第37話 不適合

 街の主要道路を横に、隼人は歩いていた。

 その表情は険しく、目は不安に揺れていた。

 左肩には、いつものように黒布に包んだ刀と脇差を背負うように左手で負っている。

 隼人は、それを重いと思ったことはない。

 だが、今日はその左腕が重い。

 その理由は、隣を歩く七海にあった。

 七海は、右腕を隼人の左腕に絡め、なぜか楽しそうな笑みを浮かべている。

 その姿に、隼人は戸惑いを隠せない。

 それは、腕を組んでいるからだけではない。この女が、何を考えているのか分からないからだ。

「なあ、口入屋……」

 隼人が言いかけると、海の左手が伸びる。

 七海の人差し指が、隼人の唇を押さえた。

 be quiet。

 静かにして。というジェスチャーを隼人にする。

 彼女の笑顔に、隼人は顔をしかめる。

 隼人がノリの悪いことを言う度に、こうして塞がれてしまうのだ。

「ダメでしょ。私達、恋人同士なのよ。七海って呼んで欲しいな。ね、隼人」

 取ってつけたような馴れ馴れしい、親しげな口調と言葉に、隼人は呆れる。

 そして、深いため息をつく。

 結局、隼人はこの女のペースに巻き込まれてしまっている。

 そもそも、こんな状況になった経緯を思い返す。

 澄香達との話し合いのあと、隼人達は愛生殖医療医院に向うことにした。代理出産における状況調査だ。

 病院に入るには、セキュリティが強化される夜よりも、昼の方が安全だと隼人は判断した結果だ。

 病院に正面から入るには患者か入院患者の見舞いに来た家族ということで、病院に入ることは可能だろうと踏んでのことだ。

 話し合いの結果、隼人と七海が恋人同士という設定で、一緒に来たということになった。

 これは、志遠の提案だ。

 恋人であれば、病院に入るのは不自然ではないということだった。

 隼人は意見した。

 なぜ自分なのか?

 七海となら志遠の方が年齢が近いし、恋人役としては適任ではないか?

 志遠を隼人の兄という設定にして、付添で来たということの方が自然ではないかと言った。

 だが、志遠よりも七海が意見した。

「私、隼人以外とはイヤよ。それに《貸し》があるでしょ。返してもらっても良いかしら?」

 隼人は、その一言に押し切られてしまった。

 まさか、隼人が澄香や瑠奈と一緒に産婦人科に入るのは、不自然なことだろう。

 だが、隼人としては納得できない。

 なにしろ、相手は口入屋の七海だ。

 口が上手く、自分のペースに巻き込む術に長けている。

 それが分かっているだけに、隼人は気が気でない。

 隼人は、チラリと七海を見る。

 その視線に気づいた七海は、微笑む。その笑顔に、隼人は目をそらす。

 何を考えてるか、まるで読めない。

 剣士である自分がだ。

 古くから「目は心の窓」と言われるように、目は心の動きを最もよく現わすところだ。

 柳生新陰流の開祖・柳生但馬守宗炬の書にある、 柳生新陰流の奥伝ある剣の世界には、一眼二足三胆四力という言葉がある。

 相手が何を考え、何をしようとしているのかを見極める洞察力(一眼)、二本の足でしっかり大地をふんまえるしっかりした土台(二足)、冷静沈着かつ大胆な決断力(三胆)、技術の力(四力)の重要性を説いている。

 最も重要であるのが「一眼」、眼だ。

 隼人は、今までに様々な、人間と会い、剣士と対峙してきた。

 その中には、明らかに裏のある者も多くいた。そういった者たちの目つきは違うものだ。

 相手の腹の底を探るような目をしているからだ。

 剣士では、凄まじい技量を持った者もいた。

 だが、それでも、目を見ただけで相手の考えを直感的に読み取ることができた。

(この女の目だけは、本当に分からない……)

 そうこうしているうちに、愛生殖医療医院が見えてきた。

 ベッド数75床の病院だ。

 産婦人科としては比較的大きな建物で、入り口には警備員がいる。外観は白く清潔感があり、設備も整っているように見える。

「ねえ。私、妊娠しているってことでいいんだよね?」

 七海の言葉に、隼人は頷かなかった。

 貝のように口を閉ざし、人生の岐路を熟考したような様子を見せてから答えた。

「せ、……設定でな」

 その答えに、七海は不満げな顔を見せた。

 隼人は思う。

 確かに、七海は見た目は悪くない。スタイルも良く、整った目鼻立ちをしている。

 性格は、強引で押しが強いところがあるが、悪い女ではないと思う。嫌いじゃない。

 だが、それだけだ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 隼人にとって、七海は口入屋であり、金にガメツイ女に過ぎない。

