第二話『ハレ、時々、ケ』その4

 午前授業を終えただけの、放課後。

 勢十郎はスーパーカブをカッ飛ばし、市役所を訪れていた。


 八兵衛が残していった大量の日本刀は、公的機関で所有者の変更手続きを受けないと、国の管理下に置かれてしまうそうだ。執拗しつように手続きを迫る黒鉄にこん負けして、勢十郎もややこしい必要書類を提出する運びとなった。


 学生は勢十郎だけだったが、役所の中は大人達で込み合っている。

 簡単な手続きかと思いきや、複数の担当課をたらい回しにされるというき目にい、勢十郎は三時間近くも建物の中を歩き回る羽目になってしまった。


 ようやく最後の書類を提出し終えたのがおよそ十分前。彼は今、市役所内のカフェテラスで遅めの昼食をっている。


『それは、どのような味なのでしょう?』


 黒鉄が素朴な疑問をていしたのは、テーブルにクリームパスタが運ばれてきたタイミングだった。注文を待つ間、昨夜握り潰したスマートフォンにセロテープを巻き付けていた勢十郎は、胸元からいきなり声を出した彼女に、慌てて注意する。


「おい、静かにしてろって。周りの客に怪しまれるだろうが」

『では実体化すれば良いので?』

「いやいや、この場じゃまずい。何もねえとこからいきなり忍者が現れたら、パニックが起きるに決まってる。それぐらい分かるだろ?」

『ええ。そうですね』

「お前なぁ……」


 やはり理解した上でやっているらしい。勢十郎はきれそうになった。



「――



 聞き覚えのある罵声ばせいに、勢十郎がうんざりしながら振り向くと、カフェの入口で仁王立ちする、目つきの悪い婦警がいた。

 勢十郎は思わず頭を抱えてしまう。婦警はウエイトレスの案内を待たず、一直線に彼の席まで歩を進めると、公衆の面前で堂々と手錠をちらつかせた。


「小僧、昼間っからたぁ、いい度胸してんじゃねえか? ん?」

「眼科に行け。どうみてもパスタだろうが」

「うるせえ。てめえ今、絶対にクスリをキメてただろ?」

「ひ、独り言だ。ほっといてくれ」


 我ながら苦しい言い訳だ、とは思いつつ、勢十郎は婦警の質問をやり過ごす。

 この人物こそ、昨日勢十郎を七期大社で逮捕し、駐在所へ連行した張本人である。


 クリームパスタは冷め始めており、勢十郎は安らかなランチタイムを諦めた。問題の婦警――神崎かんざき巡査は、遅れてやってきたウエイトレスにアイスカフェオレを注文し、固まり出したパスタの表面を眺めている。


 ただでさえ、実体化していない黒鉄と行動を共にしている勢十郎は、下手に衆目しゅうもくを集めることは、なんとしてでも避けたいところだった。


「ほかの席空いてますよ。どっか行ってくださいよ」

「それが年上に対する態度かてめえ」

「ちゃんと敬語使ってるじゃないですか。警察って忙しんでしょ? いつも俺たちの平和を守ってくれて感謝してます。だからどっか行って下さい」


 勢十郎の絶妙な気遣いは、だが神崎巡査には通用しなかった。


「大槻だったな。松川さんから話は聞いてるぜ。宮戸高校に転校したんだって?」

「耳が早いっすね」

「話が早いのさ。宮戸っていやぁ県内屈指の進学校じゃねえか。周囲との学力差に追い詰められた不良が、同級生からカツアゲした金で薬物に手を染めた……。

「あんた、どうしても俺をジャンキーにしたいんだな」


 頭が痛くなってきた勢十郎は、コップの水を飲み干した。


 駐在である神崎がこの場にいるという事は、仕事中に違いない。

 パトロール中の警官は基本的にツーマンセルでの行動が義務付けられているので、当然今日も、あの中年警官が同行しているはずだった。幾度となく職務質問を受け続けてきた苦い経験から、勢十郎はそれを察する。


「相方を待たせてるんじゃないですか? 神崎さん」

「相方ぁ? 何の話だ?」

「……昨日のおっさんだよ、今日は一緒じゃないのかって話」

「だから誰だよ? ああ、あれか、昨日駐在所に来てた宮戸高校の用務員の話か。……ん? まてよ、確か――おわっ!?」


 ちょうどその時、ウエイトレスがトレーに乗せたカフェオレを、誤って神崎の制服にぶちまけてしまった。


「も、申し訳ございません! お客様!」

「だーっ! 冷てぇえええっ!」


 本来なら紳士的に手伝ってやるところだが、勢十郎はこれ幸いと、シミ抜きをはじめた神崎のそばから離脱する。去り際に、ウエイトレスにパスタの代金を握らせるのも忘れなかった。


「……サンキュな」

『……お困りの様子でしたので』


 カフェオレが配膳される直前、一瞬だけ実体化した黒鉄が、ウエイトレスの足を払いのけたのを、勢十郎はちゃんと見ていた。それも、周囲の客の視線から、まったくの死角になるタイミングを見計らっての手際てぎわである。


 これから始まる彼女との共同生活も、この分ならなんとかなるかもしれない。まんまと市役所を抜け出した勢十郎は、駐輪場からスーパーカブを発進させた。


 こうして、彼が気づくべき違和感は、すっかり忘れ去られてしまった。


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