第四章 尋問

「すでに南田辺りから聞いていると思うが、九階に突入した隊員は、死亡した蒲生隊長を除けば、雨笠豊範、古賀直沖、下杉龍太郎、時川敦人の四人。お前に依頼した南田芳和副隊長と、神田裕次郎、浮島大樹の三名は十階で避難活動をしていて犯行は不可能だ」

 車で移動しながら大塚が説明する。後部座席の榊原は軽く頷いた。

「ならば、やはり最初に現場に直接突入した雨笠、古賀、下杉、時川の四隊員から話を聞きたいですね」

「先方には東京消防庁からの追加聴取と行うと通達してある。榊原、お前はとりあえず俺の同僚という事で同席してもらおう。事の真相を知るのは南田一人だけで充分だ」

「致し方ありませんね」

 榊原もそれで納得したようだ。彼としても下手に正体を明かして警戒心を抱かれたくはないのだろう。が、ここで瑞穂が頬を膨らませた。

「先生、私はどうなるんですか?」

「え、いや、さすがに君は待っていてもらおうかと……」

 榊原はそう言う。さすがにセーラー服姿の女子高生を同席させるわけにはいかない。が、それで諦めるような瑞穂ではない。

「要するに、この服が悪いと?」

「まぁ、端的に言えば」

「……大塚さん、ちょっと停めてください!」

 突然そう言われて、大塚は少し訝しげな表情をしたが、逆らわない方がいいと思ったのか素直に路肩に車を停車させた。何をするかと思えば、瑞穂はそのままドアを開けて外に出る。

「二十分、待っていてください」

「は?」

 榊原が呆気にとられている間に、瑞穂はそのまま人ごみに消えていく。榊原と大塚は顔を見合わせたが、ほったらかしにしておくわけにもいかないのでおとなしくその場で待つ。

 きっかり二十分後だった。そろそろ待ちくたびれかけていた頃、誰かが不意に車に近づいて車内に滑り込んできた。その姿を見て、榊原は唖然とする。

「み、瑞穂ちゃん、その格好は……」

「これなら問題ないですよね?」

 滑り込んできたのは当然ながら瑞穂だったが、その格好は先程のセーラー服ではなく、どこで買ったのかパリッとしたリクルートスーツ姿だった。どうやら手近な衣服店で一番安いスーツを購入したらしい。馬子にも衣裳と言うべきか、それなりの服を着ていれば新人OLに見えない事もない。

「一体そんなものを買うお金がどこにあったんだ?」

「お正月にもらったお年玉を崩しました。どうせ今後必要になる事もあると思いますし、思い切って買ってみたんです」

 唖然としている榊原に対し、大塚は我慢できなくなったように大笑いした。

「ははっ、これはかなわないな。気にいった。そこまでやるんだったら、口を挟まないという条件付きなら同席を認めてもいい。榊原もそれでいいな?」

「……好きにしてください。どうせ部外者の私を同席させているんですから、それが一人増えても同じです」

 榊原はぶぜんとした表情でそう言うしかなかった。瑞穂は満足そうに笑いながら、袋に入れたセーラー服を座席の下に置く。

「よし、じゃあ、行こうか」

 改めて車がスタートし、それから五分もしないうちに車は杉並第三消防署の敷地内へと滑り込んだ。車を降りて受付で手続きをしていると、やがて奥から依頼人の南田副隊長が姿を見せた。

「お待ちしていました」

 一瞬スーツ姿の瑞穂にギョッとした様子ではあったがすぐにそれを隠し、南田は大塚と榊原に挨拶した。建前上、まずは大塚が南田に用件を伝える。

「すでに連絡したように、これから昨日の消火活動に参加した隊員たちに対し、東京消防庁として追加聴取を行う。この二人に関してはとりあえず正体を隠し、聴取には私の同僚という事で同席させるが、構わないか?」

「もちろんです。元より、そのつもりで依頼をしたつもりですから」

 南田は大塚に対して緊張した様子で答える。

「すまないな。それと、彼に依頼した際の無断情報開示に対する君への処分はこの一件が片付いてから検討する。とにかく、今はこの一件を片付けるのが先決だ」

「あ、ありがとうございます」

「よし。では、時間も惜しい。早速聴取を始めよう」

「こちらです」

 三人はそのまま小さな会議室に案内された。

「まずは、雨笠、古賀、下杉、時川の四名を順番に呼んでほしい」

「了解です」

 南田はそのまま部屋を出て行く。大塚はふうと息をついた。

「さて、俺も聞きたい事については聞くが、詳しい質問に関しては榊原、お前に一任する。一応言っておくが、隊員に直接話が聞けるのはこれが最初で最後の機会だと思ってほしい。それでいいか?」

「……わかっています」

 さすがの榊原もやや緊張した様子である。さっきは威勢のいいことを言っていた瑞穂も、どこか緊張した顔をしていた。

 と、やがてドアがノックされた。

「よし……始めようか」

 大塚はそう呟くと、ドアの向こうへ入室するように促したのだった。


 最初にやって来た消防隊員・雨笠豊範は、年齢三十歳前後の精悍な表情をした男だった。大柄な体格だが太っているというよりも引き締まっていると言った方が正解で、まさに根っからの消防士と言った風貌である。大塚は正面の椅子に座るように促すと、軽く自己紹介をした。

「東京消防庁予防部調査課原因調査係の大塚だ。こっちは同部署の榊原君と秘書の深町君。君は雨笠豊範君、だったね?」

「はいっ! その通りであります」

 雨笠はきびきびと挨拶する。

「実は、先日の高円寺の火災に関してもう一度君たちに話を聞きたいと思ってね。何しろ数年ぶりに発生したホテル火災だから、上の方も詳細な状況報告を求めている。そこで、事件当日臨場した消防士諸君にも話を聞いているというわけだ」

 いかにもなでっち上げをスラスラと話す大塚に、瑞穂は内心感服していた。雨笠もそれを疑う様子はないようである。

「私に証言できることがあるのでしたら、何なりと」

「ありがとう。じゃあ、早速質問させてもらおう」

 まずは大塚が質問を始めた。

「火災発生当日、火災発生までの君の勤務情報を教えてほしい」

「はい。あの日はちょうど遅番の日で、午後九時頃に当直として出勤しました。御存じの通り、我が杉並第三消防署特別救助隊は三交代制になっていて、合計十二名のメンバーを四人ずつ三つのグループに分けて二グループが当直、一グループが非番になるようシフトが組まれています。つまり、常に八人が当直で待機する構成です。あの日はA班とB班が当直担当で、私が所属するB班が午後九時にそれまで当直だったC班と交代したんです」

