第二章 閉ざされた密室

 それから約一時間後、榊原と瑞穂は現場となった北町奈々子の自宅マンションの前に到着した。

 場所は世田谷区の一角。見た限りでは十階建てのオーソドックスなマンションのようではあるが、事前に調べた情報ではセキュリティ対策に非常に力を入れているのが売りになっていて、その手のセキュリティを気にする人間を中心に入居しているのだという。そのためか家賃はやや割高で、とてもではないが榊原の収入では入居できそうにもない。

 ただ、周囲は住宅よりも工場が多く、昼間である事もあってか人通りは少なく思われた。そのような立地であるがゆえにこのようにセキュリティ意識の高い設備になったのではないかと、瑞穂は密かに疑ったりしていた。

「ここだな」

 榊原はマンションの前でそう呟くと、そのまま何の遠慮もする事なく堂々とマンションの中へと入っていった。瑞穂も慌てて後に続く。

 マンションの入口には警備員室があり、そこでカードキーを見せる仕組みらしい。榊原は警備員室に近づくと、カードキーを見せて来意を示した。

「あぁ、さっき中木さんから連絡が来ていますよ。北町さんの事件を調べに来た探偵さんですよね。一応、お名前と何か身分を証明できるものをお見せ願えますか?」

 榊原が自分の名前を告げながら運転免許証を示し、後ろにいる瑞穂が自分の同行者である事を述べると、警備員は何かを確認したように頷いた。

「OKです。それではドアを開きます。一応申し上げておきますが、来意予定の部屋がある階以外の階に行くと、最悪の場合強制退去となる事があるのでご注意ください。そのカードキーの部屋は五階です」

 警備員に見送られて中に入ると、正面にエレベーターが見えた。エレベーターのボタンを押すとすぐにドアが開く。榊原たちが中に入って五階のボタンを押すと、すぐにエレベーターは上がり始めた。あっという間に五階に到着し、榊原たちは五階のエレベーターホールに降り立つ。

「どうやら、監視カメラでエレベーターの乗り降りを監視しているようだな」

 榊原はエレベーターホールの隅に備え付けられた監視カメラを見ながらそう呟くと、そのまま目的の部屋へ向かった。

 問題の北町奈々子の部屋は五階のほぼ真ん中にある五〇八号室だった。ドアを開けると、薄暗い部屋が姿を見せる。まだ荷物などはそのままにしてあるらしい。

「さて、どこから調べたものか……」

 榊原は念のために手袋と足袋をした上で中に入る。普段から榊原について回っている瑞穂も、当然のように同じものを取り出して身に着けた。

「思ったより質素な部屋ですね」

「かなり片付いている。普段から綺麗好きだったのかもしれないな」

 そう言うと、榊原は手に持っていた封筒から書類を取り出して周囲を見回す。ここに来る前に事件を管轄した世田谷署に寄って、最低限の事件の情報を手に入れてきたのだ。自殺だった事が一般公表されていない以上、情報の仕入先はそこしかない。世田谷署の刑事は少し不審そうな表情をしていたが、榊原が元刑事であるという点と自殺で処理された案件だった事もあって意外とあっさり資料を見せてくれたのである。

「事件発生は十二月五日水曜日。収録に来ない事を不審に思った荒切監督が所属プロダクションに連絡し、その所属プロダクションの職員が警備員に部屋を開けてもらって発覚したそうだ」

「つまり、事件当時この部屋は密室だったって事ですか」

「そうなるな……。あぁ、この部屋だ」

 榊原はある一室……リビングと思しき部屋に入った。こちらもかなり質素で、部屋の隅にテレビと旧式のコード式固定電話が置いてある以外はあまり備品などもない様子である。リビングの隣にはキッチンと思しき部屋もあった。

「死因は縊死……つまり首吊りだ。そこのカーテンレールに紐をかけて首を吊っている。警察は最終的に自殺と判断したようだな」

 榊原はリビングの奥にあるベランダへ通じる扉の前に立って呟いた。

「問題は、彼女がなぜ自殺したか、ですよね。遺書とかはなかったんですか?」

「警察の資料では発見された様子はないようだ。調べてみるのもいいが……」

 そう言うと、榊原は厳しい表情をしながら彼女が首を吊っていたカーテンレールを調べ始めた。

「瑞穂ちゃんは彼女の部屋を調べてくれないか? 私はもう少しここを調べてみる。もしかしたら部屋かどこかに自殺の動機がまだ眠っているのかもしれない」

「わかりました」

 瑞穂は榊原を残して隣の寝室へと向かった。寝室もきれいに整頓されていて、置いてある物の数も少ない。ベッド横の机の上には小型のノートパソコンや携帯電話、それに役作りのための書籍。ベッドに大きなクマのぬいぐるみが置いてあったのがご愛嬌だった。

「ええっと、何かないかなぁ」

 瑞穂はそう言いながらまずはベッドの正面にあるクローゼットの中を確認していく。とはいえ、少なくとも一度は警察が捜索しているはずの部屋だ。そう簡単に新しい証拠が出るはずもなく、結局その後二十分ばかり部屋の中を調べてみたが何もそれらしきものは出なかった。もちろんノートパソコンや携帯電話も瑞穂がわかる限りでチェックしてみたが、パソコンにはめぼしいものは保存されておらず、携帯電話も事件発生時刻付近における怪しい履歴などは一切確認できなかった。

