18.ロリババアと彷徨少女

「芙蓉さん、まだ行かないんですか?」


 セーラー服の少女は、夕暮れに現れるらしい。ゆえに、昨夜の時点ではすぐに動きたくても一日待たねばならなかった。夜が明け、昼になり、そろそろ出発の頃合い――のはずが、芙蓉はPCの前から動かない。


「も、もう少しだけ……」


 芙蓉はYouTubeにて不動産の内見動画に囚われていた。なんとはなしにトップページで目にしたものだが、現代の多様な住居形態は興味の尽きないものだった。うっかり再生リストをクリックしてしまったため動画が終わっても終わっても続けて流れる。一本あたり十~二十分でも、何十本も続けば抜け出すことのできない牢獄と化すのだ。


「『急がねばならぬようじゃな……』ではなかったんですか? どうせ絶対迷うんですから早めに出ないと」

「迷うじゃと?? このわしが??」

「芙蓉さんなら夕暮れを待たずとも怪異を見つけて引きずり出して従わせることもできるんじゃないですか?」

「ふん。言われんでもな。じゃが、せめてこの動画が終わるまで……」

「キリないですから! 間に合わなくなりますよ!」


 芙蓉は鉄の自制心によって牢獄から抜け出し、マンションを後にした。


(自ら動く――と書いて自動車じゃったな。……自ら? 牛の引く車ではなく牛に直接跨るようなもの……ではないらしいな?!)


 自動車については優子からも滅三川からも話は聞いていた。が、「ガソリン」だの「内燃機関」だの理解を超えていたし、彼らも大して理解していなかった。牛車と同じく交通手段であるのはたしかだが、とにかく速いし、とにかく多い。

 巨大な鉄の箱だ。その危険度は暴れ牛どころではない。そんなものが好き勝手走っていて大丈夫なのかと聞いたが、毎日どこかで事故が起きている、という。

 人間はやはり狂っておる――そう思った。

 だが、その様子は極めて秩序だっているように見えた。同じ方向に走り、同じ頃合いに止まる。まるで巨大なアリの行列を観察している気分だった。これはこれで不気味だ。


(ぬ。あれがバスじゃな……)


 目指すは須籠すごもり町。

 マンションからバス停までは徒歩数分、バスに乗ってからは二十分ほどの距離にある。

 バス停までの道のりや目的地の場所は事前に地図とGoogleストリートビューによって確認している。特に後者は奇怪極まりなく、「わしがわざわざ足を運ばずともこれでよいのでは?」と思ったが、そういうものではないらしい。

 すでに「電車」について覚えた芙蓉にとって「バス」はその応用にすぎない。乗るべきバスを見過ごすとか反対車線で待っていたなどという初歩的なミスなどあるはずもなく、手早く目的のバスに乗り込んだ。


(なんじゃこの紙切れ。切符か?)


 整理券である。よくわからないまま手に取ってみた。


(人間どもは取ったり取らなかったり……切符と同じ挙動じゃな。やはり切符か)


 整理券である。

 芙蓉は適当な席に腰を下ろした。人間から彼女の姿は見えないが、存在は無意識に感じているらしい。傍目には席が一つ不自然に空いている状態になるが、誰もそのことに気づかないのだ。


(電車ほどではないが……速いのう)


 車窓から外を眺める。

 やはり、かつてとは移動に関する常識がまるで異なっている。その点も怪異の衰退に関わっているのではないかと芙蓉は考えた。かつては数日がかりの移動も数刻ほどで済むのだろう。夜盗に襲われる危険もなく、闇夜に怯えることもない。遠く離れても電話によって連絡が取れる。生き霊となって化けて出る必要もない。


『次は、須籠町、須籠町です。お降りの方はお知らせください』


 窓の外を眺めていると体感ではあっという間だった。街並みの風景は興味の惹かれるものばかりではあったが、芙蓉の鋭敏な注意力はアナウンスを聞き逃さなかった。そして、そのうちに絶望が含まれていたことも。


(お知らせください……じゃと?!)


 芙蓉の姿は人間には見えない。ゆえに「お知らせ」することはできない。だが、降りるならば「お知らせ」せよという。


(「お知らせ」をせんと……降りられんのか? 電車ではそんなものなかったぞ??)