「つまり、あの日現場に突入したのはA班とB班だったと」

「その通りです」

「A班とB班の詳しい組分けは?」

「A班には蒲生隊長、下杉、時川、浮島。B班には南田副隊長、私、古賀、神田が所属しています。常に蒲生隊長か南田副隊長のいずれかは当直入りしているシステムです」

 要するにこの消防署の救助隊にはあと四人あの日は非番だったメンバーがいる事になるが、ホテルに臨場しなかった以上、この際彼らの存在は無視をしても構わないだろう。

「わかった。当日君は午後九時に出勤した。その後は?」

「引き続き当直だった蒲生隊長たちA班は仮眠をとっていたので、我々も引き継ぎの仕事が終わり次第仮眠を行う予定でした。が、その一時間後の午後十時頃に問題のホテルで火災があったと通報があり、我々八名は即座に出動したのです」

「現着は十五分後だったね?」

「はい。すぐに九階に駆け上がり、そこで南田隊長以下二名が十階へ。残る五名で九階に突入しました」

「問題はその後だ。蒲生隊長の遺体が見つかるまでの君の行動を教えてほしい。消防士の殉職という事で、上もこの辺の事を知りたがっている」

 さりげなくフォローしながら大塚がいよいよ核心へと切り込んでいく。が、雨笠は難しそうな表情をした。

「それが……無我夢中だったものであまりよく覚えていないんです。とにかく生存者の救助だけが頭にあったもので……」

 そこでようやく榊原が口を挟んだ。

「焦らなくても構いません。少しずつ思い出してもらえればいいので。そうですね、まず、あなたは最終的にあの場で何人を救出したのですか?」

「ええっと……自分が見つけたのは確か二人です。誰が誰なのかはわかりませんが」

「男性ですか? それとも女性?」

「……男性が一人と女性が一人だったと思います。九階に突入してすぐ、部屋を一つ一つ確認していたのですが、その何番目かの部屋の真ん中で二人とも倒れていました」

「なるほど。その後、あなたは?」

「すぐに彼らの生死を確認して……女性の方はすでにこの時点でこと切れていました。でも、男性の方は息があったので、私は彼を救助する事にしたのです」

「そのまま非常階段へその男性を?」

「その通りです。非常階段で消火作業をしていたポンプ隊に後を託してまた九階へと戻り、もう一度その部屋の周辺を調べようとしたのですが、かなり火勢が強くて……。もはや先程の部屋に戻る事さえままならなくなっていました。そこで……近くで別の部屋を捜索していた下杉と合流して、その後は彼と一緒に引き続き他の部屋の捜索をしていたんです」

「下杉というのは、下杉龍太郎さんですね? 彼と合流したんですか?」

「その通りです。でも、残念ながらそれ以上の生存者は発見できませんでした。確か、どこかの部屋を探しているときに女性の遺体を一人見つけた気がします。誰かはわかりません。それで、いったん非常階段のある場所まで戻ったら、そこにはすでに古賀と時川がいました。でも、隊長の姿だけがなくて、不安に思って私と下杉で探しに行ったら……」

「蒲生隊長の遺体を発見した、と」

「その通りです。正直、まさかと思いましたけど……」

 雨笠は唇を噛みしめながら言う。

「突入してから遺体発見までの間、蒲生隊長の姿を見ましたか?」

「さぁ……何しろ全員が防火服にマスク姿で、しかも炎と煙で視界がかなり悪くなっていましたから。こっちも自分の事で精一杯でしたし」

「蒲生隊長についてあなたはどういう思っていましたか? こういうミスをするような人に見えましたか?」

「そんな、とんでもありません。隊長は仕事に対して厳しい人で、部下の我々もその姿を見ながら日々の訓練に励んでいたんです。だからこそ、隊長がこんな形で殉職したという事が、未だに信じられません。それが火災の怖さだという事を、改めて思い知った形です」

「そうですか……」

 榊原はそう言うと、チラリと大塚を見た。とりあえず聞きたい事は以上らしい。

「ありがとう。では、君に対する聴取は以上だ。次の古賀君を呼んできてくれ」

「はっ。では、失礼します」

 雨笠はそう言うと一礼して部屋を出て行った。部屋に張りつめていた空気が緩む。

「どう思う、榊原? 予想通り、随分曖昧な証言だったが」

「そうですね。ただ、ある程度の事は推察が可能です」

 そう言うと、榊原は図面を取り出して証言を検討する。

「まず、彼が最初に突入したのは九〇二号室……平良木夫妻の部屋と考えるのが妥当かと思います」

「同感だな。男女二人組で、しかも男性側だけが生き残っていたという証言が正しいなら、これに該当する部屋はそこしかない。つまり、雨笠は北側の部屋を担当していたわけだ」

「それに、もしそれが正しいなら『火勢が強かった』という証言も納得できますよね。九〇二号室は火元の九〇五号室のすぐ傍ですから、火勢が強くて当然だと思います」

 瑞穂もそう言って付け加える。大塚は頷きながら告げた。

「つまり、雨笠は最初北側の廊下へ進み、九〇二号室から平良木周平を助けた。当の平良木氏が無事生還している以上、これは間違いないだろう。どう思う、榊原?」

「私も同感です。というより、出火元の先にある九〇二号室から生存者を助けようと思ったら、まだ火が回っていない突入後すぐに行かないと間に合わないでしょう。ここまでの雨笠の行動は確認されたと考えるべきです」

「問題はその後だな。話だと下杉と合流していくつか部屋を回っているらしいが、それがいったいどの部屋なのかだ。詳しくは下杉の証言待ちだが……」

「生存者が確認できず、女性の遺体が一人確認できただけだったという事でしたよね」

 瑞穂の問いに榊原は頷く。

「該当するのは北側の九一〇号室で死んでいた小堀秋奈と、南側の九一八号室で死んでいた静川優里亜の二名。前者はともかく、後者だったとすれば彼らは問題のエリアに足を踏み入れていた事になる」

「だが、もし問題の女性の遺体が静川優里亜だとするなら、『遺体が女性一人しかなかった』というのは妙だ。その奥、九二〇号室にはパトリック・シェルダンの遺体が転がっていたはずなんだからな。九一八号室まで行っていたなら、その奥にある九二〇号室を確認しなかったというのはおかしい。むしろこの証言は、九一〇号室の小堀秋奈の遺体を指すとすれば矛盾がなくなるんじゃないか? 火元の九〇五号室にも遺体は転がっていたが火勢が強くて入る事はまず無理だっただろうし、それ以外の北側の部屋には誰もいなかったわけだからな」