「隼人って、演技が下手ね。なんなら、ちょっとそこで2時間程休憩していかない? 演技にリアリティが出るわよ」

 七海は言う。

 隼人は、その言葉の意味を考える。

 つまり、休憩と称してホテルに行くつもりなのだと。

「バカなこと言ってんじゃねぇよ」

 隼人は言いながら、もう腕を振り解きたくなった。これ以上、七海と話してるとロクなことがない。

 気持ちが離れるのを感じたからか、七海は隼人の腕に柔らかい感触を押し付ける。その正体に気づく前に、隼人は腕を引っ張られる。

 振り向けば、七海の顔が間近にあった。

 その瞳には、妖しい光が宿っていた。

 七海は言う。

 その声は、艶っぽく聞こえる。

「私、本気よ。隼人のこと、食べてみたいの」

 隼人は七海の目を見つめる。

 不意に隼人は、吹っ切れたように鼻で笑う。

 この女は、男をその気にさせるのに慣れすぎている。その手練手管は、おそらく百戦錬磨と言ってもいいレベルだ。

 だが、女の武器を使っても隼人の心は動かない。

「俺が死体になったらな」

 その言葉に、七海は表情を歪めた。

「……本当、隼人って、色仕掛けが通用しないわね。やっぱり《なにがし》ね」

 隼人は肩をすくめる。

 すると、七海は急に真面目な表情を見せる。

「ねえ。隼人は女性を好きになったことは、あるの?」

 隼人はその問いに答えることができなかった。適当に、あしらえる様子ではないものがあった。。

 七海の表情から、ふざけているわけではないと分かったからだ。

 だから、真剣に考えた。

 やや間があった。隼人は首を横に振る。

 女に恋心を抱いたことはない。

 そもそも、人を本気で好きになるということがよく分からない。

「さあな。俺はまともな人間じゃねえからな。そもそも食うことも、眠ることも、女を抱きたいとも思わない奴が居たとしたら、それは本当に人間なのか?」

 隼人の問いかけに、七海は目を伏せた。

 その仕草に、隼人は戸惑う。

 今までの七海からは想像できないほど、しおらしい姿だった。

 七海は言った。

 その口調は、どこか寂しげで、切なげだった。

「その人が人間の心を持っているなら、きっと私達と同じだと思うわ。ただ、人と違うだけ。人よりも少しばかり、何かが違うだけで……」

 七海の言葉に、隼人は初めて七海のことを理解できたような気がした。

 この女の本当の姿が見えた気がしたのだ。

 だが、それでも隼人の気持ちは変わらない。

 たとえ、相手がどんな姿をしていても、七海は口入屋の七海だ。

 依頼をこなし、金を稼ぐ。

 それだけだ。

 隼人は思う。

 自分は、こんなにも他人のことを理解できるのかと。

 だが、やはりそれは錯覚だと結論づける。

 他人を理解したことなどない。

 そんなことはあり得ない。

 なぜなら、自分と他人は根本的に違っているのだから……。


 ◆


 愛生殖医療医院に入った隼人と七海は、待合室に入った。

 多くの女性に混じり、看護師が忙しそうに歩き回っている。

 隼人と七海が、少し見回す。

 すると笑顔が可愛い女性の医療事務員が、優しく話しかけてきた。

「どうされました?」

 隼人は、その質問に答えようとした。

 だが、それよりも先に七海が口を開いた。

 その声は、明るく弾んでいる。まるで、友達に話しかけるように。

「……あの。市販の妊娠検査薬を使ってみたら陽性だったんですけど。それで、本当なのか診ていただけたらと思いまして」

 医療事務員は、笑顔のまま答える。

「そうですか。当、病院は初めてですか?」

 七海は笑顔で答える。

 その顔は、自信に満ち溢れ、明るい。

 隼人は思った。

 こいつは、役者の才能があると。

 七海は続ける。

 その声は、どこまでも楽しげだ。

 まるで、デートに向かう少女のように。

「ねえ隼人。おめでただったら、どうしよう?」

 隼人の腕にしがみつくようにして身体を寄せてくる。

 隼人は、七海に小声で告げる。

