第5話『鎮守の森と、不思議な森と』

 しばし訪れる沈黙ちんもく。耳に入るのは、微かな葉擦はずれの音。風の無い室内のはずなのに、不思議と耳に馴染なじむ音だ。


「……そうだねぇ。あると言えばある、かなぁ?」

「あるといえば、ある?」


 森の創造者から返された答えは、なんとも曖昧あいまいなものだった。


「そうだねぇ、元となっている場所はあるよぉ。でもねぇ、私の都合で色々と手を加えてるから、本物とは別物になっているんだぁ」

「色々な都合?」

「本物は無駄むだに大きな樹が多くて、こういう部屋だと柱みたいに見えるのがいやらしいの」

「なるほどね。確かに、この空間には巨大な樹は見当たらないわね」

「まあ、他にも理由はあるんだけどねぇ」

「ほかにもあるの?」

「あるよぉ。一年中おんなじ景色だから、つまんないんだよぉ。まあそれはそれで、いいんだけどねぇ」

「同じ景色?」

「ええ。その場所は別名、悠久ゆうきゅう樹海とも呼ばれているのよ。過去からも、現在も、そして未来に至っても変わらない姿をしているから、ということらしいわ。私の故郷こきょうもなかなかなのだけれど、フェネルに『そっちの方が変化があっていい』って一蹴いっしゅうされちゃったわ」

「へぇ。スミレの故郷ってどんなところなの?」

「私の故郷は、カプキア=フォルノン。“北の大陸”ロシェルチルの北の方にある町よ。長い冬の間は、吹雪ふぶきと雪原とくもり空のモノクロみたいな世界になるの。もちろん、そんなんだから外の景色は退屈たいくつでしかないわ」

「うわぁ……それは飽きちゃいそうね」


 スミレの故郷と、悠久樹海。このふたつの場所が私に疑問をもたらす。


 冬の間、雪に閉ざされた世界よりも変化が無い樹海って、何?

 延々と続く曇り空に、真っ白な雪原。止んだりもするんだろうけど、天気は吹雪。……うん、退屈な景色ね。気が滅入めいりそう。

 それよりも、変化が無くて退屈な景色って、何?

 樹海なら、森の一種だから樹々がいっぱい生いしげっていて、木漏こもれ日が差し込んで……あれ? やっぱり、雪に閉ざされた世界の方が変化が無いんじゃないの? なんで? 


「……モノクロの世界が負ける樹海って、何?」

「私も最初はわからなかったけれど、やっぱり負けるのよね」

「なんで?」

「何回か、そこに行ったことがあるわ。でも、何回行っても、いつ行っても全く同じ景色なのよ。それにはおどろいたわ。本当に変わらないんだって。カプキア=フォルノンでも、短いけれど夏があるわ」

「モノクロ世界の出身者が負けを認めている……」


 それほどまでに、変化が無いのか。その場所は。


「その、全く変化しない場所って……?」


 その問いに、森の創造者が答える。


「私の生まれた、フォレスフォードの周りにある樹海。フローハンメル大樹海のことだよぉ」

「この森のモデルになっている場所?」

「そうだねぇ。だいぶいじっちゃってるけどねぇ」

「なるほど……故郷の森、ね」


 生まれ育った森の景色というのは、嫌というほど、きるほどに、毎日見続けて生きることになる。

 変化のない森の木々を切り倒して、その向こうにある日わりの景色を見たいと思うこともある。しかし、飽きるほどに見続けていると、どんなに小さな、かすかな変化でも感じ取ることができるようになる。

 しまいには、飽きるという次元を超えて、慣れる。ひとかけらのピースとして、その風景は日常というパズルの中におさまる。


 それはいつしか特別感をいだくようになって、大切なものへと形を変えてゆく。そして、簡単に想起そうきできるほどに脳裏のうりに焼き付いた森の風景は、帰るべき場所の景色となる。

 皇国の他の場所に行って、色んな景色を見て『綺麗きれいだなぁ』とか、『ここに住んでみたいなぁ』とか、思うことはある。でも結局、私は黄昏たそがれ神社の鎮守ちんじゅの森が見せる景色が一番落ち着くし『いいなぁ』という結論に至るのだ。


