第29.5話 友人でも恋人でもない関係

※今回は柚羽と真依の話になります。



定時後、窓際の営業席で週次報告書類を書いていた柚羽は、いつもよりフロア内に人が多いことに気づく。


こういう日は大抵開発側のどこかのグループミーティングの開催日だった。年度始まりだし、キックオフでもあるのだろう。


とはいえ営業の柚羽には営業の仕事がある。視線をPCに戻そうとした所に入り口のドアが開いて、真依が帰社するのを認める。


真依の部屋に柚羽が突撃して2週間近く経っているが、その間に一切真依とは連絡を取っていない。


普段であれば週に一度くらいは仕事で何だかんだと連絡をし合う用事ができる。ただ、丁度年度末に契約関係が片付いたタイミングで、体制が変わらなかったこともあって連絡事項も発生していなかった。


柚羽には今話すネタもなく、それよりも開発チームに飲みに誘われない内にさっさと家に帰ってしまいたいと、モニターに視線を戻す。


「柚羽」


すぐ傍で掛かった声が誰かなんて、確認しなくても声で真依だと判断がついた。


「お疲れ」


声を掛けられて無視をするわけにも行かず、挨拶だけならと柚羽は再び視線を上げる。


柚羽の斜め前に真依の姿がある。


真依とのつきあいはもう10年くらいになるが、真依は入社したときから見た目は大きく変わっていない。でも、恋をすることも知らなかった存在は、今はパートナーがいる。


「見て〜」


更に柚羽の近く、隣までやってきた真依はスマートフォンの画面を柚羽に見せる。


条件反射的に画面を見ると、そこには笑顔を見せるショートカットの人物が写っている。


それが誰かなんて、柚羽にはすぐに浮かんだ。


「お姉ちゃん!?」


「流石、柚羽。分かるんだ、葵だって」


柚羽の記憶に残る存在とは少し違いがあるものの、一緒に育った姉の顔が分からないはずがなかった。


「高校まではその長さだったからね。もしかして、頭を丸めて反省しなさいってやつ?」


先日柚羽は同棲する恋人の木崎睦生むつきのふとした発言で、姉の葵が昔の恋人の佳澄と再会していることに気づいた。


居ても立ってもいられなくて、それを問い詰めるために真依と葵の家を夜遅くに訪ねた。


葵は浮気をしていないと言い張ったが、浮気をしていようがしていまいが、元カノと葵が繋がっていることを真依が怒らないはずがないし、悲しまないはずがない。


真依は自分たちのことだから柚羽には介入するなと言ったが、それは許したではなく、真依が自分で片をつけるということだとも理解していた。


反省代わりに真依がそれを求めたのかと問う。


「それは別のをお願いしたから」


笑顔で言う真依は、しでかす葵のせいとはいえ、柚羽が考えている以上に強くなった。


何もなかったわけではないだろう。それでも離れないという選択を真依はした。


それは2人が、ただ付き合って一緒に棲んでる関係以上になったことを示している。


真依と葵の姿は柚羽にとって尊敬できるかといえばできないものの、その繋がりの強さに羨ましさはある。


柚羽は恋人と同棲を始めて日が浅いが、いずれは自分も睦生とそこまでの関係になりたいと望んでいた。


「これは佳澄さんが送ってくれた高校時代の葵が格好良かったから、切ってって言ったの」


柚羽が知る高校時代の葵にあった美少年感は、今の葵には流石になかったものの、元が良い分ショートヘアにしても美人は美人だった。


「お姉ちゃん、それであっさり承諾したの?」


「格好いい葵が見たいって言ったら、文句も言わなかったよ?」


真依に言われればあっさり髪を切ることを承諾する葵の様が容易に想像できて、一生その関係性は変わらないだろうと呆れ声をあげる。


葵にとって、きっとそれは本望で、わざわざ他人が口出しすることでもない。


「そうなんだ。ちょっと懐かしいなとは思ったかな。でも、こんなに短くしちゃったら、もてるんじゃない?」


「えっ??」


「高校時代ストーカー一歩手前くらいの子もいたくらいだからね」


真依にはそんな思考はなかったようで、動揺を見せる。


真依が格好いいとご機嫌ということは、世間一般でもそう受け止められるまでは思考が行かなかったらしい。


柚羽からすれば、葵は昔と違い、女性らしさが感じられるようになった。ただ、ショートヘアになったことで見た目的にはストイックさが増して、その分男性だけではなく女性も引きつける色気に繋がっている。


