第31話 若いころの無理は後々響いてくるので、してはいけない。

 ――だから、想定外だった。


 私にとって学園長は絶世の美魔女で、老成した優しい人格者。どんな問題が起きても穏やかに微笑む人だと勘違いをしていた。



「――身の程を弁えなさい」



 桔梗先生に呼ばれて学園長室に入り、アリスと私が学園長と目を合わせた瞬間に、それまでの温和な微笑みは消えていた。


 そこに居たのは、かつて大戦を終結に導いた恐ろしき大英雄。聖約が更新される直前に、世界で最も人を虐殺した絶対者。


 空気は重いを越えて歪んでいる。いつかの入学試験の時は少し手狭にすら感じた学園長室が、王城の大広間の如く、大きな大きな威圧感を持って私たちの腹の中に呑み込んでいる。


 もちろん全ては錯覚。空気は歪まない。部屋は勝手に大きさを変えない。この場所は魔物の腹の中では無い。でもこれは決して消えることの無い錯覚だ。ただ目の前にいる魔女の威圧感だけで、私はここが処刑場のように感じ取れてしまった。


 身が竦む。歯が震えてガチガチと煩い。人差し指が勝手に折れ曲がって、ガタガタと震える太ももに食い込んでいくのを止められない。


 ここに居たくない。逃げ出したい。でもべったりと地面と癒着した足裏が、一寸の動きすら許してくれない。


「桔梗さん。何故教師である貴方が気が付かないのですか。責任者を買って出た貴方が真っ先に気が付くべきことですよ」


 口調は穏やかなのに、何故こんなにも部屋を震わせることが出来るのか。人の形をしているだけで、実は巨大な怪物なのだろうか。このわけわかんない恐怖心は、これから抵抗も出来ずに無惨にも食べられて私の命が終わることを本能が教えてくれているんだろうか。


 怖い。怖い。コワい。こわい。こわいこわいこわい!


 思考が恐怖一色に染め上げられて、何も考えることが出来ない――。



「――申し訳ございません、学園長」



 ――そんな私の心の均衡をピシャリと戻す凛とした声が響いて、私はまだ生きていることを思い出す。


「ですがこういった事例が発生する懸念は気がついておりました。知っていて、それでも私は許可を出した。どうぞ責任は私にだけ追求してください。その威圧感はヒヨっ子には酷です」


 ……あぁ、この教師は本当にエリートなのだ、と私は思い知った。学園長すら出来ない領域に足を踏み入れている希代の魔法使い。疑っていたわけじゃないけれど、心から理解させられた。


 だってこんなにも怖い空間なのに、桔梗先生はビックリするくらい平然としてる。


「これは失礼。加減を間違えるなど戦後ここ八十年近く、一度も無かったのですが……怖がらせてしまいました。《起動awake》ユウさん、アリスさん。《大丈夫ですよ》」


 その言葉が耳入り――途端に心がふわりと軽くなる。


 もう目の前のヒトは怖くない。部屋も前のように手狭に感じられるし、息も問題なく吸える。息が吸えてなかった・・・・・・・・・ことに気がつける。とても穏やかで、だから……だから、とても怖い。


 この怖いという心すら、ふわりと軽くなっていく。大丈夫である以外に、今の私には許されていない。


「っ……はっ、はっ、ぐぅ、ぅ……」


 今やっと隣にいることを思い出せたアリスが、苦しそうに息を始めた。その呼吸音を聞いて、私は羽根のようにとてもとても軽くなった心で身震いする。


「ですが、言葉は変わりません。聖陽アリスさん。そのような状態を魔法で誤魔化しながら私の前に立つなど、一生徒として学園を馬鹿にしていると理解しなさい」


 けれど容赦なんてどこにもなくて。


「――ぇ?」


 私は何が起きたのか、何をしたのか全く理解できなかった。


 ただ学園長がアリスを睨みつけた瞬間にパリンとガラスの割れるような音が響いて、思わずアリスを守ろうと、駆け寄ろうと振り返って――そこに死人を見た気がした。


「あ、りす……?」


 どす黒くなった隈が、こけて骨の形がわかるような頬が、くたびれきった髪が、今にも倒れそうな弱弱しそうな姿がそこにある。


「……ぁ」


 咄嗟に顔を隠すアリス。桔梗先生ですら驚いた様子で、この場で気がつけていたのは学園長だけだと状況が示していた。


「アリスさん。肉体を活性化させて無理やり動いていますね。言語処理と思考速度にも過度な負荷が見えます。幻覚を誤魔化す魔法も使って、心臓の鼓動も異常。最早それは危篤状態です。いったい、いつから寝ていないのですか」


「――――」


 青天の霹靂だ。


 それはつまり、先程まで青白く見えていたアリスの顔は、事態の深刻さで悪くなっていたわけじゃなくて、元々酷かった顔色を誤魔化しきれなくなっていたってことなの?