 ――不変の中に生まれる変化。


 ……あれ? 藍花あいかも似たようなことを言っていたような気がするわ。


 ……そうか。妹はすでに気付いていたんだ。その変化が、その先にある景色が。


 ――見えていたんだ。


 それを見るために、そして忘れないために、わざわざ年に一度だけ東雲しののめから外に出て、そして戻ってくるんだ。夕朱穂谷ゆうしゅほだにに行ける、1週間の時間を使って。


 きっと、この魔法の森もそうだ。藍花が見る鎮守の森と同じように、フェネルが見るこの魔法の森は、同じ景色を見せてくれるのだろう。

 つまり、この不思議な森は、フェネルの一番好きな場所を体現している森なのだろう。そして、大切だからこそ、限りなく理想に近づけたいからこそ、自分で再現できない部分をスミレに頼っているのだろう。


「――この空間は、フェネルにとっての宝物なのね」

「……そうだねぇ。お気に入りの場所だよぉ。まぁ、フォレスフォードから見る、フローハンメルには勝てないけどねぇ」

「本物の故郷には勝てない、か。確かに本物って再現できないものね」

「私も、同意するわ。書斎しょさいを実家のと似せようとしたことがあるのだけれど、再現できなかったもの」

「そうだねぇ、本物にはかなわないよぉ。どれだけ魔法まほうけても、フローハンメルの再現はできないんだよねぇ。だから再現できないなりに、こうやって色々弄いじって変化を楽しんでいるんだぁ」

「フェネルは変化が好きだものね」


 フェネルってもともと変化のない場所で生まれたから、変化のある場所にあこがれていたのかな?


「変化が好きなの?」

「まぁ、どっちもどっちだけどねぇ? 両方、いいものだよぉ」


 贋作がんさくが本物を超えることはない。それはまぎれもない事実だ。どれだけ技術をくそうと、それは変わらない。

 しかし、そこにある種の魔法を掛けると、それは贋作から昇華しょうかされて別種の本物へと姿を変える。

 その魔法は、呪文でとなえられる魔法ではない。

 

 ――その魔法は、おもい。


 本物を追い求めるのではなく、純粋で雪のように真っ白な想い。故郷の森に変化を持たせたい、というフェネルの想いが魔法となって、この空間に掛けられているのだ。

 自然の空間には宿ることのないその魔法は、心を動かす力、人の心に変化をもたらす力がある。

 だから、ここに訪れる者がみなこぞって聞くのだろう。この不思議な空間、想いの魔力が宿っているこの森のことを。


 この不思議な森は、私に大切なことを思い出させてくれた。


「この森の秘密がわかった気がするわ。もちろん、私なりにだけどね」

「別に、秘密も何もないんだけどねぇ?」

「そうね、フェネルは別に特別なことは何もしていないもの。私もこの空間に魔法をを掛けているし、私も特別なことはしていないわ」

「特別な魔法がかかっていないにしても、想いが込められているもの。ここはとっても素敵な空間よ。大切なことを思い出させてくれるような場所だわ」

「そうかいそうかい、ありがとうねぇ。そうやってめてもらえるのは初めてかなぁ」

「私も嬉しいわ。少しは、協力しているからね」


 私の東雲神社とフェネルのフローハンメル大樹海、そしてスミレのカプキア=フォルノン。“東の大陸”チェルナーと“西の大陸”レヴァルロ、そして“北の大陸”ロシェルチル。景色も、気候も、大陸すらも違う場所だけど、それぞれの故郷であることには変わりない。私たち3人はきっと、故郷の景色の先に同じものを見るのだろう。

 そんな気持ちを抱きながら、この後もしばらく故郷についての雑談をしていた。




 店を後にすると、路地から通りに戻ってこの集落の中心に向かって歩く。しばらく歩いて、鳥居の前で立ち止まる。


 ここが、私の帰るべき場所。そして、私にとっての大切な場所。東雲神社。


 私は再び歩き出す。鳥居をくぐって、御影石みかげいしの石段を一歩ずつ踏みしめて神社へと向かう。

 今ならきっと見ることができる。石段を登り切ったその先にある、大切な景色を。

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巫女と不思議な空間 八咫空 朱穏 @Sunon_Yatazora

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