「先生、そっちは何かありましたか?」

 瑞穂は部屋の外に呼びかけるが、返事はない。一瞬顔を覗かせてみると、榊原は相変わらず遺体が見つかったリビングの辺りを調べていた。

「先生!」

「ん、ああ。いや、それらしいものはないな」

 榊原はそう言いながらも何か考え込む仕草を見せる。

「さっきから何を調べているんですか?」

「まぁ、色々とだ。それより、そっちは?」

「特にありませんね。やっぱり警察が調べた後ですから」

「さすがに一筋縄ではいかないか」

 榊原は難しい表情をすると、廊下に出て玄関の方を見た。

「あのドアの鍵はかかっていたという事らしいな」

「みたいですね。チェーンロックはかかっていないみたいですけど」

 確かに、ドアの片隅にチェーンロックが取り付けられているが、使われていないのか外されたままだった。

「資料によれば、遺体発見時もチェーンロックはかかっていなかったそうだ。どうも普段から使っていなかったらしい。まぁ、このセキュリティ体制ではそうなるのもやむなしか」

「そもそも、北町さんはいつ亡くなったんですか?」

「解剖結果によれば、死亡推定時刻は十二月五日の午前二時~三時頃らしい。発見は同日午前十時前後。通報で警察が駆け付けたのが十時半になっている」

「深夜ですか。そんな時間に自殺したんですか?」

「不謹慎な話だが、君ならそんな時間に自殺するかね?」

「……難しいですね。場合と状況によります」

 瑞穂は慎重にそう答えた。

「そうだろうね」

「先生は自殺の結論を疑っているんですか?」

「そういうわけじゃない。ただ、依頼を受けた際は最初にすべての先入観を排除してかかる事にしているだけだ。とりあえず、自殺かどうかという点を頭の中から排除して客観的にこの現場を見ている。そうやって調べていけば、仮に自殺だったとしてもその動機が案外簡単に浮かんでくる事が多いからね」

 榊原はそう言うと、再び部屋の中を調べ始めた。

「それで、客観的に見てどうなんですか?」

「難しいね。確かに自殺の可能性は高いが……それだけで納得できない事もある」

「でも、他殺だったとしたら犯人はどうやってこの部屋を出入りしたんですか。さっきも言いましたけど、この部屋の鍵そのものはかかっていたんです。カードキーですから複製も無理ですし……」

 瑞穂はそう言って玄関のドアを指さす。

「だから言っただろう。私も間違いなく他殺だと現段階で言い切るつもりはない。ただ、自殺だとするにも少し疑問があるというだけだ。何にしたところで、疑問が出るのはいい事だよ。突破口になるからね」

 そう言いながら、榊原は資料を確認する。

「この部屋のカードキーは一枚のみで、あとは一階の警備員室で保管しているマスターキーだけだが、事件当時マスターキーは警備員室の金庫の中にあったからこちらは問題外だな。残る本人が持っていたカードキーはリビングの机の上に置いてあったのが見つかっている」

「あくまでこれがもし他殺だったら、犯人が部屋に入る手段は限られてきますよね。つまり、あらかじめカードキーを奪っておくか、もしくは被害者自身が招き入れるか」

「もう一つの問題は入口の警備員室だ。このマンションに出入りするには、住民、来客問わず必ずあの警備員室で手続きを受けなければならない。これは入るときはもちろん、出る時も行われる。つまり、マンション内の人の出入りはあそこで完全に管理されている状態だ。第三者の出入りは考えにくいから、普通に考えたら自殺で間違いないだろうね」

 ただ、と榊原は続ける。

「気になるのは被害者が首を吊っていたベランダに出る扉の鍵が開いていたという点だ」

「え、そこの鍵、開いていたんですか?」

「記録によれば、発見時に間違いなく開いていたそうだ。もっとも隙間そのものは数センチ程度だったそうだが」

「……自殺する人間がベランダとはいえ鍵を開けっ放しにしますか?」

「死にたがっている人間の考える事などわからない、と言われてしまえばそれまでだが……気になるところではあるな」

 榊原は続ける。

「資料によれば、首を吊っていた洗濯紐の先端はベランダの手すりに結び付けられていて、そこから扉に開いていた数センチの隙間を通って扉上部にあるカーテンレールに通されていた。そのカーテンレールに通されていた部分の先で紐が輪の形になっていて、そこで首を吊っていたそうだ」

「普通にカーテンレールに結び付けるだけじゃダメだったんですか?」

「このカーテンレールはあまり強いものじゃない。首を吊った瞬間にカーテンレールが壊れて失敗するのを恐れたと警察は結論付けている」

「でも、ここの扉が開いていたのなら、ベランダから侵入できたはずじゃないんですか?」

 瑞穂の言葉に、榊原はベランダに出て確認する。

「駄目だな。ここは十階建てマンションの五階だ。下からはもちろん、屋上からロープか何かで降りてくるというのも厳しい。このマンションは満室だから、すべての部屋に住民がいる。下手にそんな事をすれば気づかれるぞ」

「隣室はどうですか?」

「それぞれの部屋のベランダは独立していて、隣室のベランダとの間には数メートルの隙間がある。その隙間の部分に寝室の窓がある構造だ。隣室から侵入するにはこの高所で助走なしで数メートルのジャンプをしなければならない。しかも仮に命がけでジャンプしようにも、ベランダの両端の部分には分厚い壁があって横からの侵入を完全にシャットアウトしている。隣室からベランダを伝ってというのは無理がありすぎるな」

 榊原もその可能性は考えていたようで、瑞穂の問いによどみなく答える。

「あぁ、もうお手上げです。結局自殺って事になるんですか?」

「少なくとも、警察がそう判断したからこそ、私にこんな依頼が来ているわけだがね」

 そう言うと、榊原は玄関の方へと向かった。

「ひとまず現場の調査はこれくらいでいいだろう。何かあったらまた来ればいい。とりあえず、このまま関係者の話を聞くに行くとしようか」

 瑞穂は慌てて榊原の後を追った。


 東京・新宿にあるスタジオ・アニマーズ。ここが現在、『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』の収録が行われているスタジオである。入口で確認を取ると、すでに話は通っていたらしく奥へと通された。

