第30話 油断大敵!

 夏休みに入ったばかりの時期。


「お邪魔します」


「ユウ~、いらっしゃ~い」


「はい、今日のお土産。コンビニ限定アイスだってさ」


「わ~! ありがと! 冷凍庫に入れておいて~。配信の後で一緒に食べよ?」


 私は今日も今日とてアリスの家にお邪魔していた。


 もはや第二の実家感が溢れたやり取りで、リビングに入って冷凍庫にアイスをしまう。おっと、前のアイス食べ忘れちゃってた。アイスだらけになる前に消費しておかないと。


「今日は熱いわね……クーラーはちゃんとつけてる? 油断して熱中症なんかになったら大変よ」


「大丈夫~。もうずっとつけっぱなしにしてるよ~」


「それはそれでどうなのかしら。まあ付け忘れるよりよっぽどいいんでしょうけど」


 冷凍庫を閉じて、次は冷蔵庫を開く。麦茶を取り出してアリスが用意していたマグカップに注いで、アリスから感謝の言葉を貰う。マグカップの色は、私のはメインカラーが黒色で、白のイラストが描かれているもの。アリスのはその逆で、メインが白色でイラストが黒だ。


 黒は今を時めく系美少女JKの私にはちょっと暗くない? と思わなくもないけれど、パンダセットだよ! とニコニコで用意されたら断れないので仕方ない。


 それからマグカップをお盆に乗っけて配信室へ向かう。アリスも慣れた手つきで私を誘導した。


 ――こんな感じの夏休みを私たちは過ごしている。


 私の心持ちも初めてアリスの部屋に入った時とは大きく変わっていた。もう入り慣れた場所なので余裕バッチリでアリスの匂いにドキドキします。全然慣れてないじゃん。


 ええい、それもこれも秤のせいだ。


 夏休み前に秤から《ユウちゃんって、聖陽アリスさんのことが好きなの?》なんて皆目見当もつかない、的外れ極まりない言葉を受け取った。


 勿論、私はたっぷりと十秒くらい時間をかけて(図星だから押し黙ったわけではない)から、冷静沈着を体現した『ソソソ、ソーンナコト、アルワケガ↑ ナイ↓ ヨネ!?』と完璧な返答をしたので、欠片も疑われずに済んだが。うん、あの秤の目はきっと信頼の目だよ。


 けれど、どーしてもチラッと意識が残ってしまっているというか……合宿に誘おうとすると、一緒にお泊まりしちゃうって事なんだなって思っちゃうというか。いや、全く問題ないんだけどね? 本当にね?


 キスだってされちゃったわけだし……なんかあの後からアリスから抱き着かれたりとかのスキンシップがすっごい減っちゃったし……いや、気にしてないけれどね。本当に。残念とか全然思っていないんだけどね。いや、本当にね?


 本当に問題はないんだけど、私はやっぱり合宿に誘えずに、今日もアリスと一緒に配信準備である。


「さて。ママ! 今日もがんばろ~!」


「頑張りましょう、えりりん」


 配信部屋に入ったら、互いの呼び方を変えてスイッチを入れる。私たちの約束事。ここからは、魔法学園所属の親友同士ではなく、Vtuberとママの関係だ。この切り替えもだいぶ慣れてきている。


 配信ソフトの立ち上げ、状態の確認、MagiTubeの確認にサムネ確認――準備は慣れてきても丁寧に。


 Vtuberの活動に関してだけど、私たちが夏休みに突入したということは、他の学生も多少の前後はあれ夏休みに入っているということ。


 暇を持て余した同年代が宙才エリスのチャンネルを見つけてトレンドにでもなったのか、登録者が一万人近く一気に増えて、登録者数は見事に六桁に突入。


 MagiTube運営からの届け物も、遠くない内に来るらしい。


 Vtuverとして一つの壁を乗り越えて、新しい段階に踏み出す時期。そんなふうに言っても構わないのかもしれない。


 いや別に私がVtuverになった訳じゃないし、あくまでアリスのチャンネルなのだからそこら辺は任せるんだけど。


 私の方は、相棒枠としてアリスの横でいつものように合いの手を入れたり、家にいるせいで油断してるのか妙に緩い服装で、ぐでっと力が抜けてるアリスに胸をドギマギさせたり、コメントの雰囲気を確認しながら話題転換したり、勉強しろと下僕リスナーどもに突っ込まれたりと、そんな感じでいるだけだ。


 それでも成長は感じる。


 いつだったかアリスに語った配信者が目指す場所。お約束身内ノリが出来上がってきたのだとわかるこなれた期間に入り、アリスが一人で配信することも何度かあって、まだまだ初心者の空気は抜けなくても、私がべったりと傍にいなくても大丈夫じゃないかな、なんて思ってた。


 アリスは確かにネット知識が薄いけれど、学べば人並みになるまで時間はかからない。そもそも優等生だし。


 ……だから、油断していたのかもしれない。


 慣れた頃ほど気を引き締めなければならないのは、魔法使いであろうと変わらないという事実を忘れていたんだ。


   §


 準備を終えて配信を開始して少し。今日の配信内容は魔法雑談。


「あ〜、確かにその部分は難しいって言ってる子が多いかも! でもねでもね〜」


 すっかりルーティーンとなった、魔法大好きっ子のアリスが輝く時間。知的好奇心が満たされるのを感じつつ、ネット嫌いな私でもコメントとのやり取りに多少の楽しみを見出していて。


「何それ、知らない」


「ママ……まあこれに関しては仕方ないかも?」


コメント

・まーた呆れられてる

・まんじゅうママは無知……閃いた!