 それは、演技の打ち合わせではなく、七海への忠告だ。

「はしゃぎ過ぎだろ」

 だが、七海は隼人の言うことを聞いていない。

 むしろ、隼人の注意をあおるかのように振る舞う。七海は、隼人の腕をさらに強く抱きしめ、隼人の肩に頭を預けて来る。

「そういう。設定でしょ」

 その言葉に、隼人は呆れたようにため息をつく。

 もはや、何を言っても無駄だろう。

 七海のペースに巻き込まれ、振り回されるだけだ。

 医療事務員は、隼人の若い身なりに七海との少々不釣り合いな年齢を感じたが、幸せそうな七海を見て、微笑む。

 そして、優しい口調で言う。

「彼氏さんですか? ご一緒に診察にいらっしゃいますか」

 その言葉に、七海は頬を赤く染める。

 そして、照れくさそうに言う。

「彼氏だって。じゃあ、私は隼人の可愛い彼女ね」

 その様子は、まさに恋する乙女のようだった。

 そして、七海は隼人の手を取り、自分の下腹部に当てさせる。

「隼人。もうお父さんかもよ。男の子だったら、疾風はやて。女の子だったら、七夏なのか。ってのはどう?」

 隼人は思う。

 なんて、白々しい芝居だ。

 だが、七海の演技に付き合うしかない。

「いえ。俺は、初めてて怖いので……」

 隼人は、七海と手を繋いだまま俯く。

 怖い。

 その言葉は、嘘ではない。こんな身の覚えのない状況が、本当に怖い。

 白刃の下に身を置く方が、マシだと思ってしまった。

 だが、それ以上に、七海とは離れたかった。というか、そういう作戦だったと打ち合わせていたハズだ。

 七海は、さらに身を寄せて囁いた。

 その吐息が、耳をくすぐる。

 それは、まるで情事の最中のようだ。

 隼人は、思わず視線を背け、どう対応していのかと思っていると、一人の少女の姿が目に入った。

 肩に居合刀ケースを担いだ、まだ10代の少女。

 紅羽くれは瑠奈るなだった。

 瑠奈は肩を震わせながら、こちらを見つめている。

 その表情は、怒りに満ちており、今にも斬りかかってきそうだ。

「る、瑠奈。どうして、ここに……」

 隼人は、予期せぬ出来事に面食らう。

 すると、瑠奈はズカズカと隼人に詰め寄った。

「どうして? それはこっちのセリフよ。澄香の様子を観に行ってたら、隼人と月宮さんが連れ添って出ていくじゃない。

 二人して腕なんか組んじゃって、あげくの果てに産婦人科に入るってどういうことよ」

 瑠奈は、そこで言葉を詰まらせる。その声には、明らかに怒気が含まれている。

 だが、同時にどこか泣き出しそうでもあった。

 そんな瑠奈の態度を見て、七海は勝ち誇ったように言った。その声は、どこまでも明るく弾んでいる。

 まるで、友達に話しかけるように。

「あら瑠奈ちゃん。久しぶりね。元気にしてた?」

 だが、七海の言葉に、瑠奈は顔を真っ赤にする。目は、涙ぐんでいる。

 必死で堪えるように歯を食い縛ると、キッと睨みつける。

 まるで、獣のような鋭い眼光だ。

 それでも、七海は怯まない。

 それどころか、挑発するように続ける。

「ここは瑠奈ちゃんのようなネンネが来る所じゃないのよ。分かったら帰りなさい」

 その言葉に、瑠奈は負けじと言い返す。

「何よ。年増のクセに」

 その言葉に七海は鋭く反応した。

 そして、凄まじい形相に変わる。

 それはまさに、鬼女だった。

 七海は、目を血走らせながら叫ぶ。

 その姿は、正真正銘の狂人にしか見えない。

 あまりの豹変ぶりに、待合室にいる他の患者や看護師達も驚いている。そんな周りの状況など気にせず、七海は言う。

「誰が、年増ですって?」

 その声は、地獄の底から響くようなドス黒い声だ。

 だが、瑠奈も一歩も引かない。

 むしろ、ますますヒートアップする。

「年増に年増って言って何か悪いの? 私なんて居合小町なんて言われてるけど、あんたなんて、ただの口入屋じゃない。それに、隼人のことだって、相手はまだ高校生なのよ。淫行条例違反で捕まるわよ」

