第三話『ハゲタカの夜』その8

 勢十郎は信じたくなかった。


 しかし、地下空洞にあった刀の山と、我が物顔でモノガミがのさばる大花楼が動かぬ証拠だった。

 すべて事実なのだろう。大槻八兵衛は、刀仙だったのだ。


 勢十郎が完全に戦意喪失したのを確認した東条は、彼をソファーに縛り付けていた荒縄を外し、クローゼットに掛けていた服を投げてやる。


「少し、外の空気を吸いに行こう」


 緩慢な動作で服を身に着けると、勢十郎は幽鬼のように立ち上がった。


 301号室と表記されたドアをくぐり、彼は力なく東条の背中を追う。見たところ、ここは市内にあるビジネスホテルらしい。ロビーにさしかかると、二人のフロントマンが心ここにあらずの体で、ずっとエントランスの方を見据えていた。


 東条は、こともなげに言った。


「道術をかけてある。だから刀仙の事も、モノガミの事も、好きに話すといい」

「……神崎にも、同じ事をしたのか?」

「ああ。あの駐在所には滅多に人がこないからな。彼女に術をかけるのは、色々と都合が良かった」


 こんな生活を続けていれば、法力僧だけでなく、異変に気付いた警察からも狙われる。……否、だからこそこの男は、普段は偽警官という社会の皮を被っているのかもしれなかった。


 東条と勢十郎は、大浴場へ続く渡り廊下の手前から、中庭に降りた。

 塀に囲まれた中庭は、夜であるという点を差し引いても、なお静かだった。大花楼ほどではないものの、中池もある。それを囲むように鎮座する三基の石灯籠も印象的で、一つずつライトアップされていた。


 これ以上の弱みは見せまいと、気を引き締めた勢十郎の安いプライドが、東条はいたく気に入ったらしい。虚勢を見透かされた勢十郎は、あざとく笑う東条に、剣呑な視線を向けた。


「なぜ、怒る?」

「てめーが鬱陶うっとうしいからだよ、クソじじい」


 勢十郎はてっきり、東条が今までの調子で軽口を叩くものと思っていた。

 

 だが違った。

 東条は静けさのなか、建物の壁と塀で四角く切り取られた空を仰いでいた。


「何かを決意するとき、人は必ず恐怖と戦う。恐怖を伴わぬ決意などない。恐怖を凌ぐほどの目的意識、それが決意だ。何を失っても、自分が犠牲になろうとも、必ず、それを成し遂げるという鋼の意志。刀仙と呼ばれる連中は、皆それを持っている」


 あまりにも意外すぎて、勢十郎はしばらく口が利けなかった。


 東条は、恐怖と向かい合う勢十郎を再評価していたのだ。しかし、それが強者の余裕である事を、勢十郎は本能的に察している。


 この男はたぶん、本当に強いのだ。でなければ、どうして百年以上もの時間を剣術に、自己研鑽けんさんに費やす事ができるだろうか。


「あんた、ずっと、そうやって生きてきたのか?」


 月を映す中池の水面を、蛙が一匹すべっていく。

 草間に響く虫の音よりも、なお明瞭に、東条は断言した。


「人は変わる。焼鉄のような情熱さえ、いずれは冷めて固まってしまう。有形無形に関わらず、森羅万象は時の流れに削られてゆくのだ。まるで川底を転がる石のようにな。そしてやがて誰もが皆、丸くなる。……、だからこそ、そうなる前に『俺』は成し遂げたい。尖ったままの自分で、たとえ砕け散ってしまっても、


