも。


「己の内に答えがない時、人は外の世界へ答えを求める。小僧、お前はあの男に見込まれたのじゃ。次に相まみえる時、あやつはお前の命で、己の切れ味を存分に試すじゃろうな」

「どういう意味だ、そりゃ?」

「運命とは、時にそれを避けようとする者にさえ牙を剥く。様々な出会い、別れ、あるいは試練という形でな。そして運命は、状況に取り乱した者を、順に殺しにかかるのじゃ」


 運命というものを甘く夢想してきた勢十郎にとって、この言葉は痛烈だった。まさに彼は今夜、神さえ見放すほどの大窮地きゅうちに、自ら飛びこもうとしているのだ。


 勢十郎の沈黙を、心の迷いであると読んだ荒武者は、酒を呑む手を止めていた。


「小僧、この際はっきり言ってやろう。お前が今熱を上げている『それ』は、一過性のものにすぎん。これから先に待っている、ヒトとしての幸せを、自ら棒に振るつもりか?」


 それは、優しい言葉だった。

 あの賢明な松川切絵が、けして勢十郎にかけようとしなかった種類の。


……彼女は知っていたのだ。

 それを言ってしまったら、この少年がどうなるか。


「……ざけんなよ」

「明日の重みを知れ、小僧」

「あんたが言ってるのは、『親の理屈』だ。勉強して、いい大学行って、就職して結婚してよ。そうやって築き上げた何十年分の成果を“幸せ”だって言いたいんだろ? そんで自分が手に入れたもんを、他人のそれと見比べんのかよ? 俺に、それまでずっと我慢しろってのか?」

「当たり前じゃ。すべての人間は、明日の為に生きている」



! 俺は今、勝ちてえんだッッッ! 明日幸せになったってなぁ、今日負けたって事実は、一ッッ生、消えねえんだよッッッ!!」



 反撃される、とか。

 殺される、だとか。

 そうした考えは、まったく勢十郎の頭に浮かばなかった。


 あらゆる勝負には、哲学がある。

 人生を左右するほどの勝負なら、誰でも慎重になるだろう。たとえ一時の負けであっても、最終的な勝利を目指すのが、戦略の王道である。だが、そうでない者もいるのだ。


 たった一度の勝敗に、一生分の価値を見出す哲学が、大槻勢十郎の中にある。

 物事を先延ばしにする生き方が、人生の価値を薄めている気がしてならないのだ。

 マッチ棒一本分、それ以下でも構わない。一瞬だけ強く輝いて消えたい。他人が一生かけて使うエネルギーを、花火のように使い切る生き様に、勢十郎はよほど価値を感じる。


 もしかしたら、法力僧はそれを、『刀仙』と呼ぶのかもしれなかった。


「他人がどう生きるかなんて知らねえよ。けど俺は、どうせくたばるなら、駆け抜けて死ぬぜ」

「愚か者が……ッ」


 ばきゃり、と音を立てて、漆塗りの大盃が真っ二つに砕け散る。


 盃を握り潰した荒武者の手が、勢十郎の顔よりも大きい。まさか東条と戦う前に、この化け物と殺し合いになるのでは――。


「……いいじゃないか、先生」


 畳にこぼれた酒を拭き取りながら、お蘭が急にそう言ったので、勢十郎は面食らう。だが昨日の晩、誰よりも彼を責めたのは、ほかならぬこの金髪美女だ。


 格下のツクモガミに口出しされた荒武者は、即座に殺気をぶちまけた。


「お前ごときが、儂に意見か? お蘭」

「死にたい奴は、死なせてやりゃあいいのさ。ねえ? あたしらはいつだって、そうしてきただろう? 先生?」


 それは、モノガミが常に人の味方をするわけではない、という意思表示だった。


 お蘭の諫言かんげんに、口をつぐむのかと思いきや、荒武者はまたすぐ勢十郎に尋ねていた。


「小僧。お主はどうしてそこまで、あの刀仙にこだわるのだえ? あやつはすでに黒鉄の依り代を手に入れた。お主が波風を立てねば、穏便に事がすむものを」


 勢十郎は、ツクモガミに卑屈な笑いを返していた。


「……先生。あんた、頭はいいけど人間を知らねえんだな。目的を達成してハイおしまい、なんて野郎はいねえよ。後始末が残ってる」

「……後始末、じゃと?」

「アイツはそれだけじゃすまねえよ、必ず俺を殺しにくる。俺でもそうするぜ。目的の邪魔になる奴は、虱潰しらみつぶしに斬り殺してやろうってな。じゃねえと、安心して眠れねえだろ?」


 勢十郎の東条へのこだわりは、それが大部分を占めていた。

 こちらからアプローチをかけずとも、あの刀仙は絶対に自分を殺しに来る。その確信が勢十郎にはある。だからこそ、準備は万全にしておかなくてはならなかった。


 荒武者が上座を陣取る広間の隅では、先ほどから般若の面の大男が手酌で酒をやっている。

 驚くことでもない。モノガミは神饌しんせんという非日常の食物からしか、霊気を補給できないのだ。普段、大治郎が食事の席に姿をみせることはないが、彼はいつもこうして、霊気を溜め込んでいたのだろう。


「お前も手伝ってくれ、大治郎」

「…………」

「あきらめな、勢十郎。そいつは誰にも手を貸さないよ」


 畳を拭き終わったお蘭が、無駄な努力といわんばかりに手を振るが、勢十郎は構わず大治郎に話しかけていた。


「じいさんの……、八兵衛の遺書を読んだ。。――、。だからついてこい」


 大治郎は動きを止め、ゆっくりと勢十郎の方を見た。

 その般若の面からは、やはり喜怒哀楽は感じられない。しかし、大治郎がはじめて大槻勢十郎に興味を持った事にはかわりない。


 さらに勢十郎は、二体のツクモガミに向き直った。


「先生。お蘭さん。俺を助けろなんて言わねえよ。あいつを……、黒鉄を助けるまででいい。手を貸してくれ」

「……おやおや、ようやく言いやがったね」

「なんだよ?」

「いつになったら、あの子の名前を出すのかって思ってたよ」


 お蘭はそう言って茶化したが、勢十郎は曖昧あいまいに微笑むだけだった。


 黒鉄を助ける、という字面じづらが、勢十郎にはどうも嘘臭く思えてならないのだ。彼はあくまでも、東条との対決を望んでいるだけで、黒鉄の事は二の次だった。それをごまかすつもりもない。


 しかし大広間には、彼を超える凶悪な思想を持つ者がいた。


「青いのう。誰かを助けるだの、何かを倒すだの、理由をつけては戦いおるか」

「あんたは、違うのか?」


 年老いたモノガミは、言った。


「儂か? 儂はただ斬りたい。人が斬りたい。三度の飯より人が斬りたい。

「…………そうかよ」


 ようやく勢十郎は、自分がここまで致命的な勘違いをしていた事に気づく。


 最も危険なモノガミは、敵陣にはいない。

 目の前にいるこの『怪物』だ。


 古刀に染み付いた怨霊おんりょうは、あっけなく白状した。



「儂は、野蛮な時代のモノガミじゃから、のう」



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