特別編④ バレンタインの小悪魔

「いらっしゃい、ノア!」


 二月十四日。

 ノアがアメジスト家の邸宅を訪れると、満面の笑みのリラが出迎えてくれた。


「うわあ……今日は一段と破壊力が高いね、リラ」


 ノアが眩しそうに、目の前に手のひらをかざす。

 

 不思議そうに首を傾げるリラは、たっぷりとフリルのついた白いエプロンを着用していた。髪は三つ編みに結われ、メイドの女性がかぶるようなヘッドドレスを身につけている。


「ああ!これは、マリーの小さい頃の服を借りたんです。なんたって今日は、お菓子を作りますからね!気合が入ってますよう」


 リラは長いメイド服の袖を捲り、細い腕で力こぶを作った。腕や顔には、所々にチョコレートと思しきものがついている。


 邸宅のキッチンに案内されると、部屋の端に青ざめた表情のテディが座っていた。いつも顔を見れば子猫のように威嚇されるものだが、今日はチラッと一瞥されただけで覇気がない。


「どうしたの?テディ。元気ないね」


「ああ……ノアさんは、お姉さまの手作りの料理を食べたことがないんですね」


「ないけど……なに、マウント?」


「いえ、まあそのうち分かりますって……」


 二人が話している間にも、リラはふんふんと鼻歌を歌いながら工程を進めていた。冷蔵庫から小さな容器を取り出し、その上に赤い粉末を振りかけている。

 

 それはどうやら生チョコレートのようで、丁寧な所作でサイコロ状に切り分けられた。

 ケーキ皿の上に綺麗に盛り付けられた生チョコは、天使のように微笑むリラによって、ノアの目の前に差し出された。


「箱に入れていなくて恐縮ですが……ノアの分です。ハッピーバレンタイン!」


「ありがとう!リラの手作りに勝るチョコはこの世に無いと、断言するよ!」


 ノアはほくほくとした顔で、それを受け取る。皿の上には、美しい真紅のチョコレートが整然と並んでいた。


「これは……ルビベリー味なのかな?チョコも上の粉も赤いね、美味しそう!」


「ふふっ、食べてからのお楽しみです!さあ、どうぞ!」


 ノアが小さなフォークでゆっくりとチョコを口に運ぶ間、テディは顔を背けて窓の外を眺めている。嫉妬かな?と思った瞬間、口の中に衝撃が走った。


「ぐっ……ぐうう……ああっ!!」


 熱い。硬口蓋が焼けるように熱い。

 焼けるなんてもんじゃない。炭を食べたんだっけ?と真面目に記憶を遡ってしまうほどだ。あまりの衝撃に思考が停止し、頭部全ての毛穴が開いて汗が噴き出してくる。


 舌の上では甘ったるいチョコレートがとろけ救いを感じたが、時間差で猛烈な痛みが襲ってきた。中に混ぜ込まれたザラリとした何かが、トロリとしたチョコと共に口中にまとわりついてくる。歯茎から舌の裏まで、剣山が暴れ狂っている。


 慌てて飲み込むと、喉から食道までをマグマが通り抜けた。項垂れた額から汗が滝のように流れ落ち、手が震える。

 チカチカとする視界の端でテディが牛乳を差し出すのが見え、ひったくるように奪い取って一気飲みした。


「どうですか……?ノアの赤い髪と燃えるような真紅の目をイメージして作ったのですが……」


 リラは頬を染めながら、顔の前でモジモジと指を組んでいる。荒い息を整え、ノアは呆然としながら尋ねた。


「リラ……これ、何か魔法使って作った?火魔法とか──あ、待って……火の魔石とか練り込んである感じ!?」


「やだ、そんなことしませんよ!食べ物なんですから」


 ノアったら、面白いことを言いますね!と、リラは口元を隠して笑う。


「炎炎ガラシという、新種の野菜を使いました!赤いし、食べると口の中で燃えるような感覚があるそうなので、ピッタリでしょう?中身だけじゃなく、見た目も赤くなるように、試行錯誤して粉末にしたんですよ」