 このときの気持ちを、どういえばいいのか。

 沸き上がる悔しさを悟られないように、勢十郎は必死に涙を堪えていた。


 この男は人殺しで、百五十年も生きている化け物で、正真正銘のクズ野郎だ。

 しかし、同時に東条は、勢十郎がこれまで出会った、どんな大人よりも尊敬に値する男だった。


「……俺にはわからねえよ、東条さん」


 そう言うのが精一杯だった。たった一人で人生に立ち向かい、もがき輝く東条の生きざまは、大花楼から逃げ出した今の勢十郎には、あまりにもまぶしい。


「名前を覚えてくれたのか? まぁ、『私』には意味のないことだが」


 勢十郎は唐突に、ここまでの会話で、東条が一度も自分の名前を呼んでいない理由に気づく。


 この男は、自分が認めた者以外の名前を、一切記憶していないのだ。……ハナから相手にされていない。その事実が、折れかけていた勢十郎の反骨精神に火をつけた。


「……気に、いらねえ」


 今なら狐面の男も、ゴーグル少女もいない。しかし、東条の実力を肌で知っている勢十郎は、ここで動けば昨夜の法力僧の二の舞だと判断し、無闇に襲いかかるのを自制する。


 夜風に当たりながら、東条は懐から小切手を取り出していた。


「では、あらためて言おう。刀を売ってもらいたい」


 その瞬間、勢十郎の全神経が強張った。


 日本刀の話を口にする時、東条という男の中からは、刀仙という本性が否応なく現れる。なんの感情もなく、効率魔は取引条件を提示した。


「わかりやすく、言おうか。私はモノガミ刀が欲しい。ヒトガタミならば一体一千万、ツクモガミなら二千万ずつ払う。ハコミタマなら、交渉次第だ」

「ハコミタマって、なんだよ?」

「知る必要はない。刀仙以外には、意味のない区分だからな」


 にべもなく、東条は勢十郎の質問を一蹴した。


「ナメてんのか」

「そうとも。君は自分の持ち物の価値すらわからん愚か者だ。私は、君が私の欲しい物を持っているという、その一点においてのみ、君に興味がある」


 脊髄反射で拳を握ろうとした勢十郎の胸元を、東条は静かに指差した。


「『月喰竜紋葵形鍔つきぐらいりゅうもんあおいがたつば』。昨夜、君が首から提げていた、あの鍔の名前だぞ? 自分の屋敷にどんな刀があるのか、それすら把握できていないだろう?」


 東条は淡々と話しているが、それは勢十郎の無知に対する怒りのせいだった。

 ここで下手な言い訳をすれば、今度こそ、この刀仙は勢十郎を殺すだろう。


「ああその前に、あの屋敷を買い取っておこうか。いくらかな?」


 大花楼がモノガミにとって都合の良い空間である事を、この刀仙も承知しているらしい。東条の手の中では、小切手が揺れていた。


「……5000でいい」

「どういう意味だ?」


 やけにあっさりと答えた勢十郎の態度に、東条は演技をやめた。


「あんたが俺にカマした『ストレスの数』だよ。ブン殴る回数に換算しといた。計5000発、一発も手加減はしねえから、そのつもりでな」


 刀仙は数秒ほど、勢十郎の言葉が理解できなかった。


 この小僧は、昨夜半殺しにされたのを、もう忘れたのだろうか? と。


 若さ故のあやまち、あるいはいきがりというものを、東条はけして許さない。百五十年もの月日が彼にもたらしたのは、心の老いや強さばかりではなく、若さに対する怒りも同様だった。


 だが東条は同時に、己の迂闊うかつさも呪っていた。勢十郎に軽口を許してしまったのは、他ならぬ彼自身が、すべての若者が金で転ぶものとタカを括っていたからだ。


「……つまり君は、私の敵になるんだな?」


 その台詞に今度は勢十郎が、ざわり、と総毛立つ。


 東条は勢十郎が握りしめる拳へ、いかにも頼りない武器だと言いたげな眼差しを向けていた。


「そのゲンコツで、私と戦うつもりかな?」

「たぶん俺の拳は、あんたの想像を超えてるぞ? 東条さん」


 相手が歯ぎしりする音を聞き、勢十郎は少しだけ溜飲りゅういんが下がったが、一泡吹かせてやったと思うのはまだ早かった。


 東条が笑っている。


「おい、まだ何かあんのか……?」

「勘の良い君のことだ、こう言えばすぐにわかるだろう。……先手必勝、だ」

「……狐とガキがいねえのはそのせいかよ。くそったれッ」


 大花楼の住人達の、濃紺の瞳を持つ少女の姿が、猛スピードで勢十郎の脳裏を駆け抜けていく。


「なるほど。察しがいいところも、八兵衛に似ている」


 胸糞が悪くなるような勘が働き、勢十郎はロビーへ引き返そうとした――、が、中庭から出ようとした途端、彼は『見えない壁』に阻まれて、芝生の中に押し戻されてしまう。


「やりやがったな、畜生ッ」


 見えない壁に拳を打ち込むが、勢十郎は強烈な力で弾き返される。そして一度殴っただけで、またしても神懸かり的な直感が、彼の脳裏に閃いていた。


 その違和感は、さきほどまで彼を縛り付けていた荒縄と、同じものだった。

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