第30話 エピローグ

転職をした時は冬だったのに、日々慌ただしく過ごす内に春を迎えて、夏が近づこうとしている。


今年のゴールデンウィークは2人で旅行に行こうかと話をしていたけど、どこに行っても混むしね、となって、通勤圏内にあるちょっと豪華めのホテルでゆっくり過ごした。


真依は家では2人きりでも理性的な部分がどこかに残っているけど、非日常の空間に移動するとそれが心持ち緩む。いつも以上にワタシを踏み込ませてくれて、新婚旅行かなってくらいの甘い時間を過ごした。


こういう充電時間って社会人にとっては大事だ。


仕事の方は女性のパートナーがいることを公表したことで、多少のばたばたはあったものの、今ではその波も収まっている。


公表したのは自分の部だけだったけど、いつの間にかカスタマーサービス部にもそれは広まっていて、人の口に戸は立てられないということだろう。


こういうことは女性の方が興味があるのか、興味津々なカスタマーサービス部の人に飲みに行こうと誘われることも増えた。まあ、悪意は向けられていないし、娯楽を求めてのことだと気にはしていない。




土曜日の今日は真依が朝から留守で、真依がいないことをいいことにワタシは昼前まで惰眠を貪っていた。


昼食を取ってから、家の掃除でもするか、とベランダに続く扉を開けると心地良い風が吹き込んでくる。


もう3度真依とこの家でこの季節を迎えた。


長かったような、あっという間だったような3年だった。


3年前に比べると真依との生活はもう日常になっているけど、それは刺激がなくなって価値が消えたじゃない。求めた形になれている証だった。


だからこそ、ワタシは真依をパートナーとして尊重して、今の関係を継続させないといけない。


50になっても60になっても体を求め合えるものかは想像もつかないけど、今を積み重ねて行くしかない。



掃除に一区切りがついた16時過ぎに真依からメッセージが入る。


メッセージの内容は、あと30分くらいで着くから、マンションの入り口まで荷物を取りに下りて来て欲しいだった。


いいよ、とだけ返事をしておく。


今日は柚羽の誘いで真依は朝から出かけていた。ワタシは誘われていないので、こうしてお留守番だけど、持ちきれない荷物があるって、真依は柚羽たちとどこに行ったんだろう。


子供がいるから遊園地とか公園とかかな、と想像していたけど、それなら大荷物になる理由が浮かばない。ショッピングモールにでも出かけたんだろうか。


外にも出られそうな格好に着替えて、真依からの再度の連絡をワタシは待った。


もうすぐ着きそうという連絡が入って、マンションの玄関まで真依を迎えに出る。


軽自動車らしき水色の車がワタシの目の前に止まって、真依が後部座席から下りてくる。


「これ、もしかして柚羽の車?」


レンタカーやカーシェアではあまり軽自動車って見かけないので、柚羽が買ったのだろうかと尋ねる。


「そう。3人で出かける為に買ったんだって。納車されたばかりの柚羽の新車だよ」


柚羽の3人にはもう真依とワタシは入っていない。


柚羽にはワタシたちとは別の一緒に生きて行く存在がいて、そのための一つの選択として車を買ったということだろう。


車の持ち主である柚羽が運転席から下りてきて、次いでそのすぐ後ろの座席から下りてくる女性がある。


それはワタシが知っている存在だった。


真依に聞いてはいたけど、目にするのとではインパクトが違う。


「緊張しなくても大丈夫だよ。もう仕事でも関係ないんだし」


柚羽のその声は、別人かなって思うくらいに優しい。


頷いた存在は、柚羽と一緒に反対側のワタシと真依の元まで近づいてくる。


「ご無沙汰しています。須加さん」


柚羽の恋人、木崎さんは軽く頭を下げて、笑顔を零す。


飲み会で男性たちが微笑まれてみたいと盛り上がっていた存在の笑顔は、白梅のように澄んでいるのに、温かな余韻も残す。


「こちらこそ、ご無沙汰しています。まさか木崎さんが柚羽の恋人だったなんて全然気づきませんでした」


ワタシが会社を辞める前に柚羽は引っ越しをしたので、ワタシが同じ作業場所に居た頃から柚羽とは付き合い始めていたことになる。


でも、真依もワタシも恋人と同じ作業場所にいるってなると、むしろ隠したくなって当然か。


「すみません」


「睦生が謝る必要ないよ。今日はお父さんとお母さんに睦生とひびきちゃんを連れて、挨拶に行ってきたんだ。お姉ちゃんはそのついで」


おまけでもワタシにも紹介してくれたってことは、柚羽にとってのかなりの譲歩のはずだった。


でも柚羽が親に紹介するってことは、それだけ本気で、もう覚悟を決めたことを示している。


柚羽はこういうことに関しては真っ直ぐで、ワタシと違ってきちんと筋を通す性格だ。


「木崎さん、本当に柚羽でいいですか? ってワタシが聞くのは違うかなって思っています。そんなのワタシが確認するまでもなく、何度も柚羽と話し合って決めたことですよね。