「それもそうですが……仮にそれでも後者の南側の廊下に行ったという考えが正しいと考えた場合、以下のような場合が考えられなくもありません。すなわち、彼らが行ったときには蒲生隊長とパトリック双方の遺体が九二〇号室になくて、彼らが去った後に誰かが二人の遺体を部屋に運び込んだ可能性です。これなら彼らが南側の廊下に行きながら女性一人の遺体しか見ていないのも納得です」

 榊原の意見に一瞬納得しかけた大塚だったが、すぐに渋面を作った。

「……いや、だとしても妙だな。この二人は遺体を確認した直後に非常階段に戻っているが、この時点で残る二人の古賀と時川は非常階段にすでにいた。で、蒲生隊長がいなかったから探しに行って九二〇号室で遺体を発見しているわけだが……」

「あ、遺体を運ぶ時間が誰にもない」

 瑞穂が大塚の言葉に思わず呟いた。

「あぁ。雨笠と下杉はもちろん、すでに非常階段に戻っていた二人にも、それ以前に全員救助されていたはずの生還者たちにも、雨笠たちが確認して以降に遺体を運び込む時間がない。この考えはやはりおかしいぞ」

「……だとするなら、やはり先程で言う前者の考え……彼らが向かったのが九一〇号室の廊下だったと考えるのが筋でしょうね。もっとも、この辺は下杉に話を聞けばなおはっきりする事ですが」

 榊原はそう言いながら小さく頷く。どうやら一つ一つ可能性を潰して選択肢を減らす作業をしているようだ。

「さて、次は古賀だな。果たしてどんな証言が飛び出すやら……」

 そう言っているうちに、ドアがノックされた。


「自分は古賀直沖であります! よろしくお願いします!」

 どこか緊張気味の挨拶をしたのが、二人目の消防士・古賀直沖だった。年齢は三十歳に行っていないのは確かで、おそらく二十代後半だろうか。元々消防士は全体的に背が高い人間が多いのだが、その中でも一際ひょろりと背が高く、どことなく頼りなさげな印象も受ける。が、その体に無駄な脂肪がついていない事は、瑞穂もパッと見ただけで何となく感じる事ができた。外見がどうあれ、彼も立派な消防士なのである。

「ご苦労。座ってくれ」

 大塚が先程と同じような挨拶と紹介をし、早速具体的な質問に入る。

「火災当日の具体的な動きを教えてくれるか?」

「はっ! あの日は遅番で午後九時に出勤したのですが、その一時間後に通報が入り、そのまま出動という形になりました」

 この古賀もさっきの雨笠同様にB班……すなわち事件当夜の交代組だった事を瑞穂は思い出した。

「突入後の動きに関して、君の口から説明してくれないか? 君は九階に突入した後でどういう風に行動したのか。曖昧な部分があるかもしれないが、できるだけ思い出してほしい」

 古賀はしばらく思案気な表情をしていたが、やがてポツポツと語り始めた。

「自分は……突入した後とりあえず手近な部屋から捜索をしようと考えました。どの部屋だったかはわかりませんが、ある部屋のドアを開けると、窓から外へ向かって助けを求めている女性の後ろ姿が見えたのです」

 榊原と大塚は軽く視線を交わす。その条件に合致するのは、九一五号室の淀村伊織だけだ。ほとんどの生還者が意識不明な中、彼女だけはほぼ無傷で窓から助けを求め、結局意識を失う事なく軽傷で助かっている。その分、九階においては火災発生時の状況を知っているほぼ唯一の宿泊客ともいえた。いずれにせよ、彼女には後で話を聞く必要がある。

「それで、彼女を助けた?」

「彼女は自分で歩けたので、すぐに彼女を救助しました。それで彼女を非常階段まで連れ出して、そこにいたポンプ隊に彼女を任せて自分はまた現場に戻ろうとしました。そしたら、ちょうど別の救助者を運んできた時川君と鉢合わせしたんです」

「時川というと、時川敦人君か?」

 大塚が確認すると、古賀は頷いた。

「彼が困っている様子だったので、一緒に行く事になりました。そしたらある部屋の入口と部屋の中に二人の男が倒れていたんです。両者とも意識は失っていましたが息があるという事で、時川は自分に手助けを頼みました。一刻を争う事態でしたし、さすがに一人で二人を助けるのは無理だという事で」

「それで、君は時川と共にその男たちを助けたと?」

「はい。二人でそれぞれ一人ずつです。非常階段にたどり着いて待機していたポンプ隊の人間に任せました。そこで一度装備の確認をしていた時に、雨笠さんと下杉が戻って来たんです」

 どうやら、先程の雨笠の話にも出ていた四人が非常階段で集合した時の事らしい。そして、この時点で蒲生の行方はわからなくなっている。

「その後は?」

「蒲生隊長がどうなったのか確認してくると雨笠さんと下杉さんが飛び出していきました。それで……しばらくしたら二人が帰って来て……」

「蒲生隊長が死んでいるのを確認した、と」

 古賀が蒼い顔で頷いた。

「榊原、何か質問はあるか?」

 大塚の言葉に、榊原は少し考えた後、質問した。

「確認します。最終的にあなた自身が救助したのは二人であるという事で間違いありませんか?」

「間違いありません。女性一人と男性一人の合計二人です」

「女性はともかく、その男性の生死については知っていますか? 気絶していたようですが」

「それは……自分にはわかりかねます」

 古賀は困惑気味に答えた。

「いいでしょう。では、時川さんに呼ばれるまでの他の隊員の行動については何かわかりますか? 蒲生隊長でも、その他も隊員でも」

「いえ……自分も自分の事で精一杯でしたし、それに室内は煙でかなり視界が悪かったですから……」

 雨笠と似たような事を言う。実際、それだけ過酷な現場だったのだろう。

「蒲生隊長についてはどう思っていましたか? 今回のようなミスを起こす人だったのかという意味ですが」

「まさか! 隊長は立派な消防士で誰もが尊敬していました! 単に指示を飛ばすだけではなく、自分から現場に飛び込んでいくリーダーだったんです。だから、今回みたいな死に様は自分も納得できません。どうしてあんな事になってしまったのか……」

