24.ロリババアと女子大生②

「一名様ですか?」

「二人です」


 と、指を立てる。店員は困惑していたが、どうせ四人掛けの席に案内するのだからと思考を外に追い出した。


「さて、なににしよっか」


 独り言ではない。隣に座る幼女に語りかけている。

 幼女の姿は彼女以外誰にも見えない。彼女はそれを知っている。それでも、彼女は気にしない。これらのやりとりも異常な一人芝居に見えるのか、あるいは気に留められないのか。いずれにせよ、彼女は気にしないことにした。気にしないことに決めたからだ。


「え、私の存在消えてた?!」


 異界に囚われていた間の話を聞く。外から見れば行方不明で、大騒ぎになってるかもな――と思いきや、まさかのまさかだった。彩の反応も冷淡というか、行方不明になっていた友人が帰って来たときのものではなかった。つまりはそういうことだったのだ。


「まあ、彩は途中まで記憶が残っておったようじゃがの」


 それで、電話やインターフォンで芙蓉と話す機会があったらしい。要約すれば「優子を助けてほしい」と、懇願されたとのことだった。


「それで芙蓉ちゃん、私のこと助けに来てくれたんだね」

「そんなわけあるか」

「そんなわけないの?!」


 芙蓉はなにが気に食わないのか、どこかふくれているように見えた。

 実際、芙蓉にもなにが気に食わないのかよくわかっていなかったりする。


「芙蓉ちゃん、助けに来てくれたんだよね。ありがと」


 それでもよい――と、思いはじめていたからだ。

 だが、それでもよくないことはある。


「なぜ出てきた?」

「え?」

「あのときじゃ。影が暴れまわっておるとき……優子は物陰に隠れておればよかったんじゃ。あやつの動きを見るに、それでしばらくは安全だったはずじゃからな」

「だって、私の偽物がいたし。芙蓉ちゃんが騙されそうになってたし」

「偽物であることぐらいすぐに気づいておったわ!」

「そうなんだ?」

「それだけではない。大鏡駅までわしを探しに来たな? なぜじゃ? おぬしになにかできると思ったのか? ん? なぜわしを助けようとした?」

「なぜって……」


 優子はしばらく考えると、「ぷはは」と噴き出したように笑いはじめた。


「な、なにがおかしい」

「だって、って本当にあるんだなって」

「こういうの?」


 よくわからぬ文脈で笑い出すので、真面目に答えろと無言の圧をかけた。優子は「ごめんごめん」と、考え込む。


「んー、なんでだろ。まだ終わりにしたくなかったから、かな」

「ほう?」

「芙蓉ちゃんを見つけて、一緒に生活することになって、いろいろ面倒だなあとか困ったなあとかは思ってたけど」

「お、おう」

「だからって、急にいなくなるのは嫌だったから」

「そういうものかの」

「なんていうか、芙蓉ちゃんにいなくなって欲しいと思うほど、芙蓉ちゃんのこと嫌いだったわけじゃないから」

「お、おおう……?」

「うーん、ちょっと違うか。言い換えると……そうか。そういうことなんだ。まだ出会って数日なのに……って思ったけど、それはむしろ逆で。早すぎたんだと思う。別れるには、まだ早すぎた。もしかしたら、もっと好きになれそうって。だから、まだ終わりにしたくなかった」

