男子寮の客人
「大変申し訳ございません、アウレリア様。すぐに殿下を探しに……」
「いいえ、わたくしが勝手に義弟に会いに来ただけですから。それにあの子、イルザさんに薬を渡しに行ったのでしょう? いい話じゃないかしら」
男子寮の来賓室に、普段の男子寮からは絶対にしない甘い匂いが漂っている。来賓室の扉には、ざわざわと男子たちが集まって隙間を開けては眺めているのに、視線を送って睨めば、たちまちバタンと音を立てて閉まってしまう。
こんな落ち着きのない中で、余裕綽々でお茶を嗜まれるアウレリア様は、さすが次期王太子妃にして、次期王妃と言ったところか。
しかし彼女はどうにもあのアホ娘を買い被っている部分が見え隠れするため、薬を盛られて以降なにかとこちらの様子を窺いにやってくるものだから困ったものだ。
「そもそも……そろそろ消灯時間です。寮にお戻りにならなくてよろしいのですか?」
「心配してくださりありがとう。でも留学していた我が殿下が、一時帰国されますの。今晩は我が殿下の滞在先にお邪魔する予定だから、その点は問題ありません」
「それは……なによりです。しかし、どうしてアウレリア様はそこまで殿下とアホ……イルザ嬢のことをそこまで仲人するので?」
舞踏会前のダンスの練習で、見事に失敗して青アザを食らったのだから、これで舞踏会でおかしなことにはならないだろうと安心していたというのに。よりによってアウレリア様は宮廷魔術師の作り出した軟膏を持ってきたのだ。
それを見た途端に殿下は、自分を撒いて出かけてしまった。すぐに探しに行こうとしたのだが、こうしてアウレリア様に足止めを食らって立ち往生している。
アウレリア様も、見た目こそ面倒見のいい方だし、少なくとも殿下の敵には回らないだろうが、油断も隙もない御人だ。
サロンを開いて、下級貴族の娘たちにわざわざマナー講座を開いたり、進路相談の面倒を見ているのは、彼女自身の持ち合わせているノブリス・オブリージュだけではない。
王太子殿下の敵味方の選別を、卒業までに行っているのである。
優しくされれば、ついつい実家や嫁ぎ先の事情の口を滑らせてしまうもの。巧みに相手の懐に滑り込み、どの領が味方になり得るか、敵になり得るかを見て取っている。彼女のその油断のなさのせいで、王都住まいの貴族令嬢たちは嫌がって近付かないが、アウレリア様が取り込んだ令嬢たちのサロンでの会話で、サロンに参加してない彼女たちの人となりも自然と彼女の耳に入る。
王太子殿下は留学先で他国との結びつきを強める一方、アウレリア様は国内の地盤固めを行い、近い将来の継承の際に生じるだろう混乱を最小限に治めようとしている。
本当に……王太子殿下はとんでもない方を娶ろうとしているものだ。少なくとも殿下は王太子殿下と兄弟仲もいい上に取って代わる野心も持ち合わせていないため、策を講じてやり込めようとしてくることはないだろうが、彼女を敵に回すのはなによりもおそろしい。
しかし、考えれば考えるほどわからないのは。
下級貴族のアホ娘……イルザ嬢のなにをそこまで気に入っているかである。話を聞いている限り、イルザ嬢の実家は農業大国というほどの農業の地でもなければ、特産品がある訳でもない、ごくごく普通の領地な上に、普通に跡継ぎもいる。彼女自身を取り込もうにも、たしかに我が校が誇る宮廷魔術師のメイベル女史が認めるほどの魔法薬調合の腕ではあるが、それが宮廷魔術師を動かせる程度のこねもつても持っている彼女にとってそこまで都合がいいとも考えにくい。
やがて、ソーサーに音ひとつ立てずにカップを置くと、それをテーブルに載せた。
「あら、両思いのふたりが結びつくのは、素敵なことではなくて?」