「お待たせしました。今収録中でして」

 現れたのは三十代中頃と思しき痩身の男性だった。

「あなたは?」

「失礼、この作品の脚本家をさせて頂いています京一郎と申します」

 男……京はそう言いながら名刺を榊原に渡した。

「脚本家の方でしたか」

「えぇ。監督たちは収録中で忙しいので、私が代わりに。話は中木君から聞いています」

「私立探偵の榊原恵一です。こっちは助手の深町瑞穂。北町奈々子さんの自殺の原因の調査を依頼されました。それで北町さんと親しかった人たちに話を聞きたいと思いまして」

「なるほど。しかし、参りましたね。私は今回の収録で初めて北町君たちと会ったばかりで、北町君自身ともそこまで親しいわけでもありませんし……」

「収録が終わるまで待ちますが」

「お願いできますか?」

 京は申し訳なさそうに頭を下げる。と、そんな京に瑞穂が興味津々に言った。

「あの、収録を見せてもらう事はできますか?」

「瑞穂ちゃん」

 榊原がたしなめるように言う。が、京は笑ってこう答えた。

「ガラスの向こうから見るだけでしたら構いませんよ」

「……無理を言ってすみませんね」

 榊原は頭を下げる。一方の瑞穂は満面の笑みを浮かべていた。何だかんだ言って、プロの声優の収録に興味があるのだろう。

「今やアニメは日本が世界に誇る文化ですからね。それを支えるクリエイターや声優の役割も重要なものになっています」

 歩きながら京が解説をする。

「他方で、作品の乱立からくる原作不足なんかも起こっているんですが、それでも数多くの傑作が生み出され続けているのも事実です」

「この作品は原作のないオリジナル作品だと聞いていますが」

「えぇ。私が監督と何度も打ち合わせをしてシナリオを描きました。我ながら自信作ですよ」

 京は照れたように言う。

「失礼ながら私はこのアニメを見た事がないのですが、瑞穂ちゃんの話ではなかなか評判だとか」

「まぁ、探偵さんの世代の方々が見るアニメではありませんからね。元々女の子向けの作品ですし。それでも、巷ではかなり注目されていると聞いています。この仕事を受けてよかったと思っていますよ」

 そんな事を話しているうちにスタジオの隣の控室に到着した。三人は控室にある見学者用にセットされた窓からスタジオの中を覗く。中には主要声優たちが勢ぞろいしてマイクに向かって収録をしており、その横にあるガラスの向こうでは監督と思しき男性が真剣な表情でその様子を眺めていた。

「あれが荒切監督です」

 京が小声で解説する。そんな中でも、声優たちは演技に没頭していた。残念ながら画面はここからでは見えないのでどんなシチュエーションなのかは一切不明だが、声優たちの演技で何となくの状況は理解できた。

「フハハハハ! ついに追いつめたぞ、ジャンヌ・スカーレットよ!」

 そう叫んでいるのは当の依頼人である中木である。相変わらず榊原の声と似ているので瑞穂は思わず吹き出しそうになったが、榊原に睨まれて自重する。と、そこへ別の女性声優がマイクに向かって叫んだ。

「くっ、まだまだよ! 私はまだまだ負けるつもりはないわ!」

「強がりは見苦しいな! この場にいるのは貴様一人。いかに貴様とて、一人で私にかなうはずがない事はよくわかっているだろうに!」

「それでも……私はあなたに負けるわけにはいかない!」

「ふん、ならばこのまま絶望の淵へと落ちるがいい! ハァァァッ!」

 中木が勢いよくそう叫んだ瞬間だった。今まさに中木相手に迫真の演技をしていた女性声優が、突然今までの口調をがらりと変えてこう叫んだ。

「スカーレット、今です!」

 その直後、今まで「スカーレット」を演じていたはずの声優とは別の女性声優が、その呼び声に答えて真剣な表情で叫んだ。

「かかったわね、サッカキバー! くらえ、スカーレット・マグナム!」

「な、なにぃ! 貴様ら、いつの間に!」

 中木は大げさにそう叫んだが、見ている榊原や瑞穂からすれば何が何やらである。瑞穂は混乱気味に京を見た。

「え、あれ? これ、どういう場面なんですか? 今まで演じていた人がスカーレットじゃないんですか?」

 これには京が苦笑しながら解説した。

「すみません、ちょうどややこしい場面だったみたいですね。この場面は、主人公のジャンヌ・スカーレットがサッカキバーの罠にはまって一人で追い詰められたというシーンなんですが、実は追い詰められていたのはスカーレットに化けたサブリーダーのジャンヌ・バイオレットで、彼女がおとり役となって罠にかかったふりをしてサッカキバーを引き付けているうちに、本物のスカーレットたちがサッカキバーのアジトを急襲したというシーンなんですよ」

「ず、随分ややこしいですね。じゃあ、さっきいかにもスカーレットっぽいセリフを言っていたのは?」

「バイオレット役の声優・野鹿翠です。それで、さっき格好良く『スカーレット・マグナム』という技名を発生していたのが本当のスカーレット役の声優・夕凪哀です。迫真の演技だったでしょう?」

「そ、そうですね。今聞くと、バイオレット役の声優さんの演技も本物のスカーレット役の声優さんそっくりの演技力でした。声優ってこんな事もできるんだ……」

 瑞穂と京がそんな話をしているうちに、話はお約束の名乗りのシーンに進みつつあった。

「燃える緋色は正義の炎! ジャンヌ・スカーレット!」

「芽吹く若葉は正義の緑です! ジャンヌ・バイオレット!」

「輝く琥珀は正義の証拠だよ! ジャンヌ・アンバー!」

「み、乱れる蘭は正義の移ろい! ジャンヌ・オーキッド!」

「舞い散る桜は正義の舞踏! ジャンヌ・サクラ!」

『五人合わせて、少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」! 正義の名において、あなたを許さない!』

