第三話『ハゲタカの夜』その2

「な、なんて事を――ッッ!」


 黒鉄は駆け出そうとしたが、一瞬で戸口の外からリターンしてきたゴーグル少女によって、組み伏せられた。

 彼女に掴まれた両腕がぎちぎちと悲鳴を上げ、黒鉄は目を見張る。木刀で突き飛ばしたダメージは微塵も感じられない。やはりこのゴーグル少女も、モノガミなのだ。


「どけ! どいてくれ!」


 大人と子供ほどの体格差がある両者だが、単純な力比べではむしろ黒鉄の方が劣勢だった。


 モノガミの力は、見た目の大小に左右されない。彼女達の発揮する超人的な能力のすべては、依り代に蓄積された霊気の量で決定されるからである。


 柔道のように掴み合いながら、しかし黒鉄は、自分がけしてこの少女に勝てない事を解っていた。

……


「勢十郎どの! 返事をしてください勢十郎どのッッ!」


 彼女の切実な叫びに、木刀を拾い上げた狐面の青年が冷ややかにコメントする。


「おかしなモノガミだなぁ。人間がそんなに大事なわけ?」

「ふざけるな! 人の祈りから生まれた我々が、人を想って何が悪い!」


 黒鉄はいつかのように、己の体を霊気の粒子りゅうしに変換し、自身のり代である鍔の元へ――、首飾りを付けた勢十郎の元へと、瞬間移動した。


 月も星も消え失せた夜空から、涙のような雨が降り注ぐ。

 屋敷の外で力を使ったモノガミは、例外なく大量の霊気を失ってしまう。勢十郎の目と鼻の先で実体化した黒鉄も、空間転移の代償に、その息を詰まらせていた。


「せ、勢十郎どの……ッ」


 黒鉄は桜の幹にめり込んだ上半身を引きがすが、勢十郎は動かない。


「勢十郎どのッ!!」


 泥まみれの勢十郎を抱いたまま、黒鉄はじりじりと石庭まで追いつめられる。

 ところがここで、狐面の青年が気味悪そうに後ずさっていた。


「ち、血が出てるッ!? なんだ? このモノガミ……?」


 先ほどの小競り合いでついたのか、黒鉄の右頬には小さな擦り傷ができている。

 狐面はすぐさま彼女から奪った木刀をうち捨てると、その手を着物に擦り付けた。


 濃紺の瞳を伏せた黒鉄は、狐面の言葉に思うところがあるのか、唇を噛んでいる。

 雨は、ひたすら冷たかった。


 その時、沈黙を貫いていたゴーグル少女が、いきなり空を指差した。


「な、なんだよ、この音は……?」


 直後、頭上から降ってきた異様な爆音に、その場にいた全員が自分の耳を押さえていた。


――――何かが、夜空の向こうから、大花楼を目指してくる。


 黒鉄が爆音からそれを察した途端、曇天を突き破って現れたのは、なんと大型輸送ヘリだった。


「なッッ!?」


 上空でホバリングするUH‐60ブラックホークから、次々にラペリングロープが落ちてくる。まだ状況を飲み込めないでいる黒鉄の前に、懸垂けんすい下降で降り立つ幾人いくにんもの影――。


 その正体は、あろうことか『坊主』であった。


 それもただの坊主ではない。彼らが身を包むのは、有機チップを埋め込んだ迷彩柄の袈裟けさだった。手には、一粒が大人の拳ほどもある、金属質の数珠じゅず。そしてもう片方の手には、黄金の錫杖しゃくじょうが鈍く輝いている。全身からほとばしる猛たけだけしい霊気の高鳴りにいたっては、もはや坊主というより修羅しゅらのそれだった。


「……まさか、法力僧ほうりきそう――?」


 黒鉄の知る法力僧は、古来より心霊災害の解決を生業なりわいとしていた営利集団の総称である。しかし、目の前にいる軍隊ぜんとした男達は、彼女の知る法力僧とはあまりにもかけ離れた存在だった。


