第10話 擦り減って

『何故だ……何故私に限って……』


 そうやって苦悩する父の姿の背中を、幼い私は何度も見た。


 医療協会。聖王国に居する巨大組織。父はその会長であり、前の代の会長も父の父、つまり私の祖父だった。


 そうして私の血族は初代会長の時代から代々とその地位を受け継いで来た。その全てはだ。


 しかし、父の性機能には問題があった。薬を飲み、眉唾な療法に頼り、何度も相手を変えた試行の末に産まれたのが私だったが、現実は非情だった。


『良いかミカエル。お前は男として生きるのだ。誰であろうとも肌を見せるな。距離を縮めるな。秘密を守れ。お前が会長を継ぎ、辞してもなお守るのだ』


 父は光の無い目で私の両肩を強く掴み、繰り返し繰り返し繰り返し、私にそう言いつけた。


『お前の、そして医療協会の未来の為なのだ。聡いお前なら分かるな?』


 その度に何度も頷いた。姿のを知っていた私は、頷かなければどうなるかを悟っていた。いや……恐れていた。


 それ以来、私は秘密を胸に生き続けている。


『素晴らしい術の精度ですミカエル様!次期会長としての資質をその歳で既にお持ちだ!』


 回復術の指南役も。


『ミカエル様……その、私、貴方様の事が……!』


 要職の娘も。


『ウチの息子を……ありがとうございます!ミカエル様!』


 その手で救ってきた人々も、誰もその秘密を知らない。彼らが見ているのは今代会長の息子であり、次期会長であるミカエル・アンフィスだけだ。


 もう、父に対する恐れは無い。私はただ疲れてしまった。その虚像を保ち、秘密をひた隠しにするのに。


 そして、疲れの次には怒りがこみ上げた。自らを偽る原因となった医療協会に、慣例に縛られ私を生贄に差し出した父に、誰一人として虚像の先に気づけない周囲に。


 だから、全てを台無しにしてやろうと思った。




 ☆




「ん……っ!?」


「気づいたか」


 荷物から取り出した水を飲んでいると地面で寝ていたミカエルが目を覚ました。案の定、状況に混乱している。


「ここは……私は……」


「森の中にあったテントの中だ。魔術学園生が残していったものらしい」


「私は……森の中に……」


「そうだ。いきなりお前が独断で森の中へ入り、俺がそれを単独で追跡した。追跡中に。気絶したお前を俺は運び、落ち着ける場所を探してここを見つけた」


「気絶……」


「こんな森の中を俺への挑発混じりで歩こうとするからだ。もう少し頭の切れるヤツだと思っていたんだが、案外間抜けのようだな」


 呆然とするミカエルに対して語気を強めて非難する。頭を打った云々はもちろん嘘だ。


 ヤツの記憶は記憶消去によって俺から逃げている際の記憶で止まっている筈だからな。稚拙な嘘だが、怒りの感情を前面に押し出してゴリ押してやる。


「……そうですか。浮かれていたのかも、しれませんね」


 自嘲するように笑いを零すミカエル。どうやら勝手に納得したらしい。


「これは貴方が?」


 ミカエルは横に畳まれていた自分のローブを指差した。


「寝かすにしても暑苦しそうだったからな。こちらとしては親切で脱がしてやったつもりだが……」


「秘密を知ってしまったと。……ふう」


 そう言ってヤツは短い息を吐く。別に気絶してる間に服を着せて脱がせなかったルートで行く事も出来た。


 だがそれだとさっきと状況は同じ、起きたコイツがまた原因不明の色情魔になる可能性がある。


 今回は気絶してる間に脱がし、図らずも秘密を知ってしまったというシナリオで行く。状況は変わったが、もしこれでさっきのような行動を再びコイツが取ったなら……、別のシナリオだ。


「生涯守り通して来た秘密が、知らぬ間にこうも呆気無く知られてしまったとは。は、笑えますね」


 笑えねえよ。


「何かをされたような感覚も無い……一応、容姿にはそれになりに自信があったのですが。紳士なのですね」


 てめえと違ってな。


「これほど無防備な私に手を出すどころか興味を抱いている様子が微塵も無い。であれば……誘ったとて無意味ですね。これでは私の目的を果たせそうもない」


 おいおい、マジでそれだけが目的で俺を挑発して森の中に逃げて来たのか?……いや、それは無いか。


『……ふ、ふ。始めから目的は素直に告げているつもりですよ。私の目的は貴方を誘い出し、二人きりになる事。ただそれだけです。貴方が良いと思ったのです』


 コイツがただの色情魔なら、俺以前にも秘密を共有し関係を持った相手が居てもおかしくない。だがコイツはさっきも今も一貫して秘密を明かしたのはだと告げている。


 単に俺に秘密を共有したいと思うほど情を抱いたから、というのも過ごした時間が短すぎる事から考えにくい。


 人生で初の秘密の共有、そして肉体関係の構築。そのターゲットをここぞとばかりに俺へと絞った理由がある筈だ。


「正直……俺はお前を測りかねている。何を思いこんな事をしたのか、お前の真意を教えてくれないか」


「……」


 ミカエルは答えず、顔を俯け何かを思案している。

 もうストレートな敵対や裏切りの意思が無いのは確実と言っても良い。だがそれ以上にコイツには何か捻くれた目的がある。


 俯いた顔から見えるその虚無的な眼が、それを匂わせていた。


「……隠す事には疲れました。お望みであれば話しましょう。といっても、面白くも無い個人的な復讐の話ですが」

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