 素直に字義通りに解釈すれば、「お知らせ」とはバスの主に「降りる」と伝えることだ。芙蓉にはそれができない。あるいは、現代人にのみ伝わるなんらかの隠語である可能性もある。


(そうじゃ。してたか、お知らせ? これまでに降りた乗客は、「降りる」と「お知らせ」しとったか?!)


 観察しようにも、すでに遅い。次のバス停が目的地だからだ。

 ピンポーン。どこからともなくそんな音が響いた。インターフォンと同じ音だ。バスはまだ走っている。走っている最中に誰かが訪ねてきたとでもいうのか。注意深く車内を観察するが、乗客は誰も先の音に気づいている様子はなかった。


『須籠町、須籠町です。ご乗車ありがとうございました。車内にお忘れ物落し物なさいませんようご注意ください』


 バスが止まる。乗客が立ち上がる。やはり、誰も「お知らせ」しているようには見えない。


(わ、わからん……が……降りても、いいん、じゃな……?)


 乗客は降りる際、箱に硬貨を入れたり入れなかったりしていた。電車における「改札」に似ている気がしたので、芙蓉は「切符」を投入してバスを降りた。


(ついたか。ここからもう少し歩くんじゃったか)


 事前にGoogleストリートビューで見たのと同じ光景である。やはり自らわざわざ足を運ばずともよかったのでは? という気がしてくるが、そういうものではないらしい。


『芙蓉さん。つきましたか?』


 滅三川から電話がかかる。


「おう。ついたぞ。お知らせなどという人間の卑劣な罠にもかからんかった」

『え、なんですかそれ』


 話しながらも迷うことなく、芙蓉は商店街に辿り着いた。子供を異界へ追い詰める怪異――セーラー服の少女が出没するとされる商店街である。


『ついたのでしたら、僕からの連絡はひとまずいいですかね。健闘を祈ってます』

「おう」


 日が暮れようとしている。人気のない、寂れた商店街だった。荒れたタイル。錆びた看板。閉じたシャッター。放置自転車。活気がない。においが薄い。現代で目覚めてまだ数日の芙蓉にとって比較対象は少なかったが、それでも廃れた雰囲気は感じられた。


(わしにとってはなにもかも新しいが、人間にとってはもう古いのだな……)


 そんな寂寥感のなか、芙蓉は一人商店街を歩いた。奇妙な静けさに包まれている。


(――静かすぎる)


 埃の匂いが漂う古書店も、老夫婦の経営していた中華料理店も、安さと新鮮さが売りだった八百屋も、重く冷たいシャッターに閉ざされている。二階に居住スペースを持つ店も多いが、人の息遣いはどこにもない。

 つい先ほど人の密集するバスに乗っていた。人と車の行き交う道路を渡ってきた。商店街に足を踏み入れた途端に、夢に溶けてしまったかのようだ。


(似ておるな。この感覚は。大鏡駅じゃ)


 現代において怪異は「ない」ものと扱われている。

 だが、実のところ怪異はそこかしらに存在している。ふとしたことで、人はそこへ迷い込む。ここもそんな場所だ。

 商店街になぜか設置されているカーブミラーは、怪異によるものなのか、それとも怪異に対抗する術なのか。


 振り返ってはいけない。カーブミラー越しにその姿を確認する。

 あらかじめ画像検索によってセーラー服がどのようなものかは把握していた。たしかに、セーラー服の少女だ。

 セーラー服という衣装そのものは珍しいものではないという。ただし、須籠町にかぎってはセーラー服を制服として採用している学校はないらしい。もちろん、それでもセーラー服を着ている普通の人間がいる確率はなくはない――というのが滅三川の意見だ。


(じゃが、あれはな……)


 一目で、人ではないとわかった。

 肌には血が通っておらず、首はあらぬ方向に曲がっている。長い前髪によって顔は見えない。カーブミラー越しの限界であった。

 だが、もっとはっきり少女を映すものがすぐ横にあった。

 シャッターに貼られていたポスターである。


〈この少女を見かけたら、絶対に振り返らないでください〉

〈立ち止まってもいけません〉


 気づけば、何枚も貼られていた。何十枚も、並んで貼られていた。


(なんじゃ、この写し絵のわざは……?!)