「罠にはまったのはあなたよ、サッカキバー! 今日こそ観念しなさい!」

「ぬぅ、おのれ、おのれぇぇぇ! よくも私を騙したなぁ、スカーレット!」

 それまで黙って目の前で繰り広げられる本職の声優の演技を見ていた榊原は、小さく感嘆の声をあげてポツリと呟いた。

「これは……凄いですね。想像していた以上です」

「そうでしょう。私も初めてこれを見たときは驚いたものです」

「初めて、というと?」

「あぁ、私、しばらく前まではアニメではなくドラマの脚本を手掛けていたもので。これを見たのは二年ほど前が初めてなんですよ」

 と、そこまでやって一度休憩になったらしい。収録が終わった声優たちがスタジオを出て榊原たちのいる控室に入ってくる。全部で七人。その中には依頼人である中木の姿もあった。荒切監督は後ろに控えて、気難しそうな表情のまま腕組みをして突っ立っている。どうやらこの監督には榊原はあまり歓迎されていないらしい。実際、最初に声を出したのは声優陣の方からだった。

「あれ? 京さん、お客さんですか?」

「あぁ、私立探偵の榊原恵一さんだ。北町君の自殺の原因を調べているそうだ」

 京は依頼者が中木である事を伏せてそう言った。中木も他のメンバーにばれないようにすまなさそうに頭を下げる。

「榊原です。よろしくお願いします」

 突然の話に、声優たちも当惑している様子だ。

「何で今頃になって?」

「依頼がありましてね。もっとも、守秘義務があるので誰とは言えませんが、とにかくこうして皆さんにお話を伺いたく参りました」

 榊原は自分よりはるかに年下の相手に対しあくまで下手に挨拶する。

「ふーん、まぁいいけど」

「でも、探偵って本当にいるんですね。私、小説の中だけの存在だと思っていました」

 女性陣は好き勝手なことを言う。

「そういうわけですので少々お時間をいただきたいのですが、まずは自己紹介をしてもらえませんか? 一応このアニメについては調べてきていますが、正直、まだ誰が誰だかよくわかっていないので」

 榊原はそんなことを言ったが、瑞穂はそれが嘘だと見抜いていた。かつて警視庁捜査一課最強の捜査班に所属し、その捜査班のブレーンとまで言われていた榊原が一度把握した人間の名前を忘れるはずがない。おそらくそういう事で自身に対する警戒心を解かせ、かつ一人一人に自己紹介させる事でそれぞれの人格を見極めるつもりなのだろう。

 一方、声優たちはそんな榊原の思惑を知ってか知らずか快くその求めに応じた。

「えーっと、じゃあ私から。主人公のジャンヌ・スカーレットこと緋美子役の夕凪哀です。よろしくお願いしまーす」

 最初に挨拶した夕凪哀は主人公の性格そのままに元気な挨拶をした。元々根っから明るい性格なのかもしれない。まさに役にそのまま当てはまっているという感じだった。

「ジャンヌ・バイオレットこと青葉役の野鹿翠です。よろしくお願いします」

 アニメの中では冷静な副リーダー格のジャンヌ・バイオレットを演じている野鹿翠は本人自身も落ち着いた性格をしているようで、榊原に対して丁寧に頭を下げる。

「ジャンヌ・アンバー、琥珀こと海端香穂子。こんな感じでいいの? 早く済ませてよね」

 海端香穂子はどこか投げやりな感じで言った。年上の榊原に対してもフランクな言葉遣いをしていて、どことなく今までの二人とは違った性格が垣間見える。年齢もこの中では一番高いようで、どうやら姉御的なポジションにいるようだ。

「ジャンヌ・オーキッドこと蘭役の才原和歌美です。その……よろしくお願い……します」

 才原和歌美はだんだん声を小さくしながら言った。どうも中木同様に気が小さい女性のようで、自己主張は苦手のようだ。事実、簡単に挨拶するとそのまま後ろの方に引っ込んでしまった。

「ジャンヌ・サクラ役に選ばれました、三上友代です。不束者ですが、よろしくお願いします」

 死亡した北町奈々子のジャンヌ・スノーホワイトの代わりに急遽メンバー入りしたジャンヌ・サクラ役の三上友代はどこか緊張した様子で挨拶した。他のメンバーに比べて少し若く、まだどこか初々しさも残っている。下手をすれば高校生くらいではないだろうか。初めての大役に緊張が抜けきっていない様子である。

「はいはーい、妖精・マリアン役の福島恵梨香でーす。こういうの初めてなんで、少し緊張してまーす!」

 天真爛漫な妖精役の福島恵梨香は、本人も天真爛漫というか、むしろ子供っぽい性格の女性だった。実際、身長もこの中では一番低く、一五〇センチ前後しかない。

 最後に残ったのは依頼人の中木悠介だった。

「魔王・サッカキバー役の中木です。その……初めまして」

 中木はそう言いながらも申し訳なさそうな視線を榊原に見せる。榊原が黙って頷くと、ホッとしたように後ろに下がった。

「それでは早速ですが……亡くなる直前の北町さんの様子に何か変わった事はなかったでしょうか?」

「警察にもその話は聞かれたけど、あまり気が付かなかったと思うんですよねぇ」

 夕凪哀がそんな事を言う。それに野鹿翠も追従した。

「そうですね。あの日の前の日も収録でしたけど、別に変わった事もありませんでしたし」

「だよね。収録が終わった後で一緒にご飯を食べていたくらいだし」

 と、榊原は海端香穂子の言葉に反応した。

「ご飯を食べた、というのは?」

「私と和歌美、それに奈々子の三人で近くの居酒屋に行ったのよ。で、夜遅くまで飲んで、その後で解散したわ。解散したのは確か十一時頃ね」

「三人で、ですか」

「私たち三人、同じ事務所の所属だから。ね、和歌美」

「え、あ、はい」

 急に呼ばれて、和歌美は遠慮がちに頷く。

「その後はどうされたんですか?」

「私と和歌美は次の日の収録が休みだったから、そのままカラオケ屋で朝までカラオケしてたわ。次の回が琥珀と蘭が出てこない回で、運よく休みだったのよ。奈々子は次の日も収録があったから先に帰ったけどね」