 七海は、その言葉を聞いてさらに激高する。

 それはまるで、噴火直前の火山のようだ。

「何よ小娘のクセに」

「何よ年増のクセに」

 二人は睨み合い、火花を散らす。

 突然の修羅場に医療事務員はオロオロとしている。

 見れば看護師が、内線電話を使って連絡をし、警備員が駆け付けて来ている。

 隼人は、マズイことになったと思った。

 だが、七海を見ると隼人に向かって離れるようにジェスチャーを送って来るのを見た。

(なるほど)

 隼人は思う。

 つまり、これは芝居なのだと。

 瑠奈、この病院に来たのも、偶然ではない。

 すべては、七海の計算通りなのだ。

 そして、七海は隼人にアイコンタクトを送る。

 警備員が七海と瑠奈をなだめようとしている中、隼人はそっとその場を離れた。

 隼人は病院の奥へと進む。

 すると、ある病室の前で、一人の少女が立っていることに気がついた。

 飾りベルト付きのキャスケット帽子を被り、ワンサイズ大きめのレディースジャケットにガウチョパンツ姿の少女。

 少女は、隼人を見つけると手を上げる。

 見慣れない姿なので、一瞬誰か分からなかったが、それは、澄香だった。

 澄香は、不安げな表情で、隼人を見る。

 だが、すぐに笑顔を浮かべる。

 その顔は、いつも通りの澄香だった。

「澄香」

 隼人は呼びかけると、澄香は不安な面持ちで話しかけて来る。

「ちょっと。待合室で何があったの。病院の中が蜂の巣をつついたみたいに騒がしいんだけど。さっきから人がそっちの方に、集まっているじゃない」

 隼人は答える。

 当初の予定では、七海が診察を受けている間に、先行して病院に入った澄香が下調べを行い、それと隼人が合流をして調査をするというものだったのだ。

「色々あってな。それよりカルテ保管庫は?」

 問われて、澄香はサムズアップで答える。

 それは、すでに調べてあるという意味の合図だ。

「はい。カードキー。これで入れるハズ」

 隼人は、礼を言う。

「どうやって手に入れたんだ?」

 澄香は、得意そうに言う。

 自慢するように。

 その表情は、どこか悪戯っぽい。まるで、イタズラに成功した子供のように。

「お手洗いで、看護師とすれ違った時にね。借りたの」

 隼人は感心していた。

 こんな状況下でも、冷静に行動できるのだから。

 七海といい、瑠奈といい、澄香といい、本当に頼もしい限りだ。

 志遠も動いていることだろう。

 待合室での一悶着ひともんちゃくが原因で、人とはすれ違わない。好都合で助かる。

 二人は自然体でありながらも周囲を警戒し、カルテ保管庫に着くとカードキーをかざして施錠を解く。

 そして、素早く中に滑り込むと、ドアを閉める。

 ふっと一息ついた部屋には棚が並んでおり、そこには大量のカルテが入っている。

 その光景に、隼人は圧倒される。

 リストを取り出し、問題の代理出産を行った患者のカルテを探す。

 二人で手分けをして、手早く6人分のカルテを手にすると、それを閲覧していく。

「間違いないな。全員、人工授精したとある。そして妊娠、経過」

 その言葉に、澄香はうなずく。

「こっちの患者は、もう出産しているわね。性別は……女の子か」

 澄香は、カルテを見ながら気づく。

「ねえ。隼人、これ何からしら?」

 そう言って、一つのカルテを取り出す。

 そのカルテの出産後の検査に、不適合と大きく目立つように書かれていた。

 どうやら、遺伝子疾患があるらしい。

 カルテを捲ると、胎児の染色体異常を示す検査報告があった。それは、間違いなく先天的な病気だ。

「これが原因なのか?」

 隼人の言葉に、澄香は首を傾げる。

 その表情は、困惑していた。

「それなんだけど、こっちのカルテにも同じ様に書かれてるわ」

 澄香はカルテを見せる。

 そのカルテの末尾には、赤子の健康状態について記載があり、健康とあった。

 だが、検査の項目があり不適合と書かれていた。

「でも。変ね。この赤ちゃんの健康状態は、遺伝子疾患のことは書かれていないのに、不適合って書かれているわ。どういうこと?」

 隼人は眉を寄せた。

 そのカルテは、確かに不適合と書かれている。

