第9話 秘密

「待てぇぇぇぇ!!!止まれぇぇぇぇぇ!!!!」


 俺がミカエルを追跡し始めてから約十五分程。既に森の奥深くへと入っている。


 木々は避け、鬱陶しい草を踏みつぶして潰して進む。苛立ちを乗せた静止の声を定期的に発想ともミカエルヤツが足を止める気配はまるで無い。


 ――魔術は使えん。この環境下と距離で逃げの一手を打ち続ける相手に使っても札の無駄だ。俺もアイツも体力は確実に消耗してきている。このまま根競べになるか。


「ぶっ殺すぞクソが……!」


 苛立ちが殺意に転化しそうだ。しかし別に俺はアイツを進んで殺したい訳じゃない。殺しはあくまで選択肢の一つ。


 殺すべきなら殺し生かすべきなら生かす。その為にもヤツの真意を探る必要がある。


「待っ――」


 何度目かの大声を中断する。見ればミカエルは立ち止まっていた。


 周囲に比べて木々が遠慮をした開けた空間。その場所にあった非自然物の前で。


「テント……?」


 そこにはかなり大きめのテントが張られていた。森のど真ん中にしてはあまりにも不自然な光景だ。


 ヤツの仕込み。だとすればここまで誰かしらを誘導してくるのは既定路線?やはりアイツは俺達の敵か。


 ポケットから札を取り出し、歩調を緩め俺は警戒しつつ近づく。やがて、俺達の距離は容易に魔術による拘束が及ぶ距離になった。


「何が目的だ」


「んー……少なくとも貴方に害を与える気はありませんね」


 札を突き付けるとミカエルは微笑の上に薄い汗を浮かばせ、無抵抗を示すように両手を挙げた。


「それはお前が用意したものか」


「いいえ。私は落ち着ける場所を探していただけです。これは以前ここに来た誰かが残したものでしょう。貴方なら分かるのでは?」


 横目にテントを見る。遠目では汚れの一つにしか見えなかったが、よく見れば所々に紋章――魔術学園を示す紋章が刻まれている。


 学園生がフィールドワークの際に置いて行ったものか?それを示すかのようにそこら中に長時間放置されていた形跡があるが、だからと言ってコイツが用意したものではないと言い切る事は出来ない。


「とはいえ、私にとってはうってつけの場所です。どうでしょう、少し中でくつろぎながら話しませんか?私と二人きりで」





 ☆




 テントの内部は森よりも少し薄暗かった。これをそのままにしていった奴らが照明にしていたのだろう幾つかの魔枯石が微弱な光を放っている。


 広さは五、六人想定。簡易的なテーブルと幾つかの椅子があった。


「何故、素直に話に応じようと思ったんです?相当ご立腹のようでしたが」


「お前からは害意を感じとれない」


 俺達は脇に荷物を置き、それぞれが椅子に腰を下ろし十分な距離を取った状態で対面していた。


「このテントも最初は仕込みかと思ったが……まあ無いだろう。この森を経由した方が良いと言い出したのがお前ならまだしも、提案したのは俺だ。それに罠だとしても意図が分からん。あと、ご立腹は普通に継続してるからな」


 一行の誰かを誘き寄せて殺したいのなら、ここに来る以前にもっと確実で簡単な方法が幾らでもあるだろう。これが罠なら迂遠すぎる。


「もう一度言う。目的はなんだ」


「貴方と二人きりになる事ですよ。ウィンザー殿」


「初めから俺が追跡してくると想定していたと?」


「はい。見たところ貴方は一行の主導権を握り、私達を思う通りに統制したい気質の持ち主です。そんな人間が仲間内で不審な挙動を見せた者を追う際に、自分以外を差し向けるでしょうか?自分の知らぬ所で知らぬ問題が知らぬ動きを見せる。それを許容出来るタイプの人間ではない。視認出来た火種は他の三人が一時的に統制下から外れるのを飲み込んでも出来る限り自らで消したい、そうでしょう?」


