22.ロリババアと異界村
丘を貫通する穴が空いていた。そして、穴は石材で補強されている。
人の手によって、時間をかけて掘ったのだという。
(できなくもない、か。このくらいはな)
見慣れぬものであるため想像力が及ばないが、彼女の知るかぎりでも土木工事には多くの人手と多くの時間をかける。何十階という巨大な建造物も、縦横無尽に張り巡らされ石畳で覆われた道路も、そうやってつくられたのだ。
人間相手に想像力で負けるわけにはいかなかった。商店街で見た大量の写し絵も、優れた職人がいたに違いない。時間をかけ、手間をかければ不可能な芸当ではない。今さらながらに気づいた。
(さて、この先か? 優子は)
振り返った先に
においを嗅ぐ。ほんのわずかに残滓が感じられる、気がする。狐はイヌ科なので鼻がよい。
特に悩む理由もないので、彼女は暗闇の中に足を踏み出した。
――芙蓉さんは、どうしてそこまで優子さんを気にかけるんです?
ふと、そんな言葉が思い起こされた。
「足掛かり」だからだと答えた。「人の世に関わる足掛かり」として必要だと。
それは正しい。だが、それだけではない。
そこまでは芙蓉自身にもわかっていた。
それだけであるなら、優子など見捨てて他の人間を探せばよいだけだからだ。滅三川のいう「霊感の強い」人間は、他にもいるはずだ。人間の多い街中でも散策していれば釣り出せるだろう。現代の常識を学んだうえで次はもっと上手くやれる。
加えて、優子の存在が消えたというならかえって好都合だ。残された彼女の部屋は拠点として使え、残された彼女の私物は現代社会を学ぶ教材となる。そのうえで、尾が一本しかない原因、人間から認識されなくなった原因を探ってもよい。
では、なぜか。なぜわざわざ助けようというのか。伊藤優子は決して「必要」ではない。さして「重要」ですらない。
勢いでここまで来た。しかし冷静になれば、道理に合わない。
自然な流れとして「助けねばならない」と、そう思ったのだ。それはなぜか。
同じことは、優子にもいえた。
大鏡駅の裏ホームに囚われたとき、優子がやってきた。滅三川から連絡を受けたからだ。つまり彼女は、芙蓉を助けに来たのではなかったか?
なぜ、助けに来たのか。優子にとってどのような利害があったというのか。なにが起こっているのか正確な理解もないまま、なぜ助けられるつもりでいたのか。
しかし、結果としてみれば。
芙蓉は外の世界に弾き出された。原理や因果関係は不明だが、結果だけ見れば助けられたのだ。この
(大妖怪である、このわしが)
助けるべき存在であると、見なされている。
少なくとも、それだけは確実だ。優子にとって芙蓉は幼子であり、庇護すべきものだ。伊藤優子とは、ただそれだけで駆け出せる人間なのだ。
芙蓉には、それが我慢ならないことだった。
そして、現に助けられた。二度もだ。ましてやただの人間――助けに来て、逆に囚われてしまうような人間に、である。
その認識を改めねばならない。奥底にあった動機はそれなのだ。
大妖怪・白面金毛九尾の狐は、畏れられる存在でなくてはならない。
優子の行動は、芙蓉が幼子の姿でなくても同じであったか。他者にも見える存在であっても同じであったか。その「不本意」を正す。
そのためにここまで赴いている。きっと、そうであるに違いない。
――やっぱり、大切な人なんですか?