「どうしよう。葵を閉じ込めておくべき?」


葵に対しては真依はそんな思考をするんだ、と意外さはあった。


「真依がしたいなら止めないけど」


あの姉を閉じ込めておくは、世界人類にとっていいことかもしれない、と思ったものの口には流石にしない。


「でも、仕事してる葵も格好いいんだよね」


これはつける薬がないやつだ、と柚羽は溜息を吐く。


「ごめん……」


「真依の好きにしたらいいんじゃない? 煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」


「うん」


頬を緩める真依の可愛いさが、葵に対してだけ引き出されるものだと柚羽はもう知っているし、諦めもついている。


「ごめんね。葵のこと話せるの柚羽しかいないから、つい言っちゃうんだ」


「もう慣れた」


柚羽は真依と一緒に暮らしていた頃に一度真依の信頼を裏切った。葵とのややこしい関係もあるが、そのことを真依は遺恨にせずに変わらずに柚羽に話しかけてくれている。


だからこそ柚羽も真依との繋がりを切らないで今までやってきた。


「柚羽のも聞くから、何でも言ってね」


「いいよ、そういうの……」


「柚羽はそれだけ満たされてるってこと?」


「まあ……そうかな」


最近、睦生と一緒に暮らし始めて、柚羽は自分の気持ちや欲望をそのまま出せるようになった。でも、それは恋人にだけ見せられる姿で、真依にそんな話をすることは考えられなかった。


きっとそれは柚羽の中に、真依には格好つけたいという気持ちがまだ残っているのだろう。


「ならいいか。柚羽にもそういう人ができたのはいいことだしね」


「何しでかすかわからないから気が気じゃなかった?」


「……そこまでじゃないけど、柚羽には幸せになって欲しかったんだ。都合良いこと言うなって言われるの分かってるけど、私は柚羽の隣にはいられないから」


「知ってる。真依がどんなことがあってもお姉ちゃんを思い続けていたのを、一番近くで見続けていたのはわたしだよ。もうひっくり返ることはないんだろうとは気づいていたから」


「……葵より柚羽の方が大人だなとは思ってるよ」


「あの人が子供っぽすぎるだけじゃない。でも、人を好きになるのって正しさだけじゃないんだよね」


「うん」


正しく人を愛せれば、世の中はもっと幸せな人が増えるのかもしれない。それでも柚羽は過去の真依への想いも、睦生への想いも自分のもので、誰に何を言われようと偽る気はなかった。


「まあ、真依にはあの人がいて、わたしにも睦生がいる。だからこれからはそれぞれで頑張っていくでいいんじゃない?」


「そうだね。あと、この前ごめんね、心配してくれたのに」


真依の言うこの前は、柚羽が真依の家に突撃してしまった日のことだろう。


「ちょっと腹は立ったけど、わたしはもう外から真依もお姉ちゃんも見る立場なんだなって気づいた。分かってたつもりなのに、体が動いちゃったんだよね」


「友達として心配してくれるのは嬉しいよ」


「なんだろう。どうしようもない男に引っかかった妹を見る姉みたいな感じ?」


「そのどうしようもない男って、葵のことだよね?」


「それ以外いないんじゃない?」


「容赦ないなぁ、柚羽は」


「過去の自分をバカだったなって思えるようになっただけだよ」


「……柚羽に素敵な出会いがあってほんと良かった。葵のことは私が責任を持つから、柚羽は柚羽で自分と自分の家族の幸せを優先してね」


「真依は変わったよね」


「そうかな?」


「強くなった」


「可愛くいたいのに、葵がそうさせてくれないの」


「それは確かに。自分で何でもできるみたいな顔をしてるくせに、ろくでもないことしかしないしね」


それでも、柚羽には真依をこんな風に変えることはできなかっただろう。


真依は葵を愛したからこそ、その愛のために変わったことを知っている。


「でも柚羽も変わったでしょう? 仕事の仕方もだし、気の遣い方も変わった。いい意味でね」


「だって、睦生を支える余裕は欲しいよ」


自分が変わったなんて言われても柚羽には実感はない。ただ、睦生を支えるために必死で走り回って今になってるだけだった。


「年の差あるもんね」


「経験値が違い過ぎるからいつも必死だよ」


「そこは頑張って。私も私で頑張るから」


柚羽と真依の人生はもう重なることはない。でも、手を伸ばせば微かに届くくらいの位置にはいて、腐れ縁的に続いて行くのだろう。

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