 ずっとこんな状態で私と一緒にいたの? 配信なんかしてたの? 相談もせず誤魔化されてきたの? それを私は気が付きもせずに放置していたの?


 ……なにそれ。


 何故、という疑問。そしてそれを押しつぶす程の罪悪感と憤り。直前の学園長への恐怖が全て頭から吹き飛んで、アリスに怒鳴りつけたくなる衝動に襲われる。


「――もう一度言いますよ。桔梗先生。これは貴方が真っ先に気が付くべきことです。きちんと生徒の様子を見ていれば気がつけていた変化のはずです」


「……申し訳ありません」


 やっぱり普段の印象からはかけ離れた冷たい声の学園長。声を向けられた桔梗先生は、苦虫を噛み潰したような表情で学園長に頭を下げてる。いつもむかつく嫌いな先生がそんな姿でいるのは、胸がすくような人だっているだろう。


 でも、そんな気持ちは欠片も浮かばない。


「……違うだろ」


「ユウ……?」


 私の声にアリスが反応するけど、今の私にはそんなことどうでもいい。怒りを滲ませた目で学園長が見てくるけれど、そんなことはどうでもいい。


 責任どうこう言ってる暇があるならアリスを休ませるべきでしょう?


 今にも倒れそうなんだよ? 危篤状態だってアンタが言ったんだよ?


 怒るとか叱るとか謝るとかそういうのの前に、先ず言うべきことが、やるべきことがあるでしょうが――ッ!


「――先生同士の話が必要なら勝手にしててください。私はアリスを休ませます。アリスに話さないといけない内容なら私が聞いて伝えます。ここでアリスを休ませずに直接聞けというのなら、資格を無くすとしても暴れます」


「ダメだよ、ユウ……わ、た――」


「アリスは黙ってて。学園長、桔梗先生。説教でも反省文でも退学でも、私が出来ることなら何でも受け入れるので、後で・・よろしくお願いします」


 後で・・の部分を意図的に強調しながら言って、私はアリスを無理やり学園長室から連れ出す。早く保健室で休ませ……いや、保健室の担当も学園長が兼任してるし、私の部屋で休ませよう。茜は多分許してくれる。あの優しいルームメイトは、こういう時に頼っていい人だ。


「ま、待って、ユウ……」


「失礼しました。後でいくらでも聞くので、反省させる内容でも勝手に話し合っていてください」


 アリスは無視。振り返る事もしない。私は怒っているのだ。


   §


 蝶番ちょうつがいを割らんとばかりに音を立てて、学園長室の扉が閉まる。アリスの様子に気がついた途端に彼女の事を護らんと動く姿は、どこか騎士のようにすら見えた。


 直前まで確かに怯えきっていたというのに。


 いや、それどころかまだ・・学園長の・・・・暗示・・効いて・・・いた・・のに。


 学園長はその後ろ姿をぼうっと見送った後に、眉を顰める。それはユウの行動に対してのものでは無く、ユウの行動は、アリスの体調が危険であることに最初に気がついた自分が、誰よりも率先して行うべきことだと思い出したからだ。


 子供を護り育て導く立場の人間が、怒りを優先した。それは心配から始まる憤りではあったが、決して優先してはならなかったはずだ。


 やるべき事を怠った事実が過去かつての英雄の胸に重くのしかかり、悲痛な沈黙を与える。


「珍しいですね、学園長。貴方がそこまで感情を露わにされるのは」


 それに対し、桔梗は普段の威圧的な雰囲気を霧散させて、意外なものを見るような目を学園長に向けた。


 直前まで叱責を受けていた桔梗ではあるが、彼女は既に落ち着きを取り戻している。上司と部下のやり取りは今のユウの行動によって中断されたので、それに引っ張られることはせず。また、アリスの状態が露わになった際に、命に別状は無いと判断している。