 そう言ってから、香穂子はこう言い添えた。

「だから、正直あの子が自殺したって話を聞いてもピンと来ないのよ。別れるときは笑顔だったしね。私たちもあの子がなんで死んだのかその理由を知りたいと思っているわ」

「そうですか……」

 次に、榊原は他のメンバーに視線を向けた。

「あなた方は?」

「私たちも次の日に収録があったから、そのまま家に帰りました。だから、北町さんの事についてはあまりわからないです」

 哀が代表して答える。さすがに主役が出ない日というのはないのだろう。他のメンバーもそれに続いた。

「私もそんな感じでした」

「私もそうですねぇ」

「私も、です」

「僕も帰りました。少し疲れていたので」

 翠、恵梨香、友代、中木の順番である。榊原は質問の角度を変える事にした。

「収録中の様子はどうでしたか?」

「別に……普段通りの演技でしたよ」

 哀は当惑気味に答える。

「その演技ですが、彼女の演技は実際のところどうだったのでしょうか? プロの声優であるあなた方の評価を伺いたいのですが」

「そうですねぇ、すごく上手だったと思いますよ。あ、これ別にお世辞じゃなくて本当の意味で、です」

 哀はそんな表現をした。

「まだデビューして数年しか経っていないのに次々と有名な作品で重要なキャラに抜擢されていて、プロデューサーさんたちからもかなり期待されていたみたいです」

「この作品も、オーディションを受けた他のメンバーと違って荒切監督直々のスカウトで出演が決定したと聞いています」

 哀の言葉に翠が情報を付け足す。さすがにこの辺は阿吽の呼吸だった。

「そうですか……では、仕事以外の面で何かトラブルのようなものはありませんでしたか?」

「さぁ、そういう個人的な事は……」

 全員が顔を見合わせる。

「全くないというわけですか?」

「さっき海端さんが言ったように、海端さんと才原さん以外は事務所も違いますから。今回はたまたま同じアニメで収録していますけど、それ以外につながりはありませんから」

 翠が丁寧に説明する。

「では、仕事だけの関係だったと?」

「まぁ、何度か一緒に集まって飲み会とかやった事くらいはあるけどさ。個人的に物凄く仲がいいって事でもないしね」

 香穂子がけだるそうに答える。

「そうですか……。では、荒切監督、あなたから見て北町さんはどうでしたか?」

 唐突に榊原は後ろの荒切に質問の矛先を変えた。荒切はじろりと榊原を睨む。

「どうして俺に聞くんだ?」

「深い意味はありません。ただ、監督なら出演者の事を何か知っているかと思いまして」

「ふん、俺は演技以外の事に興味はない」

 荒切は吐き捨てるように言った。が、榊原はさらに畳みかける。

「ではその演技の事で結構です」

「……まぁ、下手ではなかった。俺に言えるのはそれだけだ」

 その言葉に、京が後ろから耳打ちする。

「監督がああ言うって事は、それなりに評価していたって事ですよ」

「そうですか……」

 どうやら、北町奈々子は演技力においてはなかなかの実力派だったらしい。

「俺も今まで何度か探偵もののアニメを作ってきた事があるが、本物の探偵っていうのは随分地味な奴なんだな」

「お褒めの言葉と受け取っておきましょう。実際の探偵の仕事は地道なものです」

「ふん、とにかく俺はこれ以上話す気はない。他にも仕事があるんでな。結果がわかったら教えてくれ」

 そう言うと、荒切は不満そうな表情のまま榊原が止める暇もなく部屋を出て行ってしまった。

「あっちゃー、監督不機嫌みたいね」

「次に担当する作品の打合せがうまくいっていないみたいって聞いたよ。向こうも大変だね」

「本当ですねぇ~」

 声優たちはそのまま好き勝手に話し始めてしまった。こうなるともう何を聞いてもまともに答えてくれないであろう事を、瑞穂も今までの榊原にくっついてきた経験から学習していた。が、榊原はそんな声優たちの様子をジッと見つめ、何かを静かに考えている様子だった。


「結局、大したことは聞けませんでしたね」

 スタジオを出た後、瑞穂はそう言ってぼやいた。

「相手はプロの声優。演技をするのはお手の物だろう。まぁ、今回は初顔合わせ、軽く様子を見に来ただけだ。この反応は予想通りと言ったところか。荒切監督の態度はやや予想外だったが……まぁ、問題はあるまい」

「で、どうするんですか? このまま終わる先生じゃありませんよね」

「もちろん。本人たちが隠すなら、その道の専門家に聞いてみる事にしよう。興味があるのなら、ついてきなさい」

 そのまま歩き出す榊原に、瑞穂は慌てて続く。

 それから数十分後、榊原が瑞穂と一緒に向かったのは港区にある新聞社だった。国民中央新聞という中堅新聞社で、新聞の他にも良質な各業界紙を出す事で有名な会社だった。

 思わぬ行先に瑞穂が戸惑っている間に、榊原はそのビルに入るとその足で芸能部の受付に向かい、受付の人間に芸能部の誰かを呼び出してくれるように頼んだ。瑞穂も慌てて後を追う。

「ああいう業界の話は、こういうところが一番詳しいはずだからね。聞いておいても損はないはずだ」

 榊原は瑞穂に向かってそう言って待ち人が来るのを待つ。やがて、芸能部の部屋から一人の男性が姿を見せた。

「よう、誰かと思えば榊原の旦那じゃないか」

 年齢は三十代半ばだろうか。態度はどこかチャラチャラしているようにも見えるが、その目つきは油断なく榊原を見据えている。

「珍しいねぇ、旦那が芸能部に来るなんて。たしか、この手の話題には疎かったはずじゃなかったかい?」

「だからこそだ。少し、情報がほしくてな」

 榊原はそう言ってから、瑞穂に男を紹介した。

「紹介しておこう。国民中央新聞芸能部の島原松雄。こう見えて、昔は社会部の記者だった男でな。警視庁記者クラブに所属して、当時捜査一課に所属していた私によく張り付いていた。島原、こっちは深町瑞穂ちゃん。一応、本人曰く私の助手という事になるらしい」

