第一章 ある魔法少女の死

「うるさい! 静かにして!」

 部室で大音量を出しながらテレビを食い入るように見ていたその部屋の住人達は、いきなり開け放たれたドアの向こうから響く声に、思わず首をすくめて反射的に振り返った。そこには、セーラー服を着てショートカットの髪形をした隣の部屋の住人が怒り心頭の表情で立っていた。

「少しは近所迷惑ってものを考えてよ。うるさくて集中できないでしょ」

「わ、悪い、深町……」

 男子生徒の一人が慌ててテレビのボリュームを抑える。その少女……東京都立立山高校一年の深町瑞穂は、どこかジトッとした目でテレビ画面を見つめていた。そこでは、今しがた闇の帝王・サッカキバーと、魔法少女たちとの熾烈な戦いが幕を開けたところだった。

 もちろん今は二〇XX年などという馬鹿げた年代ではない。正確には二〇〇七年の十二月二十一日の金曜日の放課後である。今日は終業式しかなかったので、まだお昼を少し過ぎたばかりだ。そして、今しがた瑞穂が怒り心頭で乱入してきたこの部屋はもちろん魔法少女と闇の帝王の激突の場などではなく、立山高校部室棟三号館二階にあるゲーム研究会の部室であった。

 立山高校は品川区の大崎駅近くにある中堅の都立高校である。この学校の部室棟は一号館から三号館まであって、三号館はサークルや同好会の部室が集まっている。実は六月頃から老朽化が進んでいたこの部室棟の立て直し工事が始まり、終業式である今日になって初めて新部室棟が解放されたのである。で、早速新部室に乗り込んだゲーム研の面々はなぜかゲームではなくアニメを見始め、その結果隣室の瑞穂からの説教を受ける事になったのである。

「でも、確か立て直し工事で防音完備になったはずなんだけどなぁ」

「だから、その防音の限界を超える音を出さないでって言っているんです!」

 部長の言葉に瑞穂は反論する。まだ少し怒っているようで、その言葉には棘があった。

「そもそも、ゲーム研なのに何でアニメを見てるんですか」

「いやぁ、最近はやりのアニメで、みんなでチェックしようかって話になって」

「あのねぇ、子供向けの魔法少女物アニメを高校生の男子が集まって見てるのって、かなり気持ち悪いと思いますけど」

「わ、わからないだろ! もしかしたら、将来日本中が評価するようなすごい魔女っ娘アニメが生まれるかも……」

「いや、知りませんけど」

 と、ゲーム研の一年生が隣に座っていた二年生に耳打ちした。

「あの、彼女は誰なんですか?」

「あぁ、そうか。お前、九月に転校してきたばっかりだから知らないのか」

 立て直し工事中は校舎のバラバラの教室で勝手に活動していたので、それ以降に入部してきた人間が隣室の住人を知らないのもある意味当然ではある。

「隣の部室の部長さんだよ。まだ一年生だけどな」

「へぇ、立派ですね」

「立派と言うか、単純に隣の部活はメンバーが彼女しかいないから、必然的に彼女が部長にならざるを得なかったんだよ」

「へぇ。で、何の部活なんですか?」

「今さらそれかよ……」

 二年生部員はため息をつきながら答えた。

「ミス研だよ」

「ミス研っていうと、女性研究会か何かですか?」

「ベタなボケを言うな。ミステリー研究会。推理小説とかを読んだり書いたりしているところだ」

「あぁ、なるほど」

 と、そこで瑞穂が咳払いをし、二人は慌てて誤魔化すような笑みを浮かべた。

「で、結局それは何なんですか?」

「『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』っていうアニメだ。従来の魔法少女ものと戦隊ものを組み合わせた斬新さから、一部特殊なファンの間で水面下のうちにブレイクしかけているアニメだ」

