第2幕 義太夫三味線探偵 ~事件の糸口も見つけます~


        ( 1 )

 京都御所の南側は、町家が建ち並んでいた。

 昨今の爆発的な京都観光に加え、京都市内に住みたい人が増えた。

 京都市内は、厳しい高さ制限があるため、東京、大阪のように、高層タワーマンションは建設出来ない。

 東西南北に幾筋もの幅の狭い通りが走る。

 京都の通りは平安京造営と秀吉公の通りを増やす事業、この二つが未だに受け継がれている全国的に見て稀有な存在だった。

 その中の一つ、御幸町通りも最近、マンションが増えて来た。

 しかし街全体、時が止まったかのように、昭和の佇まいが見えた。

 近所の銭湯も健在だし、まだ町家があちこち残っていた。

 その町家の一角に「義太夫三味線教室」があった。

 通りに面した格子戸の袂には、三味線の胴で作った可愛らしい背の低い街灯が鎮座する。

 格子戸の上の表札は、丸かった。

 木製ではない。

 鼓の皮で作られていた。

 丸い皮の中には「矢澤竹也」の文字があり、その横には

「竹凛庵」とも書かれていた。

 格子戸を開くと石畳が見える。

 左右には季節折々の花が出迎えてくれる。

 10歩進むと、母屋の玄関に出くわす。

 玄関戸から義太夫三味線の音が聞こえる。

 その風情のある雰囲気を壊すかのように、一人の女性が髪を振り乱して走って来るのが見えた。

 女性の名前は亀原利恵。

 京都南座の宣伝部に勤めていた。

 通りの格子戸を開けると、そのまま走って来て、玄関口の戸を容赦なく開けた。

「矢澤竹也さん!事件、事件です!」

 大きな声で叫びながら玄関口の上がり框でスニーカーを脱ぎ捨てて、目の前の2枚の障子戸を両手で左右に思いっきり開けた。

「事件です!」

 利恵はぜいぜい荒い息をしながら、もう一度叫んだ。

「事件ですか?」

 利恵の声とは対照的にのんびりとゆったりとした声が返って来た。

 この町家の主、矢澤竹也である。

 これが本名である。

 名前とは似つかない、まだ23歳の若造だった。

「何やってるんですか!」

 竹也の両肩には、二匹の猫が乗り顔だけちょこんと出していた。

 利恵の稽古場乱入でも、猫はその肩に乗ったまま利恵を睨みつけた。

 白と黒、白が松子、黒が梅子である。

「何って。松子と梅子に義太夫三味線を教えているんです」

 利恵は竹也のどこか世の中とはかけ離れた言動にこれまで振り回されて来た。

 それでも付き合いが続くのは、義太夫三味線を教えてくれる、しかも破格の値段であったからだ。

「師匠は、本気で今でも猫の気持ちがわかると」

「て云うか、僕は猫語が話せますから」

「はあ?」

「ニャオウ」

 竹也がつぶやく。

 同時に松子と梅子が返事した。

「ニャオウ」

「ほらね」

「はいはい、わかりました」

「それで、事件とは?」

「それです。南座に出たんです」

「ほほほお、ついに出ましたか。珍しい趣向ですねえ」

「ちょっと待って下さい。何が出たと思ってるんですか」

「ですから、夜店でしょう」

「違います!出たのは夜店じゃなくて、幽霊です」

 利恵は両手を前にだらりと出して竹也に迫った。

「はあ、まあ南座も歴史がありますから、幽霊の一人や二人出るでしょう」

「驚かないんですか」

「京の町は千年の都。怨念が幾重にも重なってます。だから幽霊も沢山おんねん」

 竹也は若いのに、親父ギャグが好きだった。

 利恵は大きくため息をついた後、話し始めた。

 南座では夜間警備員が2人常駐していた。

 事件当夜、村岡徳三、矢田則之の二人が担当していた。

 矢田が夜間、つまり深夜場内を巡回している時だった。

 客席から三味線、それも義太夫三味線の音が聞こえたと云う。

 もちろん、夜間なので誰もいない。

 しかし、はっきりと耳にした。

 矢田は急いで南座地下事務所の警備員の部屋に戻る。

 報告を受けた村岡が行く。

 警備上、二人同時に地下事務所の出入り口を離れる事は出来ない。

 今度は矢田が居残り、村岡が矢田が聞いた場内へ行く。

 すぐに戻って来た。

「確かに聞こえた!」

 大の男が抱き合って震えた。

 朝が来て警備報告を南座のフロントマネージャー大林のぶおに報告する。

「またまたまた。空耳でしょう」

 と云って、全く相手にしてもらえなかった。

 その話を大林が利恵にした。

 これが顛末だった。

 義太夫三味線を膝に乗せ、両肩に猫を載せたままじっと竹也は最後迄聞いていた。

「それで」

 利恵が話し終えた後の第一声がこれだった。

「それでって?これでおしまいです」

「で、この僕にどうしろと」

「ですから、義太夫三味線の正体を暴いて下さい」

「何で」

「何でって・・・南座のため!いや京都のためです」

 理屈で迫られるのが一番苦手の利恵はどさくさ紛れで答えた。

「わかりました。正体わかりました」

「もうわかったんですか」

「はい」

「何ですか」

「音響係さんが、音響テープの編集してたんでしょう」

 ここで利恵はまた大きくため息をつく。

「あのう、私、最初に云いましたよね。夜間誰もいない場内と」

「はい。場内にはいない。でも音響室は、どうでしたか」

「どうって・・・いないに決まってるでしょう」

「つまり、そこは確認してないんですね」

「はい」

「じゃあ確認しましょう」

「行ってくれるんですね」

「誤解しないで下さい。確認ですから」

「わかってます」

 ゆっくりと竹也は立ち上がる。

 両肩に乗った二匹の猫はぴょんと畳の地べたに降りると、三味線の淵に座る。

「二匹の猫はどうするんですか」

「猫と呼ぶのはやめて下さい。松子と梅子です」

「はい。松子と梅子はどうするんですか」

「大丈夫です」

「留守番させます」

「大事な三味線をそのままにして大丈夫なんですか」

