御堂秤のブラックキャンバス

第29話 夏! 海! 合宿! 気まずいメンバー!

 ――歩幅二つ分の静寂を置いてから、耳に妙に残るパンッと乾いた破裂音が響く。間の抜けた呆然が辺りに満ちるのがわかると、少し遅れてカランカラン、と軽くて固いものが転がる音がした。


 それは銃声に連れてこられた薬莢が転がる音のように。これから血が流れる痛みが満ちていくと知らせる、少女の想像それまで現実それからに導く一歩目であることだけは確かだった。


 時分は魔法歴二○一九年。十二月。聖陽ひじりたちの物語が始まる四年前の冬。


 時代の移ろいによって感覚の違いはあれど、冬という季節はニスを塗り忘れた木材に触れるような、ささくれた痛みをもたらす寒さと共にあった。


 その中でも東京の冬は格別で、自然に満ちた場所にある厳しさとは質から異なるものが収まっている。


 異質な冬。


 大陸から吹いた風が山で重い荷物を降ろして空っ風となり、コンクリートで舗装された土地の上で乾いて渇いて、些細な怪我でも大袈裟にしてしまうような、それでいて誰にも見向かれもしないような、そんな“冷たい”という言葉が一番似合う寒々しい冬を作り上げていた。


 東京は無干渉という優しさが最も幅を効かせている弱者と強者の集う街。集った所で手を組まないから同じ建物の中に収まろうとも壁一つで明確な他人になる。人口は真っ赤っかな癖に、強者も弱者も語り口に“たち”という言葉を付けられることの無い、ありふれた競争者の展覧会場。


 つまりは幸福になる為の努力生きることの履行不幸を作る罪悪感次に進む足場作りに邁進する大変人間らしい場所だ。


 そんな東京の中に、都心とは言えず、さりとて田舎と言えば鼻で笑われるような、人とモノとため息がよく混ざりあった町が一つ。


 この町では少し前に、定刻のチャイムが鳴っている。それは日常の象徴であり、単なる誰かの、あるいは機械のお仕事。そんな午後四時を報せる振動が、埃と鼓膜を揺らしてから長針を半周して越えたのが今である。


 上を向けば橙色が紫と藍色にどろりと溶けながら日が落ちて、夜という魔物が顔をゆっくりと顔を出していくのが見えるだろう。


 万物に宿る影たちが光を求めて右往左往し、果てに夜空との境界線を無くす――その前に、魔法科学のすいである街灯が人の側に影を留まらせた。


 日が沈めば闇に呑み込まれるという自然の摂理に抗い、ここが人の居場所であると、人工の光が自然の闇から生命を切り離して生存圏を確保する。


 文明を積み重ねた叡智の真価は人々に自信をもたらした。家々のカーテンの隙間からも文明の光が闇を切り取っていくのが見えるだろう。お陰で人々は闇を恐れずに、夜を自由に動き回る。光は既に人間の手に収まった、と胸を張る。


 だがそんな奇跡には意味便利はあれど、価値必要はない。


 空には間もなく自然の光が輝くことが決まっている。月明かりは光に満ちた人間の街ですらかき消すことが出来ぬほど力強く、そして優しく輝き続けている。人間の懸命な努力など、星から見れば取るに足らないものだと示すように。


 そう、人間の影など何百万年も前から月が生み出している。


 ……さてさて、冬はそんな偉大なる月が輝くまでの猶予が短い。それは日々を三千回も繰り返せば誰もが知っていることで、故に子供は早く帰らせるのが人並みに親心を持っていれば道理である。夜の闇は、光を手にした現代においてなお、魔物と呼べるものなのだから。


 しかし、少女は一人立ち尽くしていた。


 午後五時を控えた、ギリギリ子供がいてもおかしくはない時間。人通りもある道端であるために、それだけの情報で異常性を感じるとまではいかないだろう。心配性で心優しい人間ならば、もう日が暮れるから大丈夫? と声をかけるような場面かもしれない。


 ただ、彼女の傍らには折れてしまった棒切れが転がっている。それだけで異常性は跳ね上がり、単なる迷子の子供から、厄介事の種へと変状あい成った。


 少女は未だ動くことがなく、明らかに子供の力では有り得ない壊れ方をしたものが近くに転がっている状態。当然こんな有様となれば、多少なりとも人目を引く。


 例えば、ビニール袋を片手に、僅かに視線を向ける大人がいる。可哀想なものでも見つけたかのように。だが言葉をかける様子はない。面倒事には関わりたくはないのだから。


 例えば、コートを着込んで目もくれずに早足で通り過ぎる大人がいる。足が止まる様子はなく、なにか目的があるのだろうが、瞳にはおよそ希望的な光はない。道端の少女には気がついた様子すらない。誰かを慮る余裕などないのだから。


 例えば、喧々諤々けんけんがくがくと騒がしい中学生の団体が薄っぺらいジャージとマフラーというチグハグな姿で横を通り過ぎる。僅かに目線が引っかかった男子は、周りの空気に同調して集団に馴染むために笑いながら足を進めた。明日もまた同じ帰り道を同じメンバーと帰るために。


 そうして無干渉という優しさが蔓延るこの街で、探さずとも幾らでも人が見つかるような薄暗い道で、少女はただ一人。居場所を無くしたように立ち尽くす。


 ここまでの情報では親は何をしているのかとお叱りの声が飛んでくるかもれない。でも親は何も無責任でも情のない者でもなく、ただ傍にいる選択を取れなかっただけ。共働きが当然となり、夕暮れに母に手を引いてもらってお家に帰る光景が、“幸せな日常風景”から“金持ちの道楽”に零落した……そんな揶揄が出てくる時代なだけ。