「七海の話しだと、すでに14人の女性が出産した。ということだったな。全員のカルテを見てみよう」

 二人は手分けして14人分のカルテを集めて確認する。

 他の13人の赤ん坊は、どれも元気な様子だ。

 だが、全員不適合と書かれている。

 澄香は考える。

「何なのこれ?」

 隼人は床に広げたカルテを最初から捲る。

 二冊目、三冊目を手にして、気がつく。

 ある共通点に。

 それは精子提供欄に《R.I》と書かれていたことだ。

「どういうことだ。この14人全員の父親は、全員同じだぞ」

 その言葉を受けて澄香は、それを確認する。

「本当だわ。しかも、こっちの出産前の女性の精子提供者も同じ《R.I》って書かれてる」

 それは、あまりにも奇妙な状況だった。

 隼人は提案する。

「もう20人、代理出産のカルテを確かめよう。精子提供者が《R.I》かどうか確認するぞ」

 二人はさらに、カルテを調べる。

 だが、結果は変わらなかった。

 全員が《R.I》と書かれた精子提供者であった。

 偶然ではない。

 意図的に、《R.I》の子供を作っているのだ。

「この病院では、一体何をしているんだ」

 隼人は呟く。

「子供好きにしても、200人以上の女性に子供を産ませるなんて普通じゃないわよ。自分の子供だけで、会社の一族経営でもするつもり?」

「それなら、不適合と書かれていたことと符号しない。何か目的があるのは間違いない」

 隼人は思う。

 いったい、何のためにこんなことをしているのか。

 隼人は時計を見る。

 カルテ保管庫に入って8分が経過していた。これ以上の長居は発覚に繋がる。

「収穫はあった。引こう」

「分かったわ」

 隼人の提案に澄香は了承する。

 二人はカルテを片付けると、素早くカルテ保管庫から抜け出た。

 そして、待合室に戻る。

 待合室に戻ると騒ぎはすでに収まっていた。

 七海と瑠奈の姿は無い。

 警備員が外から入ってくるところを見る。やっかいごとに疲れた表情をしていた。隼人は察する。

「どうしたの?」

「どうやら、二人共つまみ出されたみたいだな」

 澄香は苦笑する。

 だが、あの二人は良くやってくれた。お陰で、カルテを調べることができ情報を入手することができたのだから。

 ともかく病院を出る必要がある。

 隼人と澄香は、待合室を抜け玄関ホールを出た所で、一台のロールスロイスが正面を抜けるのを見た。

 後部座席には、60代の和服姿の老人と、和服姿の中年の男が乗っているのを見かける。

 二人は、その車を見送る。

 隼人は、その車に違和感を覚えたからだ。

 何故ならば、その高級車は、正面で止まらずにそのまま走り去ったからだ。

 隼人は玄関を抜けると、ロールスロイスを目で追いかける。

 すると病院西側にある、時間外出入口に止まる。

 出入口には看護師と医師が、外に出て来て出迎えの体勢を取っていた。

 ロールスロイスは、そこに止まると、運転手が後部座席のドアを開ける。先に和服を着た中年男性が降りる。左手には、鞘袋を手にしている。

 続いて、和服姿の老人が降りてくる。

 鼻には酸素濃縮機のチューブを繋げていた。

 二人の看護師が素早く老人の介助を行い車椅子を用意すると、老人を乗せる。

「どうしたの隼人?」

 澄香が少し遅れて出てくる。

「……あの老人。どこかで見たことがある。隣の男もな」

 澄香は、隼人の言葉を聞いて驚く。

 中年の男は、周囲を見回した瞬間、隼人と目が合う。

 男は隼人の姿を認めた。

 30mは離れていたが、二人の視線は交差した。

 視線だけで身体が強張る。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように。

(この感覚……)

 その瞬間、隼人は理解した。

 鬼面を被っていたので、顔は分からないが、その眼光から受けた圧迫感に覚えがあった。

 隼人は思い出す。

 髪飾りを付けた鬼面の男だ。

 その事実に気づいたとき、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 こちらが認識できたということは、あちらもこっちを認識したということだ。男は、じっと隼人を凝視し、澄香もただならぬ気配を感じ取った。