「それ、微妙じゃないですか?」

「まぁ、せっかくだから最初の話だけでも見てくれよ。この良さがよくわかるからさ」

 そう言って、部長はちゃっかり彼女の手に第一話のDVDを押し付けようとする。

「いや、私、そう言うのには興味がなくて……」

 そんな事を言っている間にも、テレビの中では戦闘が進んでいるようだった。

『ハーッハッハッハー! この世界は私のものだ! 人間どもを蹴散らして、私の帝国を築くのだぁ!』

 画面の中で闇の帝王だか何だか知らない奴が勝ち誇ったような高笑いを上げている。不愉快そうにそれを聞いていた瑞穂だったが、不意その表情が変わった。

「あれ?」

 瑞穂は不思議そうな表情をすると、しばらく考え込むような仕草を見せた。

「な、何だ? 気になる事でも?」

「……これ、貸してもらえるんですか?」

 急に瑞穂はDVDを手に取りながらそんな事を尋ねた。

「え、まぁ、そうだな。何だい、興味があるのかい?」

「まさか。全然ありません」

 あっさり言われて部長はがっくりする。

「でも、見せたら面白そうな人がいるので。せっかくですから、あらすじも教えてくれませんか? そしたら、騒音の件は許してあげますけど」

「はぁ、まあいいけど」

 仕方なくあらすじを話し始めた部長の横で、さっきの一年と二年が再びひそひそ話をする。

「見せたい人って、誰ですかね?」

「まぁ、大方の予想はつくけどな」

「誰ですか?」

「……お前、本当に何にも知らないのな」

 二年生は深いため息をついてこう答えた。

「ミス研の特別顧問と言うか……彼女の『お師匠様』だよ」


 それから数時間後、瑞穂は山手線で品川駅に向かうと、そこで下車して西口へと向かっていた。別にここに自宅があるわけではない。ただ、彼女は放課後になると大抵ここに来るようにしているのだ。

 瑞穂はそびえたつ高層ビル街の間を抜け、やがてその一角にある裏路地に手慣れた様子で入っていく。活気のある表通りと違って、裏通りは何とも不気味な静けさに包まれている。だが、瑞穂はそんな事を気にする様子もなく、その裏通りを変わらぬ調子で歩き続けていた。

 やがて、その道の一角に目的地が見えてくる。それは今にも崩れそうな三階建ての古いビルだった。明らかに一女子高生が行きそうな場所ではないし、むしろ本来なら行かないように避けるべき場所である。現に、一階に開業しているのはどう見てもモグリ医者としか思えないたたずまいの個人医院である。だが、もちろん瑞穂の目的はその医院ではない。

 瑞穂が上を見上げると。ビル二階の窓ガラスにこう書かれている。

『榊原恵一探偵事務所』

 この事務所こそが、立山高校ミステリー研究会唯一の部員である瑞穂の目的地だった。瑞穂はビル横の階段を上がると、そのまま二階のドアの前に建つ。そして、ノックもそこそこに遠慮する事なくそのドアを開けた。

「先生、いますか?」

 呼びかけながら中に入るが、返事はない。部屋の中は両サイドに大量のファイルや書物が入った本棚が所狭しと並んでおり、正面の窓の前にこの事務所の主が据わるであろうデスク。その前に来客用のソファが二つ向かい合うように置かれ、その真ん中にテーブルがあった。デスクの奥の方には給湯室に続く扉もある。入口横には秘書席もあるが、こちらも誰もいない様子だった。

「いないのかなぁ。だったら鍵くらいかければいいのに」

 瑞穂はそう言いながらも部屋の中に入り、来客用のソファに鞄を放り出すと、反対のソファに寝転んで大きく伸びをした。とても他人の事務所の中でする行為ではないが、彼女は全く平気そうである。

 なぜなら、彼女は一応とはいえ、この事務所の内の人間だからだ。

「あーあ。もしかして仕事かな。普段仕事もないのに、こんな時だけ仕事が入るなんて……」

「仕事がなくて悪かったな」

 と、頭の上から声がかかった。見ると、そこにはくたびれたスーツにヨレヨレのネクタイを締めた四十歳くらいの男が立っていた。見た目には疲れ果てたサラリーマンに見えない事もない。

