第27話 決意

 夜の牛丼屋。

 店内の客はまばらで、閑散としている。

 そこに二人の剣士が向き合っていた。

 《なにがし》・いみな隼人と、念流・霧生きりゅう志遠しおんであった。

「なら。俺と、お前は敵同士という訳だ」

 隼人は静かに言う。

 すると、志遠は小さく首を振る。

 隼人は志遠の仕草を見ると、その真意を察した。

「依頼を受けた。それは、依頼があったという意味で承諾したという意味じゃない」

 やや間を置いて、志遠は独白する。

「……僕は、ことわった」

 志遠は、隼人の目を見ていった。

「どうして。道場での木刀を用いた勝負なら、俺は志遠に何度も打たれている」

 隼人は不思議そうに訊いた。

 すると、志遠は、少し寂しげな笑みを見せた。

 おもむろに口を開き、話し始めた。

「試合ならね。だが、真剣を用いた死合ならどうか分からない。命が2つあるなら、やってはみたいが。僕に、そんな度胸は無いよ」

 志遠は、隼人をじっと見つめながら答えた。


 【死合】

 文字通り命を懸けた戦いのことで、「死に合う」「殺し合う」という意味合いがある言葉。

 かつてはいくさなどにおいて、武人同士で行われる。当時の美学からの名誉を懸けた戦い対しても、こう称されていた。

 武術とは本来、「向かってくる敵を倒す」「己や他者の身を守る」ためのものであり、事と次第によっては相手の命を奪うことも厭わずに行う必要があった。

 『試合』とは、そうした武術に安全を考慮して約束ごと(ルール、禁じ手)を設けて、スポーツ競技として成り立たせたもの。

 その上で技を競い合って、勝った者は充実し、負けた者は勝てるよう努力するため、結果として双方が互いを高め合い充実するという切磋琢磨の関係を築くというのが、現代の主な考え方となっている。

 しかし、禁じ手を設けてしまうことで、試合に勝つための技術ばかりが養われ、武術の本質である「危険から身を守る」という側面が失われてしまい、命を奪う危険性がある故に肝に銘じるべき心得なども形骸化してしまう。

 《試合は死に合いに通じる》

 合気道の開祖である植芝盛平翁の言葉は、武術のそうした危険性を考慮し、試合とは下手をすれば“死合い(命の奪い合い)”になりかねないと危惧したことから、合気道の中で試合を禁じた。

 

 志遠の目に嘘は無かった。

 隼人は、それを見抜くと、志遠を睨むようにして言った。

 志遠の言いたいことは分かった。

「人生ってのは一度しかねえからな。剣ともなると、三本勝負なんてものはねえ。一本で命取りになる」

 隼人は、淡々と死合の理を口にする。

 その言葉に、志遠は、小さく息を吐く。

 隼人は訊く。

「ところで。依頼人だが……」

 隼人は、その人物の名を口にした。

 ものの見事に的中した。

 志遠は口にしにくそうな表情をし、その名を口にした。

「……そうだよ。風花澄香。まだ高校生だ」

 隼人は、その名前を聞くと、口元に笑みを浮かべた。その笑みは、どこか嬉しそうでもあった。

「なるほど。助太刀を頼んだのか。是が非でも俺を討ちたいらしいな。一人で勝ち難いなら、数を増やしてあたる。兵法として当然の理論だ」

 隼人は、納得した表情を見せる。

 澄香と立ち合いを思い出す。女だてらながら、かなりの腕前だった。右肩に受けた一太刀を、隼人は今でも覚えている。

 あれは、将来達人の域に到達する剣士だ。

「彼女は言っていたよ。君に殺された親のかたき討ちだと」

 志遠は、どこか申し訳なさそうな表情で言う。その表情には、戸惑いの色があった。

「そうなのか?」

 確かめるように問われて、隼人はわらう。

「志遠。お前、今までに叩き殺した蚊の数を覚えているか?」

 隼人は、志遠に訊いた。

 志遠は戸惑った。そんなものを数えたことも記憶してもいない。蚊を殺して怨みも、悲しみも感じないから。

 ただ、自分の回り来る虫を払い除ける。隼人にとって、敵とは、人間とは、その程度の存在なのかと思うと、目の前の少年が恐ろしく思えた。

 この少年は、若い身空で一体何人の人を斬り、その家族を友人を仲間を悲しみの海に沈めてきたのだろうか。

 人の姿をした、人ならぬ存在。

 それが、目の前にいる少年だった。

「親のかたきって言うんなら。そうだろうな……」

 隼人は呟く。

 志遠は一度目を伏せると、訊いた。

角間かくま道長みちながという人を知っているか?」

 その名を耳にした瞬間、隼人は目を大きく見開いた。

 その様子に、志遠は確信を得た。

 隼人の脳裏に、一人の男の姿が浮かぶ。

「記憶があるようだな」

「……ああ」

 隼人は、小さく答える。

 志遠は、その反応を見ると、続けた。

 角間道長とは、口入屋・月宮七海を通して知り合った剣士だ。

 年齢にして40代後半から50歳前の恰幅かっぷくの良い男だ。誘われて一緒に酒を飲んだ間柄でもあり、隼人は剣の腕を買われて、一時、道長の道場の食客のマネごともしていたことがあった。