 古賀は悔しそうに言う。が、榊原はあくまで事務的に続けた。

「最後にもう一度聞きますが、あなたは突入後すぐに女性を救助。その後、戻ろうとした時に時川さんから救援を依頼され、男性二人の救助を行ったという事ですね?」

「ですから、そう言っているではありませんか。何か疑問でも?」

「いえ、単なる確認です。こちらもこれが仕事ですのでね。ありがとうございました」

 榊原はそう言って一礼した。古賀は変な顔をしている。

「まぁ、そういう事だ。じゃあ、次の人を呼んでくれ」

「は、はぁ」

 古賀は戸惑いながらも、一礼して部屋を出て行った。そのまま、再び検討会が始まる。

「どう思う?」

「状況からして、古賀が最初に助けた女性というのが九一三号室の淀村伊織だという事に疑う余地はないでしょう」

「異議はない。さらに言えば、その後時川と一緒に救助した二人組の男というのも想像はつく。男が二人倒れていた部屋なんか一つしかない」

「九一二号室にいたという暴力団員の立浪権之助と谷松慎太、でしょうね」

 榊原も同じ事を考えていたようだ。

「確か谷松は生還して、立浪は死亡していましたね」

「生還した谷松の方もかなりやばい状況で、現在も意識は戻っていない。医者の話じゃ植物人間になる事こそ避けられたが、いつ意識が戻るかはわからないそうだ」

「つまり、まさに生きるか死ぬかの状況だったという事ですか」

「あぁ。谷松が生還したのは奇跡に近い。どっちがどっちを救助したのかわからないのがつらいところだ」

「生存者たちがどんな順番で助けられたのか、後で確認が必要ですね。それに淀村伊織の証言も」

「彼女はまだ検査入院している。必要なら取り計らおう。救助の順番に関しては……当時非常階段から援護放水をしていたポンプ隊のメンバーか」

 と、そこで瑞穂は疑問を挟んだ。

「あの、さっきから非常階段にポンプ隊がいたって言っていますけど、そのポンプ隊のメンバーは九階の中を見ていなかったんですか? 少なくともエレベーターホールの辺りは見えたんじゃないですか?」

「ところがそうはいかない。さっきから証言があるように現場は強烈な煙だった上に、放水するので手いっぱいで、エレベーターホールがかすかに霞んで見えるくらいだったという事だ。だから中で誰がどんな動きをしていたのかに関しては一切証言が期待できない。彼ら自身、煙の中へ向かって勘で援護放水するのが限界だったようだ。」

「でも、誰がどの生還者を救助してきたかの区別くらいはできるんじゃないですか? 同じ消防士だから、防火服を着ていても何となくわかるんじゃぁ……」

「ところがこのポンプ隊はここ……すなわち杉並第三消防署の所属ではなく近隣の高円寺中央消防署の所属で、突入した面々との面識はなかった。ゆえに防火服をかぶった彼らを見ても区別できなかったという事らしい」

「何ともうまくいきませんねぇ……」

 瑞穂はため息をつく。と、ちょうどそのときドアがノックされた。

「さて、三人目と行こうか」

 大塚の言葉に、瑞穂は慌てて表情を引き締めた。


「……下杉龍太郎です」

 やって来たのは雨笠と一緒に救助活動をしていた下杉龍太郎だった。どうやら前二人と違ってかなり寡黙な性格らしく、何というか「仕事人」のタイプである。一応年齢は雨笠と同じらしいが、外見はもう少し老けて見えた。

 三回目になる自己紹介をした後、大塚は下杉に証言を促した。下杉は特に表情を変える事もなく、無駄話もなしに淡々と言葉を紡ぎ出していく。

「自分はあの日、宿直の担当でした。第一報が入っていた時はすでに仮眠をしていたかと思います。通報が入ったのでいつも通りに出動し、午後十時十五分頃には現着していたはずです」

「他のメンバーも同じような証言をしている。それで、君は九階に突入した。その後の行動について詳しく話してほしい」

 だが、下杉は首を振った。

「自分はあの日、結局誰も救出する事はできませんでした。突入してすぐに一方の廊下の右奥へと突入しようとしたのですが、その辺はすでにかなりの火勢で、その先へと突入する事ができなかったのです。おそらく、火元に近かったためだと思います。やむを得ず、しばらくの間エレベーターホールでその近辺の消火活動をしていました」

「つまり、君は最初エレベーターホールにいた、と。その時他の隊員たちの様子はわかったか?」

 下杉は再度首を振る。

「火災で周囲は炎と煙と轟音の渦で、なおかつ自分は防火服を着用していましたから、はっきり言って自分の周囲一メートル四方の様子を確認するのが精一杯でした。しかも自分は消火活動に集中していましたので、正直よくわかりません。気配で何人かが非常階段の辺りを行き来しているのはわかりましたが、それが誰なのかは判断しかねます」

 下杉は臆する事なく答えた。

「わかった……。では、その後については?」

「しばらくしてようやく自分が突入しようとしていた廊下の辺りの火勢が弱まったのです。その時、誰かが近くにやって来るのが見えました。最初はわかりませんでしたが、それが雨笠だとすぐに気付きました。彼は自分が突入しようとした廊下の左奥へ突入しようとして、火勢に阻まれている様子でした。自分は咄嗟に、彼に私の方を手伝ってくれるように頼んだのです。雨笠はしばらく逡巡していましたがすぐに理解してくれ、自分たちはそのまま問題の廊下に突入しました」

「その廊下の場所はわかるか?」

 わからないという答えが返ってくるかと思いきや、意外にも下杉の答えは明確だった。

「突入してすぐに『九〇七』と書かれたドアが見えたのを記憶しています。その部屋には誰もいませんでしたが」

「よく覚えていたな」

「たまたまです」

 つまり、下杉と雨笠が突入したのは、先程の予想通り北側の廊下という事になる。下杉のいう雨笠が突入しようとした左奥の廊下というのは、九〇一号室などがある北西の廊下という事になろう。

「その後は?」

「そのままその廊下の部屋を一つ一つ確認しました。すべてのドアに鍵がかかっていた上に火災の熱で歪んでいましたので、一つ一つを叩き壊しながらの作業です。ですが、一番奥の部屋で女性の遺体を一人見つけただけで、あとは生存者どころか人の姿さえ見当たりませんでした。仕方がないのでまた閉じ込められないうちに自分たちは非常階段に撤収したのですが、そこで蒲生隊長がいないという話になり、自分と雨笠とで探しに行ったのです」