「ええ、大丈夫です。あの三味線の皮は、松子と梅子の母親なんです」

「はあ?」

 三味線の皮は猫の皮で出来ている。

 竹也の話によると、松子と梅子の母親が、あの皮らしい。

 その由来を聞くとまた話が長くなるので利恵はやめた。

 竹也が玄関口で立ち止まる。

「一つ大事な事を聞き忘れてました」

「何でしょうか」

「警備員さんは、義太夫三味線の音が聞こえたと云ったんですね」

「そうです」

「えらく、三味線に詳しい人なんですね」

「そう云えば、そうですね」

 三味線には3つに大別される。


 太棹➡義太夫、津軽、浪曲

 中棹➡常磐津、清元、新内、地唄

 細棹➡長唄、端唄、小唄


 しかし、そこまで知っているのは、珍しいのだ。

「でも何で義太夫三味線とわかったんだろう」

 根本的なわけを竹也は口にした。

「だから、知っていたんでしょう」

「それです!知っていた!いいですねえ、冴えてますよ利恵さん!」

 竹也のこの台詞にいらっとする利恵。

 何だか小馬鹿にされたようだからだ。

 今日は、公演がなく誰もいない。

 南座の劇場は眠りについたように、静まり返る。

 公演の時はおよそ1000人の客で埋め尽くされる。

 人々のさわめき、ため息、笑い、泣き、怒りの炎も消えた魂の抜け殻のようだった。

 休館中は緞帳もあがり、裸舞台である。

 ボーダーライトには、両端と真ん中だけ明かりが灯る。

 令和の改装工事で明かりも白熱球からLEDに切り替わる。

 作業灯だけがついている。

 本来なら、大道具、照明係も仕事をする事もある。

 しかし、その姿も見当たらない。

 完全休館だった。

「で、具体的には客席のどの辺りから音がしたんですか」 

「電話確認しましたら、あの辺りです」

 利恵は指さした。

 そこは3階席の奥、「南座アルプス席」と云われる、急斜面のある客席だった。

 その前の通路を何度か往復した。

「そうですか。では音響室は」

「2階席の奥です」

「行きましょうか」

 一つ階段を下がる。

「音響会社に確認しました。幽霊騒ぎの深夜、部屋には誰もいなかったそうです」

「ええ、わかってます」

 竹也は自分の目で確かめたかった。

 2階席の奥には、照明調光室、音響室が並んでいた。

 2つのブースの行き来は出来ない。

「やはり当事者から話を聞きたいなあ」

「わかりました!」


 南座の向かいにレストラン「菊氷」がある。

 そこで警備員の二人と竹也、利恵が集まった。

 二人の話を聞いたが、利恵の説明以外に目新しい発見はなかった。

「三味線ではなくて義太夫三味線だった」

「そうです」

 きっぱりと答えたのは村岡だった。

「矢田さんはどうなんですか」

「はい、私が聞いたのも義太夫三味線でした」

「じゃあちょっと整理しましょう」


 まず最初に巡回に行ったのは矢田。

 矢田の報告受けて村岡が行く。


「村岡さん、一つ聞いていいですか」

「何ですか」

「義太夫三味線だったんですね」

「そうです」

「長唄三味線ではない」

「はい。義太夫三味線です」

「どうして義太夫三味線だとわかったんですか」

「どうしてって云われても」

 村岡は矢田を見た。

「聞いた事があるから」

「そうです」

「どこで」

「どこでって」

 再び村岡は言葉に詰まる。

「ユーチューブで聞いたって事でしょうか」

 何秒かの間を置いて答えた。

「生音でしたか」

「さあ、そこまでは」

「じゃあ聞いて下さい」

 竹也は立ち上がる。

 目の前の鴨川の遊歩道へと歩みを進めた。

 竹也は、持参した小さな箱型の荷物を収めた風呂敷を解く。

 まず三味線の胴が見えた。

 さらに手際よく三つに分かれた棹を繋ぎ、糸を掛けた。

「へえええ、三味線って折り畳めるんだ」

 矢田が声を上げた。

「お前知らなかったのかよ」

 村岡がバカにしたように云う。

 棹は3分割されていたのを一本にして胴と繋ぐ。

 さらに3本の糸を繋ぐ。

 調律を始める。

 義太夫三味線の低音の音が鴨川と遊歩道を這う。

 川面からこの季節特有の乾いた心地よい風が、頬、髪の毛を優しく撫でて通り過ぎて行く。

 その風と音符がコラボするかのように、絡み合って、とどまり、空中高く舞い上がるようだ。

 竹也の視線は、指先には行かず、利恵、村岡、矢田の三人から周りの遊歩道でくつろぐ人々へと移る。

 鴨川沿いの店の前には、床がせり出していた。

 まだ昼間なので、客はぽつぽつといた。

 その客の視線が竹也に注がれた。

 歌舞伎の発祥は、この四条河原と云われている。

 竹也はその原点で弾いていたのだ。

 両手の指先は、せわしく、それでも滑らかに、色気を漂わせていた。

 鴨川べりに座っていた何組かのカップルが、その音に反応した。

 しばらく聞いていた3人。

 ようやく、演奏をやめた。

 拍手が遊歩道、床にいた客から巻き起こった。

 竹也は、その場でぐるりと一周しながら頭を下げた。

 床に座って聞いていたご婦人が手招きした。

 竹也は近づく。

「ほんまにええ演奏どしたな」

「有難うございます」

「あんさん、お名前は」

「矢澤竹也と云います。御幸町の町家で義太夫三味線ライブやってます。一度ご来場ください」

 袂からチラシを出して渡した。

「へえそうどすか。ほなこれを」

「何ですか」

「まあ取っときなはれ」

 竹也は受け取った。

 ポチ袋だった。

 表面に「松の葉」と書かれていた。

 利恵がやって来た。

「何ですか、松の葉って?」

「ご祝儀よりも金額が少ない。お茶代って事」

「へえそうでしたか」

 竹也は矢田に近づく。

「矢田さん、こんな音でしたか」

「これです。間違いないです」

 矢田は断言した。

「村岡さんは」

「はい、その通りです」

「有難うございました」


    ( 2 )