その問いに、「なくてはならない」存在だと答えた。
なくてはならない。今はまだ。
問い質さねばならぬことが、山ほどある。
でなければ、たかが人間一人。たいそうなものではない。たいそうなものであるはずがない。
「大丈夫ですヨ」
「ん?」
思考の暗闇を抜けると同時に、トンネルも抜けていた。あるいは、トンネルはもっと早く抜けていたのかも知れない。
目の前には年老いた人間(それでも芙蓉よりは遥かに年下だ)、そして巨大な広間があった。床は板張り、天井は見上げなければならないほど高い。光が漏れて見えるが、空の明かりなのか妖術による灯りなのかはわからない。
(わしはゆーつーぶで現代の建築技術はさんざん学んだからの。この程度ではもはや驚かぬぞ)
すなわち、まだ
「大変だったネェ」
「もう大丈夫だからネェ」
「喉は乾いてないかい」
「お腹は空いてないかい」
「桃があるからネェ」
ぞろぞろと人間が群がってくる。髪、背丈、服装、性別はそれぞれ多様であったが、年齢層と、そして表情はみな同じだ。誰も彼もが、同じような笑顔を浮かべている。
(人間……? いや)
歪んでいる。細部の作り込みが甘い。
「ああ、おぬしら……駅でも見たな? それで人間に擬態しとるつもりか? 甘いのう。たしかに笑顔は人間の警戒心を解くがの、わざとらしすぎる。もっとこう、自然な表情というものがな?」
「大変だったネェ」
「もう大丈夫だからネェ」
「桃があるからネェ」
「もっと他に語彙はないんか?」
嘆かわしい。
「ぬ。そうじゃ、優子を知らんか? ここに迷い込んでおるのではないかと思うが」
見渡すが、死角が多い。広間は思い思いの屏障具で仕切りがつくられており、芙蓉の背丈では全体を見通すことはできなかった。だが、残り香はたしかに感じ取れる。
「桃はいらないかい」
「美味しいヨォ」
「元気になるからネェ」
「桃? 桃なんぞいらんいらん! しゅーくりーむはないのか?」
話にならない。まずは彼らの性根を叩き直すところからはじめねばならない――のかもしれなかった。
「んー? なんじゃおぬしら。わしに桃を食べて欲しいのか? 桃を食べたらどうなる? 言うてみい」
「美味しいヨォ」
「元気になるヨォ」
「いい気持ちだヨォ」
「それ一本で押し通すつもりか?!」
芸がない。こんなだから衰えるのだ、と芙蓉は頭を抱えた。黄泉竈食ひがそうであるように、異界の食物を口にすることは禁忌だ。彼らの狙いはそこにあるように思う。だとすればあまりに拙い。もっとこう、心の隙間に潜り込んで……いい感じに悪さをする……そういう術を伝えねばならないと思った。
「――と、頃合いを図ることが肝要じゃな。あたかも偶然出会ったかのように演出するのじゃ。歌とかで注意を惹いての(中略)美貌も妖術も重要じゃがな? より大切なのは話術じゃ。わしが幾たび嘘とまことを織り交ぜてた巧みな話術で危機を乗り越えたか……(中略)人間ども……! なぜ毎度わしの正体を見破るんじゃ……! 鏡だの樹だの陰陽道だの都合よく……!」
「なるほどネェ」
「勉強になるネェ」
「すごいんだネェ」
かれこれ一刻(三十分)ほどは講義を続けたが、老人たちはわかっているのかいないのか、同じ表情のままパチパチと拍手をしていた。
(いや、そうではないの。優子じゃ)
老人たちは拍手を続けている。邪魔にはならないので無視して探し回ることにする。
(なんじゃ、あれは木か? 屋内に木が生えておる?)
たしか「観葉植物」というやつだ。さして珍しいものではない。住居紹介動画を数本見たので芙蓉は詳しかった。
(桃? 桃が生っとる? 桃の木かあれ?)
遠目からでは気づかなかったほどの低木。加えて、葉はなく実だけが生っている。一本の幹に二本の枝が分かれている。木というには均整のとれすぎている形だった。
(ま、そういう趣向じゃろうな。頑張って剪定したのであろう)
さして興味深いものでもない。探しているのは優子だ。残り香はある。
近づいている。このあたりにいるのは間違いない。
(呼びかけてみるか? いや……)
なんらかの矜持が邪魔をした。必死さを見せずにさりげなく、なんでもないように見つけてしまいたいという欲が出てきた。背後から軽い口調で声をかける。「おう、そんなところに居ったのか」――あまりのかっこよさに優子は動転する他ない。その画が脳裏に鮮明に浮かんだ。
笑みが溢れる。が、それよりも。
(うーむ。見られておる、気がするのう……)
見られている。それは間違いない。貼りついたような笑みの老人たちが視線を向けている。だが、それとは異なる気配があった。こそこそと隠れるような、あるいはじっとりと湿ったような。どこか距離を保っているような、べっとりと張りつくような。
(ん? 急に暗く……?)
影が差す。
芙蓉を覆い被せてあまりある影は、老人たちの居住スペースも、桃の木も、視界をすべて覆うほどに、伸びる。
背後を振り向く。
「零、です」
声がした。男とも女ともつかない声が。
影は巨大に膨れ上がり、暴威の化身となった。
「芙蓉ちゃん!」
そして、どこか懐かしいような、声がした。
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