「そこで遺体を見つけた、と」

「その通りです」

 概ね雨笠の証言と一致していた。大塚はどうもやりにくそうな表情をしている。無駄な事を省いた必要最低限の証言であるゆえに、かえって突っ込みにくいのだ。

「榊原、質問は?」

「そうですね……あなたと雨笠さんは同い年という事ですが、同期という事ですか?」

「その通りです。消防学校時代からの付き合いになります。その後特別救助隊の入隊試験でも一緒になって、共に合格してここに配属されました」

 下杉はあくまで淡々と答える。

「という事は、亡くなった蒲生隊長とも長いという事ですか?」

「そうなります」

「蒲生隊長に関してお聞きしますが、あなた自身は彼の事をどう思っていましたか?」

「素晴らしい隊長だったと思っています。決断力や判断力もあって、正直、こんな形で殉職されるとは思ってもいませんでした。自分はあれ以上の隊長を知りません」

 無口な下杉も、蒲生の事に関してはやや饒舌になった。

「質問を変えましょう。雨笠さんは北西の廊下……つまりあなたの言う左側の廊下に突入して男性を一人救助していますが、それには気づかなかったという事でよろしいですか」

「気づきませんでした。さっきも言ったように、あの現場ではそれも仕方のない話だと判断します」

「なるほど。では、当然突入後に蒲生隊長の姿も?」

「見ていません」

「そうですか……。結構です。私からの質問はここまでです。次の方を呼んでください」

 今回は榊原もあまり質問しなかった。下杉は黙礼すると、そのまま部屋を出て行った。とたんに今度はため息が室内に響く。

「参ったな……突っ込みどころがない」

 それが大塚の最初の感想だった。それに関しては榊原も同意見のようだった。

「一応、これで雨笠と下杉が突入したのが北側の廊下だという事が証明されたわけですが」

「あぁ、それは間違いなさそうだ。それがよかったのかどうかはわからないが……」

「肝心の蒲生隊長が死んでいた廊下の事がわかりませんからねぇ」

 瑞穂がため息をつきながら言う。

「さらに言えば、下杉に関しては結果的に誰も救出できなかったから生還者との突き合わせができないのも痛いな。本人の自己申告を信じるしかないし、こちらとしても質問しにくい」

「あくまで建前は『ホテル火災の状況聴取』ですからねぇ。おいそれと突っ込んだ事も聞けませんし」

 瑞穂がそう言って大きく伸びをする。

「榊原、他に何かわかったか?」

「いえ、正直、先程の雨笠の証言を補完しただけですね。残るは一人ですが……ただ少し気になる事はあります」

「何だ?」

「問題の蒲生隊長が突入した後どこに向かったのかです」

 榊原は見取り図を見ながら確認する。

「今までの証言では、北西……つまり九〇一号室方面には雨笠、北東の九一〇号室方面には下杉、南西の九一一号室方面には古賀と時川が向かった事になります。しかし、彼らはそこで蒲生隊長を見ていません。いくら煙が充満していて視界が悪かったとはいえ、同じ廊下にいれば気が付いたはずで。となれば、蒲生隊長は突入した直後、すぐに問題のエリア……南西の九二〇号室方面へ向かったという事になります。そして、そこで何かがあった」

「しかも、現場の状況からなぜか手前のドアを飛ばしていきなり九二〇号室に行き、そこで亡くなっている。それはさっき現場でお前が指摘した通りだが……」

 榊原が現場で推理したように、もし手前から調べていたとするなら、静川優里亜が転がっていた九一八号室のドアは破壊されているか、少なくとも開けっ放しになっているべきである。

「あの、参考までに聞きますけど、他の部屋のドアはどうなっていたんですか?」

「出火元の九〇五号室とその隣室である九〇四号室、九〇六号室はそもそもドアそのものが全焼してなくなっていたが、九〇二号室と九〇三号室、九〇七号室から九〇九号室、九一三号室から九一五号室、それに遺体発見場所である九二〇号室のドアは破壊されていた。状況から見て突入した救助隊員が、ドアが開かなかったから強引に破壊したんだろう。つまり、少なくともこれらの部屋には彼らが突入しているという事だ」

 瑞穂の問いに大塚が丁寧に答える。が、瑞穂は食い下がった。

「そして、九一六号室から九一九号室のドアは破壊されていない。そこは今回の事件の疑問として残しておくとして……それ以外の破壊されていないドアは何なんですか?」

 これには榊原が答えた。

「九一一号室に関してはまだわからないが……さっきの雨笠の証言から推測するに、北西の廊下を担当した雨笠は九〇二号室で平良木氏を救助した後、再び戻ろうとしたが火勢が強くて再突入を断念している。つまり彼は突入後九〇三号室から救助作業を始め、九〇二号室で平良木氏を救助した後、残る九〇一号室には突入できなかったという事だ。また、九一二号室に関しては古賀が男の一人が部屋の入口で倒れていたと証言している。おそらく、助けを求めようとドアを開けたところで力尽きたんだろう。だからこそドアは開いていた。そして、九一〇号室の被害者・小堀秋奈は、確か部屋を出たところで煙を吸って昏倒して死亡している。つまり、彼女の遺体はドアを開けた状態でその場に転がっていたという事だ。そうですよね、大塚さん?」

 榊原の問いに、大塚は頷いた。だとするならば、破壊せずとも九一〇号室のドアは開きっぱなしになっていたという事である。

「いずれにせよ、現状では問題のエリアへ向かった人間は確認できない。消防士たちも生還者を救助したり複数で行動したりで、自分たちの担当した場所以外に行くのは難しいぞ」

「……とりあえず、その議論は最後の消防士の話を聞いてからにしましょうか」

 そう言った瞬間、ドアがノックされて、九階に突入した最後の消防士が姿を見せた。

 

「と、時川敦人であります! 僕に話とは、何でしょうか!」

 現れた最後の一人……時川敦人は今までの四人の中で一番若く、なおかつ一番緊張していた。年齢はまだ二十代前半だろう。背も四人の中で一番低く、若々しいという表現が一番しっくりきた。これに比べれば、先程登場した古賀など可愛いものである。大塚としては苦笑いしながら彼を落ち着けるところから始めなければならなかった。