 【食客】

 剣術が盛んだった時代には、町道場にはたいてい食客がいた。

 いかに剣術が達者でも、それだけでは飯を食えない。それで地方の剣術道場の世話になり、その道場主から紹介状をもらって次の道場へ行き、そこでまた食わせてもらう。

 食わせてもらう代わりに門弟に剣を教える。

 剣術の根幹は、兵法三大源流・陰流、神道流、念流の3つ流派であり、その700を超える剣は、本派から分かれた、支流、分派、派生流派なのだ。

 つまり、本家から見れば、弟子、孫弟子というように系譜があり、武術家には縦なり横なり、全て繋がりがある。

 武芸者の武者修行の旅というのは、対戦をしたり用心稼業をするだけでなく、昔からこのような道場を巡り歩く。

 道場側としても、他流派の技を教えてもらうことで、その技術の吸収や、情報交換が出来るため、お互いの利益になっていた。


 角間道長は強い剣士だ。

 驚異的な強さのある剣士ではなかった。

 だが、彼が持つ優しさや慈しみの心は、人を教え導くのに必要だったのだろう。その強さと人柄から、門下達に慕われ人望もあった。

 夕暮れ時。

 いや、逢魔が時にて、隼人は道長と立ち合った。

 道長は会うなり、負けを認めた。

 そして口にする、たった一つの宝物。

 それは妻のことであった。

 自分の愛した最愛の女性にして、家族を持つ素晴らしさを教えてくれた人。

 道長は、妻を愛していることを口にした。

 愛するが故に、妻と娘を傷つけてしまう。失った時のことが怖くなり別れたと言っていた。

 隼人は、それを最後まで聞き入った。

 愛し愛される。

 素晴らしいことだと思った。

 隼人には、女を抱きたいという感情が無かったから。 

 敗北を覚悟した道長と隼人は死闘を演じた。

 道長の刀を使って土に斬り込んでの、土礫つちつぶてを、顔に受けた時はヤバイ攻撃だったのを思い出す。

 道長の祖先は、郷士だが武士だ。

 あれは、角間の家に伝わる戦場剣術の一技だったのだろうか。

 幾度もの斬撃。

 しかし、その中で隼人は冷静さを取り戻し、背後を取っての左脇腹への一撃を決める。

 そして、倒れた道長に隼人は止めを刺した。

 道長は、

 ――見事だ……。

 と隼人を褒めながら、眠った。

 隼人は、戦いの記憶をありありと思い出していた。

「風華澄香は、彼の娘だ」

 その言葉を聞いた時、隼人は驚く。

「ということは、姓は……」

「彼女の今の姓は、母方のものだ」

 その事実に、隼人は理解する。

「なるほど。それなら、確かに俺はかたきだ。俺は角間さんを斬っているからな。そうか、死んだか……。思ったより早かったな」

 隼人は、納得した表情を見せた。

 その顔は、怒りとも哀れみともとれる表情をしていた。風花澄香に対してではない。

 隼人は道長の死をいたんでいた。

経緯けいいを訊いてもいいか?」

 訊かれて、隼人はわらう。

「簡単さ。俺が《なにがし》だから。その昔、角間さんの祖先が教えを受けた先生を斬ったのは、俺の祖先らしい。その怨みを、俺にぶつけてきた。

 ま、それだけが理由じゃねえけどな。そのこともあって《なにがし》に挑んでみたかった。兎にも角にも、やったことは果し合いだ」

 隼人は言った。

 志遠は、その言葉を聞くと、希望を得たような表情をした。

「……果し合い。ならば、双方が納得した上での勝負だ。かたき討ちというのは筋違いだ」

 志遠の言葉に、隼人は笑みを浮かべた。

 その笑いは、乾いた寂しいものだった。


 【果し合い】

 それは、怨みや争いなどに決着をつけるため、あらかじめ定めた方法で、命を賭けて戦うこと。

 つまり、合意上の規則に従って行われる相互的殺傷行為であり、決闘という言葉が分かりやすい。こうした風習は日本独自のものではなく古くから東西両洋の各地にみられ、現在でも未開社会では行われる場合がある。