 榊原の紹介に、島原は苦笑する。

「旦那も助手を持ったのかい。俺はと言えば、何の因果か今は芸能部の一記者だがな。いやぁ、記者クラブ時代が懐かしい。土田や尾崎のやつも会いたがっているだろう」

「土田と尾崎?」

 聞き慣れない名前に瑞穂は聞き返す。一方、榊原は苦々しい表情でこう言った。

「私の所属していた捜査班はマスコミに対するガードが堅い事で有名で、ほとんどの新聞社は取材を諦めていた。そんな中で、業を煮やした国民中央新聞は有能な記者三人にタッグを組ませて記者クラブに送り込み、我々専門の遊撃チームにしていくつもの独占スクープをものにしてきた。その遊撃チームに所属していたのが、尾崎純也、土田康平、島原松雄の三人の記者だ。いつしか、私たちとも顔なじみになってね。もっとも、捜査班が解散して私が警察を辞めたのと同時にそっちの遊撃チームも解散したと聞いているが」

「あぁ、俺はこの通り芸能部。土田は政治部に異動した。今も社会部に残っているのは尾崎だけだな。向こうは相変わらずの敏腕ぶりを発揮しているらしいが、知っているか」

「知らないな。できるなら、刑事時代に散々振り回されたあんたたち三人にはかかわりたくないというのが本音だからな」

「つれないねぇ。ま、そこが旦那らしいけどな」

 そう言って笑ってから、島原はこう切り出した。

「その様子じゃ、何かネタがあるんだろう。ちょっと奥で話さないか?」

「いいだろう。私もそのつもりで来た」

 そのまま三人は奥にある会議室に入る。島原は鍵を閉めると、口火を切った。

「で、何の話だ? わざわざ三人の中で俺を訪ねたって事は、芸能がらみのネタか?」

「……『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』というアニメを知っているか?」

 その言葉に、島原は頷いた。

「もちろんだ。今一番注目されているアニメだからな。うちのサブカル部門も注目している」

「あれ、ゲーム研の部長たちは『一部特殊なファンの間で水面下のうちにブレイクしかけている』とか何とか言っていたような……」

 瑞穂がぶつくさ言うのを遮って、榊原はさらに島原に問いかけた。

「そのアニメの声優に関しては、何か知っているか?」

「ある程度は、な。この間の急なメンバー交代劇は話題になった」

 そう言いながらも、島原は榊原の様子を淡々と伺っている。

「聞きたいのはこの声優陣に関してだ。何でもいい。何か噂はないか?」

「つまり、その声優陣に何かあったって事か?」

「想像に任せる。で、どうだ?」

「……ま、ネタがない事もないな」

 島原はそんな答え方をした。

「でも、ただで教えるわけにはいかないな。俺らに見返りはあるのか?」

「この先の調査次第にもなるが……もしかしたら、ちょっとした騒ぎになる可能性もある。それを一足先にスクープできるかもしれない、という事でどうだ?」

「曖昧だな」

「それを確実にするために情報がいる」

「……俺にも賭けをしろって事か」

 島原は一瞬考えた様子だったが、すぐに頷いた。

「わかった。その話に乗ろうじゃないか。旦那のネタなら信用できる」

「すまないな」

「で、『少女戦隊「ジャンヌ・ピュア」』声優陣に関する話題だったな。だとすると、一番の話題になっているのはついこの間までジャンヌ・スノーホワイトをやっていた北町奈々子の急死と、それに伴う新キャラの導入だな。もっとも、旦那の事だからこのくらいの情報はすでに抑えていると思うが」

「あぁ。その辺はすでに知っている」

「じゃあ、そのジャンヌ・スノーホワイト役、もっと言えば北町奈々子の死をめぐる噂はどうだ?」

 思わぬ言葉に、榊原は眉をひそめた。

「いや、そこまでは」

「なら、この辺から話すか。実はな、この作品を書いた京一郎という脚本家は昔からひねくれたストーリーを書くことで有名で、まぁ、それがやつの持ち味にもなっていた。で、その効果を高めるために、当の演じる俳優や声優にも演じる直前まで脚本を渡さないようにしていたそうなんだが、今回のアニメではその脚本が何らかの理由でオーディション前に流出してしまった。それが悲劇の元だった」

「え、何でそのくらいで悲劇になるんですか?」

 瑞穂が不思議そうに尋ねる。当然の疑問ではあるが、島原の言葉は重かった。

「大ありなんだよ、お嬢ちゃん。何しろその脚本では、最終回直前で主役であるジャンヌ・スカーレットが死んでしまい、代わりにジャンヌ・スノーホワイトが主役になる事になっていたんだからな」

「え、えぇ~」

 瑞穂は何とも間の抜けた声を上げた。

「そんなのありなんですか?」

「さぁな。ある意味斬新だからはまればいい結果につながるだろう。だが、その直前にそのスノーホワイト役に若手の北町奈々子がスカウトで抜擢されていたから話がややこしくなった。有体に言えば、やっかみというやつだ」

「やっかみ?」

「事態を複雑にしていたのは、表向き主役と思われていたジャンヌ・スカーレット役がすでにオーディションで決まってしまっていたという事だ。スカーレット役の夕凪哀はここしばらくヒット作に恵まれていなくて、脇役中心に活躍していた。そんな彼女がやっとつかんだ主役がこの作品だった。ところが、オーディションで主役に抜擢されて喜んでいたのも束の間、脚本流出によって自分が表向きの主役でしかない事がわかってしまった。この作品、実は放送前の段階で三部構成になる話が出ていたんだが、そうなると夕凪哀の出番は第一部となる今の放送の終盤で終わってしまう。いくら第一部の表向きの主役とはいえ、これを夕凪哀が納得できたかどうか」