ワタシは駄目な姉なので、柚羽を導くことも見守ることもできませんでした。でも、柚羽に木崎さんというパートナーが見つかったことは素直に喜んでいます。これから先、柚羽をよろしくお願いします」


そんなことを言う資格はないのは分かっていても、ワタシにできることはこれくらいだった。


「須加さん、頭を上げてください。バツイチで子持ちで、柚羽に迷惑を掛けてばかりなのはワタシなんですから……」


「そんなことないですよ。柚羽ってこんなに緩んだ顔するんだって思ったくらいですから、木崎さんにベタ惚れですよ」


「ストップ。それ以上言ったら殴るよ、お姉ちゃん。それに、荷物を下ろしに寄っただけだからね」


照れくさくなったのか話を打ち切ってトランクを開けた柚羽は、どこかで見たことのある段ボールを取り出す。


実家に帰っていたということは、実家で渡されたのだろう。


「はい、これ、お姉ちゃんと真依の分」


それをワタシが受け取ると、柚羽は木崎さんを急かして車に戻る。


2人が乗り込んだ車を覗き込むと、助手席にはジュニアシートらしきものに座った子供が座ったままで眠っていた。


好きな人と愛し合って、その人とその子供と家族になる。


柚羽の水色の車は、柚羽の幸せそのもののようだった。


でも、柚羽を羨ましがるじゃなくて、ワタシもそう周りに思ってもらえるくらい、真依と寄り添って行かないといけない。


「じゃあ、柚羽、木崎さん、また会社で」


真依の別れの言葉に木崎さんは手を振って、柚羽は車を発車させた。




そのまま真依と一緒に部屋まで戻って、玄関口に段ボールを置く。


実家から来たものなら中身は開けなくても分かっているので、しばらくはここに置いておくで大丈夫だろう。


「真依も一緒に挨拶に行ってきたんだよね?」


柚羽の話からすると、今日の目的地は実家で、目的は両親への挨拶だ。


「何で私を誘うの? って聞いたんだけど、葵の代わりに見届けて欲しいって言われたから」


ワタシじゃなくて真依を連れていくところが柚羽らしい。


「どうだった?」


真依はワタシと一緒にその経験がある。立場が違うとはいえ、まさか人生でまたそんな状況に巻き込まれるとは思ってもいなかっただろう。


「柚羽は事前に話はしてあったみたいだから、猛反対をされたではなかったよ。葵と行った時の方が心臓に悪かったから」


「ごめん」


ワタシは真依の両親に対しての対策は立てたけど、自分の両親への挨拶は何とかなるだろうと根回しすらしていなかった。


「ひびきちゃん……木崎さんのお子さんね。見て孫ができたって喜んでいたから、問題はなさそうだよ」


「ごめん」


「何で謝り続けてるの?」


「ワタシは足りてないんだな、と思って」


「今更後悔しても遅いんじゃない? もう1回するって言われたら勘弁して欲しいし」


「何回でもワタシは言えるよ」


「そういうのいいから。今は柚羽の話でしょう?」


「そうだった。柚羽のあんな顔初めて見たかも」


「木崎さんといるといつもああだよ」


「そっか……」


「悔しい? 柚羽が葵に恋人を見せてもいいくらいは譲歩してくれたんだから、それを喜べば?」


「そうだね。柚羽にはもう家族もできて、これから先ワタシの知ってる柚羽じゃどんどんなくなって行くんだろうね」


「姉妹なんてそんなものじゃない?」


「そうだね。ワタシには真依がいるしね」


「取ってつけたみたいに言ったでしょ」


「そんなことない。真依、愛してる。世界で一番大好き」


背後から真依に抱きつくと、もうっ……と呆れられながらも真依は離さない。


「真依」


「何?」


「ワタシは柚羽に負けないくらい、真依と幸せになりたい」


「人間ができてる柚羽と、美人で誰にも優しい木崎さんと、可愛くて素直なひびきちゃんに勝とうなんて無謀すぎない!?」


「無理かな?」


「無理でしょ」


あっさり真依に否定されてしまう。ワタシが駄目なのは分かってるけど、容赦のなさが辛い。


「柚羽に張り合うくらいなら、もっと私のことを考えて」


「うん。考える。考えるから、ベッドへ行こう?」


脇腹に肘鉄を食らいながら、全身を預けてきた真依を受け止める。


これはいいってことだと判断する。


「葵」


「なに?」


「無理しなくていいからね。ワタシはこうして葵がいてくれたら、それでいいから」


背後から真依に回した手に、真依のそれが重ねる。


「そうだね。この手だけは離さないって、真依に誓うから」


「うん。誰も認めてくれなくなっても、ワタシは葵と生きる」


重なった真依の手の温もりは、真依の優しさそのものだった。だからこそ、この手を離さないようにワタシは生きて行きたい。




end.


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最後までお読みいただき有り難うございます。

prime numberシリーズはこれで完結となります。


こういう話の需要は極めて低いだろうと思いながらも、葵としての話が書けるのは真依と生活を始めた後だろうと、このような話になりました。


この後は平行更新がほぼできなかった「思いがけずと隣の美人のお姉さんと仲良くなりました」に戻ります。

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partner in crime - prime number 2 - 海里 @kairi_sa

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