「あ、先生。帰ったんですか?」

「帰ったんですか、じゃないだろう。近くのコンビニに夕食を買いに行っただけだ。君こそ学校はどうしたんだね?」

「今日は終業式で、午前中で終わりなんですよ」

「まったく、こんなところに入り浸っていないで青春でも謳歌するのが普通だと思うのだがね」

 男はそう言いながらため息をつくと、デスクにコンビニの袋を置いて椅子に腰かけた。

「私にとってはこれが青春です。だって、私は先生の助手なんですから」

「自称、だがね」

 そう言うと男……この事務所の主である私立探偵・榊原恵一は、もう一度深いため息をついたのだった。


 榊原恵一。年齢四十一歳。元は警視庁捜査一課所属の警部補だったが、九年前にある事情で警察を辞職し、以降はこの品川裏町の古びたビルの二階で私立探偵事務所を開業している。とはいえお世辞にも儲けているとはいえず、普段はこうしてこの古びた事務所で外見そのままに仕事のない窓際サラリーマンのような生活を送っている男である。

 そんな榊原と、一女子高生に過ぎない瑞穂が出会ったのは、今年の六月の事だった。瑞穂が通う立山高校で四人の人間が同時に別々の場所で殺害されるという前代未聞の不可能犯罪が発生し、瑞穂もそれに巻き込まれてしまった。その時、何の因果か事件に介入し、見事にこの不可能犯罪の真相を解き明かしたのがこの榊原という探偵だったのである。その際、瑞穂はこの探偵が鮮やかに事件を解決するさまを目の当たりにしたのだった。

 後で聞いたところ、この男はどこか哀愁漂う外見に反して、警視庁在籍時代に腕利きの刑事ばかり集めて組織された特別捜査班のブレーンを務めていた警視庁きっての逸材だったのだという。ある警察関係者の話では、あのまま警視庁に在籍していたら警視庁の刑事の頂点に君臨する警視庁捜査一課長の椅子は間違いなく彼のものだったという事だ。しかも、この男は私立探偵になって以降も犯罪史に名を残す数々の難事件を解決しており、一部の人間からは冗談でもなんでもなく「名探偵」と呼ばれているという事だった。普段は果てしなくだらしないが、いざ仕事となるとどこまでも徹底的に真相を追い求めるというタイプらしい。

 そんな榊原の推理を目の当たりにした瑞穂は、すっかりこの榊原の推理力に心酔してしまった。で、事件の影響で部員が全員辞めてしまったミス研を再建すべく、榊原の事務所のドアを叩いて開口一番こう言ったのだった。

「弟子入りさせてください!」

 今思えば随分……というよりあまりにも非常識なお願いである。事実、榊原自身もこの時は呆気にとられていた。が、その後の瑞穂の必死の説得により、紆余曲折の末に最後は「好きにしなさい」と根負けした榊原が言って、晴れて瑞穂はこの事務所の助手(自称)となったのである。以来、瑞穂はもう半年ばかりこの事務所に入り浸っている。何というか、最近では榊原も諦め気味であった。

 それが、この古びた探偵事務所にあまりにも立場の違う女子高生がいる理由だった。


「で、今日はなぜ来たのかね? 別に依頼らしい依頼はないのだがね」

 榊原は寂しそうにそう言った。腕は確かで様々な難事件を実際に解決しているにもかかわらず、榊原の事務所は常日頃から閑古鳥が鳴いている。わざわざこんな裏町に事務所を構えているという点と、榊原が広報活動を一切していないところに問題があるのではないかと瑞穂は睨んでいるが、榊原はどこ吹く風と言わんばかりに人生を謳歌していた。