「だから、わしを探しに来たと?」

「私、こういうとき後先考えずに動いちゃって後悔すること多いけど……それについては、後悔してないよ」

「しとらんのか? 後悔。あんな異界に数日は閉じ込められ……人の身には耐えがたい不安であったのではないか?」

「でも、助けてもらった」

「そうではあるが」

「というか、私の方が先に助けてもらってるしね!」

「ん? なにかあったか?」

「ほら、あのときの帰り道……赤いコートの。芙蓉ちゃんが追い払ってくれたじゃん」

「回り道すればよかっただけじゃがの」

「そうかもしれないけどさ。それだけじゃなくて、隣の部屋。考えてみたら、芙蓉ちゃんが来た日から音が止んだ気がするし。芙蓉ちゃんだよね?」

「あ?」

「音、止めてくれたの」

「で、あったかもしれんの~」

「じゃあさ、私からもいい?」


 形勢の逆転を肌で感じた。


「芙蓉ちゃんは、なんで私のこと助けてくれたの?」


 それを聞かれると、弱い。


「助けとらん」

「え?」

「わしは別に助けたつもりはないんじゃがの~」

「いや、めちゃくちゃ助かったんだけど。ていうかさっき」

「助けとらんもん。たまたまじゃもん」

「なんで?」


 都合の悪いことは巧みな話術で逃げ切る。いつだってそうしてきた。


「ところで、なにをしておる?」


 話題を変える。優子はノートPCを開いてなにか作業をしていた。


「調べものか? わしも使わせてもらったぞ。便利じゃのう! いんたあねっと!」

「あ、それでよくわかんない履歴がいっぱい残ってるんだ……って、芙蓉ちゃんパソコン使えたの?」

「わしにかかれば造作もないことじゃったの」

「へえ。なるほど……。私を助け出すためにいろいろ調べてくれたんだ」

「そんなことよりなにをしておる?」

「これ? その、記録を書いておこうと思って。いろいろあったからさ」


 そういって優子が見せた画面にはテキストエディタに綴られた文章が映っていた。その内容は伊藤優子と芙蓉の出会いから描かれている。


「これは……書き物……のおとぴーしーでは書き物もできるのか?!」

「で、できるけど……。その認識でインターネットはできたんだ……」

「ふうむ内容は……」

「あ、あまり読まないでまだ書いてる途中だから!」

「ん? これ、わしの視点で書かれておらんか?」

「その方が面白いかなって……」

「なんじゃ面白いって」

「あ、でも正確を期するなら芙蓉ちゃんにもちゃんと話を聞かないとダメか……」

「んん?! わしのことをなんだと思っておる? これではまるで……上京したての田舎者のような……あれではないか!」

「実際驚いてたじゃん」

「たしかにいろいろ目新しくはあったがの。ここまでか? ここまでじゃったか?」

「ここまでだよ」


 芙蓉の描写については見解の相違で意見が割れたが、地の文で褒め称えるというあたりが妥協点となった。


「……で、なぜこんなものを?」


 議論が一段落して、芙蓉が問う。なぜこんなものを書こうと思ったのか、と。


「だって、さびしいじゃん」


 それに、優子はそう答えた。


「芙蓉ちゃんのこと、私しか見えてないのさびしいって思って。こうやって書き記せばみんなにも知ってもらえるって思ったけど。さすがに実話の体で出すのは難しいかな……」

「ふむ。なるほど。まさかそういうことなのか? こうやって書いたもの、ぶろぐなるものに……」

「まあ、だいたいそんな感じ」

「さすれば、万人の目に触れるというわけか?!」

「うーん、万人はどうだろ」


 カタカタ、とキーを叩いて優子は少し書き進める。ただ、書くうちでどうしても引っかかっていることがあった。


「そういえば、聞いておきたいことがあったんだけど」

「なんじゃ」

「芙蓉ちゃん、滅三川さん……って、知ってる?」

「おう。彩の携帯を通じておぬしも話したらしいな」

「そうなんだ。やっぱりいるんだ……」


 優子は画面を切り替え、インターネットブラウザで各種資料を表示させた。


「音に悩まされてたときからいろいろ調べてはいたんだよね。部屋にも入れてもらったことあるし、野生動物とか家鳴りとか、音が鳴りそうな物理的原因を探したり。それでどうしても見つからないから、いわゆる事故物件だったんじゃないかって調べてみたり」

「事故物件?」

「前住んでた人がそこで死んだ、みたいなのかな。特に自殺とか。そういう情報をまとめてるサイトがあるの」

「ほう。自殺か。そういっておったな。首吊っておったし」

「え? そうなんだ」

「ん?」

「隣の部屋……403号室は別に事故物件でもなんでもなかったの」

「あ? そうなのか?」

「うん。それどころ、403号室はマンションができて以来、まだ一度も入居者がいないって」

「ん? んん??」


 前提が崩れる。すなわちそれは、滅三川は幽霊でもなんでもないということだ。


「だったら、あの滅三川は……なんだったんじゃ?」

「さあ……」


 思えば、滅三川にはずいぶん助けられた。死んで幽霊になって暇だからと、その行為は善意に基づいていたように思う。現代事情についての考察と相談、電話による誘導、スマホやインターネットの使い方の教授。彼には、に助けられた。

 幽霊も自死も首吊りもすべて嘘だった。いまならそれがわかる。そもそも、縄をかけるような梁は露出していないのだ。

 では、その目的はなんだったのか。なにがしたかったのか。なぜいたのか。なにをさせられていたのか。

 正体不明のあの男は、403号室にまだいるのか。


 ヴー、ヴー! と、スマホが鳴った。テーブルの上に置いていた、優子のスマホだ。


「誰だろ。彩かな」


 画面を覗く。映し出されているのは、「非通知」の文字である。


「なにこれ」


 噂をすれば影――「非通知」でかかってくる電話に、彼女らは覚えがあった。


「どうする?」


 躊躇う理由はない。悩む理由はない。怖れる理由はない。それでも、ただ虚しくスマホは震え続ける。テーブルの上で、ガタガタと震え続ける。もはや芙蓉にとってもスマホは見慣れぬものではなく、電話に出る操作も慣れたものであるのに、手が出せない。

 そして、連鎖的に疑念が噴出する。

 得体の知れない間違い電話はなんだったのか。アカヒトはなぜ404号室に向かってきていたのか。須籠町と大鏡駅の異界が繋がっていたことはなにを意味するのか。老人たちはなぜ空き缶になったのか。斃してこそしまったが、あの影はそもそも

 一貫した解釈が通りそうで通らない気味の悪さ。悪意と善意のないまぜ。


「あ」


 どれだけそうしていたのか。やがて、着信は止んだ。


「出ても、よかったかも?」

「そ、そうじゃな」


 ただ、電話に出るだけ。ただそれだけのことが、なぜできなかったのか。芙蓉は自らの手のひらを眺める。掴めなかったその手を。


(ほ、ほう……。なかなかに、怖いではないか……)


 再び、スマホが鳴り響いた。

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ロリババアVS現代怪異 饗庭淵 @aebafuti

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