 周りから白い目で見られることを理解した上で定時退社をして、自分の子供が待っている家に急ぐ親が少女には居る。休日とあらば子供と精一杯の思い出を作ろうと奔走する親が少女には居る。全ての最善を選べずとも、次善を繋いで子供の幸せを祈る親が居る。少女はより良く生きられる幸運を持った……いや、与えられた子供である。


 されど少女が家に辿り着くことは困難になった。


 原因は聖約の日を迎えていないのにも関わらず、暴発してしまった魔力。


 その魔力は小規模ながら確かに破壊力を有した爆発となり、少女の支えを奪い去った。


 こういったことは希少ではあるが、前例がない訳でもない。家によっては聖約前に魔法使いであることが分かって喜ぶことだってある。この少女の親であれば、きっと大層喜んだだろう。


 そう――これが道端でなければ、暴発に破壊力が無ければ、夕暮れという不安定な時間でなければ、そもそも暴発しなければ。喜ばしいことだったのだ。


 つまるところこれは単なる運の結果であって、責める相手は誰もいない。仮に責める相手を見つけたところで何かが変わるわけでもない。もうどうしようもなく、単に間が悪いというだけ。ただその不運が少女にとっては致命的な不運であっただけなのだ。


『――はーちゃん!』


 しかし、不運な少女は、不運のままに終わることは無かった。


 己を呼ぶ必死な声が少女の耳に届いたからだ。


 思わず、少女は微笑む。


 安心したからか?


 それは違う。


 少女にとってその途切れることの無い闇は、隣人である。


 例え太陽が次の朝に空に浮かぶことがなくとも、少女は光を求めない。


 他者から見て孤立していても、その事実が少女を孤独へいざなうことは決してない。


『――あやちゃん!』


 では何故、心から笑ってその声に声を出して・・・・・返答したのだろう。


 安心ではないのなら、その笑みにはどんな答えを用意するべきなのだろう。


 鏡を覗き込んだとしても、答えは見えなかっただろうから、やはり少女は見つけることが出来なかったのだ。


   §


「海だ……」


 お約束ならここで海だー! って叫ぶんだろうけど、生憎美少女天使クールJKである私のキャラじゃないので、静かにこの景色に浸るのである。


 季節は夏。夏休みに無事に突入して一週間ちょっとが経ち、私たちは合宿目的で海にやってきていた。


 メンバーは海の女神系クールJKの私と、


「海だー! お約束は大事っすよね! 岩陰に目をやれば一夏のヤラカシが溢れてそうなのも大変グッドすね!」


 少し小柄な赤髪ポニーテール。健康的に焼けた肌と、夏が一番似合いそうな溌剌さ。イタズラっぽく光る、丸く赤みのある茶色の瞳。


 色々誤魔化して誘ったはいいけれど、ほぼ間違いなく私の思惑に気がついてるんだろうなぁ……と若干気まずい。


 そんな開口一番に変態発言をお見舞いする女、江口美智えぐちみち


 それと、


 美智の左後ろで「えっと、うん、凄く海だね〜!」と直前の発言に合わせるように間抜けっぽい感想を言うのは、絶賛私の悩みの種な人。


 私よりほんの少し低い背、健康的な白い肌にグラマラスな体型。ふわふわの手入れされた金髪は腰辺りまで伸びていて、二重瞼の碧眼は海よりもずっと透き通っていて綺麗。


 雰囲気も発言もカピバラ風味なほんわかギャルは、親友の聖陽ひじりアリス。私以上に美智と気まずい状態である。


 本当は私が誘って連れてくるはずが、諸々の事情で学園長直々にVtuverとしての活動をお休みさせられてここに来ているんだけど、まあこれは後で語るとして。


 最後に、


「――――」


 高身長でバランスの取れた美しいスタイル。煌めく透明感のある白い肌と長くまっすぐな銀髪。柔らかく穏やかな銀色の瞳。今まで一度もその声を聴いたことがない、どれを取っても美人という言葉が似合う彼女は、普段とは違う痛々しい無表情で海を眺めている。


「……秤? 大丈夫?」


 思わず声を掛けると、秤はこちらを見て微笑んだ。


 その笑顔は柔らかくて綺麗なのに、何処か固くて。影のある笑みとか、曇っているとか、そんな言葉が浮かんできてしまう。


 彼女の名前は御堂秤みどうはかり。合宿の切っ掛けを作った我が部の部長で――この夏の主人公。


 よくある物語のモノローグに『この時に気がつけていればなにか変わったのかもしれない』なんてものがあるけれど、気がつけた所で何も変わらなかったのを私は知ることになる。




 それはいつか覚悟を決めた私が後ろを振り返った時に思うこと。


 Vtuverのママ兼相棒として、魔法学園の生徒として、アリスの親友として、美智、秤、茜、心音の友人として、私はこれから色んな傷に向き合うことになる。


 他人の剥き出しの傷に触れて、その傷を癒す術もなく傍観者になるしかない。その無力感に打ちのめされていく。


 後にも先にも、必死に足掻いて助けたいと思うのはあの子のことだけで、誰彼構わず救おうと手を伸ばすようなヒーローにはなり得ない。


 私はそうやって傷ついて傷ついて、それでも譲れないものがあった自分の心に気がついていく。




 その初めてがきっと、この夏の物語。




※作者より

 ということで、第二章始まります! どうぞ貴方が楽しめますように!

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