 そんな榊原に、瑞穂は勢い込んで言った。

「先生、私、凄い事を大発見しちゃったんですよ!」

 目を輝かせて言う瑞穂に、さすがの榊原も当惑している。

「新種の生物でも見つけたのなら論文を書いて学会誌にでも発表しなさい。認定までに数年かかるだろうが、気長に待てるかね?」

「先生も冗談を言うんですね……。そうじゃなくて、これです!」

 瑞穂が鞄から取り出したのは、先程ゲーム研の部長から借りた一枚のDVDだった。

「……見たところDVDに見えるが、もしかしてDVDに見える何か別物だとでも?」

「もしかしなくても正真正銘本物のDVDです。肝心なのはその中身ですよ。で、これを再生したいんですけど……」

 そう言うと、瑞穂はキョロキョロと室内を見回す。

「先生、再生機はどこですか?」

「そんな高級品がここにあるわけがないだろう」

 榊原はため息をついて言う。この部屋にあるのは旧式のテレビとVHS用のビデオプレーヤーだけだ。

「……前から思っていましたけど、今時VHSなんてどこにもありませんよ」

「何だい、そのVHSというのは?」

「そこからですか! ええっと……昔でいうビデオテープの事です」

「悪いね、そういうものはほとんど見ないんだ」

「もぉ……どっちにしろ、数年後にはテレビもデジタル化するらしいですから、いずれ旧式のテレビじゃ映らなくなるかもしれませんよ」

 そんな事を言いながら、瑞穂は鞄からさらに何か機械を取り出した。

「それは?」

「ポータブルDVDプレーヤーです。こんな事もあろうかと」

「そこまでしてそれを見せたいのか?」

 半ば呆れた口調で榊原は言ったが、瑞穂はてきぱきと榊原の机の上に機器をセットしていく。

「で、それはいったい何なんだ? 何か事件の証拠か何かか?」

「先生、何でただの女子高生の私がそんなものを持ってこないといけないんですか?」

「いや、もはやただの女子高生とは言えないだろう」

 何しろ、榊原と出会って以降、彼女は榊原にくっついて数々の事件の現場に出向いたりしているのだ。中には殺人事件だってある。常識的に考えて普通とは言えない。

「そうじゃなくて、これです!」

 そう言って瑞穂は再生ボタンを押す。

 とたんに、スピーカーから大音量の何とも言えないポップな音楽流れ出す。

「な、何だ!」

 さすがの榊原も目を白黒させて大きくのけぞる。が、その正体を確かめる前に、画面の中でこんな言葉が叫ばれた。

『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」!』

 もはやあんぐりと口を開けている榊原の前で、派手なアニメーションとともに一部大きなお友達が熱狂しそうな歌詞のオープニングテーマが流れていく。

「な、何だ、これは?」

「最近日曜朝に放送されている女の子向けアニメ番組『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』です。何でも、従来の戦隊ものと女の子アニメものを融合させた斬新なアニメとかで、ターゲット層の女の子だけじゃなくて一部特殊なファンの間でも話題を呼んでいるんだとか」

「……私には、理解できない」

「安心してください。私にも理解できない世界です」

「じゃあ、何で君はこんなものを持っているんだね?」

「学校の一部男子がものすごくはまっていまして、そのうちの一人から借りてきました」

「そこまでして私にこんなものを見せたかったのか」

 やがてオープニングが終わり、本編がスタートしていく。

「えっと、断っておくが私にはこの手の物語の内容などわからないぞ」

「ええっと、聞いた話だと主人公はごく普通の中学二年生の女の子。そんな彼女が突然現れた妖精と契約して少女戦隊『ジャンヌ・ピュア』になり、その地に現れた悪の帝王・サッカキバーと戦いを繰り広げていくという内容みたいです」

「その時点で普通の中学生とは言えないし、あとそういう事があった場合は素直に警察に通報して対処してもらうのが一番だ。中学生が自分一人で悪の帝王を倒そうとするなど無謀以外の何物でもない。というか、悪の帝王の名前が意味不明すぎる。サッカキバーとは、どんなネーミングセンスだ」

「さすが先生……身も蓋もありませんね」

 と、画面では当の悪の帝王・サッカキバーが玉座に座って高笑いしていた。何というか、ドラキュラのような牙が生えた締切寸前の作家みたいなキャラだった。だから「サッカキバー」なのだろうか。

