第13話 釘崎 真人②

 琴美の死を乗り越え……俺は香帆と結婚した。

俺と香帆の間には優という息子も生まれ、にぎやかで幸せな毎日が続いている。

香帆も妻として母として日々、家事や子育てを頑張ってくれている。

そんな愛しい家族のために俺は働き……多くの命を救うために俺は医師として精一杯頑張っている。

そんな幸せが永遠に続くものだと俺は信じていた。

……信じたかった。



「コラ優! 部屋を散らかしっぱなしにしちゃだめじゃないか!

遊びに行くときにはちゃんと片付けるってパパと約束したね?」


 最初に違和感を覚えたのは、ある休日の昼。

その日、俺は優と家で久しぶりにくつろいでいた。

香帆が友人と飲みに行きたいので、優の面倒を見てほしいと昨日頼まれた。

俺はいつも家事や子育てを頑張ってくれている香帆を労い……その頼みを引き受けた。


「ごめんなさい……」


「パパも手伝うから、一緒に片付けようね?」


「はーい!」


 俺は部屋を散らかした優を叱りつつ、優と一緒に片付けをすることにした。

間違ったことやルールを破ったことを子供には注意はするが、その責任を押し付けることはしない。

1人でやれと言えば、この年頃の子供はサボろうとすることが多い。

でも親が一緒にやればその心配はまずない。

かといって……度が過ぎれば子供は親に甘えがちになってしまうから、子供のフォローは必要最低限にまで留めた。


「……ん? なんだこれ?」


 片付けの最中、俺は優が書いたと思われる1枚の絵を手に取った。

優は絵を描くのが好きな子だ。

家のあちこちには優の絵が飾られているくらいだから別に絵は問題じゃない。

俺が気になるのは絵の内容だ。


「なあ優。 この絵の人達って誰だ?」


 その絵は笑顔の人間達が手をつないでいる微笑ましいもの。

そこには俺らしき男と香帆らしき女と優らしき子供がいた。

それだけなら仲睦まじい家族の絵ということで終わりだが、そこにはもう2人……中年の男女が描かれている。


「あっ! えっと……その……」


 優が珍しく口ごもった。

優は嘘がつけない正直な子……だから隠し事なんてできない。

俺はこれでも優の父親だ……その仕草や口調でその心理を察することができる。

その親としての感覚が俺に告げる……”優は何かを隠している”と……。


「優、怒ったりしないから話してくれないか?

