第10話

 ふんわりと優雅な仕草で立ち上がったメアリーはガイセルの方を向いた。


「馬鹿クソゴミ屑虫野郎様?真心怨念のたっぷり籠った贈り物を受け取るご準備はよろしいですか?」

「はあ?」


 そう、メアリーは王家の人間でさえも制御不可能なギルバートを押しのけてしまうほどに、この場において最も怒らせてはいけない人物なのだ。そして、そんな彼女を怒らせてしまったことに気がついているのと同時に、止めることができるのはギルバートだけなのだ。


「あーあ、怒らせちゃった。」


 だが、静かな呟きを発したこの会場内唯一のメアリー制御機能を持ったギルバートは、止めるでもなくただただご機嫌に微笑むだけだった。よっぽど彼もメアリーと同様に腹に据えかねていたのだろう。


「煮るのと焼かれるの、どっちがいいですか?」

「はぁ?」

「だーかーらー、煮るのと焼かれるの、どちらが好みかと聞いているのですわ。」

「貴様はなにが言いたいんだ!!」


 抽象的なメアリーの発言に少しも耐えられなかったガイセルは、またもや怒鳴り散らした。


「はぁー、蝶よ、花よと育てるからこうなるのよ。」


 深い溜め息をわざとらしく吐き出して肩をすくめたメアリーは、冷めた表情で横目に王妃を睨みつけた。全ての元凶はアイツだと言わんばりの気迫の籠った視線だ。


「ははは、ごもっともだね、アリー。」


 いつのまにかメアリーの腰を抱いてメアリーの隣に立ったギルバートが、王妃から返されたメアリーへの殺意をメアリーから隠した。


「おぼっちゃまは黙っていて欲しいわね。」

「誰がおぼっちゃまだって?」

「ギル以外に誰がいるのかしら?」


 だが、それに気が付かないメアリーはいつも通りの気軽さで軽口を叩いた。


「ねぇ、第2王子は優秀なの?」

「あぁ、少なくとも私と同等、もしくはそれ以上の頭脳を持ち合わせているよ。」

「そう、なら安心だわ。」

「潰してくれるの?」

「えぇ、潰すわ。例えあなたがダメだと言っても、ね。」


 メアリーはすぅっと狙いを定めた猫のように目を細めた。

 そして、彼女にそんな視線を向けられたガイセルは金縛りに遭い、ガクガクと震えながら動けなくなってしまっていた。


「ねぇ。馬鹿クソゴミ屑虫野郎様、ルーラー公爵令嬢はどのような方だったの?」

「あぁん?キャサリン?クソ真面目な馬鹿だよ。バーカ。」

「へぇー、そうなんですね。」


 メアリーの、怒りに染まり切った燃えているように感じられるにも関わらず冷たい瞳が、またもや細く鋭利になった。


「あなたよりもずっと賢い方だったのですわね。」

「はあ!?んな訳ないだろう!!アイツは馬鹿だ。俺様よりも圧倒的に大馬鹿なんだ!!」


 ガイセルの紡いだ必死な言葉には、恨み、怨み、憎しみの裏に、深い憧れと尊敬、妬み、嫉みが見え隠れしていた。


「私に嘘をついたって無駄ですよ?なんと言っても、私は伯爵令嬢である前に、人を見抜く力を必要とする生粋の商人であるのですから。」

「………なにが言いたい?」


 ガイセルは本当にわからないのか眉を僅かに寄せた。


「周りの人間の瞳に映る虚像は騙せても、私の瞳に映る実像は騙すことができないということです。」

「はん!勝手に言ってろ!!」

「言質は取らせていただきましたし、そうさせていただきますわね。」


 メアリーは闇に染まった完璧な作り笑いを、尚の事深くした。


 そして、メアリーの美しすぎる笑みを見てガイセルは、何故か背中に突き刺すような、這い上がるような、固められるような、飲み込まれるような、殴られるような、そんななんとも形容し難い、ゾッとするような悪寒が走り抜けた。


 恐怖、戦慄、暗澹あんたん、慄き、竦然しょうぜん


 ガイセルの心の全ては、いつの間にか闇と恐怖に包まれていた。


「ギル、ルーラー公爵令嬢はどのようなお方なのですか?」

「う~ん、まず容姿については薄々気がついていると思うけれど、君と同じ長く伸ばした銀髪に若葉のような瞳を持っていたよ。」

「………やっぱり、アイツは髪と瞳の色だけで婚約者を判別していたのね。」

「あぁ。」


 メアリーは瞳に加えて声音にも激しい怒りが滲み出し、ギルバートは声音に冷ややかな嫌悪と侮蔑を滲みだした。


「成績は?」

(彼女の目的は?)


 目を細めて分かり切ったことを聞いたメアリーは、純粋な自分の中にある疑問を解決したいようだった。


「とても優秀な方だよ。あのお馬鹿と比べるのは烏滸がましいくらいにとても優秀な方だ。」


 ギルバートはすぅっとメアリーのさらさらとなびく髪に甘やかすような優しさで指を通しながら言った。

 メアリーは返事と言わんばかりに嬉しそうに頬を赤く染めながら目尻を緩めた。


「ルーラー公爵令嬢は彼に恋をしていたのかしら?」

「いいや、彼女はずっと第2王子の方に恋をしていたよ。」

(その第2王子様ってどんなお方なのかしら?)


 メアリーは疑問を吹き飛ばすように僅かに首を左右に振った後、にっこりと微笑んだ。


「そう、じゃあ、彼女に許可を取る必要性はなさそうね。」

「もし恋をしていたとしたら許可を取っていたのかい?」

「ふふふ、ギルは私が容赦していたと思うの?」

「ないね。」


 今度はギルバートが仄暗い笑みを浮かべてガイセルを鋭く睨みつけた。メアリーはすっと表情を消してギルバートの服の裾を握り込んだ。


「容赦しなくてもいいのよね?」

「こき使っておあげ。」

「えぇ、元からそのつもりよ。」


 ギルバートはメアリーに向けて微笑んで、耳元で囁いた。


「父親たる国王陛下からはちゃんと許可を取っているから。」


 と。

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