第38話 目的

 街の喧騒の中を隼人と澄香は歩いていた。

 二人は愛生殖医療医院の外での出来事を振り返っていた。

 隼人は、あの老人に見覚えがあった。

 必死になって思い出そうとしていたが、さっきから引っ切り無しに携帯電話が鳴っており集中できないでいた。

「うるさいんだけど。出てあげたら?」

 澄香は、さすがにイラつき始めたのか、隼人に文句を言う。

 隼人は、ポケットから携帯を取り出すと、画面を確認する。

 そこには《紅羽瑠奈》の文字が表示されていた。

 隼人は電話に出る。

 その途端、大きな声が聞こえてくる。

「ちょっと隼人! どういうこと!?」

 その勢いに、思わず耳を離す。

 澄香はその様子を見て、呆れた表情になる。

 その様子だと、隼人が電話に出なかったことで、相当心配していたのだろうと察した。

 隼人は、少し申し訳ない気持ちになった。

 だが、今はそれどころじゃない。

 隼人は、瑠奈の質問に答える。

「何だよ瑠奈」

「何だよじゃないわよ。あの年増の口入屋と産婦人科に行ったのって、本当に妊娠させたの? それともさせられたの?」

 隼人はその言葉を聞いて、やっと思い出す。

「……口入屋から聞いてないのか? あれは芝居だぞ」

 隼人の言葉に、瑠奈は困惑した声を出す。

 七海と瑠奈の口喧嘩バトルは、てっきり七海が仕組んだものだと思っていたが、あれは偶発的なものであることを、隼人は理解した。

「芝居? 芝居ってどういこと?」

 隼人は、かいつまんで事情を説明する。

 説明を聞き終えた瑠奈は、安心して胸を撫で下ろす。

 そして、今度は怒り始める。

 その変化の激しさに、隼人はついていけない。隼人は、とりあえず謝ることにする。

 しかし、それがいけなかった。

 謝罪を受けた瑠奈は、更にヒートアップする。

「だからって、あんな年増が隼人とが設定でも、そんなことをしたなんて絶対に許さないわ。私を差し置いて、よくも!」

 その剣幕に、隼人は圧倒される。

 澄香は、それを黙って見ていた。

 隼人は、瑠奈を落ち着かせる。

「いや。だからって、瑠奈と一緒に妊娠設定で産婦人科に行ける訳ないだろ。俺達、高校生だぞ」

 瑠奈は、自分の立場を思い出したのか、冷静な口調に戻る。

 だが、まだ怒っているようで、不機嫌そうな声で話す。

「そ、それはそうだけど……。いや。そういう展開ってのも、ある話しじゃない。若気の至りって奴でさ……。私、隼人と。その、だったら……」

 最後の方は小声になっていた。

 だが、隼人の耳には届いていた。

 隼人は、なんと答えていいか分からず戸惑う。

 澄香は、二人の会話を横で眺めながら、

(まるで夫婦漫才ね)