 印刷技術についてはまだ不知である。サイゼリヤの間違い探しや駅や大学でポスターを目にする機会はあったが、「頑張って描いたんじゃろうなあ」くらいの認識だった。ゆえに、こうも寸分違わぬポスターが何枚も何十枚も並んでいては、さすがに怪異を疑わざるを得ない。現代では多くの「技術」が溢れあたかも怪異のように振る舞っているが、芙蓉もその見極めがつくようになっていた。


(ん? ここはもう異界か? いや――)


 屋根こそあるが、空は見える。赤い空だ。日が沈もうとしている赤く染まった空だ。ふつうの、夕暮れの空である。

 だが、薄寒い雰囲気がある。奇妙なまでの静けさがある。ここは境目だ。

 そうして空を見上げぼーっと立ち止まっていると、肩に。

 青白い手が、伸びていた。


「ぬおっ?!」


 思わず振り返りそうになる。グッとこらえて、前に駆け出す。


(別に振り返ったからといってどうにかなるわけではないじゃろうがな?)


 振り返るとどうなるのか。振り返ってしまった例がない以上は推測するしかない。

 殺されるのではないか――というのが芙蓉と滅三川の達した結論だった。そうであるなら、芙蓉に怖れる理由はない。現代の腑抜けた怪異に遅れをとる道理がないからである。


(怖くはないんじゃがなー。わしの目的は異界へ行くことじゃからなー。振り返ってうっかり倒してしまったら台無しになってしまうからなー)


 ゆえに、振り返れない。

 背後に気配を感じながら、芙蓉は小走りに駆けた。優雅に歩いてトンネルまで追い詰められたふりでもしてやろうと思っていたが、思ったより気配が迫るのが速いのである。


(こ、これではまるで……怯えて逃げているようではないか……!)


 商店街を抜け、田んぼに出た。少し癪なのもあり、疲れたのもあり、立ち止まる。振り返れば台無しになってしまうおそれはあるが、立ち止まった場合になにをしてくるのか興味があった。


(ふん。なにかしてみい。わしになにをしたところで無意味と思い知らせて、あとは異界への案内人としてこき使ってやろう)


 青白い手が、ゆっくりと伸びてくる。右から、左から、肩越しに。それは静かに、音もなく。芙蓉の顔を、抱くように。細く、長い、繊細な指先が。両目を、覆い、隠そうとしていた。


「ぬおうっ!!」


 前方宙返りで反射的に回避!

 縦方向なら……「振り返り」ではないはずだ。一瞬だったし。


(大丈夫か? 大丈夫そうじゃな)


 恐怖のあまり逃げたのではない。いきなり目隠しをしようとする挙動が意味不明でなんか気持ち悪かったので避けてしまっただけである。


(というか、やはりわしを童だと思うておるな?)


 気に食わぬ――が、息を切らしながら逃げた。ではなく、駆けた。

 そしていつしか、芙蓉はトンネルまで追い詰められていた。


(なるほどな。さりげない誘導の繰り返しか)


 手妻てづまと同じ要領である。演者の目線や手先の方向に、観客はしばし支配される。怪異の誘導はもっと強引だ。行かせたくない方向の視界の端を暗がりに覆う。結果、逃げ惑うものはそれを避ける怯え、慄き、混乱した状態ではその些細な変化には気づけない。

 悪戯心があって、あえて逆らえばどうなるのかも気になった。だが、彼女はあえて乗った。彼女は目的を見失わない。

 初めから目論見通り、セーラー服の少女は異界への案内に利用されたに過ぎない。

 背後の気配が、強まる。


「くく。そろそろええじゃろう」


 芙蓉は不敵に笑む。ここまで来れば気兼ねすることはない。はじめから脅しつけて無理やり異界に案内させてもよかったが、相手にやり方に合わせる繊細な気遣いの精神が芙蓉にはあった。

 そして、芙蓉は振り返る。

 気持ち悪いほどの真っ青な空が広がる。大鏡駅裏ホームで見たのと同じ空だ。

 しかし、眩しさはない。巨大な影がそこにあったからだ。見上げるのに首を痛めるほどの、巨大な影である。


「一、です」


 セーラー服の少女はそんな影に。

 掴まれ、咀嚼され、なす術なく飲み込まれていた。

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