第二話『ハレ、時々、ケ』その5

 午後三時半。

 勢十郎と黒鉄は縁側に腰掛けていた。 


 母屋の縁側からのぞ枯山水かれさんすいは、敷き詰められた玉砂利たまじゃりが、水面みなもの美しさを見事に表現していた。もともと、日本庭園は『水』を得られる場所に築くのが普通だが、大槻八兵衛はあえて中池のある奥庭を避け、わざわざここに石庭せきていを造作したというわけである。


 市役所を抜け出した勢十郎は、生活用品の買い出しを手短に済ませ、大花楼まで戻ってきた。ところが、屋敷に戻ってくるなり、実体化した黒鉄はここまで彼を引きずってきた。理由も告げぬままに、である。


 縁側には、勢十郎には用途ようとの見当もつかない道具類がそろえられていた。


「で? これから何をするんだ?」

「まずはこれを」


 頭巾こそかぶっていないものの、黒鉄は黒装束に身を包んでいる。

 できればもう一度、彼女の私服姿を見てみたかった勢十郎だが、今日のところはお預けのようだった。ちなみに昨夜の服は、お蘭の神通力で変身していたというのだから驚きである。


 黒鉄が持つ四角い盆の中には、金属の串と丁子油と掻かれた小瓶、見るからに怪しい『白い粉』、そしてぬぐい紙が入っていた。粉の入った布袋と拭い紙を見比べて、勢十郎はニヤリとする。


「なるほどな。つまりこの粉を紙に乗せて、火であぶってスーハースーハーするわけか?」

「使い方が激しく間違っていますが、やりたいのであれば、ご自由に」

「おい、止めろよ」


 真顔になる勢十郎を華麗にスルーして、黒鉄は最後のブツを手に取った。


 思わず「無視すんな」と言いかけた彼の視線は、だがあっさりと彼女の手元へ誘導されてしまう。 

 黒鉄が取り出したのは、黒塗りの鞘と、絹糸の柄巻つかまきをあしらった打刀うちがたなであった。


「刀の手入れは主のつとめ。ゆくゆくは屋敷の刀すべてが、勢十郎どのの御寵愛ちょうあいたまわる事を、皆が望んでいます。……持ってみますか?」

「お、おう」


 ところが、刀を受け取ろうとしたその瞬間――、勢十郎の腕は、第三者のたくましい手に阻まれていた。そしてその『手』の力は、すぐに勢十郎の腕を握り潰す勢いに変わる。


「おいおいおい! なんだこりゃ!?」

「……大治郎だいじろう。この方は大花楼の新しい御当主なのだぞ?」


 彼女の言葉で真後ろに振り向いた勢十郎は、今度こそ本当に仰天ぎょうてんする。そこには、彼と背中合わせの状態で座る、大男がいたのだ。


 腕を掴まれるまで男の気配がなかった事に、勢十郎は戦慄する。ボロ切れ同然の着物に身を包み、なぜか般若はんにゃの面をかぶっているが、この男が人間でないのは彼もすぐにわかった。


「こ、!?」

「ええ。この打刀に宿るモノガミで、名を大治郎と申します。ほら、いい加減に手を離せ」


 黒鉄がたしなめても、大治郎は一向に勢十郎の腕を離そうとしない。


「離すつもり、ねえみたいだぞ?」

「やれやれ……」


 やむなく、黒鉄は打刀を自分の膝に置き直す。すると、ようやく大男のごつい手は勢十郎の腕から外れ、背後へ戻っていった。


「つまり、俺に刀を触られたくねえ、って事かよ?」

「緊張しているのでしょう。よくあることです」


 そう言われても、刀の安全を確保した般若の面の男は、あからさまに勢十郎への興味を失っていた。


 縁側に降り注ぐ陽気は、いかにも春めいている。すでに筍の季節は過ぎかけているのだが、えんの下から何かがい出てきた。


 ペンギンであった。


「せ、先生!? なぜそのような場所に……?」

「わかってるよ。理由なんか、ねえんだろ?」


 黒鉄にサルベージされた下等生物は、相変わらず磯臭いそくさく、不気味な面相めんそうをしている。呆れ返る勢十郎の膝上に、ペンギンはためらいなく飛び乗ってきた。


「小僧や、大治郎はお主に『しろ』を触らせなんだろう?」

「ヨリシロ? あぁ、コイツが宿ってる刀の事か。それが?」

「そもそもお主は、まだモノガミの事を何も知らん。勘違いも、多い」


 別に知りたいとも思わなかったが、ここで下手に逆らって、隣にいる黒鉄に刺されたくなかった勢十郎は、「ソウデスネ」とだけ答えておいた。


 そんな彼の態度をどう受け取ったものか、黒鉄はさっさと刀の手入れを開始する。ペンギンの話を聞きながら、作業手順は見て覚えろ、とでも言いたいのだろう。無茶な話だった。


