第14話 釘崎 真人③


「パパ! このハンバーグ、とっても美味しい!」


「そうか! よかったよかった」


「今度はママと一緒に来ようね?」


「えっ? あっ……そうだな」


 優とレストランで食事会を楽しむも、優の心には香帆の存在が今でも大きいみたいだ。

妻としても母としても最低な香帆でも、優にとってはたった1人の母親だ。

俺が香帆に離婚を突き付ければ……どんな結果であろうと、最終的に優から親を奪うことになる。

育児放棄の事実がある以上、親権に関しては俺の方が少し有利になる可能性がある。

俺は優を育てるつもりだが、それは母親の香帆から引き離すということ。


 俺もかつて……母の不倫が原因で両親が離婚した。

家族を捨てた母を憎みはした。

だけど……心のどこかで母を愛しく思う気持ちがあった。

それが当時幼かった俺に寂しいという感情を沸き上がらせた。

もう香帆を愛することはできない。

だからと言って……親の勝手で優に悲しい思いをさせて良いのか?

でも香帆が俺との再構築を考える可能性は西岡との関係の深さから考えたら極めて低い……いや、不可能と言ってもいいだろう。

だが……人に托卵させるような男や育児放棄をしている女が、今さら育児に専念するとはとても考えられない。

俺にとって……優にとって……最善の選択とはなんだ?

そんな自問自答を繰り返すが答えは出ず……せっかくの食事もあまり楽しめなかった。


「パパ? ご飯おいしくないの?」


「えっ?……いや、そんなことはない! とってもおいしいよ!」


 ダメダメ……こんな暗いことばかり考えてたら、ニコニコしながら料理を頬張る優に悪い。

今はとにかく、優と楽しく食事をすることだけを考えよう!

そう思って料理に手を伸ばしたその時!


キュルル……ガシャン!


 大きな音と共に車が壁を突き破り、俺と優がいたテーブル席に突っ込んできた。

俺の右半身に強い衝撃と痛みが走り……俺は意識と記憶が飛んでしまった。


「うっ!……」


「あっ! 気が付きましたか!?」


 気が付くと……俺は病院のベッドの上にいた。

俺の意識が戻ったことを確認した看護婦はすぐさま医者を呼んでくれた。

医者によると……レストランに車が突っ込んできたらしく、俺は車のヘッドライト部分に体を打ち付けられてしまい、その衝撃で脳しんとうを起こして意識を失ったという。

だが幸い……ケガは大したことなく、骨も無事らしい。

実際……体に多少痛みはあるが、身動きできないという訳じゃない。


※※※


「むっ息子……息子はどこですか!? 俺と一緒に食事をしていた息子は!?」


 時間が経つにつれ……おぼろげな記憶が少しずつ鮮明になってきた。

そして……俺の脳裏に最初に浮かんできたのは……愛しい優の笑顔だった。

俺は医者に優のことを尋ねた。

だが医者はバツが悪そうな顔で目をそらし、俺の問いに答えてくれなかった。


「教えてください……息子は……」


「ご子息は……お亡くなりになりました」


 医者が絞るような声で口にした言葉が、俺には理解できなかった。


「手は尽くしましたが……力及ばず、申し訳ありません」


「ゆ……優が死んだ? 何を言っているんですか!? そんなことは絶対にありえない!!」


「お気持ちはお察しします。 ですが今は、ご自分の体のことを優先してください」


 俺は医者の言葉が信じられず、優に会わせてほしいと懇願したが、体が回復するまでそれはできないと断られてしまった。

俺は体なんてどうでもいい!!

優は俺の最後の希望なんだ!

俺には……優しかいないんだ……」


-----------------------------------


「こちらです……」


 俺はあの後何度も医者に懇願し、俺の想いが伝わったのか根負けしたのか……医者は優の所へ案内してくれると言ってくれた。

体の痛みなんて忘れ……俺は医者に先導されるがまま足を進めて行った。


「どうぞ……」


「優……」


 行き着いたのは……ベッド以外に何もない殺風景な部屋。

ベッドには愛しい優が眠っているような安らかな顔で横たわっていた。


「優? パパだよ?」


 優に声を掛けるも優は目を覚まさない。

軽く揺さぶったり頬を撫でたりしてみるが……優は目を覚まさない。

優は息を全くしていないが、かすかなぬくもりが残っていた。

誰が見ても優が死んでいるのは明白だった。

でも俺はそんな残酷な事実など受け入れない……受け入れられるわけがないだろ?

優はほんの少し前まで元気に食事を楽しんでいたんだ。

これからいろんなことを学び……いろんな人と仲良くなって……そして立派な大人として社会に飛び立つはずだったんだ!!

それが……それが……こんなことで……こんな呆気なく人生は終わるものなのか?


「優……目を覚ましてくれ……お願いだ……」


 俺は優が息を吹き返すんじゃないかと、根拠もない非現実的な妄想に逃げてしまう。

そうでもしないと、心が壊れてしまいそうだったからだ。

俺は涙ながらに優を返してほしいと神に祈ったが……祈りが通じることはなかった。



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 翌日……医者の許可をもらった俺は警察に行き、被害者として事情聴取を受けた。

そこで知ったんだけど、車を運転していたのはかなりの高齢者で、アクセルとブレーキを踏み間違えたと供述しているみたいだ。

最近この手の事故が多いとニュースでは知っていたが、まさか自分が被害者になるなんて思ってもみなかった。

正直……俺はこの老人を殺してしまいたかった。

優を殺しておいて、言い訳するような人間に、情けを掛ける気が微塵も湧いてこなかったからだ。

でも俺は医者だ。

医者の俺が殺人に手を染める訳にはいかない。

俺の手は人の命を救うためにあるんだ!

