月下の密会

 保健室に行ったら、保険医には心底憐憫の目を向けられた。

 足はびっくりするほど腫れ上がって青アザが浮き、とてもじゃないけれど靴が履けないから舞踏会にも出られない。


「あのう……これ。宮廷魔術師とかに治療を……」

「こんなことでメイベル女史を呼び戻せますか。あの方も多忙なんですから。まあ、これくらいでしたら二日で治りますよ」


 はい、舞踏会本番には間に合いませんでした。自業自得自業自得。

 一応薬草を渡され「一日一回これを煎じて湿布を浸して、それを巻いてくださいね。匂いがきついですから、寝る前でいいですよ」と言われた。ちらりと内容を渡された限り、魔法薬よりも簡単そうな上に、魔法薬調剤と違って時間を気にする必要もなさそう。

 私は「ありがとうございます」と保険医にお礼を言ってから、ぴょこぴょこ跳んで授業へと戻っていった。

 そのあとは当然ながら座って見学であり、以降の授業も足の痛さでグジグジしながら受けていた。

 私が足を痛そうに引きずっているのは、当然ながらシャルロッテさんに心配された。


「イルザさん、本当に大丈夫? 今日のサロンは……」

「ごめんなさいね、私もまさかこんなことになるなんて……本当はアウレリア様にお会いしたかったけれど、今日は辞めとく。早めに帰って湿布巻いて寝ておくから」

「そう……舞踏会ですけど、残念ですね……折角クリストハルト様と踊れるかもしれなかったのに……」


 それだけが心残りだった。

 多分素敵なドレスコートを着て、華麗にエスコートしてくれただろうに。でも……。

 私のせいで現在キャラ崩壊中のクリストハルト様にエスコートされて、私は喜ぶだろうかという疑問も付きまとう。

 ただ、キャラ崩壊中に迫られているから、私も必死に抵抗できるのだけれど。もしキャラ崩壊してない通常通りのクールなキャラで迫られたら、私は断れるだろうか。

 クリストハルト様には現在婚約者はいない。私にもいない。ただ身分差はものすっごくある。私、下級貴族。あちら、王族。


「……無理ぃ」

「あ、あの? イルザさん?」

「クリストハルト様のキャラ崩壊の元凶たる私が、そんな幸せなことになっていいとは思えなくって無理ぃ……薬切れたらあの人どうするの。今までの所業思い出して悶絶して死なないかしら? それ全部私のせいよ? 今のところクリストハルト様がなんも言ってないから私の首は胴体と別れを告げずに済んでいるけれど、あの人が正気を取り戻したとき、私はグッバイ私の首をしないといけないかもしれない!」

「た、多分そういうことには、ならないんじゃないかし、ら?」

「わかんないわよぉ、だってあんな惚れ薬の効果、私だって知らないしぃー、なんで現状こんなことになっているのかわからないしぃー」

「イルザさん、イルザさん、落ち着いてっ!?」


 メイベル先生、早く帰ってこないかな。私はちょっぴり心が折れそうです。

「馬鹿者。それは暴走というものだ。そんなもんで心が折れたと言われてたまるか」と脳内のメイベル先生が囁いた。

 おっしゃるとおりでございます。


****


 保険医からもらった薬草を、水を入れた鍋でコトコトと煎じる。たしかにこれは魔法薬でもあんまりしないような異臭で、とてもじゃないけれど昼間にその煎じた汁で湿布を浸すことはできそうもない。


「臭い……」


 異臭が鼻に突き刺さるのを感じながらも、私は出来上がった煮汁に湿布を浸した。

 それを足に巻き付けるものの、足の腫れが効いているのかどうかはいまいちわからない。

 魔法薬は専門の魔法医じゃないと一般には流通しないし、宮廷魔術師はそもそも激務だからなあ。

 私はそれを巻いて、上から靴下を履いて眠ろうとしている中。

 窓縁にコツンと音がしたことに気付いた。

 昼間だったら鳥が飛んで窓に激突することは稀にあるけれど、こんな夜には鳥は飛ばない。この辺りでは夜鳥だっていないから、鳥なんていないはずなのに。思わず窓を開くと、バルコニーには丸まった紙くずがあることに気付いた。思わずバルコニーの下に視線を落とし、思わず黙り込んでしまった。