『ハーッハッハッハー! この世界は私のものだ! 人間どもを蹴散らして、私の帝国を築くのだぁ!』

「何というか、定番のセリフだね」

 榊原が苦々しい表情でコメントするが、その顔がふと違和感に包まれた。

「ん?」

「気づきました?」

 そう、画面から流れるその声。

『行け! 我が僕(しもべ)ども! 我が力を存分に見せつけ、人間どもを震え上がらせるがいい! アーッハッハッハー!』

「……私の声じゃないか!」

 榊原は思わず突っ込んだ。テレビから流れる悪の帝王・サッカキバーの声。それが、榊原の声そっくりだったのである。

「そう思いますよね! いやぁ、私もこれを初めて聞いたときは爆笑……じゃなくてびっくりしました」

「今、爆笑と言ったか?」

「で、先生、いつの間にアニメに出ていたんですか? しかもこんなにノリノリで」

「出るわけがないだろう! このアニメの存在自体初めて知ったばかりだ」

「でも、これどう聞いても先生の声なんですよねぇ。いやぁ、先生がこんなセリフを意気揚々と叫んでいるところを想像したら……フフッ」

 瑞穂は忍び笑いを漏らす。一方、榊原は不満そうだ。

「で、君の言う発見というのはまさかこれの事かね」

「その通りです」

「これを聞かせるためにわざわざ持ってきたのかね」

「はい」

「……君も暇だな」

 榊原は盛大にため息をつくと停止ボタンを押した。

「大体、最後のキャストを見れば声優もわかるだろう。私じゃないのは一目瞭然じゃないか」

「もちろん確認しましたよ。ええっと、中木さんっていう声優さんだったみたいです。よくは知りませんけど。というか、キャラの名前が榊原じゃなくて『サッカキバー』って、傑作すぎますよ」

「……もう、知らん」

 そう言うと、榊原は疲れたように椅子に座って頭を振った。

 と、その時部屋のドアがノックされた。

「お客さんですか?」

「アポはもらっていないから、飛び入りかな。どうぞ」

 榊原が呼び掛けると、ドアがゆっくりと開いて向こうから若い男がおずおずと顔を覗かせた。

「あ、どうも、お忙しいところすみません。ここ、榊原探偵の事務所ですか?」

「私が榊原ですが……ご依頼ですか?」

「えっと、その、あの……すみません」

 そう言うと、男は顔を引っ込めてそのままドアを閉める。残された二人は唖然とした表情で固まっていた。

「……今の、何ですか?」

「わからんが、帰ったのなら詮索する必要もないだろう」

 榊原が気を取り直してそう言った瞬間、再びドアが開いて先ほどの若者が顔を出した。

「す、すみません。こういうところ、初めてなもので……。あの、入ってもかまいませんか?」

「あ、どうぞ」

 榊原の言葉に、若者は緊張した様子で部屋の中に入っていく。どうやらかなり気弱な性格のようだ。彼を来客用のソファに案内し、瑞穂がお茶を用意している間に榊原が反対側のソファに座る。

「それで、何のご用でしょうか? まずはあなたの名前を聞かせてもらいたいのですが」

「あ、そうですよね。ごめんなさい。僕、中木悠介と言います。今日は、少し依頼がありまして……」

 若者の挨拶に、榊原は眉をひそめた。

「中木……?」

 その名字を、つい最近聞いた覚えがある。

「あの、失礼ですがご職業は?」

「え、ええっと、その……一応、声優、やっています」

「つかぬ事を聞きますが、最近『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』なる作品にご出演された経験は?」

