第29話 過去と現在

佳澄が一人暮らしを始めて2週間が経過した。


ワタシと真依の生活は元の2人の生活に戻って、平和な日常が続いている。


日常とは言っても、2度目の新婚生活開始かってくらいに毎日いちゃいちゃはしてる。最近真依の理性の壁が低めで、甘えさせてくれるし、甘えてもくれる。


真依は見た目には機嫌が分かりづらいけど、触れた時の反応でOKかNGかは何となく分かる。

お風呂に一緒に入ろうと誘っても断られないことが多くて、充実したプライベートが続いている。


仕事はというと、プライベートに引きづられて緩めるわけにはいかないので、やるべきことはもちろんこなしている。


もうすぐワタシの試用期間も終了するので、真依とも相談して正式採用になることは決めた。


それはこれからも佳澄と会社で接する機会があることを示しているけど、会社外で佳澄と2人きりで会わなければOKとは言われている。


それに最近は真依と佳澄の方が連絡が密で、ワタシより真依の方が佳澄の事情に詳しいくらいだった。




カスタマーサービス部のフロアにいつものように入って、いくつかの視線がワタシに向けられる。


その中で真っ先に反応を示したのは佳澄だった。


「佳澄、ちょっとこっち来て」


一目見て吹き出し笑いをした佳澄の席に、ワタシは一直線に向かう。


ワタシを見ながら、まだしつこく笑い続ける佳澄の服の袖を引っ張って立つことを促す。


それに応じながらも肩を震わせている佳澄を、フロアの隅のレストスペースまで引っ張って行って、無理矢理そこのイスに座らせる。


「こうなった原因を作ったの佳澄のくせに、その笑うの止めなさい」


項に手を伸ばすと、そこには掻き上げる髪はなく、首筋を掴んだだけで終わった。


先週末、真依のリクエストでワタシは高校卒業以来ずっとロングだった髪型をショートにした。


真依には大好評だったけど、週明けから「失恋をしたんですか?」と度々質問攻めには遭っている。その原因を作ったのが佳澄であることは、真依に聞いて明白になっている。


高校時代のワタシの写真が佳澄から真依に供与されて、「切ってみない?」という期待に満ちた眼差しにワタシは抗えなかった。


「ショートも似合うじゃない、葵。真依さんは何て言ってるの?」


「真依には好評だけど……そういう話じゃないでしょう」


佳澄はお腹を抱えながらまだ笑っている。


ちょっと笑いすぎだと、軽く頭にげんこつを落とす。


「いいじゃない。婦婦生活がマンネリ化しないためにも」


「それはそうだけど……そうじゃないでしょ」


「じゃあ、週末に真依さんの新鮮な反応に、葵が萌えなかったんだったら謝ってもいいけど」


「………………」


真依はワタシのショートヘアをかなり気に入ったようで、短くなった髪や首筋によく触れてくるようになった。もちろんそんなことをされるとワタシも反応を示してしまう。


「やっぱりね。独り者の淋しさも分かって欲しいわ」


「離婚成立したの?」


佳澄が家を出てから、会社で会ってもワタシは特にその話題には触れなかった。


「それはまだ。どうでもいいことでぶつぶつ往生際悪く言ってるけど、わたしの心はもう離れてるから」


「別れ話が拗れてのストーカーって多いらしいから、気をつけなさいよ」


「それはそれで手は考えてる」


「ならいいけど」


佳澄ならワタシより入念に準備をするだろうし、今回の佳澄はもう迷うことはないだろうから心配はそれほどしていなかった。


それにこうやって笑えるなら佳澄は今は大丈夫だ。


「でも、葵はもうショートヘアに二度としないと思ってた。悪い思い出しかないんじゃない?」


高校時代のあれこれ、は佳澄との件も含めて確かに黒歴史になっている。


「予定はなかったけど、真依に切ってって強請られたら仕方がないじゃない」


ワタシにとって今大事なのは真依だからこそ、抵抗なく髪を切れたんだろうとは思っている。


「葵に何かお願いをする時は、真依さんから頼めばいいってことだね」


「あなたね……」


「わたしの記憶にあるのは『手を繋いでいい?』って真っ赤になる葵だから、酸いも甘いも知っちゃって、その結果がこれなんだなって思ってるだけ」


溜息を吐く佳澄の横顔に、昔の佳澄の姿が重なる。


変わったのはワタシだけじゃなくて佳澄も同じだ。それでも変わってない部分もある。


元に戻るはワタシと佳澄の間にはなかったけど、古い友人として時々は気兼ねなく近況を話すくらいの関係でいたいと思うくらいには、ワタシは人としての佳澄が好きだった。


「これって何よ」


「これはこれじゃない? もういっそパートナーがいますって公言したら?」


「それは真依からリクエストされてる。今、会社にも手続きを問い合わせ中だし、うちの部では公表もしようって思ってる」


「それは思いきったね」


「ワタシと真依は、今の法律だとパートナー登録するのがせいぜいだけど、それでもパートナーっていうのがどういうものか、改めて分かった気がしてるんだ。本当にワタシにとって真依は最高のパートナーで、ワタシにできることって真依をパートナーだってちゃんと理解して、協力し合って、一緒に生きることなんだよね。

その形って男女だから、同性だからって違いがないって分かったから、公表することに迷いはないよ。自信を持ってワタシのパートナーは真依だって言える」


真依から言い出されたことだったけど、改めて考え直して、ワタシは自分としてそう答えを出した。


「葵にできる真依さんへの誠実さを示すことなんて、そんなことくらいか」


「それだけじゃなくて、深く真依を愛してるから当然でしょう?」


「はいはい」


「佳澄は離婚が成立してからどうするの?」


「しばらくは何も考えずに仕事だけしていたいかな。あと、営業にも戻れないか打診してみようと思ってる」


「やっぱり出世したいから?」


不妊治療のために佳澄は営業から異動をしたと聞いていたので、それがなくなった今、今の部署に拘る理由はない。


「どうなんだろうね。ただ、営業の方がわたしに合ってると思うんだ。今の部に来て勉強になったこともいろいろあるから意味がなかったとも思ってない。それを営業に戻って生かしたいんだ。まあ、上が異動を認めてくれたらだけど」


「やりたいことをやりたいって言えるのは今の内だけって気がするよね」


30代になってやっと周りが見えるようになった。そこから先の社会人生活はまだまだ長くて、でもどうせなら自分が望む道を行きたい。

ワタシだけの我が儘かなとも思っていたけど、佳澄にもそういう気持ちはあるらしい。


「それで葵は前の会社を飛び出したんでしょう?」


「そう。仕事にも慣れて一通りのことはできるようになったけど、これからワタシは何をしたいんだろうって思ってね」


「今はくやしいけど、葵の方が一歩先に行ってる感じかな。でも、すぐに追いついて、追い越すから」


「逃げ足しか自信はないんじゃないの?」


「逃げ足が速いってことは、追いつける足も持ってるってことだからね」


佳澄ならそのうちにぴったりのパートナーを見つけてきて、仕事もプライベートも充実する日々がやって来そうな気がしていた。

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