・↑通報した

・待ってそんなの聞いたことない

・#勉強しろまんじゅうママ

・ほんとえりりん魔法に関してはガチなんだろうなって感じがして良い

・凄い! 本当に出来たんだけど!

・魔法って思ったよりなんでもありじゃないやなって

・ガチガチに理論勉強しないといけないんだね

・つまりまんじゅうママは勉強しなきゃいけない


 ママもちゃんと勉強しろ、というお決まりのコメントが大多数を占めるチャット欄を見た時に。


「……ん?」


 割合としては非常に少ないが、奇妙に感じるコメントを見つけ――それがザワついているのだと直感した。何か不味いことが起きたのだと。


 理由は気がつけなかった。つまりそれは私の知識では分からない、火種ということだ。咄嗟にアリスの耳元に近づいてマイクが拾わないように注意しながら呟く。


「それ、言って大丈夫な内容だったの?」


 基礎魔法の理論に関して話していた事くらいは私にだってわかっていた。コメントでの質問に答えていたのもわかる。でもどこが悪いのかは私にはわからない。


 けれど楽しそうな笑顔から一転、急激に蒼白へと変わっていくアリスの顔色を見て、致命的なことを話してしまったのだと理解した。


「申し訳ないけれど、配信はここで終了させてもらうわね。少し確認しないといけない事が起きたのでアーカイブは非公開にします。今日はお時間頂きありがとうございました」


「あっ……えと、みんなありがとう! ごめんね!」


コメント

・へ?

・急にどしたん

・了解! よくわかんないけど、頑張れ!

・えぇ……来たばっかりなのに

・アーカイブ見て次の配信を待つぜ


 急にどうしたのだ、何が起きたのだ、と困惑しているコメント欄を無視して、配信を終了した。


   §


「それで我の元に来たと」


 私とアリスが頭を下げる先には、威圧的な雰囲気を隠しもしない教師が一人。


 夏休みでもパリッとした黒いスーツを身にまとう凛々しい顔。エリートを知らしめる風貌は夏の暑さを跳ね除けて涼やかに感じさせる。元軍人で魔法使いとしては凄腕であり、個人的苦手な先生ランキングではトップ。


 趣味が悪く、タチが悪く、人が悪い。桔梗先生だ。


「……ふむ。即座に配信は停止させ、アーカイブは残していない。録画されている危険性はあるが、気が付かずに放置していた場合を考えればマシではあるだろうな」


 桔梗先生は、厳つい風貌を更に険しく尖らせて、でも意外にも優しい声色でそう言った。


「少なくとも黙ったままにせず、直ぐに相談しにきたことは悪くない。幸い学園長も今日はいらっしゃる。そう落ち込むな。ユウも聖陽が気がつけなかった事への即座の判断は良くやった」


 私とアリスは、その言葉で更に頭を下げる。この教師が私のことを褒めるなんて欠片も想像していなかったけれど、その言葉で確かに胸が軽くなって……何だかんだこの人も教育者なんだと思った。


 アリスのやらかし。それは――魔法理論の漏洩である。それも全く新しい未発表の理論だ。


 魔法への愛と才能に関しては疑いようのないアリスだ。どんな可能性であっても魔法というだけで追い求めて成果を上げてしまう。勿論それは褒められるべきことなんだけど。


 でも物事には順序というものがある。影響の大きいものであれば、なおさら手順は適切に追わなければならない。


 学生の私たちでも、論文の作成、学園への提出、判定、発表、査読と色々あり、学内で収めるべきじゃないと判断されれば学内精査を経て、学会預けとなり、そこで認められれば学会との関係性を含めた公的機関の選定、公的機関側の査読……と頭が痛くなる程の手続きを踏む。踏まないと不味い。


 情報はネット社会だと溢れているように見える。でも規制されている情報は現代にだって沢山あるんだ。


 特に魔法に関しては全世界共通で秘匿意識がある。門外不出の魔法理論がこの世にどれだけあることか。


 それを正式な手順を踏まずにネットに放流してしまった……流石にちょっと不味い状況なのだ。


「……申し訳、ありませんでした」


 アリスは私なんかよりよっぽど事態の深刻さを理解しているんだろう。配信が終わって学園に直行してきたけれど、ただでさえ青白くなっていた顔色がますます悪くなっている。


「Vtuverの活動を認めたのは我だ。責任は貴様一人で負うものではない」


 そんなアリスの肩をポンと一叩きしてから、桔梗先生は学園長室に向かって行く。


 その背を見送り、押し黙ったままのアリスにかける言葉を探しながら、私は少しだけ緩んだ息を吐いた。




※作者による読まなくてもいい設定語り

 国が秘匿する可能性が大いにある最新鋭の研究、それも経済的影響が発生し、教科書の修正が必要で、軍事転用が可能である理論を、アリスは正式な手順を踏まずに身分を証明できない配信者でありながら漏洩してしまいました。ユウは知識として理解はしていますが想像がまだ現実に届いていないので、アリスよりも若干楽観的です。

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