第60話 その物語の主人公 《第一章 完結》

「お姉さま……ウィステリアお姉さま!」


 たった今、自分の目の前で父親が連れて行かれたというのに、まるで何事もなかったように、ローズマリーはアッシュの腕の中にいるリアの側へと駆け寄った。


「こんなに汚れてしまって……」


 悲しそうに瞳を潤ませる。そして、アッシュから引きはがすようにリアの手を引いた。


「それではアッシュさ……アッシュが汚れてしまうわ。さあ、お姉さま。湯浴みに参りましょう! お着替えも用意しますねっ!」


 ローズマリーに掴まれたリアの手を、アッシュがそっと引いた。


「お気遣い、ありがとうございます。リアは連れて帰りますので」

「リア? って、まさか……ウィステリアお姉さまが、“リア・クレメンタイン”なの?」


 アッシュがリアの代わりに「はい」と頷いた。

 大きく見開かれたローズマリーの瞳が歪む。


「では……アッシュの婚約者というのは――ウィステリアお姉さまのこと?」

「もう、あなたの姉ではないわ」


 ゼフィランサスが連行されたことで、この場にいる必要がなくなった赤の公爵は優雅に立ち上がる。


「こちらにいるクレメンタイン伯爵の娘、なのよ」

「伯爵……令嬢……ですって?」


 ローズマリーは眉根を寄せ、奥歯をグッと噛みしめるようにうつむいた。


「そんなの、おかしいわ……」


 ボソッと呟かれた言葉に赤の公爵はチラリと視線を向けた。

 ローズマリーは床を見つめたまま、拳を握りしめている。そして突然、顔を上げると、キッとリアを睨みつけた。


「お姉さまのような『悪役令嬢』が、幸せになれるはずないじゃない! アッシュから離れてよ!」


 リアは怒りに震えるローズマリーを見つめる。


「あの――『悪役令嬢』って、何ですか?」


 ゼフィランサスの護送を引き継ぎ、今戻ってきたばかりのジャックがローズマリーに問いかけた。


「あれ? 私のいた世界に確かそんな言葉があったような……。でも、この世界にはないですよね? なんでローズマリー嬢が知っているのでしょう?」


 ジャックの言葉にローズマリーは息を吸い込む。


「私は『異世界の迷子』なんですよ。もしかして、ローズマリー嬢は、私と同じ世界にいたのでは? うーん。ということは――あなたは『転生者』ですかね」


 ローズマリーは大きく目を見開いた。アッシュの腕の中でリアは息を殺す。


「『転生者』……?」

「はい。私たちのような『異世界の迷子』はよく『転移者』と呼ばれます。彼女のように、前の世界の記憶を持ったまま生まれることを『転生』というのです。でも……そうだとすると、この世界って何かの物語の中ってことか――」


 なるほど納得、と一人頷くジャックに、赤の公爵をはじめ、クレメンタイン伯爵もアッシュも、首をひねった。


「――ですよね? ローズマリー嬢」


 ローズマリーは怯んだように瞳を揺らす。


「それで、どんな物語なんです? あ、もしかしてリアちゃんのことを『悪役令嬢』と言ってたのは……そういう物語ってことですか?」


 びくりと肩が上がったローズマリーにジャックは「マジかぁ」とげんなり肩を落とす。


「で、対象者は誰です? 王太子殿下? でも――それならハッピーエンドか……」


 ジャックが、チラリと視線をリアに向ける。当の本人は、今にも瞳を光らせそうになっている婚約者の腕の中、だ。ジャックは、ハッと息を吸った。


「まさか――アッシュが?」


 ローズマリーだけでなく、リアの鼓動も高鳴る。アッシュは腕の中にいる愛しい婚約者に視線を落とした。


 これまでのジャックの言葉からアッシュは、なぜローズマリーが自分のことを知っていたのかを理解した。

 そうであれば、アーネスト王国のことも、自分がその国の王子であることも、最初から知っていたから、敬称をつけて呼んでいたのだと納得できる。

 

 ただ――それを今、暴かれては都合が悪い。


「もしアッシュだとしたら、物語通りに進んでないってことですよね? 彼には婚約者がいるし」

「そうよ! あなたの言う通り! お姉さまのせいで、私が幸せになれないのよ!」


 ローズマリーが声を張り上げる。目に涙を溜め、唇を噛みしめて。


「いつもいつも私の邪魔をする! 悪役令嬢、そのものなのよ!」


 リアは小さく息を吐き、アッシュの腕を解いた。アッシュが心配そうに目を瞬かせる。

 大丈夫、と小さく頷くと、リアはローズマリーに向き合った。


「その物語の主人公は――ローズマリー、あなたなの?」


 ローズマリーは睨みつけるように「そうよ!」と語気を強めた。


「そうなのね。でも、私の物語は私が主人公なの」

「え? 何、それ……じゃあ、これは『悪役令嬢』が主人公のアナザーストーリーってこと?」


 リアは優しく言葉を続ける。


「そうね、ローズマリー。あなたにとっては、アナザーストーリーかもしれない。でも、私にとっては、私だけのメインストーリーなの。理解できないかもしれないけれど」


 ローズマリーは怪訝な顔をして、首を横に振る。


 確かに物語の中のローズマリーなら、その通りに物語は進んでいくのだろう。

 でも、この世界のローズマリーは物語の主人公ではなく、転生者なのだ。そして、悪役令嬢である、リア自身も。だから――


「皆、それぞれ自分が主人公の人生を、自分を中心にしたストーリーで進めている。だから、誰が何の役割で、誰が敵で味方で、誰が誰を想うか――それはすべて、その人次第、なの」