「まぁまぁ、そう緊張しなくてもいい。ちょっと話を聞きたいだけでね。まぁ、座りなさい」

「きょ、恐縮です!」

 そう言いながら時川は椅子に腰かけた。大塚は今まで通りの自己紹介をして、改めて時川に尋ねる。

「そんなわけで、早速だが君の話を聞きたい。協力してくれるね?」

「はっ! もちろんでありますが、しかし僕などの証言よりも先輩方の証言を聞いた方がよろしいのでは?」

「いや、今回は救助隊の隊長の殉職という事で、できるだけ多角的な検証が求められている。なので、多くの人から多くの証言を得たいと思っているんだ。わかったかな?」

「りょ、了解であります!」

「では、まずは火災発生前の事から聞こうか」

 その大塚の言葉に、時川は緊張したままながらも大声で答え始めた。

「僕……いえ、自分はあの日宿直でありました! 第一報が入った時にはすでに仮眠をしていたのであります!」

「確か、君はA班だったね?」

「その通りであります!」

「わかった。では、第一報が入った後の事を」

「僕……自分たちはすぐに出動したのであります! 自分にとってあの現場はこれまでの中でも最も大きなもので、少なからず緊張しておりました!」

「突入後の行動について聞かせてほしい」

「ぼ……自分は突入した後、すぐに手近な廊下に飛び込んで、一番手前の部屋から救助作業を開始したのであります! 最初の部屋はドアを蹴破っても誰もおらず、すぐ右隣の部屋を覗くと、そこに外国人の男性が倒れていたのであります! 僕が駆け寄ると、まだ息があったので、直ちに救助作業を開始しました!」

 「僕」と「自分」という一人称が微妙に混じっている時川だが、何とか言いたい事はわかる。

「救助はうまくいったのか?」

「それが……実はその外国人を部屋から助け出した際に、いきなり隣の部屋のドアが開いて誰かが飛び出してきたのであります! その人物は男性で、ドアを開けたところで廊下に倒れて力尽きました! しかも自分が部屋を覗くと、そこにはもう一人倒れていたのであります! 自分は焦りました! 彼を見捨てるわけにはいきませんが、背中に背負っている外国人を放っておくわけにもいきません! しばし迷いましたが、僕はひとまず背中の外国人を救助する事にしたのであります! かなり大柄な男性だったので苦労はしましたが、無事非常階段まで連れ出してポンプ隊に彼を託す事ができました! そこでちょうど先に女性を救助して再突入しようとしていた古賀先輩に遭遇したのであります!」

 ここで古賀の話と繋がった。

「それで、助けを求めた?」

「その通りであります! 事情を話して先程男性が飛び出してきた部屋まで着いてきてもらい、自分と古賀先輩で一人ずつ彼らを背負いました! そして何とか非常階段まで運んだのであります! 僕の方が背負った男性が小柄だったので先に非常階段に着き、しばらくして古賀先輩も階段に到着しました! 僕はすぐにもう一度突入しようとしたのですが、この頃にはすでに火の勢いが強くなっていて……直後に雨笠先輩や下杉先輩も帰ってきたのであります!」

「そこで、蒲生隊長がいないのに気が付いた?」

「その通りであります! それで雨笠先輩と下杉先輩が探しに行って……しばらくして帰って来て『隊長が死んでいる』と言ったのであります! 自分は信じられませんでした! すぐに僕も確認に行こうとしたのですが、火の勢いが強すぎてこれ以上の突入は不可能と判断せざるを得ませんでした!」

 時川はなぜか今にも泣きそうになりながらそう証言した。

「何かの間違いだ! 自分はそう思っていたのであります! あの隊長が……自分のあこがれだったあの隊長がこんなところで死ぬとは思えなかったのであります! でも、現実は残酷でした! 僕は……僕はまだ信じられないのであります!」

 時川はそう言って悔しそうに拳を握りしめた。と、ここで榊原が静かに質問役を引き継いだ。

「彼を尊敬していたのですね」

「もちろんであります! 子供のころから父がいなかった僕にとって、隊長は本当の父親のような存在でした! 普段は厳しく、でもそこには部下をいたわる思いやりがありました!」

「そうですか……。話は変わりますが、突入した後、蒲生隊長や他の隊員の姿は見ていないのですか? もちろん、途中で合流した古賀さんを除いて、ですが」

「見ておりません! 煙も凄かったし、僕も自分の事で精一杯でした! 申し訳ありません!」

 この辺は他のメンバーと同じ証言である。榊原は気にせずさらに突っ込んでいく。

「先程の証言を聞く限り、あなたは廊下の一番奥の部屋まで調べきれていないのですか?」

「は、はい! 残念ですが、そこまでたどり着けませんでした! 無念であります!」

 これである程度の場所が特定できる。外国人の男に二人組の男。さらに一番奥の部屋のドアを破っていないという情報から見るに、どう見ても南西の廊下の事である。外国人は生還者の一人であるハンクで、男二人は立浪と谷松。調べきれなかった部屋はドアが破壊されていなかった九一一号室であろう。

「九一二号室と九一三号室に突入した時の要救助者の位置はわかりますか?」

「九一三号室の外国人はベッドに背中を預けるように倒れていました! 九一二号室の二人は一人が廊下に飛び出したところで倒れ、もう一人は部屋の真ん中で倒れていていました! 周囲に粉の入ったビニールがたくさん落ちていたのを覚えています!」

「二人は確かに生きていたのですか?」

「間違いありません! 伝え聞くところによれば、残念ながら一人は亡くなったとの事ですが……」

 時川は悔しそうに言う。

「事件当夜、蒲生隊長に変わったところはありませんでしたか? 例えば、具合が悪そうだったとか……」

「それはなかったと思います! いつも通りの隊長でした!」

「そうですか……ありがとうございます。これで終了です。お疲れ様でした」

 そう言って榊原は質問を打ち切った。

「お役に立てたのなら光栄であります! では、失礼します!」

 そう言うと、時川は敬礼して部屋を出て行った。まるで嵐が通り過ぎたような感じである。三人は小さく一息をつくと、改めて検討を開始した。

「これで、消防士全員の動きがわかったわけだが……どうだ、榊原、何かわかったか?」

 大塚の言葉に対し、榊原は渋い表情で考察する。

「一度状況を整理しましょう。今回救助された人間は合計四人……いや、死んだ立浪を含めれば五人ですね。それぞれが誰をどの順番で救助したかですが……」

「証言を聞いた限りだと、九〇二号室の平良木周平を雨笠、九一二号室の谷松慎太と立浪権之助を古賀と時川、九一三号室のハンク・キャプランを時川、九一五号室の淀村伊織を古賀という感じか。下杉は救助なし。順番についてはよくわからなかったが……後でポンプ隊に聞いておこう」

