第31話 板付き

「こんなとこに居た。ハイネ、アンタ準備しなくていいの?」


「……姉さん」


 シュタット酒場──メルクーア内で最大規模を誇る大衆酒場。その厨房で二人は向き合っていた。


「もう皆ステージ裏に集まってるけどー」


 肉感的な肢体とそれを惜しみなく露わにする衣装を身に付け、細やかに輝くブレスレットが目立つ左手で彼女、ベロニカ・シュタットは自らの銀髪を掻き上げる。


「私、今日はオープニング出ない」


「へー珍し、サボり?」


「ちゃんとオーナーに許可貰ってるよ。それに出ないのはオープニングだけだし」


「ますます意味ワカンナイ」


 会話の最中、ハイネは幾つかの料理の盛り付けを行っていた。ベロニカは腕を組みそれを訝し気に眺める。


「さっきの買い出しの時にちょっと絡まれちゃった時、通りすがりの人に助けて貰ったの。そのお礼をしておきたくて」


「ふーん。どうせアンタの事だから変に抵抗したりしてキレさせたんじゃない? そういう手合いは適当にいなしときゃ良いのに。変わんないねアンタ」


「そうかも」


「じゃ私行くから。あ、その助けてくれた人って男でしょ? 羽振り良さそうなイイ感じのイケメンだったら教えてねー」


 最後にその言葉を残し、確認すべき事を終えたベロニカはその場を去る。その場に残ったのは彼女が使っていた甘い香油の匂い。それを嗅ぐようにハイネは鼻を鳴らし、小さく呟いた。


「教える訳ないでしょ」




 ☆




「改めてありがとうございました……トラッシュさん」


「そんなに気にしなくても良いよ。大事に至る前に助けられて良かった」


 そこは厨房に隣接する給仕達の休憩室だった。ハイネは室内に置かれたテーブルを前に腰を下ろしたトラッシュを名乗る男に頭を下げる。


「あの、本当にこんなお礼で良いんですか?」


「ちょうど腹を空かしてたところだからね。……うん、美味い。人が多いのも頷ける味だ」


 トラッシュは用意された料理……先の救出の礼としてトラッシュ自身が求めたものに舌鼓を打つ。その朗らかな笑みに嘘や気遣いは感じられない。


 だからこそハイネの胸中は本当にこんなもので良いのか、という思いと若干の疑念が湧いていた。用意した料理こそハイネの自腹だが、その程度ではトラッシュがあの二人組に差し出した金額には届きそうにもない。


 そして、それを見透かしたようにトラッシュは薄く笑う。


「自慢する程ではないけど懐には余裕があってね。あの程度は出費に入らない。それよりもさ、なんであの二人組があれで手を引いてくれたか気にならない?」


「え? まあ、急に落ち着いたなとは思いましたけど……」


「ちらっと聞こえた会話から真正の悪党とは言えない、良くてチンピラ止まりの連中だと思ったんだ。だから金で頭を冷やさせて君を襲うのがどれくらい危険かを言ってあげればすぐに諦めると思ったんだよ。ほら、差し出した金以上を求めようともしなかったでしょ? 本当のワルならあそこで無理矢理にでももっと欲しがるもんだよね」


「な、なるほど?」


「まあ、それ以外の解決法が無かったってのもあるけど。本当はカッコよくアイツらをコテンパンにして助け出したかったかったんだけど、俺ってば腕っぷしがからっきしだから。イヤミな金持ちみたいになっちゃったよ」


「……イヤミな金持ちそのものじゃなかった?」


「あ、それ言っちゃう? ひどいなぁ助けてあげたのになー」


「──ふふっ」


 おどけるような仕草を取るトラッシュに対しハイネは自然と笑みが漏れる。助けられたお礼、という話から話題を逸らされている。その事にハイネは気づいてはいたが、向けられた気遣いとトラッシュ自身が放つ弛緩した雰囲気に呑まれていた。


「そうそう、君は笑ってたほうが良い」


「え?」


「言葉遣いも今みたいにラフで構わないよ。多分歳もあんまり変わらないだろうし」


「う、うん……そうさせてもらう」


 惚気話で良く耳にするような言葉にハイネは一瞬動揺しかけたが、目の前の男にとってそれくらいは普通の会話の範疇なのであると納得していた。


「あ」


 それから少し間を置いて、壁越しに聞こえてきたのは甲高い弦楽器の音だった。


「ゴメン、私そろそろ行かなくちゃ」


「何か始まったみたいだね」


「……あ、そっか」


 その疑問を聞いてハイネは気が付いた。目の前の男はこの酒場の名物を知らないのだと。そして同時に、金品以外のモノで自分に出来る礼をするチャンスである事にも。


「あの、良かったらホールの方で待ってて貰えないかな。お礼……になるかは分からないけど見せたいものがあって」


「良いけど……見せたいものって?」


「演じるの、私」




 ☆




 今回の内容はこうだ。とある王国が反乱を起こした民によって滅びの危機に直面するが、そこに訪れた名も無き放浪騎士の男の活躍によってそれを免れる。男は正式な騎士としての取り立ての誘いを断り国を後にするが、そこに騎士によって救われた王族の一人である国の姫が追ってくる。


「救国の騎士よ! どうか、どうか私を連れて行ってください! 責を捨てこの重き衣を脱ぎ去りたいのです! 貴方と共にあれば私はささやかに、しかし確かに輝ける日々を送れるのです!」


 姫は目前の滅びこそは免れたものの、一度は滅びかけた自国の将来を憂い、王族という立場から逃れたかった。しかし騎士はそれを受け入れない。


「私のこの手は血に塗れている。貴方のような宝石のごとくに美しく、高貴な御方の求めに応えまた導く資格など、醜き私には無い」


 騎士には尋常ではない過去があり、それに未だ苦悩する様子を見て姫は気づかされる。


 血に塗れているのは自分も同じではないかと。民の訴えを聞こうとも知ろうともせず、彼らが反乱を起こすまで無自覚に足蹴にし続けてきた。それによって流れた血がある筈であると。


 そして何よりも、それを今の今まで自覚してこなかった自分は何よりも──醜い。そんな自分を騎士の様子から見てしまった姫は何も言う事が出来ず、最後にこの言葉を絞りだす。


「また……お会い出来ますか」


 再会の願い。それに騎士はこう答える。


「ええ。互いに生きていれば、また会う事もあるでしょう」


 肯定するような言葉ではあるが、姫はその表情から騎士はもう二度と王国を訪れる気も自分に会う気も無いのだという事を悟る。

 その言葉に姫はただ取り繕うような笑顔を見せ、物語は幕を閉じる。


 本番前の調整はハッキリ言って不完全だった。買い出しとトラブルに時間を取られて発声やイメージトレーニングが不十分。それでも、不安や焦燥感は不思議と無く、流れるように思ったままの演技が出来た。


 特に最後の嘘を受け入れた歪な姫の表情。私がこの劇の姫に持つイメージを限りなく表現出来た感覚があった。


 劇の最後、騎士役の子と共に全てのセリフを言い終え、ホールに向かって頭を下げる。普段通り気を良くしてお酒を飲んで駄弁ってるお客がほとんどだけど、いつもより拍手と視線の量が多い気がする。


 彼の姿が目に入った。ホールの後ろの方、壁に背を預けこっちを見て手を鳴らしている。


 目が合った。僅かに懸念していた退屈や失望の色はそこには無くて、静かに認めるような意思が籠っているように感じた。


 ──今、私はこれまでの人生の中で一番輝いている。全てを終えた後、私は少し乱れた息の中でそう確信していた。

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