 今晩は三日月。そのわずかで頼りない月明かりで天の川のような銀髪を煌めかせているクリストハルト様が、こちらを見上げていた。寝間着だろうか。ラフ過ぎるシャツにスラックス姿は、前に見た私服よりも更にラフで、鎖骨まで見えて心臓が痛くなる。

 指で軽く、「しいっ」とジェスチャーをしながら。

 私は思わず辺りを見回した。女子寮に夜中に男子が潜入となったら、いくら王族とは言えど怒られてしまうだろう。私は慌てて階段で下まで降りようとしたものの……下に降りたら寮母さんに勘付かれてしまうと気付いて諦めた。

 私は窓のカーテンを見るとそのカーテンを取り外して、それをバルコニーの縁に括り付ける。それにぶら下がって、ノソリノソリと下まで降りていった。


「よっと……」


 私が靴下姿で降りてきたのに、クリストハルト様は目を瞬かせる。


「わざわざ私のためにカーテンで降りてくるなんて……私のルピナスは勇ましいね」

「い、勇ましいねとかじゃなくってですね……授業で見たじゃないですか……私、今怪我人なんですよ……だから舞踏会にも出られません」

「それでね、君にお見舞いに行きたかったのだけれど、どうしてもドミニクに止められてね。義姉上に言付けを頼んだけれど断られてしまったから、こうして夜に忍び込んできたんだけれど」

「駄目ですよぉ、私のせいで退学とかになったらどうするんですかぁー!?」

「ならないよ。寮内には入ってないし、中庭にしか出てない。君は忘れてるかもしれないけれど、私一応王族なんだけれど」

「わ、忘れる訳ないじゃないですかぁー……!」


 そりゃ私だって男子寮の中庭にまで入ったことはあったけれど、あれはお見舞いだし、魔法薬を届けに来ただけだ。

 夜に中庭は、いろいろとこう、まずいでしょ。

 私があわあわしている中、クリストハルト様は私の靴下履いている足をじぃーっと見つめていた。


「……腫れているね。痛い?」

「ええっと……まあ。クラスの男子には大変申し訳ないことしたなあと……」

「私は彼に対して怒っているんだけれど」

「駄目ですよ! 彼のこと怒っちゃ! 私たち自領から出てきた人間、次いつ舞踏会に参加するのかわからないんですから、別にダンスが下手でも問題ないんですから……」

「君は彼を庇うの?」


 クリストハルト様がむっつりとした頬をする。

 この人、こんなに子供っぽいことする人だったかなあ。この数日、いきなり甘い言葉を囁かれ続けたと思ったら手をにぎにぎされ、かと思ったらお見舞いに行ったら喜ばれ、こうして夜中に護衛の目を盗んで会いに来られて……ずっと混乱しっぱなしだ。

 惚れ薬にそもそもここまで効くものなんかないはずなのに、という自分と。私は遠巻きに見ていただけで、もしかしてこの人のことなんにも知らなかったんじゃというよくわかんない不安と、でもこれもあと五日も経たずに効果は消えるんだよなあという諦観がごちゃ混ぜになって、どうすればいいのかわからないでいる。

 私が思わずおずおずとクリストハルト様を見上げていたら、彼はなにを思ったのか、いきなりしゃがみ込んで「よいしょ」と私をいつかのときと同じく担ぎ上げた。お姫様抱っこという奴だ。


「なななななななな……だから、なんなんですか、本当にいきなり……!」

「ここでこれ以上しゃべっていたら、寮母に見つかるかもしれないし、ドミニクも勘付いて今こちらまで向かっているだろうからね。もうちょっとしたらちゃんと寮まで送るから、今は大人しくしておいておくれ」