 午前中、竹也の町家に来訪者があった。

 竹也が出た。

 見知らぬ男女がいた。

「三村です」

 まず女が云う。

 横の男が一礼した。

「三村?」

 竹也の頭が回転し出す。

 全く記憶になかった。

「三村です。お向かいの(みかんの家)です」

 そこまで云ってくれたので、すぐにわかった。

 竹也の町家の通り向かいに、みかんが植えてある一軒家がある。

 みかんがある家なら普通に珍しくないが、大きなみかんが幾つも実っていて、その太い幹が、正面の家の屋根を貫通していて、空に伸びているのだ。

 この界隈では(みかんの家)で通っていた。

 竹也も最初の訪問客にも、

「御幸町通りを北上して下さい。右手にみかんの家があります。うちはその前にあります」

 と云って道案内していた。

「お母さんの朝子さんはお元気ですか」

 竹也がこの町家に引っ越して来たのは5年前だった。

 最初の頃は、朝子も義太夫三味線ライブに参加していた。

「ええ元気です」

「じゃあ娘さんですか」

「そうです。こちらは夫です」

「そうでしたか。みかんの収穫はいつですか」

 竹也の質問に二人は戸惑った視線を互いに投げかけた。

「近日します」

「そうでしたか。ご用件は」

「実は母の事で」

「ちょっと上がりますか」

「お邪魔します」

 二人は竹也の稽古場に足を踏み入れた。

 松子と梅子は、二人を人睨みすると、ひょいと箪笥の上に上がった。

「まあ可愛い子猫ちゃん」

「名前は」

「松子と梅子です」

 二匹は睨んだままだった。

 三村朝子の娘と名乗る、早苗が話し出した。

 朝子は、認知症を患い、今はホームに暮らしている。

 娘の早苗は、みかんの家を処分しようと、母親に土地の権利書、銀行通帳、カード、判子のありかを聞いた。

 しかし、まともな返事がなかったと云う。

「そこで、竹也先生にお願いがあります」

「何でしょうか」

「その通帳、カードのありかを探して下さい」

「私は探偵ではありません。義太夫三味線を教えているだけです」

「でも御幸町通りでは、(義太夫三味線探偵)って皆さん、呼んでますよ」

「そうなんですか!」

 京の人々の情報網と連帯は強いのである。

「でも個人情報ですからね」

「そこを何とか」

「銀行の個人名義の貸金庫は」

「調べました。なかったです」

「信託銀行とかは」

「その類いも調べました」

「それこそ、畳をひっくり返したり、天井裏まで調べました」

 夫の三村岡徳が初めて口を開く。

「そうでしたか」

「お願いします」

「わかりました。兎に角、最初はお母さんと会いましょう」


 竹也は、朝子が入所しているグループホーム「北山」へ行く。

 隣りにいたのは、利恵だった。

「何で私が、一緒なんですか」

「不満ですか」

「て云うか、私、関係ないでしょう!」

 利恵は睨みつけた。

 今回は竹也が強引に誘ったのだ。

「それより、南座の幽霊騒ぎ事件、早く解決して下さい!」

「何かありましたか」

「また出たんですから」

「ほお、熱心な幽霊ですね」

「もう矢田さん、ノイローゼで会社休んでます」

「お気の毒ですね」

「何その、全然こころがこもってないメッセージ」

「ばれましたか」

 竹也はぺろっと舌を出した。

 今回も義太夫三味線を持っての訪問だった。

 今回は、ばらさずに、そのまま絹の袋に入れていた。

 肩から斜めにぶら下がり紐をつけた特製だった。

 グループホーム「北山」は、京都植物園に隣接して建てられていた。

 病院入院棟は真新しいビルだったが、渡り廊下で繋がる暮らす部屋は、元財界の邸宅をリノベーションしたものだった。

 庭に取り囲まれたもので、小さなホールもある。

 正面玄関に入った所で、利恵が声を挙げた。

「中戸さん!」

「亀原さん!」

「中戸さん、どうしてここに」

「私は、このホームと南座の管理を掛け持ちしてます」

「そうでしたか」

「矢澤竹也です」

 竹也は名刺を取り出した。

 中戸も慌てて名刺を差し出した。

 グループホーム「北山」は、全て個室だった。

 2Kの部屋だった。

 竹也らが行くと、三村朝子はソファで本を読んでいた。

 ベッドの枕元には、使い込んだ義太夫三味線があった。

「あら、珍しいお客様だ事」

 ゆっくりと立ち上がると朝子は微笑んだ。

「僕が誰だかわかりますか」

「もちろんです。義太夫三味線の先生、矢澤竹也さんでしょう」

「そうです。正解です。その後義太夫三味線の稽古はしてますか」

 竹也は、枕元の義太夫三味線に視線をちらっと走らせながら尋ねた。

「もう全然ですよ」

 早苗が耳打ちした。

「正常な時とぼけが交互なんです。いわゆるまだらボケです」

「ああそう云う事ですか」

 落ち着いた所で、早苗が聞く。

「お母さん、通帳、判子どこなの。土地の権利書も」

 途端に、朝子は歌い出した。

 みかんの花が 咲いている


「これです。いつもこうなんです」

「そうですかあ」

 竹也は義太夫三味線を取り出した。

 朝子の歌に合わせて、義太夫三味線で伴奏を始めた。

「ごゆっくり」

 早苗と岡徳は出て行った。