優にそうやって隠し事をされると、パパはとても悲しいんだ。

優はパパが嫌いかい?」


「ううん……大好きだよ?」


「じゃあ話してほしいな……」


 俺は優の口を割るようなことは決してせず、あくまで優自身から話すのを待った。

たとえ優がこのまま口を閉ざしてしまったとしても……それは優のせいじゃない。

子供の信頼を得ることができなかった俺のせい。


「パパ……パパはママと僕のこと好き?」


「当たり前だろ?」


「僕を置いて遠くにいっちゃわない?」


「行かないよ? パパもママも優が大好きだ。 

そんな優を置いてどこに行くっていうんだ?」


「そう……だよね? 僕を置いて遠くに行かないよね?」


 俺は何度も優のそばを離れたりしないと言って優が落ち着くのを待った

少しでも優の不安がなくなればと思い、俺は優の小さな体を抱きしめ続ける。


※※※


「おじいちゃんとおばあちゃん?」


 落ち着きを取り戻した優は、絵の内容について話し始めた。

答えを先に言えば、描かれていた2人は優の祖父母……ようするに香帆の両親だった。

義両親はちょくちょく家を訪ねては、料理や優の相手をしてくれるみたいだ。

香帆と仲違いしているとはいえ、祖父母が孫に会うこと自体はなんら不思議なことはない。

だけど……香帆も義両親も俺に優と会っていることを黙っていた。

それもまだ3歳の優に口止めするほどにだ……。


「そう……おばあちゃんは毎日ご飯を作ってくれるし、おじいちゃんは毎日遊んでくれるんだ。

だから絵を描いて2人にプレゼントしようと思ってたんだ……」


「毎日? おじいちゃんとおばあちゃんは毎日来るの?」


「そう……」


「その間、ママはどうしているんだ?」


「いっつもお出かけしてる……友達と遊びに行くって言って……」


 優の話をまとめると……香帆は家事も育児も放棄し、全て義両親に任せきって外出三昧しているらしい。

香帆は義両親が家に来ると同時に外出し、翌朝まで帰らないという。

ひどい場合は2、3日家を空けることもあるという。

優は何度か香帆に外出しないでほしいと頼んだらしいが、香帆は聞き入れなかったという。

香帆は義両親のことをバラしたら家族が離ればなれになると優を脅し、口を封じようとしたようだ。

でも優はまだ3歳だ。

完璧に口に戸を立てるなんてできるはずがない。

その結果、絵という小さな穴が開いてしまったということか……。

よく考えれば……俺は香帆が家事をしている所を見たことがない。

料理はいつも作り置きか外食だったから俺は何も思わなかった。

香帆に優とのことを聞いても、当たり障りのない回答が多かったな。


 つまり……香帆は俺達に隠れて誰かと外出している……。

妻が家族に隠れて会う人間は、浮気相手である可能性が濃厚だ。

だが愛する我が子の言葉とはいえ、証拠もなく妻を疑う訳にはいかない。

俺は医師として病院で患者達を診ている。

そのため家にいることは多いとは言えない。

今にして思えば、俺は家庭を守ってばかりで家庭の中を何1つ知らずに生きてきた。

良い父親になろうとしていたけど、俺は何もわかっていない愚か者だったのかもしれない。


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 香帆が浮気なんてするはずがない。

俺は香帆の無実を信じて探偵に香帆の調査を依頼することにした。

依頼した探偵は、かつて父が母の浮気調査を依頼した凄腕の探偵だ。

彼が白だと言えば……香帆に謝って今後の生活についてよく話し合おうと思う。

でも黒であったら……。


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 数ヶ月の調査の結果……香帆の浮気が発覚した。

探偵によると、浮気相手は西岡豪というかなり大きな会社の社長の息子だそうだ。

香帆と西岡は学生時代からの関係のようで、要は香帆の本命ということだな。

その西岡は学生時代から女遊びがひどく……影で男から女を寝取る寝取り野郎と呼ばれていたようだ。

彼を恨んでいる人間は多いが、ある程度の問題点なら父親の力で揉み消せるから、周囲の西岡に対する評価はそこまで低くない。

金持ちというのは何でもできる分、思考回路が常人より恐ろしいものだ。


「西岡豪……西岡豪……」


 探偵からの報告を聞いていく内に、俺は西岡豪という名前が何度か引っかかた。

俺はこんな男と会ったこともないし、話したこともない。

だが俺は、この男の名前を知っている………。

記憶を遡り、行き着いたのは琴美と会った最後の夜。

涙ながらに男に汚されたことを謝り、俺への愛を何度も口にする琴美の姿は今でも目に焼きついている。

彼女が憎しみと怒りを込めて口にした男の名前……。


「こっこいつ!!」


 俺は思わず声を荒げてしまい、探偵は驚いて持っていた調査資料をぶちまけてしまった。


「すっすみません……」


 琴美があの夜話してくれた西岡の詳細を踏まえると、香帆の浮気相手が琴美を傷つけた男であるのはほぼ確実だ。

……だが、根拠は俺の記憶だけで物的証拠はない。

西岡にそのことを問いただしたとしても、しらを切ればそれまでだ。

とにかく今は、香帆の浮気を重視することにした。


「それと……西岡がバーで飲み仲間と談笑していた内容を録音しました。

本来このような行為は好ましいものではありませんが……」


 探偵はそう言ってボイスレコーダーを懐から取り出した。

さっきまではきはきとした物言いで報告してくれていたのに、なんだか歯切れが悪い、


「裁判の証拠にはできませんが……これを聞いてみて頂けますか?」


 探偵は意を決したかのような顔でボイスレコーダーのスイッチを押す」


※※※


『……それで、お前の所はどうなんだ?』


『全然余裕! 何も知らずに優なんてダセェ名前で可愛がってやがるよ』


『バカな野郎だぜ。 血の繋がりもないガキなのによ!