優だってそんなことは望んでいないと思う。

きっと俺の代わりに、警察や裁判官たちが老人に正しい罰を与えれくれる!……そう信じよう。

俺は何度もそう言い聞かせ、必死に自分の中の復讐心や殺意を抑えた。

事情聴取が終わり、解放された俺は……真っ先に優のいる安置室へと向かった。

死んだ者はいずれ土に還るのが世の理だ。

それまでに優の顔をしっかりと記憶に収めておきたいんだ。

優のことを忘れないように……。


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「奥様がお見えになられました」


 優と同じ時間を過ごしていると、警察官と一緒に香帆が入ってきた。

今朝、優が死んだことを連絡したんだ。

”優が死んだ”なんて口にするだけ胸が張り裂けそうになり……また涙が溢れてきてしまってそれ以上の詳細は説明できなかった。


「……ごめんなさい。 少し席を外します」


 香帆は優の顔を確認した後、すぐに部屋を出て行った。

俺は少し気になって、こっそり香帆の後を付けてみることにした。


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「ごめんなさい……あたし達の子供なのに……」


 物影に隠れて香帆の様子を見ていると、香帆はスマホを取り出して誰かと連絡を取り合っていた。

会話の内容から相手が西岡豪であることは察することができた。

優が死んだっていうのに……涙すら流さず不倫相手に電話する香帆の異常な行動が俺には理解できなかった。


「そうよね? あたしもまだ子供が産めない年齢じゃないし、また作りましょうね? 豪」


 香帆は優の死を悲しむどころか、西岡と新たな子供作って俺に再び托卵させようとしている。

俺はあいつらの身勝手さに、激しい怒りと憎悪がこみ上げてきた。

あいつらにとって優は血を分けた子供じゃないのか?

そんなに俺に托卵させるのが楽しいのか?


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 香帆より先に優の元へ戻った俺は優の頬を優しく撫でる。


「優……これからパパがすることを許してほしい。

だけど……パパはいつまでも優が大好きだよ?」


 優に言葉を掛けた直後、香帆が戻ってきた。

心なしか、少し表情に余裕が見える。


「優のことは残念だけど……いつまでも悲しんでいる訳にもいかないでしょ?

あの子はもう帰ってこない……現実を受け入れるしかないわ。

また2人で頑張りましょ?」


 まるで他人事のような口ぶりで優の死を受け入れようとする香帆の態度に怒りがこみ上げ、

俺は理性を失ってしまった。


「香帆……浮気してるんだろ? 西宮豪っていう男と……」


「なっ何を言ってるの?」


「知ってたよ。 優が俺の子供じゃないっていうのも……お前達が俺に托卵していたことも……」


 俺は全て香帆にぶちまけた。

優が俺の子供じゃないこと……香帆が西岡豪を愛していること……西岡とグルになって俺に托卵させて、それをゲームのネタにしていること……全部だ。


「それは……その……」


「香帆の裏切りを知ってから、俺はもうお前のことを愛することはできなくなったよ。

でも親が離婚すれば優が悲しむ……だからずっと迷っていた。

正直言うと……ついさっきまで迷ってたよ。

このまま離婚しても良いのかって……。

でもお前は優が死んでも涙すら見せなかった!

俺はお前を……お前達を決して許さない!!

優には申し訳ないけど……お前とは離婚する!

当然、お前にも西岡にも慰謝料も請求するからな!!」


「ちょ……ちょっと待ってよ。 一旦落ち着きましょう?

第一、私が不倫したって証拠でもあるの?」


 この期に及んでそんなくだらない言い訳を述べてくる香帆に、俺は自分のスマホを突き付けた。

スマホには香帆が西岡と腕を組んでホテルに向かう画像が表示されている。


「これ以外にも証拠は山ほどある。

これでも認めない気か?」


「……」


 香帆は顔が真っ青になり、苦虫を噛み潰したかのように唇を噛みしめた。

冷や汗も額からダラダラと流れ始めてきて、香帆が焦っていることがはっきりとわかる。


「まっ待って……不倫していたことは認める、ごめん。

でもさ……今まで妻として愛してきた女に慰謝料なんて請求するの?

琴美が死んでふさぎ込んでいたあなたを、あたしは必死に励ましてきたからこそ、こうして真人は生きているんじゃない?

優のことだって……あたしと豪がいたから、優が生まれたのよ?

言い換えれば、あんたが家族の幸せを掴むことができたのは、あたしと豪のおかげってことにならない?

不倫が許せないっていうのは、理解できるけど……天国の優だってきっと悲しむよ……」


「黙れ! お前が優の言葉を語るなっ!!」


「!!!」


 思わず俺は声を荒げてしまった。

長々と耳障りなことを口走る香帆に対して、殺意と呼んでも差し支えない感情がこみ上げてくる。

この手に凶器を持っていたら、俺は迷わず香帆を殺していただろう。


「不倫だけなら別れるだけでもよかったよ。

人を見る目がなかった俺にも落ち度はあるしな……でも、俺が何よりも許せないのはお前達が優を愛してなかったことだ」


「なっ何を言ってるの? あたしは優のことを……」


「さっきの電話、聞かせてもらったよ。

お前はまた俺に托卵させようとしたんだろ?」


「なっ!」


「本当に優を愛しているのなら托卵なんて……いや!

子供をまた作ろうなんて考えもしないはずだ!」


「それは……」


「はっきり言ってやる! お前達に子供の親になる資格はない!! 必ず報いを受けさせてやる!!」


 俺ははっきりと香帆にそう告げた。

この決意が私怨によるものなのは否定できない。

事実……俺は香帆と西岡を殺してしまいたいほど憎んでいるからな。

でも俺はこの決意を曲げる気はない。

俺にはもう……何も残っていないんだから……。

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