 二人が出て行くと、朝子の顔色に光がさして輝き出す。

 歌う声も高らかになる。

 さらに歌からハミングになる。

 竹也は、途中で自分の義太夫三味線から、朝子の義太夫三味線へと切り替える。

 調律をしながら伴奏した。

 三味線の上部にある「ねじめ」と云われる横棒を回して、糸の調整、つまり調音をするのだが、何度やっても上手く行かない。

 やはり、他人の三味線を使うのは難しいと思った。

 調律は途中で諦めた。

 竹也が、自分の義太夫三味線を使って音を出してくれている。

その事でさらに朝子に笑顔が生まれた。

 ハミングから口ずさむ。

 竹也は、弾きながら、ある確信がこころの中に生まれた。

 演奏が終わる。

「竹也さん、有難う」

「いえ、どういたしまして」

「やはり義太夫三味線は枕元に置いておくものじゃないのね」

「そうです。弾いてこそ、義太夫三味線に生気が宿るのです」

「そうよね」

 二人の会話が途切れたのを確認した利恵が聞く。

「竹也さんの稽古場には、もう行ってないんですか」

「ええ。でも私、最初のお客さん第1号なんです」

「そうだったんですか」

 利恵は、竹也に視線を送る。

「その節は、本当に有難うございました」

「私、竹也さんに一目ぼれしました」

 朝子が平然と云ったので、利恵は驚いた。

「朝子さんのお陰で、義太夫三味線を習いたいと云う人が増えました」

「京都人は、結束は固いんどす」

「みかんの家、どうなさるつもりですか」

「残します」

「そうですよねえ。帰る家は残した方がいいです」

「でも娘と夫がねえ」

「さっきの方々ですね」

 その問いに朝子は答えない。

 気まづい空気が流れる。

 戸が開く。

 早苗夫婦が戻って来た。

「さあ帰りましょうか」

 竹也は立ち上がる。

 

 竹也は、利恵からメール貰う。


「警備員の矢田さん、お仕事おやめになられるそうです。

 最後に逢ってあげて下さい」


 竹也と利恵は昼間、建仁寺にいた。

 利恵は昼休みを兼ねていた。

 枯山水の庭を見ていた。

 二人の間に、身体を小さくして座る矢田がいた。

「もう辞めます」

 さっきから矢田はこの言葉しか発していなかった。

「そう早く結論出さないで下さい」

「そうです。原因は、また出たんですか」

「そうなんです」

「もっと詳しく話をお聞かせ下さい」

 矢田はぽつりと話し出す。

 状況は、前回と全く同じだった。

 巡回中、客席3階付近から三味線の音が聞こえた。

 慌てて戻って、村岡に報告、

 入れ違いに村岡も同じ場所へ。

 すぐに戻って来た。

 村岡もはっきりと三味線の音を聞いた。

「つまり、矢田さんが先に行って、次に村岡さんが行った。そうですね」

「そうです。もう辞めます」

 矢田が立ち上がった。

「まあ落ち着いて!座りましょう」

 座らせる。

「三味線の音を聞いた。で、姿は?」

「姿は、見てません」

「つまり音だけなんですね」

「そうです」

「竹也さん、実はこんな資料を持って来ました」

 利恵が差し出したのは、宣伝部にあった「昭和の南座」の本のコピーだった。

「南座、戦後から長い事、三味線の稽古事をやってたんです」

「なるほど。いいですねえ。揃って来ましたか」

「ところが平成の改装でその稽古場取り潰したんです」

「何で?」

「三味線の稽古事してた師匠がいなくなったんです」

「どうして」

「さあそれはわかりません」

「それで」

「その後平成の改装で、稽古場がなくなり、料亭の店舗になったんです」

 矢田が泣き出した。

「すみません」

「矢田さん、大丈夫ですか」

「いえ大丈夫じゃないです」

「三味線の音が聞こえたって本当なんですか?聞き間違いじゃないですよね」

「そう云われると思って、録音してたんです」

 矢田はスマホを操作して、その音を聞かせた。

 聞きながら、竹也は、

「これは・・・・」とつぶやき、大きく頷いた。


 竹也は思った。

 今まであまりにも、みかんの家の主、三村朝子の事をよく知っていなかった。

 自分が、この町家で義太夫三味線の教室と町家ライブを開く時、散々お世話になりながら全く知ろうとしなかった。

 どうしても、調べる必要がある。

 何故朝子は「みかんの花咲く丘」の童謡を口ずさむのか。

 何故あの家にみかんの木があるのか。

 本格的に調べようと思った。

 竹也は利恵に電話した。

「事件の答えが見つかったんですか」

 いきなり利恵が問いただした。

「いえ、違います」

「じゃあ今はどんな感じなんですか」

 ひと呼吸置いて、竹也は答えた。

「五里霧中です」

 スマホの向こうで、利恵のため息が漏れる。

「その霧はいつ晴れるんですか」

「晴れるかどうかわかりません」

「そないはっきりと云わなくてもいいでしょう」

「霧の向こうへ行くヒント探しに行きます」

「どこへ」

「愛媛です。愛媛の宇和島です」

「何でそんな所へ行くんですか」

「その間、松子と梅子の面倒をお願いします」

「松子?ああ、子猫ちゃんね」

「そうです。よろしくお願いします」


    ( 3 )