 人はそれぞれ自分が幸せなるために動いている。ただそこで、ほんの少しでも自分以外の幸せを願うことができれば、少しずつ、世界は変わっていくのだろう。この世界でもそうだ。


 だから――リアはアッシュと出会えた。


 誰かを思いやり、誰かのために願い、誰かのために行動する。その中で自分より幸せになってほしいと願える人こそ、きっと本当に愛する人なのだ、とリアは思っている。


「あなたは――誰かの幸せを考えたことはある? その人にとって、何が幸せなことなのか、考えたことは?」

「ないわ。だって、皆は私を幸せにするために存在しているんだもの。それは私が考えることではなくて、相手が考えることよ!」


 伝えようとしても、伝わらない。もどかしい想いをずっとしてきた。

 それはリアにとって、ローズマリーが妹であり、もっと仲良くしたかったから。ローズマリーのことを理解したかったから。


 人それぞれ、考え方が違うのは前世を生きた分、分かっているつもりだ。違う考えの人を変えることができないことも、互いが歩み寄る気持ちがなければ、どちらか一方だけでは、話し合っても無駄だということも。


 ローズマリーとは、同じ方を向いていない。対面し、睨み合っているだけ。だから、目的地が違う。そこまで辿り着く道順も違う。無理やり一緒にいれば、拗れてしまうのは当たり前のこと。


「私はね、こう思うの。想いの大きさや深さを測ることはできないけれど、自分よりも幸せに、と願えることが、本当の想いだと。ただ、それをあなたに分かってもらおうとは思わないし、そうしてほしいとも思ってない」


(本当は、分かり合いたかったけれど……)


 リアはその部屋に飾られた花瓶の中から一輪の花を選び、ローズマリーに差し出した。


「ローズマリー、あなたの名前の花よ」


 妹ローズマリーが薄紫のローズマリーを受け取ると、リアが込めた想いは、一瞬で消えてしまった。


 リアは悲しげに目を伏せた。


 できることなら、これから起こることから助けてあげたかった。ローズマリーの『魔法の無効化』の能力がリアの『想い』ごと、消し去ってしまった。


 きっとそれが、ずっとローズマリーが願ってきたこと、だったから。それが彼女の答えなのだ。



 これから、アーネスト侯爵家への断罪が始まる。



 ◇◇◇◇



 ゼフィランサス・アーネスト侯爵は奪爵となり、ハートラブル公爵が管轄する塔へと幽閉された。

 オレアンダーやロザリー、そして、ローズマリーはダイヤモント公爵領にある修道院へと身を寄せることになった。


 アーネスト侯爵領はその土地の管理の大半を任されていたに引き継がれた。


「まさかローレンスがエルダー園芸店の店主だったなんて……知らなかったわ」

「執事業務と兼任しておりましたからね、『変幻の魔法』を遣って」


 執事の格好から細かい刺繍が施された貴族らしい服に着替えたローレンスには貫禄すらある。元々、アーネスト王国の公爵であるのだから、当たり前といえばそうなのだが。


 ローレンスはニコリと穏やかな笑顔を浮かべた。


「しかし、いつからか『変幻の魔法』が遣えなくなりまして……先日、アッシュ様にうかがって初めて原因が分かりました。まさかローズマリーお嬢様の能力が『魔法の無効化』だったとは」


 驚きを隠せないというように首を左右に振った。


「リアが攫われたと知ったとき、リアを無事に取り戻すことしか考えていなかったんだけど――」


 応接室のソファにドカリと腰をかけたアッシュはもうすでにこの屋敷の主のようだ。


 アーネスト侯爵家の当主となったローレンスは、屋敷内の従者や侍女をすべて入れ替えてしまった。

 今、働いている人は皆アーネスト王国から迎えたらしい。リアにとても好意的である。

 慣れない扱いにどこかくすぐったい気持ちを抑えながら、リアはアッシュの話に耳を傾けた。


「――少しずつ怒りが抑えきれなくなって……同時に“アーネスト”も奪い返すことにした」


 普段の柔らかい雰囲気からは想像できないような表情に、リアは目を丸くした。

 そんなリアにアッシュが気づくと、ソファの隣をポンポンと手のひらで軽く叩き、座るよう促す。


 リアが隣に腰かけると一瞬で距離を詰め、ぎゅっと抱きしめた。


「永遠に失ってしまうかと思った」


 耳元で聴こえる苦しそうな声。アッシュは過去に父親を失っているのだ。それが今度は自分の目の前で起きた。どれほどの恐怖だっただろう。


 リアはそっとアッシュの背中を撫でた。


「ありがとう。助けに来てくれて」

「当たり前でしょ? 愛しい婚約者なんだから」


 おどけてみせたアッシュの表情にはもう、声を震わすほどの恐怖心は見えない。

 ホッと胸を撫で下ろしたリアが笑う。


 爽やかな風が通り抜け、薄いカーテンがふわりと舞い上がる。その窓際には3本のヒマワリ。



 心穏やかな日々が始まろうとしていた――。




☆★☆★☆★☆★☆


お読みくださり、ありがとうございました!

ここで第一章を完結とさせていただきます。

少しお休みをいただいて、また第二章を始めたいと思います。


まだまだ回収できていない、アレやコレがありますので……引き続き、ご覧いただけると嬉しいです!


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魔法の花屋は、今日も花言葉に想いを込める 夕綾るか @yuryo_ruka

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