 と心の中で呟いていた。

「色々と心配させて済まない。詳しいことは、またじっくり話すから。それでいいか?」

 隼人は話を切り上げることにした。

 瑠奈も、今は納得することにしたようだ。

「分かったわ。とにかく、ちゃんと説明してよね」

 その言葉で通話が終わる。

 隼人は疲れたように、ため息を吐く。

 その様子を見て、澄香はクスリと笑う。

「なんだい?」

 隼人は携帯電話を折りたたむと、澄香に訊く。

「まさか隼人程の剣の腕前を持つような剣士が、女の子に振り回されている姿を見ると思わなかっただけ」

 澄香は楽しそうに言う。

 その表情は、悪戯っ子のように無邪気な笑顔だ。

 隼人は苦笑しながら答える。

 その顔には、先ほどの疲労感は感じられない。

「俺は瑠奈に弱いんだよ。昔から、ずっとそうだ」

 澄香は微笑みを浮かべたまま、その言葉を聞いていた。

 隼人達は街を歩く。

 何かを思い出さなければならないと思っていたが、先ほどから考え続けていたが何も浮かんでこなかった。

「……そうだ。あの老人のことだ。どこかで見た気がするんだが、どうしても思い出せない」

 隼人は老人の顔を思い出そうとしていた。

 その言葉を聞いた澄香は、不思議そうに首を傾げる。

 隼人は、老人の容姿を思い出す。

 その外見は、白髪で背が低く痩せている。年齢は60代前半といったところだろう。

 だが、それ以上に印象的だったのは、老人の瞳だ。

 あの目だけは、忘れることができない。

 老人の目は濁っており、死んだ魚のような目をしていた。

 だが、その奥底にある人を人とも思わぬ冷酷さが垣間見えたのだ。

 あれは、普通の人間の眼ではなかった。

「あの老人の隣に居た男。あれが鬼面のかしらってことなの?」

 澄香は、男のことを聞いてくる。

 隼人は頷く。

「間違いない。実際に戦った俺が言うんだ。いくら鬼面で顔を隠していても、その眼だけは誤魔化せなかった」

 澄香は少し考えた後で、隼人に尋ねる。その表情は真剣なものへと変わっていた。

「なら。あの老人は、この事件の黒幕?」

 澄香の質問に対して、隼人は答えていく。

「あれだけの高級車に乗った奴が、どうして正面から入らない。隠れるように、入って行ったのが何よりの証拠だ。

 計画の進捗状況を訊くためか、子種の採取に出向いたのか知らねえが、あれだけの人数の女の代理出産をさせているということは、病院と何らかの繋がりがあるということだ。ようは金持ちのジジイってことだ。それも並大抵の金持ちじゃない。恐らく、かなりの資産家だ」

 隼人の推理に、澄香は驚く。

 確かに、この手の問題では、金を持っている方が圧倒的に有利だ。脅しや弱みでこんなこととはできはしない。

 隼人は続ける。

 その言葉は、先程の夫婦漫才をしていた軽い雰囲気はない。

 まるで別人になったかのように真面目な口調で話す。

 それは、目の前の事件に対する怒気が伝わってくるものだった。

「随分と熱が入っているわね」

 澄香の言葉に、隼人は苦々しい表情をする。その声からは、苛立ちを感じる。

「澄香は女としてどう思う。意図が分からないが、奴らは生産工場のように女に赤子を産ませている。そこに愛情はない。ナイジェリアの赤ちゃん工場事件というのを知っているか?」