 竹也は、一人で北山ホームに行き、朝子の故郷の事を聞き出した。

 そして実際に行ってみようと思った。

 新幹線で岡山まで行く。

 岡山から特急「しおかぜ」に乗り松山を目指す。

 初めて、瀬戸大橋を渡る。

 列車は橋を渡る時に、あえて速度を落とす。

 列車と車の二層構造だった。

 今は在来線の狭軌の線路のみ敷かれているが、将来の新幹線の開通を見越して、それに対応出来るようになっていた。

 橋の中がスカスカなのはそのためである。

 僅か10分もかからない。

 この橋が出来る前は、岡山から乗り換えて宇野まで行く。

 宇野から高松まで船で1時間。

 高松から特急である。

 新幹線岡山開業と瀬戸大橋開通により、関西方面からのアクセスが劇的に改善された。

 後は、四国新幹線開通のみだ。

 車窓から瀬戸内海の海と点在する小さな島が見える。

 鳥の目で見ている。

 スマホで、朝子が口ずさむ童謡「みかんの花咲く丘」を聞く。

 歌詞の通りの風景が、今、竹也の眼前に広がる。

「青い海」「島」「波」が一挙に見える。

 今、歌詞にないのは「みかんの花」「汽笛」だった。

 童謡を聞きながら、作詞者加藤省吾を検索した。

 加藤は愛媛出身ではなくて、静岡出身だった。

 しかし、この童謡は、みかんの生産地ならどこでも通じるようだ。

 静岡も愛媛と並ぶみかん畑が広がる。

 松山で列車を乗り換えて宇和島を目指した。

 自治会長と本人から聞いた住所を尋ねた。

 今は遠い親戚が住んでいた。

 竹也が京都から来たと云うと住人は目を細めた。

「朝子さん、死んだのか」

「いえ、元気です」

「なんして来たの、あんちゃん」

「実は確認したい事がありまして」

 朝子が、よく通ったミカン畑を案内してくれた。

 みかん山から海が見えた。

「朝子さん、よく(みかんの花咲く丘)を口ずさんでます」

「ああ、あの歌ね。3番まで聞いたか」

「はい」

「きちんと歌っていたか」

「はい。いや・・・」

 住人が説明してくれた。

「あれは朝子にとって鎮魂歌だよ」

「そうだったんですか」

「それ知ってるのはごく僅かだよ」

「朝子さんには、子供がいましたか」

「いたけど、死んだ」

「朝子さんは、若い時、何をされてたんですか」

 竹也は写真を取り出した。

「この中に、知っている人は」

「これ、朝子だろう」

「そうです」

「この人は」

「知らん」

「本当に知らないんですね」

「そう」

「朝子さんは、ここを出てどこへ」

「京都で進駐軍の通訳だ」

「ちょっと待って下さい。戦後76年だから、朝子さん、まだ10歳ですよ。通訳出来ないでしょう」

「いいややっとった。あと進駐軍キャンプで三味線弾いてた」

「それからどうしたんですか」

「南座でな」

 話してくれた事は、全て竹也にとって、初耳だった。

 収穫はあった。

 再び実家の家に戻る。

 和室に通された。

 ある調度品に目が行く。

「あれは」

「みかんの皮で作った小物入れ」

「見せて貰っていいですか」

「どうぞ」

 竹也は手に取る。

 外見はみかんだ。

「うまく出来たみかんですね」

「みかんじゃねえ。伊予柑だ」

「伊予柑!」

 ふたがある。

 ふたを取ると空洞だった。

 中には色々なものを収める事が出来た。


 翌日、竹也は京都に戻った。

 ふと前を見る。

 みかんの家のみかんが全てなくなっていた。

 通りから見ていると、玄関戸が開く。

 中から早苗と夫の岡徳が顔を出した。

 目の前に竹也がいたので、二人はぎょっとなり立ち止まった。

「収穫、終わったんですね」

「えっ?」

「これですよ」

 みかんの樹木を指さした。

「ああ、はい」

 二人は視線を合わさないようにうつむく。

「実は、僕も大きな収穫ありました」

「収穫!」

「はい!」

 竹也は自信たっぷりに云い切った。

 そして竹也は中戸に電話した。

「中戸さん、お願いがあります」


 月に一度の義太夫三味線町家ライブが開催された。

 毎月、1回町家で行われる。

 古典ものと創作浄瑠璃の2本たてだった。

 今回は、「特別企画」だった。


1江戸七不思議「落ち葉無き椎」

2創作浄瑠璃「南座(みなみざ)三味線(ぎだいゆうしゃみせん)幽霊(ゆうれい)」と「蜜柑家(みかんのいえ)秘密(のひみつ)」だった。

 今回の観客は竹也からの招待を受けた人たちだった。


   ●出席者名簿

亀原利恵・・・南座宣伝部

村岡徳三・・・南座警備員

矢田則之・・・南座警備員

三村朝子・・・「みかんの家」の主

三村早苗・・・朝子の娘

三村岡徳・・・早苗の夫


 日曜日の昼間だった。

 一階の座敷で行われる。

 床の間には、葉っぱと樹木とみかんが植えられたものが飾ってある。

 風呂場とトイレに通じる渡り廊下の前に縁側が広がる。

 縁側には、坪庭が見えた。

 つつじが最盛期を迎えていた。

 坪庭を背にして、特設舞台を設えていた。

 長方形の舞台には、赤毛氈が敷かれていた。

 その上に和服姿、袴の竹也が座っていた。

 両隣には、置物のように、松子、梅子がちょこんと前を向いていた。

「皆さん、お揃いのようですねえ」

 参加者を見渡しながら竹也が云う。

「でも村岡さんがまだです」

 利恵が云う。

「それは大丈夫です」

「遅れると連絡あったんですか」

「いえ。でも大丈夫です。じゃあ始めます」

 竹也が義太夫三味線をバチで鳴らす。

 たちまち低音の響きが畳をはう。

「では最初は江戸七不思議(落ち葉無き椎)です。

 隅田川沿いには肥前松浦家の屋敷には、椎の木がありました。耳の不自由な夕顔には茂吉と云う彼氏がいました。茂吉は三年限りの約束で上方に修行に出かけました。茂吉は(あの椎の木の葉っぱは落ちない限り、俺は大丈夫と思ってくれ)と」

 あらたま年の三年を 待ち構えて

 大川端の都鳥いざ言間はむ

 白雲の遠(おち)なる人のありやなき

 三筋の糸のいとしくも

 ちりちりとんと 会ふことの

 叶はぬ身と なり果つる

 頼みに思ふ松浦様

 その椎の木の常青葉

 な散りぞ散りその願ひなり


「宴席の主人は、夕顔のこころの耳で三味線を弾いてますと云う言葉に深い感銘を受け、船で松浦家に向かいます。その時、夕顔の三味線の糸が切れます」

 夕顔はつと 面(おもて)を上げ、

「茂吉さん」と言ふより早く 御簾差し上げ見上ぐれば

ひらりひらひら一枚(ひとひら)の椎の木の葉の舞ひ降りて

波に揺られて漂へり


 弾き終えて竹也は頭を下げる。

 参加者から拍手が巻き起こる。

 竹也の背後の天井からスクリーンが降りて来る。

「椎の木の葉っぱは落ちてしまいました。絶対に落ちない椎の木の葉っぱが落ちました。実は似たような境遇の樹木があります。それはこの町家の向かいにある通称(みかんの家)です」