 ペンギンは隠し持っていた煙管で、マイペースに一服いっぷくしはじめる。

 もちろん、勢十郎の膝の上で、だ。


「灰を落としたら、焼き鳥にしてやるからな」

「……モノガミとは、世にあまねく物品に宿りし、神霊の総称じゃ」

「はっ。ようはお前ら全員、自分が付喪神つくもがみだって言いたいワケか?」

「ほっほ。小僧、多少はモノガミの事を知っておるよう


 当たらずも遠からず、だったらしい。

 すると、手際よく刀のつかから目釘めくぎを抜き取っていた黒鉄が、ペンギンの言葉に説明を付け加えた。


「勢十郎どの。モノガミとは、あくまでも物品に寄生する霊的存在の総称に過ぎません。

「何だそりゃ? 学問でも成立してんのか?」

「なぁに。モノガミに関する文献ぶんけんなぞ、探せば腐るほど出てくるわえ」


 日当たりの良い縁側に、ペンギンの吐いた極太の煙が渦を巻く。

 刀身に打ち粉をまぶし終えた黒鉄が、また口をはさんだ。


「モノガミは大別すると『ツクモガミ』と『ヒトガタミ』の二種に分類されます。ツクモガミは経年とともに物品へ宿った神性であり、モノガミの中では高貴な方々なのですよ」

「ちなみに儂、ツクモガミじゃ」

「ああ、なんとなくそんな気はしてたよ」


 無闇に態度がデカいからな、とは勢十郎も言わなかった。


「んで、ヒトガタミってのは?」

「ヒトガタミとは、制作者の思念が結晶化した霊的存在のこと。ゆえに『人形見ヒトガタミ』の字が当てられます。大花楼の住人でいえば、先生とお蘭はツクモガミ、それがしや大治郎はヒトガタミ、となりますね」

「悪かった。話を聞いた俺も、俺の頭も悪かったよ。全く理解できね……、ん? 待てよ? すると宿、って事になんのか?」


「御明察」と呟いた黒鉄が、珍しく素直な笑顔になっている。不覚にもドキリ、としてしまった勢十郎だが、彼にとって本当に興味深い話が始まったのは、そこからだ。


 ペンギンは、大きく煙を吐き切った。


「モノガミとはその名のごとく、物品に宿る霊的存在。本来は日用品から美術品まで、。ところが、な。近代以降、西洋文化の影響を受けた日本は、物質消費型の社会形態になってしもうた。……小僧。これが何を意味するか解るかえ?」

「物が大切にされないと、ツクモガミは生まれない。んでもって、機械生産で物を作ってもヒトガタミは宿らない、ってんだろ? あんたら、人類史の中で淘汰とうたされちまったんだな」

「ふふ、ふ。そういう事じゃ」


 昔ながらの物品は次々に廃棄され、そこに宿るモノガミ達は姿を消した。しかし、日本刀は美術品として珍重ちんちょうされたため、この屋敷の住人達は現代まで生き残る事ができたのだろう。


 壮大な話のスケールに勢十郎が天を仰いでいると、突然ペンギンが煙を吹きかけてきた。


「げっほげっほ!? なにしやがる!」

「話を戻すぞ、小僧。……大治郎は、お主に依り代を触らせなかったな?」


 勢十郎は、バツが悪そうに頷いた。


 ペンギンが膝に乗っているせいで、姿を見る事はできないが、勢十郎の背後にはまだ大治郎の気配が張り付いている。黒鉄が丸裸にした日本刀に彼が手を出せば、やはりまた阻止されるような気がした。


「それはな、お主が大治郎に信用されておらんからよ」

「信用されてねえのか、俺」

「当たり前じゃ。どこの馬の骨とも知れん輩に、おいそれと身を任せる馬鹿がおるものか」


 俺は馬の骨かよ、と勢十郎は頬をヒクつかせるが、ペンギンの言葉にも一理ある。


「……それだけではありません」


 刀身を拭い終わった黒鉄は、続いて刀を逆さまに持ち替えると、本来は柄の中に収まっているはずのなかごの部分を見せてくる。


 勢十郎は薄く赤錆あかさびの浮いた茎を覗きこんだ。別段、日本刀に詳しいというわけでもないが、茎には漢字が彫り込まれているもの、というぐらいの知識は彼にもある。


 ところが、だ。


「……?」


 実際には、茎にはやすりがけをほどこした跡があり、刻まれていた文字が摩滅まめつしているのだ。刀身の手入れを再開した黒鉄は、少し困ったような顔になっている。


「刀の茎にはめいといって、刀匠とうしょうの名前や製作年などが刻まれているものです。ところが見ての通り、大治郎の依り代には銘がありません。それが原因で、この男は己が何者であったのか、記憶を喪失しているのです」

「記憶が、ない?」

「ええ。そのうえ、このように口数も少ないもので。我々にさえ、心を開くのに多大な時間が掛かりました」


 これまでの苦労を思い出しているのか、黒鉄は苦笑交じりにそう言った。

 つまり茎に刻まれる銘は、刀のモノガミにとって、身分証明書のようなものなのだろう。


「それじゃ、俺にどうしろってんだ」

「ほっほ、それは自分で考えるんじゃな」


 ペンギンは煙管をくわえたまま、ヒタヒタと座敷の奥へ去っていく。

 勢十郎の隣ではちょうど黒鉄が、打刀に装具を付け終えたところだった。


「ご覧になりますか?」


 どこか誇らしげに黒鉄が掲げる打刀が、見違えるほどに美しい。


 刀身に塗られた丁子油が新しくなり、曇っていた刃は輝鋭きえいを取り戻している。数珠じゅずのように連なる刃文の強烈な美しさに、手入れ一つでここまで変わるものかと、勢十郎は素直に感心してしまう。


 

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