 薄笑いに薄い汗を浮かべたミスマッチな表情でミカエルはそう答えた。


 片手に持ったままの札を握る力が強くなる。正しい。コイツがする俺の分析は間違っていない。実際に俺は一行の主導権を握るべく動いて来た。


 問題はどこまで見抜いているかだ。その火種を消す為に俺の性質まで分析しているのか。どちらにせよ、やはりコイツの頭の出来は要警戒か。


「……俺がご指名なのは分かった。それで、何の用だ?」


「その前に一つ、貴方は私に関して勘違いしている事が一つあります。なんでしょうか?」


 思わせぶりにそう答え、ミカエルは小首を傾げる気味の悪い仕草を取る。


 ――なんでしょうか、じゃねえよ質問に質問で答えるな。コイツマジで面倒臭え。つーか暑いんだよこのテントの中。イラつきが顔に出ないようにすんのが大変だわ。


「おい、俺はクイズ大会がしたい訳じゃ――」


「ここは少しばかり暑いですね。上着を脱いでも?」


 俺の文句を遮り、返答を待つまでも無くミカエルは勝手気ままに服を脱ぎだした。


 我慢、我慢だ。殺しちゃダメ、面倒でも大した理由無しに殺しちゃダメだぞ俺。


 医療協会の奴らがよく着ている、白を基調にした分厚いローブのような上着。今までいつ見てもキッチリと着込んでいたそれをゆっくりと身から離す。


 黒い肌着から飛び出した腕が見え、やけに細いくびれのある腰元があらわになり、その上には身体機能の邪魔にならない程の大きさの胸が――。


 ……あ?胸?


「ふう……分かりましたか?殿


 結んでいた後ろ髪がその手で解かれ、肩口まで伸びたのと同時にミカエルの声色が変わる。


 今までの中性的な声から低さを取っ払った声色。これはもう間違えようもない。


「お前……女か」


「ええ、まあ」


 隠していた真実をさらけ出したからか、ミカエルの表情には爽快感のようなモノが垣間見えた。


「中々に大変なのですよ?外ではどんな気温でも身体のラインが出る服は着れませんし、常に周囲の目を気にしなくてはならない。声も、今は慣れましたが低音を維持するのには苦労しました。……何故そんな事をする必要があったのか。説明、要ります?」


「いや、何となくは察した」


「ふふ。まあ、貴方ならそうでしょうね」


「それよりもだ。根本の問題が解決していない。俺一人にその真実を伝えた意図は何だ?これから先、他の面々にそれを隠し通す為に協力でもして欲しいのか?」


「……ふ、ふ。始めから目的は素直に告げているつもりですよ。私の目的は貴方を誘い出し、二人きりになる事。ただそれだけです。貴方が良いと思ったのです」


 意味深にそう答えた後、ヤツは軽く胸を突き出すような姿勢を取った。ここまでの運動と気温のせいかその頬には赤みが差している。


「興味がありませんか。十数年間、丹念に隠し通されてきたこの身体に。この事実を知る者は極めて少ない。もちろん、よこしまな考えを持った誰かの手が触れた事など一度も無い」


 ヤツはゆっくりと立ち上がり、俺に向かって歩を進めてきた。光源が淡いせいで表情が良く見えない。


「ここには文字通り私達の他に誰も居ません。……怒っているのでしょう?私の身勝手な行動に。その苛立ちをぶつけて、思うままに汚してみませんか。このまっさらな肌を。他ならぬ貴方の手で」


 ヤツは肌着をゆっくりとめくる。言葉通りのシミ一つ無い肌が晒される。


 ――俺は無言で立ち上がり、自分からヤツとの距離を詰めた。薄笑いからにやけ面に変わったミカエルの顔が視線の下にある。


 そして、俺は手を伸ばす。


「あっ、ふふ、意外と積極的なのですね。出来ればお手柔らかに――」


「そういうのは他所よそでやれ」


「へ?……あうっ」


 そのまま首元に近づけた手で記憶消去魔術を使う。発動と共にヤツは意識を失い、力の抜けた身体は俺の方へと倒れてきた。そのまま力の抜けた身体を地面へと転がす。


「何だこの色情魔は……」


 ドン引きなんだが。つかぶっ殺されてえのかマジで。

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