 スクリーンにみかんの家のアップは映る。

「これが見慣れた風景です。ところが数日前、こうなりました」

 映像が切り替わる。

 みかん一個だけ残る光景になった。

 その前に一人の老婆がいた。

「実はこれはライブ生映像です。あのみかんの家の前にいるのはこの町家の大家さんです。大家さん、竹也です。聞こえますか」

「はいはい、聞こえます」

 大家がカメラに向かって大きく手を振った。

「では残ってるみかんの実を採って下さい」

「わかりました」

 大家はみかんを取る。

「その中身をカメラの前に見せて下さい」

「はーい」

 大家は取った、みかんの実を見せた。

「中は空洞ですね。何か入ってますね。それを取り出して下さい」

「はーい」

 中から通帳、判子が出て来た。

「このように、宇和島ではみかんの中身を空洞にして物を入れる風習があるんです」

「嘘だ!俺たちは全部みかんの実を採った」

「そうよ!通帳も判子も見つからなかったんよ」

 参加者の目が二人に注がれる。

 しまったの思いで早苗も岡徳も口を押えた。

「やはりあなた方は、あの家に乗り込んで通帳、判子などを探していたんですね」

 竹也は直視した。

「そうでしたか。この件は後ほど。京都南座と云う劇場がございます。

 歌舞伎発祥の地の京都での、代表的な芝居小屋です。

 年末の顔見世歌舞伎興行が有名ですね。

 僕も何度か出させていただいております。

 そこで起こった出来事を創作浄瑠璃にして今回皆様にお届けいたします。

 題しまして(南座三味線幽霊)お聞き下さい」


 創作浄瑠璃 南座三味線幽霊

 芝居小屋に出る 幽霊は

 姿形なしと   決まっている

 それで幽霊と  決めつけは

 可笑しい可笑しい

 笑止千万なり

 南座の昼間は 客で溢れているが

 深夜の南座は たった二人だけの世界

「おい、そろそろ見回りの時間だろ」と村岡が云う。

「そうでした。では行って参ります」

 片割れの矢田は マグライト持って出かける。

 それを見送る村岡

 腕時計の時間を見てにやりとする。

 しんと静まり返る場内

 誰もいない客席

 昼間と深夜のアンバランス

 劇場の神様も寝ている時間

 とその時だった。


 竹也は義太夫三味線の一の糸を定期的に一つ鳴らす。


 客席奥から聞こえる 義太夫三味線の音色

 矢田は、慌ててマグライトを客席に向ける

「だ、誰だ!」

 しかし誰も返事しない。

 間を置いて しばらくすると


 竹也は、義太夫三味線の音色を間隔開けて音を出す。

 参加者の耳、目は、完全に物語に呑み込まれていた。


♬返事がない場内 返事があっても怖い

 震える矢田   震えるマグライトの投影

 慌てふためく  矢田警備員

 急いで詰め所に 駆け込み叫んだ

「で、出た、出た!」

「そない慌ててどうしたんじゃ」

「村岡さん、出た!」

「だから三味線幽霊出ました」

「そんな阿保な」

 今度は、村岡が行って見る。

 すぐに戻って村岡も叫ぶ

「出た!三味線幽霊!」


 ここで演奏を中断した竹也だった。

「深夜、誰もいない南座の客席から義太夫三味線の音色が聞こえると云う怪奇現象が起こりました。それも一度やならず、二度三度、ついに矢田さんはこころを病んで警備員のお仕事を休んでしまいました」

 矢田は、うつむいてうなづく。

「矢田さん、大丈夫ですよ」

「はい」

「この怪奇現象の正体わかりました」

「そうなんですか!」

「はい。矢田さんはやめる直前、三味線幽霊の義太夫三味線の音色を録音してました。

 ではお聞き下さい。これが三味線幽霊の音色です」

 竹也はスマホのスイッチを押す。

 録音された音が流れる。

 参加者はじっと耳を傾ける。

 音が終わる。

「皆さん、おわかりになりましたか。この義太夫三味線の音色の正体!」

 竹也が参加者を見渡す。

 誰も返事しない。

「わからない!はい、正解は、僕です」

「僕?えっじゃあ義太夫三味線の音色は竹也さんだったんですか!」

「そうです」

「そうですって!何でそんなバカげた事しでかしたんですか!」

「正確には、僕が弾いた義太夫三味線の音色を利用されました!」

「どう云う事なの!」

 竹也は義太夫三味線を置いて立ち上がり、特設舞台を降りた。

「今回の南座三味線幽霊の正体、つまり事件の糸口見つけました」

 そう叫んで、ある人物に近づく。

「犯人はあなたですね!村岡徳三さん」

「ちょっと待ってくれ。俺は村岡徳三じゃない!三村だ!三村岡徳だ!それに警備員なんかじゃない」

「そうよ。何血迷った事云ってるの」

 隣の妻の早苗も加勢した。

「失礼!」

 竹也は、三村の頭の毛を引っ張る。禿げ頭が顔を出した。

 ちょび髭、メガネも取った。

「あっあなたは村岡さん!」

 矢田と利恵が叫んだ。

「一人二役ご苦労様です!」

「な、何云ってる!この義太夫三味線の音色がどうしてお前のものだとわかる!」

「わかります。私が弾いたものだから!」

「そんなもの証拠になるか」

「いえそれが証拠になるんです。義太夫三味線の音色は、同じ曲を弾いても各個人で違いが出ます!この音色は、先月の町家ライブのものなんです。私毎回町家ライブの映像、記録してます」