 アリスの状態はまだ休めば回復する段階であり、桔梗の魔法でも学園長の魔法でも正常な状態にすることは出来ると即座に理解していた。


 その理解を持って、特に慌てふためくことも、罪悪感を態度に出すこともしない。


 英雄の威圧にも、生徒の憔悴した姿にも乱されることなく、傲慢とすら思える冷静さを保つのが桔梗という教師である。ある種ユウと似た性質なのかもしれない。


「あの魔法が原因でしょうか? 私も気がつけなかったマヌケではありますが……」


 その程度でこの英雄が取り乱すだろうか? という質問を桔梗は投げかける。


 先の反応からもわかるように、彼女もまたユウと同じく『聖陽アリスは魔法理論の漏洩に対し、状況を正しく理解しているから、顔色を悪くしているのだ』と思っていた身である。


 身体活性の魔法は把握していたが、活性を常に使っている者は学生でも少なくない為に違和感は覚えなかった。運動部に研究明け、単に徹夜した生徒だって使っているポピュラーな魔法である為に。


 逆に言えば気がつけたのは活性の魔法のみである。故にアリスの魔法で騙されていたことを知った時、桔梗はうら若き魔法使いに称賛を送りたいとすら考えた。


 無論、自分が事前に気がつけばより状況は良くなっただろうという自覚がある為に、既にアリスが使っていた魔法の解析も進めているのだが、それをおくびにも出さない。


「……そうですね。あの子たちには悪いことをしてしまいました」


 学園長は額に手のひらを当てて、自身の不甲斐なさを嘆くような溜息を吐いた。


 それを、本当に珍しいものを見た、と桔梗は目を瞬かせる。桔梗にとっても恩師である英雄は、己の信念に従い続ける傑物であり、目下の者に対して弱音を吐くような人間ではなかったのだ。


「これは言い訳になりますが……アリスさんが使っていたあの魔法は大戦時代に使われていた、現代では廃れている古い魔法です」


「……なるほど」


 今より八十年ほど前の魔法。当時を生きた者は既に少なく、戦場を知る者は輪をかけて少ない。桔梗も戦場を知る者ではあるが、型番の古すぎるものは最新鋭の争いからは姿を消していた。


 不調を誤魔化す魔法。大戦当時、追い詰められていた者が敵に対峙する時に、民衆に顔を見せる時に、上司に顔を見せる時に使われていた。


 国を護る者が今にも倒れそうな顔でいてはならない。常に胸を張り、庇護のもとにある人々へ安心感を与えねばならない。


 つまり士気を保つために使われていた魔法だ。そして、それは同時に真相を隠す魔法である。


 桔梗の時代では御法度の魔法だ。無理を出来ない状態ならば休むことが絶対である。また桔梗が戦ってきた相手も使うような魔法では無い。自分が知らなかったことへの納得を得た桔梗は、続く言葉を待つ。


「私はかつて見逃しました。その結果、友を喪うことになった……本来あのような古い魔法まで修めたアリスさんを褒めるべきだったでしょうに、怒りを覚えてしまった。未熟ですね、私も」


「学園長……」


 痛みを堪えるように呟き、顔を上げた学園長は桔梗を見つめてから言う。


「申し訳ありません。貴方に話すことではありませんでした」


「……いえ。私が事前に感知していれば良かったのです」


 桔梗は学園長室の扉に目をやり、どこか眩しいものを見るような、羨むような顔をした。




※作者による読まなくてもいい設定語り

 Q.学園長はどうやって戦争を終わらせたの?

 A.色々あってブチ切れて、三つの大陸を同時に〇割削りました。億単位の犠牲に加えて、海流、気流、生態系、経済、その他諸々……生き残った人間がどう足掻いてもまともに生きられないくらい、世界規模でめちゃくちゃにしました。(慌てて聖女が元に戻した)


 あと、設定的には学園長は全く魔女ではありません。魔女と聖女は条件を満たさないと成れない。この世界だと魔女は生まれない。


 Q.本当にラブコメ?

 A.ラブコメです。主要キャラ殺さない縛りがあります。

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魔法学園のエリートはVtuberを舐めている! ~たとえ百合営業に巻き込まれても私が親友に惚れるわけがない~ 夜燈鶫 @hakkoku_

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