「だから、本当になんなんですかぁー……!」


 あまり騒いだら本当に人が来るだろうし、ドミニクさんにまたしても怒られるだろうし、私は抱えられながらも、クリストハルト様があまりにも淀みなく歩いて行く様を眺めることしかできなかった。

 しばらく歩いた先は、校内の中庭である。

 魔法薬調剤で、夜に採らないといけない薬草採集に出かけたことくらいしかないため、夜の中庭は影が多くて少しだけ不安になるものの、かぐわしい香りがどことなく漂っていて、その不安が少しずつ和らいでいく。

 その中でクリストハルト様はベンチを見つけると、そこにようやく私を降ろした。


「その靴下、脱がせてもかまわないかな?」

「……はい?」

「一応薬があるんだけれど」

「……保険医には、二日くらいかかると言われたんですけども……」

「だって、二日も経ったら、君と踊れないじゃないか」


 そう膨れた顔をされてしまい、私は面食らう。そんなコロコロと表情を変えないで欲しい。本当に勘違いしそうになるから。

 ただ私は自力で女子寮に逃げ帰ろうにも、ここから足を引きずって歩いて帰っても、カーテンを登り切る元気が残っていないだろう。仕方なく、私はベンチの縁に脚を持ち上げた。


「……どうぞ」

「ありがとう」


 そう言いながら、するするとクリストハルト様の手で、靴下は脱がされてしまった。途端にムワリと、異臭が漂った。

 ……さっきまでいい雰囲気だったよね? 惚れ薬的な効果で幻想的だったのに、そこで薬草の異臭漂うって、しかもクリストハルト様にその匂いを嗅がせるって。

 自分の考えなさに申し訳がなくなり、私は慌てふためく。


「ごごごごごめんなさい、本っ当すみませんでしたぁぁぁぁ!!」

「……ああ、これが保険医の出した薬草かあ……すごい臭い」

「はい……」

「多分私が持ってきた薬のほうが効くと思うけど。とりあえずガーゼを外して塗るよ」


 そう言いながら、クリストハルト様はガーゼを指に引っ掛けて剥がしてしまった。小さな容器を取り出すと、蓋を開けた。こちらは匂いはどちらかというと私にも馴染み深い魔法薬の匂いに近い。


「……王族の薬なんか、私が使っちゃっていいんですかね」

「小さい頃は、これでなんでも塗って治していたものだけれど、あまりなんにでも使うなって怒られていたんだよ。高過ぎる、もったいないって」

「クリストハルト様に怒るような人も、やっぱりいらっしゃるんですねえ……」


 指で拭われた手が、私の患部に触れた。最初は痛みで「うっ……」と苦痛が漏れたけれど、その痛みも一瞬。軟膏のような薬の感触が心地よく、大人しく塗られていた。ただクリストハルト様は塗りながら、私の腫れ具合を心配していた。