 隼人は言う。


 【ナイジェリアの赤ちゃん工場事件】

 2020年。ナイジェリアの警察当局は6日、同国南西部オグン州にある違法の医療施設から子ども1人と妊婦6人を含む13人を救出したと発表した。

 20〜25歳の女性らは警察に対し、「赤ちゃん工場」と呼ばれる施設の所有者が、女性らを妊娠させるために男性たちを雇い、営利目的で新生児を売っていたと話している。

 女性らは警察に対し、通常は施設の所有者が、子どもをつくるために女性と性行為をする男らを雇っていたと明かし、

「赤ちゃんは取り上げられ、客に売られていたと話した」

 という。

 ナイジェリアでは、「赤ちゃん工場」と呼ばれる違法な助産施設に対する警察の捜索が行われ、特に南部で目立つ。

 過去に警察が話したところによると、男児は50万ナイラ(約15万円)、女児は30万ナイラ(約9万円)前後で売られるという。


 隼人の言葉に、澄香は眉をひそめる。

「腹立たしいわ。女を子供を生む機械扱いしているようなものよ。許せるはずがないわ」

 その意見に隼人も同意する。

 隼人は怒りを抑えながら、更に話を続ける。

 その様子は、今にも爆発してしまいそうな感情を抑えるようにも見えた。

「全ての人間は女から生まれてくる」

 隼人は、ポツリと零す。

「どういうこと?」

 澄香は疑問に思い、隼人に訊ねる。

「いや。俺が自然に思ったことだ。俺は女という存在について、尊敬している。俺の母親は、俺を生んだら死ぬと知っていたのにも関わらず、それでも俺を産むと決めたそうだ。

 俺なんか堕ろしてしまえば自分の命が助かるのに、それをしなかった。俺の命を、自分の人生を犠牲にしても守ろうとした。その行動は尊いものだ。

 どうやって親父と母親が会ったのか俺は知らない。けれど俺は、その事実だけで充分だ。だから、俺は母親を誇りに思っている。母親に感謝してる」

 隼人の表情は、今まで見せたことがないような哀愁漂う表情だった。

 その話を聞いた澄香は、黙って聞いている。

 そして澄香は理解した。


 俺は女を斬らねえ。


 その言葉は、澄香が隼人と初めて会った時に聞いた言葉だ。

 安っぽいフェミニズムだと思っていた。

 だが、隼人は違う。

 流れ灌頂かんじょうを行い、母親の供養を今も続け、女という存在に対し、尊敬の念を持っているからこその信念だった。自分の人生を捨てて、隼人という存在を守る為に命を賭けた女性がいるからこそ、隼人は女を斬りたくないと決めていたのだ。

 澄香は、そのことに気付く。

 そんな隼人を見て、胸が締め付けられる想いがしていた。

 澄香は、初めて隼人という人間を知ったような気がした。《なにがし》という剣を使い、現代においても過去の剣豪と遜色ない剣の腕を持ち、達人と呼ばれる程の剣士である隼人。