「よ、よくご存知ですね。そうなんです、実は今日はその件についてなんですが……」

「まさかとは思いますが、あなた、そこに出てくる魔王『サッカキバー』役の方ですか?」

 榊原の念押しに対して、中木は目を白黒させながら答えた。

「あの、どうして僕についてそんなに詳しいんですか?」

「……私は認めないぞ!」

 あの自分の声そっくりな声優の正体を知って、思わず榊原は絶叫していた。


「失礼しました。つい我を忘れてしまって」

 五分後、榊原は丁重に頭を下げていた。

「い。いえ。僕はいいんですけど……言われてみれば確かにあの作品でやっている魔王の声とよく似ていますね」

「でも、こうして聞いている限りだと似ているようには聞こえませんね。何て言うか、今時の若者の声っていうか……」

 お茶を運んできた瑞穂が不思議そうな表情でいう。

「もちろん、収録の際は役作りをしていますから」

「へぇ、さすがプロの声優ですねぇ。一回、ここでやってみてくださいよ!」

 瑞穂が興味津々と言わんばかりに言う。

「え、いや、そんなたいそうなものでは……」

「遠慮しないでください。先生だって聞きたいですよね?」

「いや、別に」

 榊原は不服そうな顔をしているが、中木は諦めたのかいったん咳払いをすると、次の瞬間目をカッと見開いて叫んだ。

「ワーッハッハッハ! この地球は私のものだぁ!」

「す、すごい! 先生そっくり!」

 一通り叫び終えると、中木は恐縮そうにその場に縮こまった。

「あ、あの。何か申し訳ありません」

「いや、私は別に構いませんが……しかし、演技の時と地の時との性格の落差が激しすぎませんか?」

「よく言われます、お前は声優にしては気が小さいって」

 榊原は黙って小さく首を振って仕切りなおすと、改めて切り出した。

「……本題に入りましょう。声優のあなたが今日ここにいらしたのはなぜですか? 先程の話の流れだと、どうやら『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』というアニメに関係している事らしいですが」

「そ、その通りです」

 中木はそう頷くと、話を語り始めた。

「榊原さんは『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』の具体的な内容をご存知ですか?」

「いえ、さすがにこの歳でその手のアニメは見てはいませんので。そこにいる瑞穂ちゃんから大まかなあらすじだけは聞いていますが」

「私もそんなに詳しい事は知りませんよ。ゲーム研の部長に聞いただけですから」

 瑞穂も首を振る。

「簡単に言えば、僕が演じる魔王・サッカキバーの侵略に対し、サッカキバーにかつて滅ぼされたオーレーアン妖精国という異次元上の架空の国から逃れてきたマリアンという妖精に導かれて、現代の女子中学生が戦士『ジャンヌ・ピュア』になって戦いに臨むというストーリーです。主人公はジャンヌ・スカーレットこと緋美子で、話が進むごとにジャンヌ・バイオレットこと青葉、ジャンヌ・アンバーこと琥珀、ジャンヌ・オーキッドこと蘭、ジャンヌ・スノーホワイトこと白雪の五人が仲間になるという構図になります」

「はぁ、そうですか」

 そういう世界に全く興味のない榊原からしてみれば何を話しているのかさっぱりわからない話である。

「あれ、でもその部長に聞いた話だと、このうちジャンヌ・スノーホワイトが途中離脱するんでしたよね」

「途中離脱?」

「はい。話の途中でジャンヌ・スノーホワイトが敵の手にかかってしまって、ジャンヌ・サクラこと桜が新加入するんだそうです。味方キャラの途中離脱という事で、女の子向けアニメにしてはちょっと過激な演出だって話題になっていたみたいですよ」

「……実は、今日お訪ねしたのはその事に関してなんです」

 中木が重苦しい表情で言った。

「つまり、その途中交代劇に何かあったと?」

「はい。ジャンヌ・スノーホワイトを演じていたのは北町奈々子という若手の声優だったんですが、その北町さんが収録途中で亡くなってしまったんです」

「亡くなったって……」

 瑞穂が驚く。何やらきな臭い話になってきた事もあって、榊原の目が真剣になる。

「なるほど。だからこそキャラの途中交代が行われたと」

「はい」

「死因は?」

「病死、という事になっています。現段階で発表するとパニックになる事が予想されるので、今のところはこの情報は公には伏せられていて、放送終了後に公表される見通しです」