 竹也は懐から一枚の用紙を取り出した。

「これはみやこ音響研究所の音響調査結果報告です。これによると、98・5%同じ結果と出ました!つまりあなたが町家ライブに参加して、録音して仕込んだんです」

「そ、そんなもの証拠になるか!俺が町家ライブに参加してても証拠にはならん!」

「まだしらばくれるってんですか!わかりました。皆さん、後ろをご覧下さい!」

 参加者が後ろを見る。

 襖が左右に開く。

 スクリーンが出て来る。

 部屋の明かりを消して、カーテンを閉める。

「ではお願いします!」

 ビデオが再生される。

「これは特別に設置したカメラの映像です」

 その映像にはっきりと村岡が、3階の客席の座面の裏側にスマホを仕込むのが日付と時間入りで映っていた。

「このカメラは夜間は暗視カメラになる優れものです」

 映像が真夜中になる。

 今度は村岡がスマホを客席の座面から剥がすのが映っていた。

 参加者の視線が村岡に注がれる。

「もういいですよ!」

 部屋の電気をつける。

 スクリーンのうしろから一人の男が現れた。

「ご協力有難うございました。お名前をどうぞ」

「中戸文雄です」

「ご職業は」

「南座の管理をやってます」

「今回特設カメラ設置に全面協力していただきました」

「どうしてわかった!」

「いつも三味線幽霊事件、矢田さんがまず最初に聞いて、次に村岡さんが聞くと云うパターンに疑問持ったからなんです」

「そうかあ」

「それに次の演目のみかん事件とリンクしてるからなんです」

「ええ!じゃあ2つの事件は繋がっているの!」

 今度は利恵が叫んだ。

「はいそうです」

「ああ、みかん事件行く前に聞きたい事あります」

「何でしょうか」

「南座警備員の村岡さんと、みかんの家の三村さんがどうして同一人物とわかったんですか」

「それ簡単です」

 竹也はあらかじめ用意したパネルを見せた


 村岡徳三(1234)


三村(41)岡(2)徳(3)


「二人の名前、繋がってました。村を1,岡を2,徳を3,三を4とします。すると4123で並び変えると、三村岡徳なんです」

「なるほどお」

「じゃあ次の事件行きます」

 竹也が再び、特設舞台に上がる。

 三味線を調律しながら、話し出す。

「この町家の向かいに、通称(みかんの家)があります。今日は特別に主の三村朝子さんにお越し頂きました」

 朝子は車椅子に座ったままだった。

「ここまで道中は、中戸さんが車椅子を載せて車で来て頂きました」

「そうなの。中戸さん、有難う」

「実は中戸さん、都座と北山ホームの管理をやっています」

「そうなの」

 早苗がつぶやく。

「みかんの家の朝子さんは、僕がこの町家ライブ、そして義太夫三味線を始めた時の第1号のお客様。そして朝子さんの人脈で、大勢のお稽古事をしたい人を集めて下さいました。その節は有難うございます。

 その娘さんの早苗さんからお悩み相談事をお聞きしました。ではお聞き下さい。創作浄瑠璃(蜜柑家秘密)です」


 創作浄瑠璃「蜜柑家秘密」

 みかんの家の   秘密です

 みかんの家の   歴史です

 みかんの樹木を  植えました

 思い出のみかん  日に日に

 思い出を抱えて  大きくなりました 

 屋根を突き抜け  お空に向かいました

 みかんの樹木   おいしい実が出来ました

 でも美味しい実は そのままでした

 食べたら     なくなります

 思い出も     なくなる気がしました

 みかんの家は   ずっとみかんの家なのです

 だから実は    ずっとそのままなんです

 だから実は    取っては駄目なんです

 ここで演奏をやめた竹也は、再び特設舞台を降りて、参加者の前に立つ。

「朝子さんの故郷は、愛媛の宇和島です。先日、僕は行って来ました」

 竹也は微笑んで朝子に語り掛けた。

「まあそうなの。ご苦労さまです」

「はい。朝子さんは、戦後京都で、10歳で進駐軍の前で義太夫三味線を弾いてました」

 参加者のどよめきが起こる。

「若い人に説明しておきます。昭和20年8月、日本は戦争に負けました。アメリカ進駐軍が日本各地を占領します」

 竹也は説明を続ける。

 祇園界隈にも進駐軍が来た。

 進駐軍は、駐留する兵士のためのダンスホールの会場を探していた。

 そこで目をつけられたのが、南座と祇園甲部歌舞練場だった。

 結果的には、歌舞練場に決まった。

 何故歌舞練場だったか。

 それは歌舞練場には座席がなく、空間があったからだ。

「空間?座席がない?どう云う事なんですか」

 すぐに利恵が口を挟んだ。

「実は歌舞練場は、戦争末期、兵器工場で風船爆弾製造のために、座席が取り払われていたんです」

「それは知らなかった」

「進駐軍にすれば、ダンスする空間もある。ステージもある。うってつけの場所だったんです」

「だからあの時代、昭和25年から3年ほどは、都をどりは、南座で開催されたんですね」

「さすがは、宣伝部。さて朝子さんは結婚して子供生まれますが、残念ながら亡くなってしまいます」

 竹也は、今度は三村早苗の前に立つ。

「早苗さん、あなたは朝子さんの娘さんじゃないですね。僕はあなたと最初にお会いした時から、あなたが娘さんじゃない事は気づいてました」

「どう云う事!」

「最初に会った時、僕はこう云いました。(みかんの収穫はいつですか)とするとあなたは、(そのうちに)と。そこでぴんと来ました。あなた方は、あの家の人達でないと」

「どうしてなのよ」

「だって、ここのみかん、ずっと収穫してないんです。ある理由があって」

「理由?」

「そうです」

 竹也は再び特設舞台に戻る。

「亡くなった娘さんは、みかんが好きでした。みかん、正式には(伊予柑)です」

「ようわかってはる」

 朝子は涙ぐむ。

「娘さんが好きだった、伊予柑の実。だから収穫は出来ないんです。しかし、皆さんお気づきですけど、今、実は取られました。どうして早苗さんらは、実を取ったか。それはあの家探ししても見つからない、土地の権利書、銀行通帳のありかは、実の中にあると睨んだ」