「すごいね、ここまで腫れて。本当に痛くない?」

「薬塗ってもらっていますから。これくらいなら平気です」

「そう……よかった」


 最後は靴下を綺麗に履き直してくれた。そして、元来た道を歩いて行く。


「本当はこのまま君を攫いたいけれど」

「おーろーしーてー!」

「……君に嫌われたくないから辞めておく」

「あのですね。私、お見舞いとかは本当の本当に嬉しかったんですけどね、でも夜に会いに来るのだけは、本当に周りになんの弁解もできなくなるから困ります!」

「嬉しかったんだ? 私が会いに来て」


 しまった、本音が漏れた。

 クリストハルト様と来たら、それはそれはもう、蕩けるような笑みを向けてくるからたまったもんじゃない。

 イケメンは三日で飽きるとか言うけど、あれ絶対に嘘だ。飽きない。この人の顔だけはそれはもう絶対に飽きないという自信がある。

 ただ、私がそれを言ったらいくらなんでも駄目だろうと、心を鬼にしてぐっと飲み込む。


「……と、とにかくですね! クリストハルト様はこれ以上黒歴史を量産すべきじゃないですよ。私だってこれ以上罪を重ねたくはありません」

「君は私に愛されることを罪だと思うのかい?」


 そう言われて、私は固まる。

 ……いや、普通に考えれば、あまりにも荷が重過ぎる。そもそも王族にうっかり惚れ薬かけた時点で、首と胴がさようならしてもおかしくなかったのに、なあなあで済まされているのは、それはクリストハルト様が正気じゃないからだ。

 正気に戻ったとき、私なんかにあれこれ愛を囁いていたことを、全部恥だと思われてしまったらどうなるんだろう?

 ……さすがにそれはキツ過ぎる。こちらだってギリギリのところで繋ぎ止めているのに、こちらがぐらついたところで正気に戻って、全部嘘だったと告げられるのは、もうそれなら首と胴が離れたほうがマシなレベルでキツい。

 クリストハルト様は私をじぃーっと見ている。綺麗な目。普段はもっと怜悧で静かな目をしているのに、今はゆらゆらと揺らめいている。多分それが情欲という奴だ。

 私はクリストハルト様に口を開いた。


「……もしクリストハルト様が私のこと嫌になったときは、さっさと私を殺してください」

「……私のエーデルワイス?」

「多分、クリストハルト様、薬が切れたとき、私に言った言葉をなにもかも許せなくなってしまうと思うんですよ。そうなった場合、自領に迷惑かけないよう、私ひとりに全部おっかぶせてチャチャッと始末してください。それで充分です。クリストハルト様自身がするのが嫌なら、誰かに任せてもかまいませんから。ドミニクさんにさせるのは……さすがに周りに申し訳ないんでご遠慮願いたいですが……」

「……私の言葉が、やっぱり信用できないんだね」


 その言葉に、私はまたしてもぐらつきそうになる。

 そんな悲しそうな、今にも捨てられそうな子犬みたいな声で言うのは卑怯だ。「そんなことないです」って言い返しそうになるけど、それはいくらなんでも困る。


「信用もなにも、私がかけた惚れ薬のせ」


 最後までは、言えなかった。

 唇をパックリと奪われてしまったからだった。キスというものは、小説とかに出てくる、もっと幸せそうなものかと思っていたのに、どうも本当は、食べられるものだったらしい。

 どれだけ長いことしていたのかはわからない。

 私が長いと思っただけで、実は大したことがなかったのかもしれないし、本当に長かったのかもしれない。

 どれだけ長かったのかはわからないものの、私は抱えられたまま女子寮の前に降りた。


「……私の心は、君のものだから。おやすみ。いい夢を」


 私は言葉が出ず、ただ手を振って、最後の力を振り絞ってカーテンをよじ登ることしかできなかった。

 なんとかベッドに辿り着いたとき、私はずっと唇を触っていた。

 いくらなんでも、私に都合のいい夢が過ぎる。今のは本当に私の身に降りかかった出来事だったんだろうか。私はベッドに何度も何度も転がり、結局は一睡もできないまま夜が明けてしまった。

 結局夢だったのかどうか確認しようと靴下を脱いで、足に触れる。


「……二日かかるって言ってたのに」


 クリストハルト様が塗ってくれた薬がなんなのかはわからなかったものの、あれだけ青アザになって膨れ上がったのが完全に消え、靴が履ける状態になった。立ち上がったものの、やっぱりもう足を引きずって歩くこともない。

 となったら。


「……夢じゃなかったんだ」


 私はへなへなと床に座り込んだ。

 クリストハルト様の言葉を、自業自得でなにひとつ信用できないと言うのに、かけられた言葉も、されたこともひとつひとつが私に染みついていく。

 彼が私に棲み着いてくる。それが私にはとても怖い。

 ……薬が切れたら、いったいどうなってしまうんだろうと。

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