「しかも、当の主役であるスノーホワイトはオーディションではなくスカウトで決定し、おまけに役を射止めた北町奈々子は自分に比べれば若手。心中穏やかではなかったかもしれない、か」

「結局、奈々子さんが死んで脚本はどうなったんですか?」

 瑞穂の質問に、島原は簡単に答える。

「アニメを見る限り、代理で登場したジャンヌ・サクラは主役を張れるような設定になっていない。元々主役になる予定のなかった他の三人も同様だ。こちらの脚本についてはまだ公開されていないからわからないが……現状の様子からすればおそらく、スカーレットが死なないまま主役続行という形になる公算が大きい。こうなった以上、さすがの京一郎もこれ以上の大幅な脚本変更は行えないはずだ」

「つまり、夕凪さんは奈々子さんが死んだ事で主役の座を守ったという事になりますね」

 だとするなら、夕凪哀には殺人の動機が生じる事になる。

「まぁ、他のメンバーも北町奈々子には多かれ少なかれ恨みを持っていたかもしれないぞ」

「というと?」

「アンバー役の海端香穂子とオーキッド役の才原和歌美は北町奈々子と同じ事務所の所属だが、若手で活躍する奈々子の事を快く思っていなかったかもしれない。海端はかつてそれなりに売れていたが最近は仕事が減っていて生活が苦しいと聞く。一方、才原は奈々子と同期でありながらその引っ込み思案な性格が災いしてかこれといった役を取れていない。今回のオーキッド役も五人の中では地味なポジションで、彼女がいない回も多いと聞いている。まぁ、どっちにしてもこの二人はそれぞれ激しいオーディションで今の役を射止めている。そんな二人がスカウトであっさり大役を射止めた北町にやっかみを抱く可能性はないとは言えないだろう」

「他のメンバーは?」

「バイオレット役の野鹿翠は実は脚本流出前にはスノーホワイト役でオーディションを受けている。その時の演技からスノーホワイトよりバイオレットの方がいいとされて現在の役になっているが、これは実質的に北町がスカウトされたが故の処置だったらしい。その直後に例の脚本流出だ。せっかくオーディションまで受けたのにあっさり横からいきなり現れた北町から目当ての役を取られ、しかもその役が実は主役だったという形になるから、あまりいい気はしないと思う。もしかしたら、自分が主役になれるはずだったかもしれないんだからな。それに、サッカキバー役の中木悠介は北町奈々子と恋愛関係にあったという噂がある。まぁ、現段階では単なる噂に過ぎないが」

 実はその中木が依頼人であり、しかも本人の口から二人が恋愛関係にあったと聞いているのだが、ここで話すとややこしい事になるのは見えていたので榊原と瑞穂はあえてその話題に関してはスルーした。

「新たに加入したサクラ役の三上友代の事は何かわかるか?」

「あぁ、急な新キャラ導入って事で話題になったからな」

「彼女もオーディションで?」

「いや、さすがに時間がなかったから荒切監督のスカウトで急遽決定した。彼女は今まで端役しかやったことがないが、前々から注目されていた人材でな。この機に投入が決まったらしい」

「そんなに演技がうまいのか?」

「演技も確かにうまいが、それ以上に、彼女はあの大女優・三上優子の親戚筋にあたる人間なんだ」

「ほう」

 基本的に芸能関係に弱い榊原だが、さすがに三上優子の名前は知っていた。榊原がまだ若い頃に芸能界に君臨していた、今となっては伝説と化している往年の大女優の名前である。

「正確には、三上優子の妹の孫が彼女という事になる。だが、どういうわけか本家以上に三上優子の血を継いだらしくって演技力は抜群。現在は高校に通いながらも声優の仕事を続けているようだ。いずれにせよ、北町奈々子が亡くなったからこそ、彼女は今回の役を手に入れる事が出来たというわけだ。なおかつ、実は彼女は最初のオーディションでこのアニメを受けて落選していて、それだけに今回のオファーは願ったり叶ったりだったに違いない。それだけに、北町の死が彼女にとってメリットになったことは確かだな」

 確かに、利益という意味では彼女に一番動機がある。とはいえ、北町奈々子を殺したところで今回のような状況になるとはまず予想できないので、その辺はまだ弱い部分ではある。

「マリアン役の福島恵梨香はどうだ? 北町奈々子と何かなかったのか?」

「彼女と北町奈々子は声優学校時代からの親友という事で有名だ。所属事務所こそ違うが、今でも仲がいいと業界では有名らしい。もっとも、裏でどう思っているのかは本人たちに聞かないとわからない。表向き仲が良くても、裏がどうなっているのかわからないのが芸能界だからな」

 どうやら、榊原の予想通り彼女たちは色々な事を隠していた様子である。

「制作側については?」

「脚本家の京一郎は脚本流出にかなり怒っていたらしい。まぁ、当然の反応ではあるが、どうも京一郎は脚本流出の犯人が北町奈々子だと考えていたようだ」

「何だって?」

「脚本が流出したのは北町奈々子がスノーホワイト役に内定した直後。まぁ、どうして脚本流失が起きたかという動機まではわからないが……京一郎にはそう考えるだけの何かがあったのかもしれない。もっとも、そこまでは俺らも踏み込めていない」

「監督の荒切は?」

「脚本流出前に北町をスカウトした張本人だな。典型的な職人肌の人間で、表向き面白い噂はないが、なぜ急に彼女を指名したのかいささか疑問が残っている。本人は彼女の演技にほれ込んだと言っているが……実際のところはどうだったのか謎だ」

 そう言って、島原は結論付けた。

「つまりだ、あのアニメには死んだ北町奈々子を中心に様々な問題があったって事になる。そんな最中に北町奈々子が死んだんだ。病死という事にはなっているが、そこに何かあると考えてもおかしくないだろう?」