 封建時代の日本において、主に武士階級が行った果し合いは、正式の場合、日時と場所を記した果し状を送る。相手がそれを受け取り、立会人の立会いの下に両者の合意の上で行われることになる。

 基本的に一対一で刀を以って命を取り合い、飛道具は使わない形で行われた。


「隼人。立会人は? その証言があれば止めることもできるハズだ」

 志遠は言う。だが、隼人は首を横に振って否定した。

「立会人は、つけなかった。仮に立会人が居たとしても、遺族には必ずしも信じられるものじゃねえだろう。かつての果し合いでも、そこからあだ討ちというものに発展したというのを聞いたことがある。

 人を斬るってのは、誰かに恨まれることだ」

 隼人はそう言って、天井を見上げた。

 まるで、そこにいるはずの誰かを想うかのように。

「……僕たちは。なぜ、この時代に剣士になったのだろうね。剣の道とは、なんのためにあるのだろうか?」

 志遠は訊いた。

 隼人は、小馬鹿にしたように答える。

「剣ってのは、人を斬る術だ。精神論を極めたきゃ、今すぐ刀を捨てて、竹刀を握れ。志遠、お前は、まだ戻れる。

 だが、俺は生まれながらに生き方が決まっている。この身が朽ち果てるまで、剣を振るい続けるのが《なにがし》の定めだ。それでも。剣に生き、剣に死ぬのも悪くはないと思っている」

 隼人は答える。

 そんな彼に、志遠は声をかけた。とても静かな口調だった。

「聞けば、風花さんとは一度は立ち合ったらしいな。

 女は斬りたくない。以前、隼人はそう言っていたが、どうして受けたんだ?」

「クラスメイトが人質に取られた。もう解放はしてもらっているがな」

「!……」

 その答えに、志遠は驚きの表情を見せる。

「……彼女は、君にまた挑んで来るのは間違いないな。次に挑まれたら、どうする?」

 志遠が訊くと、隼人は眉をひそめる。

「向こうが斬る覚悟を決めているんだ。手心をくわえていれば、俺が死ぬことになる。峰打ちなんて俺にはできない芸当だ」

 隼人は言った。


 【峰打ち】

 刀には、峰打ちという斬らない技がある。

 刀などの両刃ではない刀剣の背面にあたる峰の部分で相手を叩くことだが、峰打ちは技としては存在しない。

 時代小説作家・牧秀彦は著書『剣豪 その流派と名刀』で、「本来の峰打ちは『峰で打つこと』ではなく、『普通に切りかかって相手の体に届く寸前で刃を返すこと』であり、斬撃や打撃の威力ではなく『斬られた』と思い込ませることで意識を断つものである」と記している。

 刃で斬らなければ切創などによる出血を伴わないために死ぬことはないというイメージを持たれやすいが、実際は「棒状の鋼で打撃」することであり挫創や挫傷、骨折を負わせるには十分で、当たり所によっては死に至ることもある。

 つまり、凶器が刃物から鈍器に切り替わったに過ぎず、単純に峰で叩いても挫傷などにより深刻なダメージに至る可能性がある。

 峰打ちの切れ味(破壊力)は抜刀術の名人たちや、歴史学者、東京大学教授・本郷和人によって、アメリカ合衆国の元プロボクサー・元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン・モハメド・アリのパンチの12倍の威力と検証された。

 また、角のついた金属板の縁で殴るようなものであるから、深手の創傷となり大量出血に至ることもある。

 刀は峰で打つことを前提として作られている訳では無い。

 刀は刃の部分を硬く鍛えているので、逆の峰の部分は柔らかい。峰を鈍器のように使うと、打撃の全ての力が、その一点に集中して刃に負担がかかってしまい反発するため、力の逃げ場がないので折れてしまう。

 刃で斬る時、その力は反発されず、さらに深く入って切断という作用で吸収、拡散されるということになる。

 

