第30話 ツイてない

 メルクーアは王国の北西に位置する小都市だ。


 幾つかの小村が寄り合い、時間をかけて都市としての形を成していったという背景を持つこの場所は成立から歴史が浅く、洗練という言葉からは遠く離れた場所である。


 しかし雑多な人々が常に行き交い、その大らかとも言える都市の気風を気に入り根を下ろすような人物も少なくない。


「ベンの野郎、商売が上手くいってやがるみてえじゃねえか。媚売っとくべきだったなあ」


「昨日開いた娼館、今日まで割引だってよ。この後行っとくか?」


「うええコイツ吐きやがった! まだ日も落ちきってねえのに飲みすぎなんだよ!」


「おい、こっちに酒だ! 二、いや三杯くれえ! あとチーズもだ!」


 そんな場所で早々に仕事を終えた男達はいつも決まったように酒場を訪れる。酒を飲み、腹を満たし、猥雑な話題に花を咲かす。


「──はーい、ただいま!」


 そうして、その注文に応える為にハイネ・シュタットはひとまとめにした黒髪を揺らした。





 ☆





「はあ」


 思わずため息が出る。それもしょうがない事だろう。


「本番前にちょっと試したかったのに……調整してる暇無いかなあ」


 預けられたお金をしっかりと懐に感じながら、大通りの端の方を駆け足で走る。給仕用の野暮ったいスカートのままだから凄く動きづらい。着替えておくべきだったと今更後悔する。


 買い出し。こんな服装のまま仕事を抜け出して走ってる理由はそれだ。今日は客の入りが良く、このままいけば用意していた食材だと最後まで持たないらしい。そこで給仕の誰かが買い出しに行く必要があった。誰が行くかはコインで決めた。


「ツイてない」


 今日は七日に一度の特別な日だ。事前の準備には時間をかけておきたかったけど、このまま行くとその時間は間違いなく削れる。


「……あーもう、人! 多い!」


 仕事を終えた人、仕事に向かう人、荷物を運ぶ人、酒場に向かう人。日が落ちかけるこの時間は、この場所で一番人の流れが活発になる時間。大通りも人でパンパンだ。


 だからそれは必然だったと思う。大通りから枝みたいに伸びた細道。そこを使えばウチの酒場御用達のお店の場所までショートカットが出来る。その薄暗さに一瞬たじろいで、次の瞬間には踏み出した。


「大丈夫、大丈夫……!」


 無暗に大通り以外を通るな。これはこの場所で住んでるなら自然と身に付く防衛術だ。


 薄暗い細道や路地裏では何が起こるか分からない。夕方から朝にかけては特に。しかも一人なんてもってのほか。


 だけどしょうがなかった。危ないことは理解してるし、実際に痛い目に遭いかけた時もある。それでもそこを通れば時間を短縮出来る。


 それにお店はすぐそこ。さっさと通り抜ければ大丈夫、何も起こらない。そう言い聞かせながら私はゴミが散らかった場所を抜けて、角を曲がって。


「クソがッ! 今日はツイてたんだ! あの野郎、イカサマに決まってやがる! 決まってやがるのにッ……!」


「……これからどうします? 兄貴?」


「どうもこうもねえ! もう終わりだろうが! ……こうなったらヤケクソだ。思う存分好き勝手に──あ?」


 ああ、ホントにツイてない。そう思いながら、自分の不運と愚かさを呪った。






 ☆





 肝心な時に助けが来ると思うな。私を買い取ったオーナーがいつだかにそんな感じの事を言っていた。


「離っ……してっっ!」


「うるせえ!! 無駄な痛い目みたくなきゃ大人しくしやがれ!!」


「ちょっ、兄貴、マジでやるんですか!?」


「ごちゃごちゃ言ってねえでテメエも手伝──ッ!? このクソアマが!!」


 禿げ頭のデカい方に突き飛ばされる。咄嗟に引き抜いた小さな護身用のナイフが手から落ち、私は路地の奥へと弾き飛ばされ、地面に倒れた。


「ああ……もう許さねえ、ぐちゃぐちゃにしてやる」


 デカい方は手に出来た小さな傷を抑えて怒りに震えている。小さい方はオロオロとどうすれば良いのか分からないとでも言いたげな仕草を取った後、地面に倒れた私を見て覚悟を決めたように目の色を変えた。


 私はもう、抵抗を止める事にした。最低限守りたいものを守るために、これ以上怒らせない方が良い。そう思って心を冷え切らせ、荒い息を吐きながらにじり寄って来る二人組を見ていると。


「そこまでにしませんか?」


 二人組の後ろから声がした。こんな状況なのに、その声を聞いて私は平坦な声だなと、やけに冷静な感想を思い浮かべていた。


「ああ? んだお前? 混ざりてえのか?」


「いいえ。そんなつもりはありません。とにかく、その女性から離れませんか?」


 二人組が邪魔で姿は見えない。それでもその声には場違いなほどの落ち着きがあった。


「……俺がそれを聞くとでも思ってんのか?」


「ええ、聞きますね」


 どさりと、地面に何かが落ちる音が聞こえた。


「お金です。けっこう入ってますよ。少なくとも、今日一日を自由に過ごすには困らない」


「……あっ、兄貴、この袋、マジで入ってますよこれっ」


「良ければ差し上げます。……腹を満たし、喉を潤わせ、欲を発散する。それさえあれば、こんな場所で薄暗いマネをしなくても良い。胸を張って今日を過ごせる筈だ」


「……」


「少し落ち着いて考えてみてください」


 デカい方は押し黙る。呆気に取られているのか、さっきまで荒げていた息が落ち着いていた。


「……ちっ、ワケ分かんねえ。おい、行くぞ」


「あっ、兄貴!」


 そうして、二人組は袋を手に路地を通ってどこかへと消えて行った。唖然とする私に対してその人はゆっくり近づき、膝を立てて、手を差し出した。


「声が聞こえてね。ギリギリ間に合って良かった」


 その人は私と同じ髪のをしていた。掻き上げられた前髪。意思の強い視線と。柔和な笑み。


「俺はトラッシュ。さ、早くここから離れよう。立てる?」


 胸が強く、高鳴った。

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