17.ロリババアとインターネット④
これは二十年ほど前……私が小学生だったときの話です。
小学生くらいの子供って、見てて危なっかしいですよね。道路ですれ違うときなんか、こっちを見てるのか見てないのか注意散漫で……。私も、そんな小学生だったんだと今になっては思います。
あの日は、母親に連れられて商店街に来ていたんです。
連れられて、というか、どこか行くならということで私からついていったかも。
そういうわけで、なにか面白いものないかなあと注意散漫になるわけです。
それでも、母親の背中を見失ってはいないつもりでした。
だけど、それが知らない人だったんです。
私はてっきり母親の後ろをついて歩いていたつもりだったんですが、知らない人が振り返って、「なんでついてきてんの?」って。今思い出しても怖かったです。
それで、迷子になったんだと気づきました。
当時は携帯電話もそこまで普及してなかったはずです。少なくとも小学生の私は持っていませんでした。
今にして思えば、そんなに大きな商店街ではなかったんですけど、小学生の私にとっては迷路のようなものでした。本当に心細かったです。
で、なにを思ったのか商店街の外に出てしまったんですよね。どんどん人気のない方に歩いてました。ほんと、なにを思っていたのか……記憶が定かじゃないんです。すみません。
ですが、その後のことは覚えています。
そこから逆算して考えると、そのときからすでに……。
もしかしたら、逃げていたのかも知れません。
なにかに追われている気配があったんです。必死に逃げていたのを覚えています。
いつの間にか夕暮れで、風景が真っ赤に染まっていました。
カーブミラー越しに見えたのは、セーラー服の少女です。高校生くらいでしょうか。顔はよく見えませんでした。
当時は小学生ですから、高校生というのは大人のようなものです。
ついさっきは知らない大人を追いかけていたのが、今度は知らない大人に追いかけられているんです。
振り返って、「なんでついてきてんの?」と言えれば、よかったんですけど……それが言えないまま、どんどん知らない場所に迷い込んでしまいました。周りは田んぼだらけで、人はもうほとんどいません。
いるのは私と、後ろの誰かだけです。
そして追い詰められた先が、トンネルでした。
このトンネルも、今思えば別に大きなトンネルではないんです。向こう側の明かりも見えましたから。ですけど、そろそろ日も沈もうとしていて、そうなると真っ暗です。
後ろには知らない人。前には真っ暗なトンネル。
どちらも怖くて、立ち止まるしかなくて、後ろからの気配はどんどん近づいてきて。
もうどうしようもないと目を瞑ったら、ふと明るくなったんです。
反射的に振り返りました。
背後で沈もうとしていた夕日が見当たりませんでした。
沈んだのではありません。
太陽はどこにもないのに、気持ち悪いくらいに真っ青な空が広がっていたんです。
(その2へ続く)
――――――――
何者かに追いかけられる話というのは、ホラーの定番だ。正体のわからない「なにか」に追い立てられる。わからないが、逃げるしかない。この話もそんな定番に沿っている。
追いかけてきたものの正体は一体なんだったのか?
この話で興味深いのは、その好奇心を満たす材料として類似怪談が複数投稿されていることである。たとえば「Sトンネル(リンク)」や「振り返ってはいけない張り紙(リンク)」が有名だ(他にもあるが、特に信憑性の高いのがこの二つである)。
共通しているのは「子供のころに体験」「セーラー服の少女に追いかけられる」「トンネルに追い詰められる」「見たこともない奇妙な場所に迷い込む」の四点である。
確認しうる最古のものは今回紹介した「セーラー服の少女」であるが、続く話も単なる「便乗」とは言い切れない点も興味深い。「Sトンネル」では情景描写のディティールが増し、「振り返ってはいけない張り紙」では年代がより最近のものになっている。
また、どの話でも地名は隠されているが、三作品に共通する要素を繋ぎ合わせてみると実在する土地が矛盾なく浮かび上がるのである。
以下が、有志によって特定された怪談の舞台である。
[画像1:Googleストリートビューより]
[画像2:Googleストリートビューより]
***
「なにかに誘われるように、ふと気がついたら……か」
芙蓉にとってなんとなく覚えのある話だったが、あえて口にはしなかった。
セーラー服の少女、と題された怪談は異界の町に迷い込み、紆余曲折を経て脱出するまでの話だ。芙蓉が電話で聞いたという「青」と「赤」のキーワードでブログ内検索することで辿り着いたのがこの記事だった。
「気になるのは……『気持ち悪いくらいに真っ青な空』――裏ホームでもいつの間にか晴れていたとおっしゃってましたよね?」
「たしかに、似てはおるかも知れんのう」
「試してみる価値はあるんじゃないでしょうか。芙蓉さんは子供なので、ちょうど条件にもあいます」
「わしは童ではないぞ」