「ならば。この勝負、どちらかが倒れるまで終わらないということか。いや、この勝負。隼人の勝ちだな」

 志遠は言い切った。

「どうしてそう思う?」

「君が《なにがし》だからだ。僕も、君と戦って勝てる気がしない。だから、僕は風花さんの助太刀をことわった」

 志遠は断った時の、澄香の顔を思い出す。かたきを討ちたいという涙を流す少女の頼みを断るのは、正直、心苦しかった。

 だが、志遠は自分が隼人に勝つ姿が想像できなかった。

 それに、隼人の信念は、きっと、自分よりも強い。

 彼は、自分の生き方を貫いている。

 それは、彼の生き様そのものなのだ。

 一方で、隼人は、志遠の言葉にどこか寂しい表情をした。

「剣友だから。……とは言ってくれねえんだな」

 隼人の言葉に、志遠は目を伏せる。

「それもある。僕は君のことが好きだ」

 そして志遠は、思い出したように答えた。先に、それが口にできなかったことを済まなそうにする。

「俺は女に興味はないが、かと言って男に興味がある訳じゃない。だが、誰かに好きと言ってもらえるのは悪い気分じゃないな」

 隼人は微笑し、志遠も同じ様に微笑した。

 そんな蜜月もつかの間、隼人は話しを現実に戻す。

「だが、勝負ってのは分からねえぞ。真剣勝負ってのは必ずしも実力が上の者が勝つ訳じゃない。《時》《人》《天》の運が加味された結果だ。俺は、そう思っている」

 志遠は即答する。

「それでも実力の差は明らかだ。《なにがし》は、そんな甘いものじゃない」

 隼人は言う。

「そうでもねえぞ。現に、俺は澄香に一太刀を受けている」

 聞いた言葉が信じられないのか志遠は隼人を見た。

 志遠が驚くのも無理はなかった。なぜなら、隼人は《なにがし》であり、その背景にある、成り立ちと、歴史、連綿と受け継がれて来ている技術、その全てが、その強さを支えていた。

 その隼人が、まだ10代の少女である澄香に一太刀を受けたと言うのだ。志遠は偶然の要素が強いと思ったが、隼人の反応を見る限り確かな術理に基づいた攻撃だったようだ。

 隼人が嘘をついているとは思えない。

 しかし、あの澄香が、それほどの力を持っているとも、志遠には考えられなかった。

「お陰で、今はこんな物を持ち歩くようになった」

 そう言って、隼人は口紅と香水を取り出す。

「!」

 志遠は、その意味が指し示さんとする意味を悟った時、驚きのあまり声が出なくなった。

 それは、彼が剣士であることをやめることを意味した。志遠は、隼人の覚悟と決意がどれほどのものなのか思い知った。

「『本朝武芸小傅』『日本中興武術系譜略』『撃剣叢談』『新撰武術祖録』江戸期におけるどの武術流儀解説文献にも、君の流儀は記されていない。

 だが、僕は知っている。同じ上州出身の念流の僕だけは。君の剣は本来、尊敬と敬意を示される由緒ある剣だ。それを失うということが、剣術史おいてどれだけの損失か世間は理解していない」

 志遠は一人の剣士として、それが許せなくて拳を固めた。

「そんなことねえ。《なにがし》の正体を知れば、幻の秘剣術故に世間は必ず名を挙げる為に命を狙い、利益の為にその力を利用しようとする。角間さんも、その一人だ。俺が《なにがし》と知った瞬間に挑まれた。

 俺は生きるために《なにがし》を使っているに過ぎない。こんな人の命をもてあそぶ剣を、後世に残しちゃならねえんだ。

 だからと言って、自殺するような度胸もねえ。なら俺は、剣士として戦って死にたい」

 隼人から、それを告げられた瞬間、志遠は自分が感じた感情の正体を自覚する。

 それが、とても辛いものだと分かった。

 だが、隼人の覚悟を踏みにじることは、彼にもできない。

 その事実は変わらない。

 ならば、自分にできることは、一つしかなかった。

 志遠は、その覚悟を決めた。

 隼人も、その覚悟を感じ取ったようだった。

 二人の間に沈黙が流れる。

 志遠が口を開く。

「……隼人。僕に、君達の果し合いの立会人を務めさせて欲しい。どうか、頼む」

 志遠は頭を下げた。

 隼人は驚いた顔を見せたが、その申し出を受け入れた。

「そうか。なら、一人の剣士として頼む。どのような結果になろうとな」

 志遠は、隼人の言葉の意味を察した。

 それから、二人は食事を済ませると牛丼屋を出て行く。

 人通りも、自動車の数も少ない道の真ん中を、隼人と志遠は歩いた。

 その歩みは、すぐの止まることになる。

 なぜなら、目の前に、ラクロスケースを肩に担いだ黒いセーラー服の少女が立っていたからだ。

 風花澄香であった。

 澄香は、小雨にでも降られたように全身に汗を滴らせていた。汗は、頬から首筋へと伝い、前髪の先端から雫となって落ちる。

「隼人。私と立ち合え。今すぐだ」

 澄香は、決意を以って言い放った。

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