 しかし、それだけではなくて、一人の人間としての強さを持っていた。

 隼人は澄香の父を斬ったかたきだ。

 今は一時休戦である為に共に行動をしているが、全面おいて信用している訳ではない。

 けれども、澄香の母親を斬ったのではないことは直感として分かった。

「隼人に、そんな過去があったなんて……。ごめんなさい」

 澄香は頭を下げる。その瞳には涙を浮かべている。

 澄香は隼人に謝っていた。

「なぜ、澄香が謝る必要があるんだ?」

 隼人は不思議に思った。

「お前に、そんな事情があるとは知らなかったとはいえ。私は、早紀を人質にして、無理やり隼人の信念を汚してしまったから……」

 澄香は悲痛な面持ちで答える。

 その顔には後悔の色が滲んでいた。

 澄香のその言葉を聞き、隼人は微笑む。

 その顔は穏やかで優しい笑顔であった。

「仕方ねえだろ。俺は、澄香の父親を斬ったんだ。怨まれて当然だ。どんな理由があってもな」

 澄香は黙した。

 そうだ。その通りだ。

 澄香の父親は、澄香の目の前で《なにがし》と隼人を怨みながら死んでいったのだ。

 そこで、澄香はふと思い出す。

 隼人は一年前に澄香の父・道長と果し合いの末、斬ったと言った。

 だが、実際に父が死んだのは、一月ひとつき前のことだ。この話の合いがないことが、疑問だった。

 一体、二人の果し合いは、どのようなことが行われたのか、澄香は知りたくなった。命をもてあそぶ、《闇之太刀》で斬った理由を知りたくなった。

 澄香は、そのことについて訊くことにした。

「ねえ、隼人……」

 澄香が呼びかけようとしていると、隼人は街頭の大型ビジョンに目を奪われていた。

 その視線の先には、洗練されたデザインの新型自動車のCMが流れていた。

隼人は食い入るように見ている。

 最後に黒瀧とロゴが浮かび上がり、映像が終わった。

 すると、隼人は真剣な表情で呟く。

「そうか……」

 その言葉は、まるで何かに魅せられているようでもあった。

 澄香は隼人が何を考えているのか分からず、声をかける。

 隼人は我に返ると、澄香に話しかける。

「澄香。スマホを持っているか? 調べて欲しいことがある」

 隼人の言葉に、澄香は首を傾げる。

 いきなり何を言い出したのか、全く分からないからだ。

「黒瀧コンツェルンで検索してくれ」

 澄香は言われるままに、言われた通りにする。

 そして、出てきたサイトのトップページを見ると、そこには、こう書かれていた。

 黒瀧グループについての説明や、事業内容などが記載されていた。

 商社、銀行、重工業、保険、電機、自動車、石油、素材・・・・・・。様々な業界に根を張る企業グループのようだ。

 所属企業の数は、優に3000を超える。

 それは、日本を代表する巨大企業であることを意味していた。

「これがどうしたの?」

 澄香は疑問に思い、隼人に訊ねる。

 隼人の口から答えが発せられる。

「黒瀧の会長を出してくれ」

 隼人はゆっくりと口を開く。

 その眼差しは鋭く光っている。

 その言葉を聞いた澄香は、経営者の項目を開き、驚きの声を上げる。

 澄香は信じられなかった。

 そこにあるプロフィール画像は、愛生殖医療医院で見た老人だった。

 まさか、こんな大物が出てくるとは思わなかった。

 印藤いんどう隆元りゅうげん会長のプロフィールが表示される。

 年齢は61歳。

 その経歴は、まさに壮絶だった。

 黒瀧グループは、一代にして築き上げられた。

 幼少期より神童と呼ばれ、勉学において常にトップの成績を修め、高校、大学は、超一流の名門校を優秀な成績で卒業している。

 卒業後は、旧財閥系企業に入社するも、僅か二ヶ月で退職。その後、アメリカに留学し、MBA(経営学修士)を取得。

 帰国後、父親の経営していた建設会社を引き継ぎ、更に事業を拡大。

 建設だけでなく、不動産、鉄鋼、電力など幅広い分野に進出し、世界有数の大企業へと成長させた。

 そして、黒瀧ホールディングスを設立し、会長に就任。

 その業績は留まることを知らず、今もなお、黒瀧は急成長を続けているという。

 澄香はその事実を知り、驚くばかりであった。

「澄香。あのカルテに書かれていた精子提供者に書かれていたのを覚えているか?」

「確か《R.I》って。あ……」

 澄香は気付く。

「そう。印藤隆元のイニシャルは《R.I》だ。こいつが代理出産の黒幕だ」

 隼人は確信に満ちた声で言った。

 その言葉を聞き、澄香は息を呑む。

「でも。どうしてこんな大物が、代理出産を?」

 澄香は疑問に思う。

「問題は、そこだ。子供が好きで代理母を使う訳がない。カルテの不適合と書かれていたのが、その証拠だ」

 隼人は冷静に分析して言う。

 澄香は納得する。

 確かにそうだ。子供が欲しいなら、愛人との間に作ればいいだけの話だ。わざわざ合成麻薬LSDを使って不特定多数の女を集め、代理母にする必要はない。

 非合法な方法をしながらも、明らかに数を必要としているからこその動きだ。

 隼人は、隆元が鼻に酸素濃縮機のチューブを繋げていたのを思い出す。ということは、何らかの肺なり血液の病気を患っている可能性がある。

 多数の代理母。

 隆元の子供。

 不適合。

 病気。

 酸素。

 様々なキーワードが、隼人の頭の中で組み合わさっていく。

 その瞬間、隼人はある結論に至る。

「そうか。そういうことか……」

 そして、澄香に告げる。

 それは、あまりにも残酷な真実であった。

 澄香は、隼人の言葉に衝撃を受ける。

 その表情は、今まで見たことがないほどに険しいものであった。

「そんな。まさか、そんなことを本当に考えているの……」

 澄香は震える声で、なんとか言葉を絞り出す。

 その顔には恐怖が滲んでいた。

 しかし、その言葉に対して、隼人は静かに答える。

「間違いない。代理出産の目的は、ドナー(提供者)の生産だ」

 隼人は断言する。

 澄香の顔からは血の気が引いていた。

 隼人の言葉が、頭の中を巡る。

 澄香は、言葉が出なかった。

 あまりのショックに、思考が停止してしまったからだった。

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