「見た目は子供なのでいけるんじゃないですか? まあ、物は試しですよ。場所も近いですし、もしかしたら同じ異界に繋がっているのかも」
「そうか? あとの話を読んでも特に駅は出てこんようじゃが」
「それはそうなんですよね。『駅』で検索しても出なかったわけですし」
「優子を連れ戻せなければ意味がない。他に策がないのであれば試すほかないが……」
芙蓉がそういって考え込むのを、滅三川は怪訝そうに見下ろしていた。
「他にも探してみます? それとも、この『セーラー服』に賭けてみますか?」
「うーむ」
「一つ気になっていることがありまして。類似の話が他にもありましたけど、どの話でもトンネルを潜っていないんです。どれもトンネルの前で立ち止まって、気づいたら青空になってましたよね」
「そうじゃな」
「気になりませんか?」
「気になる、といえば気になるが……その先が大鏡駅だとでもいうのか?」
「わかりませんけど。現代の怪異に会って話をつける、というのも当初の目的ではありませんか」
「とはいえ、な。無駄足になるのもな」
「無駄足ですか? 怪異がいるなら無駄にならないのでは?」
「なに、焦ることはなかろう。いんたあねっとを駆使すればより確実な策も見つかるのではないか?」
「より確実、ですか……」
滅三川は再び怪訝そうな表情を見せた。
「僕もまあ、だいぶ乗り気ではあったんですが。聞いていいですか?」
と、前置きして。
「芙蓉さんは、どうしてそこまで優子さんを気にかけるんです?」
と、問うた。
「冷静に考えると、よくわからない気がして。芙蓉さんは妖怪ですよね。なのに、人間を助けるんですか?」
「大妖怪な」
「大妖怪なのに、人間を助けるんですか?」
「なにかおかしいか?」
芙蓉は、胸を反らして答えた。
「あやつは、足掛かりじゃ。現状、わしの姿を捉えられるのはあやつしかおらん。わしが人の世に関わるには優子が必要なんじゃよ」
「それだけですか?」
「あ?」
「いえ、それだけならいいんです」
歯切れが悪い、が――その追及を遮るように。
ピンポーン。その音に、芙蓉は思わず肩を震わせた。
「な、なんじゃあ? 誰か来たのか?」
インターフォンの仕組みは芙蓉も学んだ。モニターには見知った顔が写っていた。
『……いる? 優子? いや、いないか……いないよね……』
月宮彩である。声は低く、顔は伏せて見えない。深夜の訪問であり、やや不審な状況ではあった。
「おお。彩か。なにか用か?」
芙蓉はモニター越しに返事をした。
『……! 芙蓉さん? そこにいらっしゃるんですか?』
電話越しと同様、モニター越しであれば会話ができるらしい。
「おう。じゃが、優子はおらんよ」
『……芙蓉さんはまだ、優子のこと覚えてるんですね……』
「おぬしもじゃろ?」
『いえ、あたしは……あたしも……』
声が、震えていた。
『消えていくんです、優子が……! いつの間にか、スマホの電話帳からも消えてて……。優子の家族とも話したんですけど、途中までは覚えていたみたいなんです。それが、急に……! あたしのなかの優子の記憶も、だんだん薄れかかっていて……』
「ほう?」
『すみません。取り乱しました。話せてよかったです。でも……』
彩は声を詰まらせる。
『このままだと、どうなってしまうんですか』
モニターの小さな画面でもわかるほどに、彼女は泣きじゃくっていた。
「泣くな。心配せんでええ。優子はわしが必ず連れ戻す」
彩が、顔を上げた。
『なにか、当てがあるんですか……?』
「ああ。つい今しがた見つけたところじゃ」
『あの、あたしに! なにかできることはありませんか……!』
「んー。どうじゃろうな。あるかもしれん。ないかもしれん。まあ、なにかあればわしから電話をかけてみよう」
『わかりました……』
彩は再び顔を伏せ、なにかを言いかけてやめるのを繰り返して、そして小さく。
『……優子の部屋に、上がってもいいですか?』
「ん? 構わんが。鍵はかかっておらん。入るがいい」
ガチャリ。と、静かにドアを開け、月宮彩が部屋に入る。
「おじゃまします」
彼女にとっても、何度か入った部屋だ。特に変わりはない。違うのは、部屋主がいないことだ。ノートPCがなぜか開いて起動していたが、それ以外にはなんの気配もない。つい先ほどまでインターフォンで話していたはずの芙蓉も、どれだけ見回しても見つからなかった。
「私には、見えないんですけど……いらっしゃるんですよね。芙蓉さん」
返事はない。彼女にとっては独り言に近い。それでも、呼びかけた。
「優子を、お願いします」
そして、名残惜しそうに去っていった。
その後ろ姿を、芙蓉は静かに見送っていた。
「……滅三川よ。どうやら急ぐ必要がありそうじゃ。『セーラー服』とやらを試してみるほかあるまい」
芙蓉は決意を固めた。一方。
本当にそれだけですか――と、滅三川は口の中で転がしていた。
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