「ああそうだ。いつも俺たちの前でとぼけるばばばあ。いつも(みかんの花咲く丘)を口ずさんでボケやがる。その時、ふと思ったんだ。ひょっとして蜜柑の実の中にあるんじゃないかと。けどなかった」

「そうだ」

「うーん、惜しい。実に惜しかったですね」

「惜しい?何が惜しいのよ」

「早苗夫妻のみかんの実に目を付ける事ですよ。それ自体間違ってません」

「なんだとお」

 早苗と岡徳は顔を見合わせた。

「あなた方は、朝子さんが口ずさむ(みかんの花咲く丘)の歌を最後まで聞いてませんでしたね。朝子さんは1番、2番は歌ってますが、3番は歌わずに、口三味線してました」

「口三味線?」

「はい。ではこちらを見て下さい」

 スクリーンに義太夫三味線が映し出された。

「これが朝子さんが持ってる義太夫三味線です。何の変哲もないものなんですけど、これ、実はとても貴重なものなんです」

 スライドが切り替わる。

 義太夫三味線の棹が9つに分解されていた。

「これ、棹が9つにも分かれるんです。そして細かく、分かれた棹はこの通り、ここに収まります」

 スライドが切り替わる。

 三味線の堂の中に収められていた。

「ご覧のように、この三味線の胴は、空洞で中に収められるんです」

「ああああ!」

「そうです。口三味線。つまり貴重品は、三味線の胴の中でした。僕は最初に(北山ホーム)にお邪魔した時に、朝子さんの義太夫三味線を弾きました。その時、幾ら調律しても音の違和感がなくならなかったんです。あれっと思って後で気づいたんです。三味線の胴の中に異物があるから音がこもるって事に」

「くそお」

「ああ、云っておきます。その三味線、北山ホームにはありません。こちらで保管してますから」

「くそお!」

「早苗夫妻にお聞きします。何で朝子さんの事知ったんですか」

「矢田に聞いたんだよ」

「矢田さん、あなたは誰に聞いたんですか」

「誰に聞いたって・・・」

「あなたは、朝子さんの娘さんと結婚してた。そうですね」

 矢田は黙っていた。

「妻を亡くしたのは俺のせいなんや」

「矢田さん」

「義母さん」

「矢田さんは、都座の幽霊騒ぎの時に、義太夫三味線が聞こえたと云いました。普通三味線だと云いますけど、義太夫三味線とまで云った。まず私はここに引っかかりました。矢田さん、あなたが怖がった事、それも芝居だったんですね」

「えええ?じゃあ矢田さんと村岡はぐる?何のために」

「僕に動いてもらうため」

「でもそんな事したら、やぶ蛇では」

「藪でも棒でも、通帳、判子、土地の権利書のありかを見つけたかったからですね」

「つまり竹也さんを利用しようと!」

「竹也さんの噂は聞いてましたから」

「そうでしたか。朝子さん、根本的な事お聞きします。何で早苗さんが偽物の娘だとわかってて家の中に入れたんですか」

「芝居、ごっこ遊び。でも楽しかった。本当に娘が生き返ったと思うくらい、よく調べてました」

「死んでるのに、娘として迎い入れた。あなた方、お二人は年寄りの善意を踏みにじる行為ですよ!」

 竹也の口調はいつになく厳しいものだった。

「さらにあなた方は、もう一つ大事なものを朝子さんから奪い取ったんですよ」

「大事なもの?」

 怪訝な顔で早苗はつぶやく。

「みかんの実ですよ。いえ伊予柑の実です。あの実は、亡くなった娘さんが大好きだったものなんです。だから1年中、実がなっていた。決して収穫しなかったんです」

「収穫したら、実がなくなる。つまり娘さんの思い出もなくなる」

 朝子がつぶやく。

「朝子さん、ぼけるお芝居はそれくらいでいいですよ」

 竹也は優しく語り掛ける。

「そうですか」

「矢田さんが連絡したんですね。手紙で」

 竹也が手紙を取り出した。

「やはり最後まで騙せんでした」

 竹也はスマホで合図した。

 玄関口が乱暴に開けられて2人の男が入って来た。

「村岡徳三、三村早苗こと、定子。建造物侵入及び詐欺未遂容疑で逮捕する」

 逮捕状を見せた。

「刑事さん、ちょっとだけいいですか」

「どれくらいだ」

「みかんの花咲く丘の3番まで歌い終わるまでです」

 刑事二人は顔を見合わせた。

「早くしてくれ」

「わかりました」

 竹也は、押し入れから朝子の義太夫三味線を取り出した。

「朝子さん(みかんの花咲く丘)を一緒に弾いて歌いましょう。僕がツレ弾きやりますから」

「まあ嬉しい。久し振りに弾けるかしらん」

 朝子は、嬉々として義太夫三味線を手に持つと、調律を始めた。

「じゃあ皆さんも一緒にどうぞ」


 みかんの花咲く丘

♬ 

1 みかんの花が  咲いている

  思い出の道   丘の道

  はるかに見える 青い海

  お船が遠く   かすんでる

2 黒いけむりを  はきながら

  お船はどこへ  行くのでしょう

  波に揺られ   島の影

  汽笛がぼうと  鳴りました

3 いつか来た丘  母さんと

  一緒に眺めた  あの島よ

  今日も一人で  見ていると

  優しい母さん  思われる


 いつも3番は口ずさむだけだったが、今宵ははっきりと歌う朝子だった。

 いつしか参加者の目に涙が宿る。

 早苗と村岡にも涙が誕生した。

 その涙はくやし涙か、感情の発露かそれはわからない。

 朝子が一番輝いていた。

 竹也は義太夫三味線を弾きながら、訪れた宇和島のみかん畑と瀬戸内海の景色が思い浮かぶ。

 落ち着いたら、再びあの樹木にみかんの実を飾ろうと思った。

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