「それが、あんたがこのアニメに注目している理由か」

「……旦那も、実はその事について調べているんじゃないのかい? 北町の死に関して何かあるのか?」

 鋭く切り込まれて、瑞穂はぎょっとした表情をする。さすがはかつて榊原に張り付いて取材を続けていただけの事はある。だが、榊原もさるもので一切表情を変えずに切り返した。

「想像に任せる。私から何も言えない。守秘義務というものがあるのでね」

「へぇ、そうかい。なら、話せる情報はこれくらいだな」

 静かに繰り広げられる駆け引きに、瑞穂は息を飲む。と、突然榊原はこう言った。

「だから、ここから先は独り言だが……北町奈々子は病死ではないようだ、という事だけ言っておこう」

「……なるほどね。でも、守秘義務はいいのかい?」

「これは独り言だ。それに、これは警察に行けば誰でも調べられる。守秘義務には当たらない」

 そう言ってから、榊原はこう釘を刺した。

「ただし、この件を記事にするのは少し待った方がいいかもしれない。下手をすれば恥をかくかもしれないからな」

「なぜだ?」

「簡単な事だ」

 榊原はさらりと告げる。

「もしかしたら、今後の調査次第でこの結論がひっくり返るかもしれないという事だよ」

「……そういう事か。いいだろう。当面の間、今の話は聞かなかった事にしておこう。ただし、すべてがわかったらうちが独占記事を書く。それでいいか?」

「……好きにしろ」

 それを聞いて、島原はにやりと笑った。

「なら、もう少し情報がある。聞いていくか?」

「もちろんだ」

 二人の歴戦の猛者による駆け引きは、まだ始まったばかりのようだった。


「全員が全員、北町さんとかかわりがあったんですね」

 国民中央新聞のビルを出ながら、瑞穂はポツリとそう言った。榊原は黙って何かを考えながら歩いている。

「先生、さっきああ言ったって事は、やっぱり殺人の可能性も考えているんですか?」

「……少なくとも、可能性が少し上がったことは確実だ」

 榊原はあくまで慎重にそう答える。

「でも、殺人だとしたらあの密室状態の部屋で北町さんを殺す事になります。これってつまり、密室殺人ですよね」

「そうなるな。警察もだからこそ自殺判断したんだろう。ゆえにまだ自殺の可能性は捨てきれない。何か確実に殺人の可能性を立証できるものが必要だ」

「でも、それってかなり難しいんじゃ……」

 瑞穂は不安そうに言う。

「まぁ、確かにそうだが……こういうものはきっかけさえつかめれば何とかなるものだ」

「きっかけって何ですか?」

「例えば、彼女が自殺だと仮定した場合不自然な事、もしくは辻褄の合わない事がないかを考える。その矛盾がどうしても解決できないとするなら、それはそもそも『彼女が自殺である』という前提が間違っていることを意味する。すなわち、彼女の死は自殺ではないという理論につながるわけだ。論理学で言う『背理法』というやつだ。君も高校一年生なら、数学の授業でやっているはずだが?」

「あー、その点に関しては帰ってから復習する必要があるみたいですけど……つまり、彼女の死の状況における矛盾を考えろ、と?」

「そういう事だ」

 そう言うと、榊原は歩きながら事件を検証する。

「まず、彼女の死に関する疑問点が現場を見る限りいくつか存在する。覚えているかね?」

「ええっと、深夜に自殺をしている事、遺書が見つからない事、首を吊っていたベランダへ通じるドアに隙間があって、ロープの先端がなぜかベランダの手すりに結んであった事……」

「それらは確かに自殺にしては不自然な点だが、だからと言ってあからさまな矛盾というわけでもない。深夜に自殺する人間がいるかもしれないし、遺書を残さない自殺など数えきれないほどある。ロープにしても自殺を否定する根拠としては弱い」

「じゃあ、他にあからさまな矛盾があるんですか?」

 駄目だしされて瑞穂が頬を膨らませながら聞き返す。だが、榊原は平然とこう言った。

「まぁ、ない事もない。少々弱いがな」

「え?」

 瑞穂が驚いて榊原を見ると、榊原はポケットからデジカメを取り出して瑞穂に放り投げた。慌てて瑞穂はそれを受け取ると、中に保存してある写真をチェックする。そこには一枚のハガキが写っていた。

「これは?」

「文庫本か何かに付属している懸賞応募用のハガキだ。すべての欄が記入されていて、キッチンの隅の棚に置いてあった」

「いつの間にこんなものを……」

 瑞穂は呆れた様子で言うと、言葉を続けた。

「まぁ、確かに変でしょうけど、でも書いたはいいけどそのうち忘れたって事も……」

「事件当日に書かれたものだとしても?」

 榊原がかぶせるように言う。

「この懸賞ハガキが挟んであった小説が何かを調べてみたら、あの日発売されたばかりの新刊だった事がわかった。つまり、彼女は帰り際に文庫本を買って、家に帰った後で懸賞ハガキを書き、そして、その数時間後に『自殺』している事になる。これから自殺しようとしている人間が文庫本を買うだけでもおかしいのに、その上こんな懸賞ハガキを書くなんて、どう考えても矛盾しているとは思わないかね?」

「それはまぁ……確かに……」

 というより、そんな手がかりがあるなら早く言ってほしいと、瑞穂は心の中で文句を言った。だが、榊原は気づく様子もなく話を先に進める。

「いずれにせよ、もう少し本格的な捜査が必要になるな。とりあえず、今日はこの辺にして明日仕切り直す事にしようか。もうすぐ日も暮れるしね」

「それはいいですけど……今日の事があって、焦った犯人が現場を荒しませんかね?」

「部屋に入ろうとしても鍵はここにあるんだ。そもそも現場に細工はできないよ」

 そんなやり取りをしながら、二人は日が暮れようとしている師走の街に消えていった。

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