「確かなのは、谷松と立浪を除く生還者三人は、彼らが突入したほぼ直後に発見され、そのまま救助されているという事です。つまり、蒲生隊長を殺害する時間的な余裕が一切ない」

「だな。これで殺そうと思ったら、救助に来た隊員が共犯じゃなきゃ無理だが、その可能性はまずないだろう。要するに、淀村、ハンク、平良木に関しては容疑者から除外しても構わないという事になるな」

 大塚の言葉に榊原が頷く。容疑者が減った形だが、これでもし蒲生の死が殺人だとするなら犯人が消防士の側にいる可能性の方が高くなった。それだけに大塚の顔は複雑である。

「なぁ、どう思う? 実際問題として消防士たちに犯行は可能なのか?」

「どうでしょうね。今聞いた限りだと時間的にぎりぎりな人間が多いです。例えば雨笠は突入してすぐに平良木の救助にかかっていて、彼を非常階段に送った後は下杉と行動を共にしています。つまり一人で行動できる時間が極端に少ないんです」

「実際問題、仮に蒲生の死が殺人だとして、あの状況でどれくらいの時間がかかる?」

「そうですね。現場が私の予想通り問題の南東エリアだったとして、煙の充満した火災現場であるそこに侵入して被害者を撲殺。その後九二〇号室のドアを破壊して重装備の被害者を放り込むわけですから……やはり八分から十分程度はかかるはずです」

「しかも、蒲生隊長が全く救助活動を行っていないという事は、それは蒲生隊長が早い段階から動けなかった事を意味するはずですよね。つまり、犯行は突入直後の可能性が高いと思います」

 瑞穂の意見に榊原も同意した。

「おそらくそうだろう。つまり、犯人は突入直後に十分程度アリバイがない人間という事になるが……雨笠はその条件に当てはまらない。話しぶりから見て平良木の救助にかかったのは突入から数分の出来事だ。時間的に間に合わない」

「同じ理屈は古賀にも言える。突入直後に淀村を発見して救助し、そのまま間髪入れずに時川の救助に加勢しているんだからな」

 大塚の言葉に、瑞穂も後に続く。

「その時川さんも突入してすぐにハンクさんと暴力団二人組を救助していますから、ますますもって犯行は無理じゃないですか? というか、あの時間で三人も救助したっていうのはある意味表彰ものだと思うんですけど」

「あぁ。他の事に割く時間は全くないはずだ。となると、怪しいのは突入してしばらく消火作業を行っていたという下杉か?」

 大塚はそう言うが、どこかしっくりこない様子だ。無理もない。彼を犯人とする根拠が単に「時間的に可能」という一点しかないからだ。そもそも殺人かどうかの判断さえ曖昧なこの事件においては、これでは証拠にも何にもならない。

「なぁ、やっぱり客が犯人という線はないか? 例えば時川が救助したっていう暴力団はどうだ?」

「それですけど、暴力団二人組が犯人である可能性は低いと思います。だって、もしそうなら、同じ南側の廊下にいた古賀さんか時川さんと鉢合わせしないはずがないですから」

 大塚の言葉に、瑞穂が反論する。大塚はぐうの音も出ない様子だった。榊原も小さく頷く。

「そうですね。客側でまだ容疑が晴れていないのは、問題のエリアにいたパトリック・シェルダンのだけと見るべきでしょうね。もう一人の静川優里亜は満身創痍で犯行は不可能だったみたいですし。まぁ、それはさておき大塚さん、とりあえずやるべき事をやっておきましょう。問題の高円寺中央消防署のポンプ隊に連絡をして、生還者がどの順番で救助されたのかを聞いてください」

「あ、あぁ」

 大塚はそう言うと携帯電話でどこかに電話する。しばらく誰かと話し合っていたようだが、やがて電話を切って結果を告げた。

「聞いてみたぞ。名前まではわからんそうだが、記憶に残っている限りだと、最初に女性、次いで大柄な外国人男性、それから老人、最後に男二人組だそうだ。男二人は身長の高い方が助からなかったと言っている」

「淀村、ハンク、平良木、それに暴力団二人組の順番ですか」

「証言や時間的関係と一致しますね」

 瑞穂がポツリと呟く。

「そして暴力団二人組については、背の高い方が助からなかったという事だ。つまりこちらが立浪だろう。そして、先程の証言で時川は小柄な方を運んだと言っていた」

「つまり、時川さんが運んだのが谷松で、古賀さんが運んだのが立浪という事ですね」

 少しずつ火災時の状況が明らかになっていくが、それでますます真実が遠くなっていくといった感じだった。

「さて、この後どうする?」

「そうですね……この際ですから十階に突入した消防士たちにも話を聞いてみましょうか。彼らが犯人の可能性は限りなく低いですが、他の面々の話を聞けるかもしれません。それと、生存者の中で唯一意識があった淀村伊織にも話を聞きたいですね」

 榊原の言葉に、大塚は黙って頷いたのだった。


 犯人でないのは明らかなのだから一人ずつ呼ぶのは面倒くさいと、榊原は十階に突入した三人……南田芳和、神田裕次郎、浮島大樹の三人を一度に呼ぶことを提案した。大塚もそれに関して異論はない様子で、結果的に三人の消防士が狭い部屋に一堂に会する事となった。

 依頼人である南田はともかく、残る神田や浮島とは初対面になるわけだが、神田が南田とそう変わらないくらいのベテランに類する年齢であるのとは対照的に、浮島はそれこそ時川と同い年くらいの若い消防士だった。

「まぁ、そう気を張らないでくれ。君たちにはあくまで参考程度に話を聞きたいだけなんだ」

「は、はぁ」

 浮島がどうにも戸惑ったような表情をする。一方、依頼者本人である南田は当然として、その南田と同じくらいのベテランである神田はさすがに動じた様子を見せなかった。

「何をお聞きになりたいのですか? まさか十階に突入した我々の事も聞きたいといわれるつもりですか?」

「それも興味はあるが、今は置いておこう。蒲生隊長たちが九階に突入した前後の事はすでに今までの聴取で可能な限り聞く事ができた。そこで、それを補強する意味も込めて君たちにも話を聞いておきたいというわけだ」

