第28話 エピローグ そのさん [第一章 完]

 ユウが部室にて御堂秤みどうはかりと合宿について話し合っているのと同時刻。莫大ばくだいな量の本と資料が詰め込まれた部屋の中心に少女が一人、大量の資料を机の上に広げながら一心不乱に文字を追い続けていた。


 開かれたファイルが山のように重なっており、錠剤型のカフェインが中身を無くして転がっている。栄養摂取が素早くできると評判の商品がゴミ箱の中に役目を終えて積もっており、彼女はあの日からこれらをたった一人で消化し続けているのだろうとわかる。


 部屋は今でも手入れが行き届いている様子である。埃一つなく、情報に塗り潰された空間であっても不健康に感じることはない。されど、ただ美しいだけの書斎しょさいではあらず。本棚の一つにでも目を向ければ、そこにある知識がおおよそ一般的なものではないことがわかる。先進的な魔法理論の研究報告書や、国によっては機密とされるものすら存在していた。


 少女――アリスは父の書斎で多くの資料と父親が遺した先史文明についての文献を、ユウと共に初めて配信した日から読み漁り続けている。


 学園にいる時や、母やユウと会う時には必ず隠している目の下の隈は、もはや簡単な休息では取り切れない程に濃く、瞳に宿る剣呑けんのんな光は彼女の精神状態が平常と言えないことを表していた。


「殺人衝動、強姦魔、マッドサイエンティスト、自殺、倫理から外れた行動……でも変質した後の行動になんの因果関係があるのかわかんない。でも先史時代では融解ゆうかい現象は発生していないのかな……? いやまだ確定じゃないよね。でも融解が魔法歴から発生するのなら、原因は太陽変質で魔素が出来たから……やっぱりあの魔法は魔素を取り込んでいるわけじゃなくて、人間の要素を魔素に変換して引き起こしてる……? 違う、確定していないことを前提に考えちゃダメ」


 もう何度も読み直してきたものをあえて口に出しながら、脳内にある膨大な魔法についての知識と資料に含まれている内容を照らし合わせ、予想し、仮説を立て、また組み直す。その度に自分の仮説が正しいような無根拠な自信に揺れて、冷静さを取り戻すために否定を繰り返してきた。


 魔法の天才と言われている彼女にとっても、未知の領域に踏み込むことは恐ろしい。胸に飛来する霧の立ち込めた森を進んでいるような不安感が消えることはない。


 進むべき道は合っているだろうか。その先に求めているものが存在しているのだろうか。そもそも己が立っているこの場所は、本当に正しい道程なのだろうか。己が最も証明したくないことを、己が手で証明してしまうのではないか――?


 ゆらりゆらりと蜃気楼しんきろうのように消しても消えぬ怖気を誤魔化すように、僅かに残った水を飲み干し、文字列に指を添わせる。


 先史文明の文献はアリスが求めている部分にまるで届かない。消失してしまった部分にどんな情報があったのか予想を立てても、予想の域を越えることは無い。


「ダメ……堂々巡りになる。他のやつにしよう」


 彼女はそれまで読んでいた資料を置いて、また別の資料に手をつける。


 彼女は母に無理を通してもらい、この部屋になかった魔法大戦時代の人体実験の資料も多く手に入れ、代償魔法で引き起こされる奇跡とその末路を読み込んだ。彼女の母がこの資料を渡すことを渋っていた理由は読めば直ぐに理解出来る。今よりも遥かに命の価値が軽かった頃に行われていた残酷な仕打ちに吐き気と目眩を覚えた。それでも彼女は何度も読み直す。


 だがやはり己が求めている情報が見えてくる気配がないことに、アリスは心が黒ずんでいくのを感じ取っていた。そして、それらはアリスの中にあった懸念を確信に変えていく。


   §


資質励起ししつれいきした時、魔素ってくすぐったくない? 何でか皆わかんないって言ってるんだけど』


『うーん、私もそんな感覚ないかも? ユウってちょっと魔素に関しての感覚が特殊なのかもね! もしくは不思議ちゃん!』


『不思議ちゃん扱いしないで?』


   §


 彼女の体質がどういった理屈で魔素を肌で感じとれるようになったのか。本来交わることの無い平行線である人間と魔素。それが重なるのであれば線が曲がっているのは魔素ではなく、代償魔法を使った人間であるという確信。そして魔素側に一度傾いた線は加速度的に魔素に近づいていくだろうという直感による答え。


 ――代償は不可逆である。


「……ダメ、まだあきらめる段階じゃない。確定してない。魔法は不可能を可能にするんだよ、戻れないなんてありえない」


 そうだ、これは仮説だ。己の直感がどれほどその仮説が正しいと喚こうとも、魔法は時に直感から逸脱する。だから諦めてはならない。そう彼女は自分に言い聞かせ続ける。


 そんな閉塞的な思考を続けている彼女の耳に、高慢な声が届いた。


『少し休め、聖陽ひじりアリス。そのままでは遠からん内に倒れるぞ』


 平均より僅かに低いアリスより、更に頭二つ分低い身長。高貴さを感じさせる滑らかな金髪をツインテールでまとめ、不遜ふそんという言葉が最も似合う黄金の瞳がアリスの姿を映している。