「病死という事に『なっている』、ですか」

 意味ありげな言葉に榊原は何かピンときた様子だ。

「それで、私への依頼内容は?」

「……北町さんの、いえ、奈々子の自殺の真相を明らかにしてほしいんです!」

 中木が頭を下げた。

「やはり、本当は病死ではなかったという事ですか。しかも、呼び捨てにしたという事はどうもあなたと北町さんはただの同僚関係というわけではないらしい」

「……この件は絶対に口外しないでください」

 そう前置きして中木は語り始める。

「お察しの通り、僕と奈々子は付き合っていました。でも、彼女は自殺してしまった。彼女の死の原因が僕にあるなら、ちゃんとそれを知っておきたいんです」

「自殺の動機を探れ、という事ですか」

「彼女が自殺したのは十二月の初めでした。現在、収録は三月の番組終了を目指して最終段階に入っています。収録が終わるまでに、ぜひとも彼女の死の真実を知りたいんです」

「現場はどこですか?」

「彼女の自宅マンションです。彼女が死んだ後、鍵は僕があずかっています」

 そう言うと、中木はカードキーを取り出して机の上に置いた。

「……なるほど、状況は把握しました」

「依頼料は僕の貯金から必ず払います。どうでしょう、引き受けてもらえないでしょうか?」

 榊原はしばらく熟考していたようだが、やがて小さく頷いた。

「……まぁ、いいでしょう。ちょうど差し迫った仕事もありませんし、この依頼、お引き受けいたしましょう」

「あ、ありがとうございます」

 中木はホッとしたように頭を下げた。

「差し当たっては現場の確認と関係者への聞き込みが必要ですね。彼女の自宅マンション、及びその『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』の収録スタジオの住所を教えていただけませんか?」

「わかりました。鍵はお預けします。マンションの警備員と監督には後で榊原さんが来ることを言っておきますね」

「警備員がいるのですか」

「入口で声をかけてもらえば大丈夫です」

 中木は渡されたメモ帳にサラサラと住所を書き込むと、持っていたマンションのカードキーを手渡した。

「期限の指定は?」

「できれば、今年中に報告して頂きたいのですが……できますか?」

「……いいでしょう。ベストを尽くします」

「よろしくお願いします。では、僕は収録がありますので」

 そう言って、中木は立ち上がると何度も礼を言って部屋を出ていった。

「さて、おそらくはこれが今年最後の仕事だな。瑞穂ちゃん、君は来るのかい?」

「当然です! もう学校も休みですし」

「一応聞いておくが、今は年末だ。家は忙しくないのかね?」

「大丈夫です。うち、そういうのはあまりありませんから」

「亜由美ちゃんだって帰省しているのにね……」

「ああ、だからいなかったんですか」

 この事務所もさすがに榊原一人では成り立たないので亜由美という女子大生の秘書をアルバイトで雇っている。が、彼女は現在帰省中だった。そのため、事務所は少し寂しい様相を見せている。

「じゃあ、さっそく行きましょうよ」

「あぁ、ちょっと待ってくれ」

 榊原はそう言うと、机上のパソコンのスイッチを入れて何か検索し始めた。

「何をしているんですか?」

「一応、例のアニメの出演者のチェックをしておこうと思ってね。何しろ、これから話を聞く相手だ。名前も知らないのは失礼だろう」

 やがて例のアニメのHP画面が現れ、メインキャストやスタッフの一覧が並んだ。



 『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』CAST&STAF

・ジャンヌ・スカーレット(緋美子) ……夕凪哀

・ジャンヌ・バイオレット(青葉)  ……野鹿翠

・ジャンヌ・アンバー(琥珀)    ……海端香穂子

・ジャンヌ・オーキッド(蘭)    ……才原和歌美

・ジャンヌ・スノーホワイト(白雪) ……北町奈々子

・ジャンヌ・サクラ(桜)      ……三上友代

・マリアン             ……福島恵梨香

・サッカキバー           ……中木悠介


・監督               ……荒切房徳

・脚本               ……京一郎



 榊原はそのページを印刷するとポケットに突っ込み、瑞穂と一緒にそのまま部屋を出ていったのだった。

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