第二話『ハレ、時々、ケ』その6

 そこに、先ほどまでの大男はいなかった。


 打刀のモノガミ、大治郎。ボロ切れ同然であった彼の着物は、清々しい羽織袴はおりはかま姿になっており、髪も丁寧に整えられ、あろうことか般若の面まで輝いていた。まるで化粧直しである。


 あまりに唐突な展開に、勢十郎はどう反応していいのか分からない。


「……『驚き★ビフォアー・アフター』になっちまってるぞ?」

「モノガミの姿は、しろになる物品と相互関係にあります。刀が綺麗になれば、仮の実体に変化が起こるのは当然でしょう?」

「初耳だっつの。そう言う事は先に説明しといてく……、れ?」


 その時、勢十郎の脳裏に天啓てんけいが舞い降りた。


 


 つまり、彼が今首から提げている刀の鍔を磨きあげれば、実体である黒鉄がグレードアップする? それはつまり、元々胸の大きな彼女が、さらにハリウッド女優並のナイスバディーへ超進化――、という事ではないのか?


「いいね! モノガミ最こぎゃふッッ!?」


 突如、後頭部に激しい衝撃を受け、勢十郎は枯山水かれさんすいへダイブしていた。美しい玉砂利の中を無様に転げまわった彼は、悶絶もんぜつしながら曲者くせものの正体を看破する。


「てンめえぇ……ッッ。なんのつもりだッ?」 


 勢十郎を蹴り倒した大治郎は、片足を突き出した体勢のまま、無言で縁側に立っている。黒鉄は喋らない大治郎に代わり、勢十郎を非難した。


「自業自得なのでは? 我々を馬鹿にするような事を考えるからです」

「い、居候の分際で家主にケリ入れるたぁ、いい根性してんじゃねえか……。こっちから手は出さねえつもりだったけどよ、やるんなら相手してやるぜ。あぁ?」


 ケンカっ早い勢十郎はジャージの袖をまくりあげ、プロレスのように両手を返して大治郎に「降りてこい」とジェスチャーした。


「……大治郎、手加減するのだぞ?」


 黒鉄は、庭へ降りた般若の面のモノガミに念を押す。


 一方、大治郎と向かい合った勢十郎は、彼女の忠告がハッタリでない事を思い知っていた。二人の身長差は実に二十センチ超。真っ当な格闘技ではまずありえない対戦カードである。


 しかし勢十郎も、吐いた唾を飲み込むつもりはなかった。


「こいよ」


 動きづらそうな袴と巨体にもかかわらず、大治郎は素早く間合いを潰しにかかる。

 勢十郎は飛び込んできた大治郎に、カウンターの拳をフルスイング。しかし彼がデタラメに振り抜いた左拳は、いともたやすく空を切り、返す刀で放たれた大治郎の裸拳らけんが、ガラ空きになっていた赤ジャージの鳩尾みぞおちに直撃する。


「がッ!」


 体勢を崩した勢十郎の顔面に、ズドン! と、二発目の正拳が炸裂する。


「やれやれ……」


 はやくも終わりを予感した黒鉄は、小さく首を振る。当然といえば当然の結果だが、まだ人間とモノガミの違いに理解が及んでいないとはいえ、大槻勢十郎の短絡思考には、彼女も少しばかりうんざりした。


 ところが、勢十郎は戦闘不能に陥るどころか、即座に右拳を振り抜いていた。


「え、ええ……ッ!?」


 傍観していた黒鉄も、これには思わず腰を浮かせてしまう。


 彼女が驚くのも無理はない。人外の力で打ち込まれたはずの攻撃が、勢十郎には全く通用していないのだ。

 

 勝敗が決したものと思いこんでいた大治郎も、思わぬ反撃に勢十郎の拳を避け損なった。

 実際には、掠っただけだった。しかし、勢十郎の拳に触れた般若の面が、ガキリ! と音を立てひび割れるのを見て、黒鉄はぎょっとなる。


「な―—ッ?」


 いくら手で触れることができるとはいえ、実体化したモノガミは、生物ではない。

 そもそも素手でダメージを与えるという前提が通用しないのだ。……で、あるはずが、大槻勢十郎の肉体には、モノガミの常識そのものが通じていない。それにあのタフネス。どう考えても、彼の肉体は人間の範疇を超えている。


 しかし、今度は勢十郎が慌てる番だった。


「うおっ!?」


 面を傷つけられた大治郎は、勢十郎に素早く組み付くと、そのまま首固めを極めていた。勢十郎はすぐに振りほどこうとするが、モノガミの剛腕はびくともせず、二人はもつれあうようにして地面へ倒れ込んでいく。


 そして大治郎は、身動きとれない勢十郎の側頭部へ、渾身の右膝を叩き落した。


「お、ごッッ?」


 頭蓋ずがいきしむような一撃に、意識を失う予感がして、勢十郎は悔し紛れに舌打ちした。あれほど煩わしかった玉砂利の感触が、今は頬に心地良い。倒されたのだ。


 もはやこれまで、である。

 殴り合いを制した大治郎が、しきりに肩を上下させているのが、倒れた勢十郎にはぼんやりと見えていた。


 ふいに、どこからか椿油の香りがした。

 やがて訪れたまどろみの中、



「――、大治郎ッ! 手加減しろと言ったろう!」



 大男を叱りつける黒鉄の声が、ひどく勢十郎のプライドを傷つけた。


◆     ◆     ◆


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