「……エリスちゃん。この部屋には入らないでって言ったよ。出て行って」


 ユウによって仮初の命を得た魔法絵画イラスト――宙才てんさいエリスは、普段の様子とかけ離れた冷酷な声を出すアリスに肩を竦めただけで、出ていく様子を見せない。それどころかアリスが制止する声を無視し、彼女がそれまで読んでいた資料に目を通し出す。


「ちょっと! ダメだって――」


 アリスは咄嗟に腕と身体で資料に覆い被さってエリスの視線から隠そうとするが、既にエリスの手には直前まで見ていた魔法大戦での人体実験について書かれたものがあった。


『やはり、代償魔法についてか』


「ぇ――まさか……エリスちゃん、知って、るの?」


 奪い返そうとするアリスの手が空を掴む前に静止する。そして即座にエリスの発言を振り返り、彼女がユウの記憶を引き継いで生まれたと言っていたことを思い出した。


 そしてそれは、ユウが代償魔法の知識を持っており、持っていてなお代償魔法を使ってきたという事実に繋がる。


 もしそれが正解だとするのであれば――ユウは死を望んでいるということではないか?


 アリスはその考えに至って顔を青くしたが――。


『あぁ、違う。私が代償魔法を知っているのは、あるじの知識とは関係がない』


 その考えは違うと、青くさせた本人が否定した。


 その言葉に安堵の息を吐くアリスだったが、すぐに違和感を覚える。それでは魔法絵画のルールに矛盾してしまうからだ。


 あくまでも魔法絵画は魔法絵師によって作られるもの。魔法絵師が想像できる範囲、知識しか持ち得ないはずなのだから。


 人は想像出来る未知に手は伸ばせても、知り得ない現実には気がつけない。魔法絵画とはその事を如実にょじつに表す存在のはずだ。


「……エリスちゃんって、何者なの」


『ククッ……やはり、魔法に関しては頭の回転が早いな』


 エリスは不遜に笑ってから、こう言った。


『ラブコメディには、ほころびのないハッピーエンドが似合うとは思わないか?』


「……………………へ?」



   §



 変化が訪れたのはアリスたちだけではない。


「……やっちまったっす」


 自室のベッドに寝転がり、天井を眺めたまま独り言をこぼす少女。


「ユウさん絶対違和感持ったっすよねぇ。バレなきゃいいんすけど……油断したなぁ」


 彼女は食堂での会話を思い返しながら、己のミスに眉をしかめている。


「くそ〜、なーんでこんなことしてんすかねぇ……ほんっと……」


 感情的になるつもりなど、欠片も無かった。しかし、気がつけば怒りが口から零れていた。


「ほんっと……羨ましい」


 呟きは本人の自覚はなくとも酷く重く。ただただ重く転がって、暗い部屋の中に溶けて消えてゆく。


「美智〜! ご飯できたわよ〜!」


「あい〜す! すぐにいくっすよ〜!」


 母に名を呼ばれた少女は起き上がり部屋を出ていこうとして、ベッドの角に足の小指をぶつけた。


「〜〜〜っ!?」


 暗い部屋には危険がいっぱいなのである。



   §



 イヤホンを耳に挿してスマホでVtuver“宙才エリス”の配信を見ている少女。


「ふーんふんふふーん」


 そしてその少女を見て呆れた様子の少女。


「ま、また、配信、を、見てるのか。よく、あ、飽きない、な」


 そのどもった声にイヤホンの少女が眉を顰める。


「あぁ? だってオレが初めて見つけた逸材だぜ? 誰よりよく見て聞いて古参マウント取らねぇと勿体無いだろ」


「し、しらない……」


 威圧的な態度でそう言うイヤホンの少女に、心底理解できないと首を振る少女は、コーヒーを一口飲んでからPCの前に座ってキーボードを叩き始める。


 この部屋にはPCが何台も置いてあり、ギターを初めとした楽器が何個も置いてあった。少なくとも広いとは言えない空間であるため、ごちゃごちゃとしているという印象がある。


「んで、せんせー? 作業止まってんすけど? オレは何してりゃいいわけ?」


「前の、回想シーンの、きょ、曲は?」


「は? あれのリテイクは出しただろ」


「ま、まだ、だめだ」


「は〜〜〜マジかよ」



   §



 そして、場面は部室に戻り――。


《うん、わかった。それは構わないよ》


「ありがとう。合宿なのにワガママ言っちゃって」


 秤はユウの顔を見つめ、ユウは僅かに身体を固くする。ユウは提案を了承してくれた秤の様子が、先程までとは変わっていることに気がついた。


「ど、どうしたの?」


《ねぇ、ユウちゃん》


「う、うん……?」




《ユウちゃんって、聖陽アリスさんのことが好きなの?》



[第一章 完]



あとがき

 これにてV舐め一章終了となります。ここまで読んで下さりありがとうございました!

 近況ノートにも書きましたが、V舐めは一旦お休みをし、その間はダンジョンモノの新作を書いていこうと思っています。よろしければそちらもお楽しみいただければ幸いです。


 評価、ハートによる応援、コメント、非常に励みとなりました!

 作者から言うのも図々しいかもしれませんが、求めねば得られぬの精神!

 面白いと思っていただけましたら星での評価、コメント、応援、作品フォロー、作者フォロー、ぜひよろしくお願いいたします!


 では次回作、または第二章『御堂秤のブラックキャンバス』編でお会いできればと思います!

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