 総勢六名もの法力僧達は、SFじみた装備に負けず劣らずの巨漢ぞろいであった。白人、黒人、黄色人種。生まれは様々であるものの、その身長は一人残らず二メートルを超えている。


 即座に散開した男達は、全員同時に雄叫おたけびをあげていた。



「「「「「「南無阿弥陀仏なむあみだぶつッッッ」」」」」」



「……は?」という、狐面の間抜けな声がした。


 パスワードを認識した坊主の袈裟が、やおら蛍光色に輝き始める。金属プレートに内蔵した未知の技術によって、それはあっという間に収縮硬化しゅううしゅくこうかし、サバイバルジャケットに変貌へんぼうした。遅れて起動したが四方へはじけ飛び、EMP電磁波を放射して大花楼を霊的に隔離かくりする。



「「「「「「調伏ちょうふくゥゥゥ、開始ィイイッッ」」」」」」



 獣のような咆哮ほうこうをあげて、錫杖を振りかざした巨漢達が一斉におどりかかる。


 狐面の青年は笑いを隠し切れないまま、着流し下駄履げたばきで高速のフットワークを開始した。モノガミの身体能力を存分に発揮して、彼は人類の反射神経を置き去りにした体捌たいさばきを披露ひろうする。

 並の人間では、目で追う事さえ難しい、


 だから、狐面は理解できなかった。

 なぜ、己の胸板に『拳大の穴』が開き、地面に倒れ込んだのか。


 彼の背後にいた黒人僧が、錫杖に向かってわめき散らす、その内容を知るまでは。


「OH! JYO! SAY! YAッッ!」


 悪夢のような念仏に反応して、初めにはじけ飛んだ数珠の一部――、空中で待機たいきしていた金属球が、たちどころに狐面の体を貫いた。


「がぁああ!?」


 ね転がった狐面の青年。その着流しの背中から、仕事を終えた金属球がゆるゆると抜けていく。


「れ、……ッ!?」


 常識を根底からくつがえす超兵器に、黒鉄は戦慄せんりつする。


 恐ろしい事に、錫杖から法力僧のボイスコードを受信した無数の数珠は、重力に逆らって空中浮遊するばかりか、そこから狐面を狙撃し続けていた。霊媒れいばい技術と最新テクノロジーの融合が、この兵器の驚異的な性能を実現しているのだ。


 それに、よく見ればこの男、すでにまともな人間をやめている。

 ヒトでもモノガミでもない、科学が生み出したサイボーグ。全身に増設した気穴きけつからほとばしるのは、改造経絡けいらくを流動するいびつな霊気にほかならない。


 総身を駆け抜ける悪寒おかんに、黒鉄はたまらず声を上げた。


「起きてッ! 起きて下さい! 勢十郎どのッ!」


 だが、どれだけ激しく揺すっても、勢十郎はピクリともしない。


 雨はさらに激しさを増していく。

 実体化に必要な霊気は残量ギリギリまで低下していたが、ここで黒鉄が依り代の鍔に戻ってしまえば、残された勢十郎がどんな目にうか分かったものではない。


 黒鉄が大槻勢十郎の異常に気付いたのは、その時だ。


「怪我をしていない? どうして……?」


 思えば、初めて出会った時もそうだった。

 あの時黒鉄は、勢十郎の腹を刺すとみせかけて峰打みねうちでのどを叩き潰したのだが、地下空洞で再会するまでの短い時間で、彼は完全に回復していたのだ。……かと思えば、意識自体はひどく途切れやすい。考えれば考えるほど、この赤ジャージの少年には、説明のつかない謎が多すぎる。


「東条ッ! とぉじょおおおおぉぉぉッッ!」


 泥の中をいずり回る狐面は、もはやなぶり殺しも同然の責め苦を受けていた。常人なら確実に死んでいる手傷だが、実体化したモノガミは簡単には死なない。


 ところが、彼の仲間であるはずのゴーグル少女の姿がない。

 すでに除霊されてしまったか――、黒鉄がそう思った矢先、くだんの少女は土間から現れた。


 夢遊病者のように「刀、カタナ……」と繰り返す、天狗男のそでを引きながら。

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