「それは構いませんが……具体的には何を?」

 そう聞かれて、大塚は榊原に視線を向けた。今回は最初から榊原にすべてを託すつもりらしい。

「火災発生前の隊の様子を聞いておきたいのです。具体的にはそうですね……B班とC班が交代した午後九時頃からの話を」

「と言われましても、自分たちA班はこの時すでに仮眠中でしたので……」

 浮島が困惑気味に言う。一方、B班の神田は戸惑いながらも質問に答えた。

「私が出勤した時、すでに他のB班メンバーはすでに来ていました」

「南田さん、雨笠さん、古賀さんの三人でしたね」

「はい。待機時間でしたので、引継ぎをしながら軽い雑談をしていました」

「雑談というのは?」

「大した話ではありません。雨笠のお子さんの話とか、古賀が最近失恋した話とか、南田さんの昔の武勇伝とか……私自身は最近スリに財布をすられたというような話をしていましたかね」

 そうして列挙されると、なるほど確かにどうでもいい話である。

「そんな事をしているうちに、急に火災の第一報が入ったのです。私たちはすぐに出動の準備をし、そうしているうちに仮眠をしていたA班の蒲生隊長たちも飛び出してきました」

「では、現場到着後の話を」

 これには神田に代わって浮島が答えた。

「現場に到着すると、すでにマスコミ関係者が何人か集まっていて、自分たちはすぐにホテルの中に飛び込みました。支配人に上の状況を聞いて、そのまま非常階段を上って九階のドアの前に現着したのです。その時、上の階から宿泊客の一人が下りてきて、十階の人間が屋上へ避難をしている事を知りました」

「その後、蒲生隊長が我々三人を指名して十階の救助へ向かうように指示したので、自分たちはそのまま十階に上がってフロアに突入しました。幸いまだ延焼はそこまで進んでいなかったので、部屋に残っていた宿泊客数名を屋上に避難させて安全を確保しました。もっとも、出火元の上の部屋はすでに火が回っていて、なす術もありませんでしたが……」

 神田が悔しそうに言う。

「その後は?」

「屋上に避難していた宿泊客たちの避難誘導に取り掛かりました。ですが、その途中で下の階にいたポンプ隊から隊長が死んだという知らせを聞いて……正直ショックでしたが、自分たちはそのまま任務を続けました。今ここでそれを投げだしたら、それこそ隊長の思いに泥を塗る事になるからです」

 浮島が拳を握りしめながら言った。

「あなたたちが九階突入組と合流したのはいつですか?」

「結局、消火がすべて完了した十一時半以降になったと思います。合流した時、彼らは全員茫然自失と言った風でした。ただ、自分たちは現場にいなかった分、まだショックはそこまでではなくて、結局隊長の遺体確認やそのほかの遺体搬出は我々三人がやる事になりました」

「遺体はあなたたちが確認したのですか?」

 その言葉に、三人は小さく頷いた。

「すでに消火された後の九階に入って、一番奥の部屋で隊長の遺体を確認しました。防火服を着ていたせいかあの火災の中でそこまで焼けていなかったのが救いといえば救いですね」

「その時、何か現場に変わった事はありましたか?」

「変わった事……すみません、隊長の事で頭がいっぱいでよく覚えていません」

 浮島が申し訳なさそうに言った。それは神田たちも同じようだった。

「隊長のすぐ横に宿泊客と思しき焦げた遺体が転がっていたのは見えましたが、あとは私もよくはわかりません……」

「南田さんは?」

 榊原はしれっと南田にも聞くが、南田は黙って首を振るばかりだった。もっとも、そんな事があるなら、依頼した時に話しているはずであろう。榊原も特に期待をして聞いたわけではなかったようで、そこで質問を打ち切ろうとした。

 が、その時だった。

「あ、そう言えば……」

 声を上げたのは浮島だった。

「何ですか?」

「いや、これは蒲生隊長に関する事ではないんですが……それでも構いませんか?」

 榊原が頷くと、浮島は少し遠慮勝ちに言った。

「自分たち三人は、そのまま火災鎮火後の九階で隊長をはじめとする遺体の回収作業を手伝う事になったんです。それで、自分はある部屋にあった遺体を回収するためにその部屋に踏み込んだんですが……その部屋が少し妙で……」

「どこの部屋ですか?」

 榊原の問いに、神田は首を捻った。

「部屋番号まではわかりませんが……確か隊長が死んでいた部屋の近くで、なおかつドアが閉じていた部屋だったと思いますけど」

 それで榊原にとっては充分だった。九階で死亡した人間の中でドアが閉じられたままの部屋にいたのは、九一八号室の静川優里亜ただ一人だ。

「部屋がどうしたんですか?」

「いえ、大したことではないんですが……あの部屋、灰皿がなかったような気がするんです」

 唐突にそんな事を言われて、榊原と大塚は思わず顔を見合わせた。

「灰皿、ですか?」

「その時は何とも思わなかったのですが、後で出火原因が寝タバコだと聞いて、あれっと思ったんです。寝タバコという事は当然部屋には灰皿があったわけで、しかもそれが一室だけ置いてあるわけがないから全室に灰皿があるわけですよね。でも、あの部屋にはそんなものがなかったなぁと。いや、自分の勘違いかもしれませんが」

 正直、どう判断すべきかわからない話だった。これが九二〇号室だというならまだ事件に関係あるかもしれないという事になるが、その部屋はドアが閉じられていた九一八号室なのである。

「灰皿も燃えてしまったんじゃ?」

 瑞穂が小声で榊原に尋ねるが、これには大塚が首を振った。

「いや、出火元の部屋からは灰皿が確かに出ている。というか、寝タバコが原因だからその灰皿自体が出火地点だ。確かガラス製だったと思うが、一番長い間燃えていた出火地点に灰皿が残っていた以上、他の部屋の灰皿だけが燃え尽きるとは思えない」

「じゃあ、何で九一八号室だけ灰皿がないんですか?」

「さぁ……」

 何とも奇妙な話だった。

「変に思ったのはそれくらいです。些細な事ですみません」

「いえ、充分です」

 榊原はそう言って頭を下げたが、そんな榊原の様子を見た瑞穂が思わずハッとした。榊原の目、その目が一段と険しさを増していたのだ。

「ありがとうございます。これで聴取は終了です」

「もういいのですか?」

「はい。参考になりました」

 三人は顔を見合わせながらも、そのまま部屋を出て行く。後には榊原たちだけが残された。

「大塚さん」

 と、不意に榊原が厳しい声を出した。

「何だ?」

「すみませんが、もう一度現場を検証させてもらえませんか? 確認したい事ができました」

 そう言うと榊原は返事も待たずに立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。大塚と瑞穂は一瞬呆気にとられていたが、慌ててその後に続いたのだった。

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