「……物語の文脈としては、たしかに美しいですが。殿下とイルザ嬢では身分が違います。彼女が殿下の元に嫁ぐとなったら、各方面に問題が生じるでしょう」
「あらあら、身分のほうが問題がありませんね。あの子、既にメイベル先生から宮廷魔術師にならないかのスカウトがかかっていますのよ。選りすぐりの優秀さですわ。それだけ優秀だったら、籍だけ貸してくれる先で、養子縁組も可能になりますし。さすがに公爵家に養子縁組は、彼女も申し開きが経たなくって縮こまってしまうでしょうけど」
「問題過ぎでしょうが」
「それに、ドミニク?」
アウレリア様はくつりと笑った。
「……あなた、一度も惚れ薬のせいって切って捨てなかったわね? 魔法のせいとは聞いていたけれど、あの子が被ったの、本当に惚れ薬だったのかしら?」
「……これ以上は、どうぞご容赦のほどを」
「あらあら……ええ。今はこの場限りの話としておきます。たしかにここでばれては困ってしまうでしょうしね……ドミニク。どうかあの子たちのことをよろしくお願いしますね?」
そう言って彼女は立ち上がると、寮母に挨拶を済ませて立ち去っていった。
入れ替わるようにして「ドミニク!」と今にも謳うように上機嫌に帰ってきたのは、殿下であった。
「……私のバラは今晩も美しかった。本当に可憐でね。体重も今にも……!」
「殿下、本当にその辺にしましょう。もうしばらくしたら、男子寮の連中も退散するでしょうから、ね?」
「そうだね……本当にすまない」
あれだけ上機嫌だった殿下の表情が落ち着きを取り戻す。
この方はなにかと「クールで素敵」と呼ばれて騒がれていたが、それはファンクラブが勝手に造り上げた虚像だろう。この方は本来はもっとシャイな方で、顔に出すのが苦手なだけではあった。
今のところ、殿下の取り巻きである者たちには納得してもらっているが、殿下の現状を公言したら、問題が起こりかねないため、こうしてアウレリア嬢や殿下の奇行が原因で見失ったとき以外は、殿下から離れられないでいる。
魔法薬は七日間しか効かず、永続性はないものらしい。その話を信じて、殿下のことを隠し通す他あるまい。
……本当にあのアホ娘も、余計なことをしてくれたものだな。
****
翌日、本来ならば三日は療養が必要だっただろうに、イルザ嬢はすっかりと調子を取り戻した足で、シャルロッテ嬢と元気に歩いていた。
イルザ嬢を見つけた途端に、殿下は走り寄ろうとするので、思わず「殿下、そのへんで」と肩を掴んだ。殿下は頬を膨らませる。子供ですか。
「私の花がそこにいるんだよ?」
「ご容赦のほどお願いします」
「……彼女はきっと、私が本来の私にならない限り、信じてはくれないだろうけどね。今の内に伝えておかなければいけないと思ったのだけれど。それでも駄目かな?」
アウレリア様が言っていた言葉が頭をよぎる。
あのアホ娘はわかりやすいほどわかりやすいが、殿下のほうは本当に顔に感情を乗せるのが苦手なせいで、彼の言葉を真と取るべきか否かは図りかねていた。
「後悔なさいませんか?」
「きっと今の内に言っておかないと、余計に後悔すると思う。本来の私だったら駄目だろうからね」
「……あまり周りに迷惑かけないようお願いします。特にイルザ嬢のご友人のシャルロッテ嬢をあまり巻き込まないであげてください。気の毒です」
「ありがとう、ドミニク」
こうして、本当に跳ねるようにして殿下は飛び出してしまった。
途端に顔を真っ赤にしてシャルロッテ嬢の後ろに隠れ、彼女を挟んでグルグルと回りはじめてしまった。だから殿下……あまり巻き込まないであげてほしいと申したのに……。
俺は頭を抱えながら、殿下の回収に出かけた。
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