まだバレてねぇんだろ?』


『あぁ、マジで気付いてねぇ。 つーか、顔が全然似てねぇんだから気付くだろ?普通。

医者って奴はどんだけ頭悪いんだよ!』


『托卵された上に、賭けの対象にされているなんて哀れな野郎だぜ……』


『この俺のガキの世話をさせてやってるんだ。 これくらいの見返りは当然だろ?』


『アハハハ!! ひでぇ!!』


『それはそうと……さっきの話はマジなんだろうな?』


『あぁ……このまま托卵がバレずにガキが20歳を迎えたら、ボーナス1億だ。

すでに何人かがドジって脱落しちまってるからな……そいつらから罰金として徴収してやるよ』


『ほう……それはたまんねぇな……今後も真人君には俺のボーナスのために頑張ってもらわねぇとな……』


※※※


 「うぶっ!」


 俺はあまりにおぞましい会話に吐き気を催した。

探偵がすぐにトイレに案内してくれたから事なき終えた。


「……」


 優は俺の子じゃないのか?

……いや、それ以外にも賭けってなんだよ?

西岡は俺に托卵させた上に、それを賭け事にしていたのか?

じゃあ何か?

賭けをするためだけに……香帆に優を生ませたっていうのか?

西岡以外にも同じ賭けをしている連中もいるみたいだった。


「なんだんだよこれ……狂ってる……」


「申し上げにくいのですが、1度お子さんのDNA検査を行った方が良いと個人的には思います」


 一体何が起きているんだ?

香帆の浮気……托卵……賭け事……いろんな事実が一度に明るみになったことで……頭が上手く働かない。

俺の信じていたものは……なんだったんだ?



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 それからすぐに、優のDNA検査を行った。

あれは悪い夢だと……何かの間違いだと……儚い希望を抱いていたのは事実だった。

でも現実は残酷だ。

後日届いた通知が家に届いた。

その日、香帆は友達と旅行に行くといって朝早く出て行った。

多分、西岡に会いに行ったんだろう……。

まあおかげで検査結果を見られずに済んだ。

そして……通知の中身を読むと、そこには”親子関係なし”という無慈悲な文字があった。


「優は俺の子じゃないんだな……」


 妻に浮気され、その浮気相手に托卵までされた。

俺にはもう……香帆を愛する自信がない。

そうなったら、両者に慰謝料を請求して香帆と離婚するというのがざらにある結末だろう。

俺はショックのあまり……腰が抜けてしまった。

あんなに愛情を注いで育ててきた優が俺の子供じゃない?

そんな惨い話、受け入れられるかよ!!


「パパ……大丈夫?」


 そんな俺のことを心配そうに見つめるのは優だった。

優は小さな手で俺の頭を優しく撫でてくれた。

その手から伝わるぬくもりが、俺の傷ついた心にわずかばかりの癒しをくれた。


「優……優ぅぅぅ……」


 俺は思わず優を力強く抱きしめた。

そして決意した!

”優は俺が育てる!”……と。

血の繋がりがなくたっていい!

優の命を弄ぶような奴らに優は渡さない!!

香帆とは離婚して、優は俺が立派な大人に育てて行く!!

優からしてみれば、俺は優を本当の両親から引き離そうとしている悪人だろう。

もしかしたら、優に恨まれるかもしれない……でもそれがこの子の本心なら、俺が受け止める。

優の父親として生きて行く……それが俺に残された唯一の希望だ!


「優……今日は久しぶりに近所のレストランに行くか? あそこのお子様ランチ、食べたいって言ってたよな?」


「いいの? やったぁぁぁ! パパ大好き!」


 俺は気持ちを切り替えるため、優が行きたがっていたレストランで2人っきりの食事を楽しむことにした。。

それがまさか……あんな悲劇を招くことになるなんて……この時は予想もしていなかった。

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