 老人は、男が動かないことに気づいた。

「どうした源郎斎?」

 声をかけられた男・志良堂源郎斎は我に返った。

「《なにがし》の隼人と、角間の娘が居ます」

 老人は、それを聞くと目を大きく見開く。老人は看護師に命じて、二人が居る方向に車椅子を向けるようにする。

 老人は隼人と澄香を認める。

「あれが、お前に一刀を浴びせた小僧か。ふむ。儂は人生で色々な人間を見てきたが、なかなかいい目をしておるな。噂通りなら欲しいの《なにがし》の力は」

 そう言って老人は笑う。

 だが、その目は笑ってはいない。

「あれは魔物です。危険すぎます」

 その言葉に、老人は首を傾げる。

 だが、すぐに納得する。

「敵にした奴ほど、味方にした時は心強いがのう。とは言え、生産工場の供給ルートを断ったのが、あの小僧と角間の娘か。しかし、なぜ奴らがここにいる?」

 老人は顎に手を当てて考える。

「感づいたとしか思えません」

 その言葉を受けて、老人は鼻を鳴らす。

 笑っているのだ。

 隼人は、老人の口元が歪んでいるのを見て、悪寒を覚える。

 それは、獲物を見つけた肉食獣の表情だった。

「今更感づいたところとて、もう遅いわい。すでに300人近い女が儂の子を産む予定になっておる。一陣の14人は不適合じゃったが、間もなく合格者が出るのは確率上間違いない」

 老人は、自信たっぷりに言う。

 自分が絶対の権力者であると信じている者の傲慢さだ。

 その態度に、源郎斎は不快感を覚える。

 老人は、自分の考えに陶酔しているのか、自分の世界に入っているようであった。

 源郎斎は、それを無視して質問する。

「では、いかが致しますか?」

 隼人と澄香を、どのように対処するかについてだ。

 この老人は、自分の計画に狂いが生じても気にしない性格なのだ。その一方で、自分の思い通りに物事が運ばないと、苛立ちを露わにする癖がある。

 まさに胸三寸で物事が決まる。

 老人は自分の言いたいことを、相手に伝えることに満足する。そのため、会話は一方的なことが多い。

 そして、老人は話すだけ話したら、勝手に行動を始める。

 老人の瞳には、隼人と澄香の姿が映っていた。

 隼人と澄香をいかに始末すべきかを考えているからだ。彼は、自分勝手な性格で、他人の話を聞かないタイプだ。

 老人は言う。

「お前のペースで良い。消しておけ」

 計画は完了した訳では無い。

 だが、すでに安泰の域に入っている。老人にとって隼人達は障害となり、逆らった者達だ。

 だから排除しろというのだ。

 その言葉に、源郎斎は無言でうなずくしかなかった。

「承知しました」

 それを聞いた老人は、不敵な笑みを浮かべた。

 老人は車椅子を押す看護師に命令する。その口調は穏やかだが高圧的だ。

「院内に案内せい」

 看護師は老人の命令に従い、病院内へと車椅子を進ませる。

 源郎斎も後に続く。

 老人は傍らを歩く医院長に訊く。

「今回は、どんな美人が儂の種を絞ってくれるんじゃ?」

 医院長は答える。

「高級コンパニオンを用意してございます」

 その答えに、老人は愉快そうに笑うが、ふと車椅子を押す看護師を見る。三十路に近いが、中々の色気があり容姿も悪くはない。

 老人は、何か思いついたようだ。

 その顔には邪な欲望が滲んでいた。

「気が変わった。この看護師にしてくれ」

 老人の言葉に、一瞬、場が凍りつく。

 それは源郎斎も含めてだ。

(御老公は、またろくでもないことを考えついたな)

 源郎斎は今に始まったことではないと毒づく。

「……彼女は素人です。失礼があってはいけませんので」

「構わん。見たところ既婚者じゃろ。旦那にするのと同様のことをさせればいい。障害者に対して性行動の支援・性介助と同じことじゃ」

 医院長は老人に進言したが、老人は耳を貸さなかった。

 特に看護師の方は、顔を青ざめさせていた。まさか、自分に白羽の矢が立つとは思ってなかったのだろう。

 だが、そんなことは老人には関係無い。

 医院長は看護師に頼む。

「ご指名だ」

 看護師は戸惑いながらも首を縦に振る。

 断ることはできなかった。

 老人の権力は絶大だ。

 もし、ここで断ったら、自分はどうなるか想像もできない。

「……つつしんで、お相手させて頂きます」

 その答えに、老人は愉快そうに喉の奥で笑っていた。

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