 リラが笑顔で、真っ赤な粉の入った小瓶を掲げる。


「……テディ。あれは時代を変える兵器になりかねないから、後で厳重に処分して欲しい。王家のめいで」


「承知しました。……お姉さまの料理は、独創性が過ぎるんです。器用だから見た目が良いだけに、厄介で……。たまに異次元に美味しいものもあるんですけど……」


 テディが差し出した二杯目の牛乳をちびちびと飲みながら、口の中の炎を流し込む。今は、胃の辺りに存在を感じる。


「リラ、これ味見した?」


「あら大変、していませんでした!人に差し上げるものだというのに、何という無礼を……」


 リラが手を伸ばしかけた皿を、ノアが慌てて取り上げる。


「こ、これは駄目!……ああ、その……せっかくリラが作ってくれたチョコだし、僕が全部食べたいんだ。ええと……とっても、素晴らしかったから。唯一無二の味って感じ」


「まあ!それなら良かったです」


 リラが蜂蜜色の目を細め、頬を緩めて微笑む。


「うう……守りたい、この笑顔……」


「ノアさん……お姉さまに苦痛を味合わせないために……愛、ですね」


 テディが悟ったような表情で呟き、薄く口元を上げる。


「それなら、この場で全部食べるんですよね?それ」


「テ……ディ……!覚えてなよ!これは持ち帰るから!」


「さあテディの分も、もうすぐ出来ますよ!」


 リラは真剣な表情で、白いトリュフチョコレートに真っ白な粉を振るっている。テディは震える手で、それを指差した。


「お姉さま……その粉は?」


「これは粉砂糖ですよ、チョコたちのお化粧に。テディの白い髪をイメージして……」


 テディはノアの方を振り向き、ニヤリと笑った。


「ふっ……これは、勝ち確ですね」


「くっ……!テディにも、これを味合わせてあげるから!」


 ノアとテディが揉み合っている間も、リラは粉を振り続けている。


「お姉さま……?砂糖はそれくらいで……」


「いえ!雪みたいに降り積もらせたいのですが、粉がチョコに触れた瞬間溶けてしまって……良かれと思って、魔法で微細にし過ぎたでしょうか」


 粉砂糖が落ちていくのに比例して、テディの顔色も青くなっていく。


「テディは元々色が白いけど、今日はどんどん青くなるね?青い食材を入れてもらった方がいいんじゃ……」


「ノアさん、余計なことを言うとしますよ。路地裏育ちなめないでください」


 結局全ての粉砂糖を振るった所で諦め、真っ白な球体がテディの前に置かれた。一口大のそれは、計り知れないオーラを放っている。


「出来ました!さあ一思いに、パクッとどうぞ!」


「大丈夫、甘さに耐えれば、大丈夫……」


 ブツブツ唱えるテディはチョコを口に入れると……一瞬の沈黙の後、拳を握りしめながら立ち上がった。

 

「あっっま!!!い、だけじゃなくて……何だこれ!?しょっぱ、苦、酸っぱ……辛!?」


「えへへ……見た目はテディの髪色で真っ白に、中身は虹色の瞳をイメージして七色の味にしてみました!甘味、塩味、苦味、酸味に加えて辛味……そして」


「……うまい。そして旨味の先の何かが見える」


 真顔でそう呟いたテディは、そのまま後ろにバタンと倒れた。


「まあ、テディったら!そんなに感激しなくても……」


「……誰か、神官を!大至急!」


 壁際で身を寄せ合ってこちらを見ていたシェフのうちの一人が、神官を呼びに走り出て行った。


「では、お父さまとお母さまにプレゼントするチョコも作らなくては!もちろん、皆さんの分もありますからね」


 ニコリと自分達の方に向かって笑いかけるリラを見て、シェフ達は鋭い悲鳴を漏らしながら震え上がる。ノアはそそくさと荷物をまとめ、静かに立ち上がった。


「リラ、じゃあ僕はこの辺で……チョコありがとう」


「わざわざありがとうございました!よければ余った分は、この箱を使って持ち帰ってくださいね。あとこれ……アレクさまの分なので、お渡しください。金の髪と、緑にも紫にも見える瞳をモチーフに……」


「……うん、大丈夫。怖いから詳しくは聞かないでおくね」


 その後しばらく人が変わったように優しくなったアレクの話題で、王城がざわついたのは、また別のお話……。


 ○○○○○


 あとがき


 バレンタイン特別篇でした!

 短編のはずが、思いの外長くなってしまいました。


 アレクへのチョコは美味しかったのか、不味かったのか?彼の舌のみぞ知る、です(甘党なので、喜んで口にしたでしょうね……)。


 ハッピーバレンタイン!

 甘いどころか、劇薬の短編ですみませんでした……。

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