舞踏会の準備

 翌日、私は筆記用具と教科書と一緒に、靴を用意していた。

 今日は舞踏会の練習があるんだ。

 うちの自領だと舞踏会なんて行わないから、ダンスを覚えたとしてもどこで踊るんだという話だけれど、王都ではそこそこ頻繁に夜会が行われるらしい。

 前にサロンでアウレリア様に尋ねたら「主催によるし、ダンスを覚えて損はないからやっておいたほうがいい」と教えられたため、念のため準備はしておく。


「あと五日かあ……」


 相変わらずメイベル先生は帰ってこない。

 舞踏会の練習は男女の人数を考慮して、当然ながら合同授業だ。ダンス一回ステップを踏むごとにパートナー交替だからなあ。クリストハルト様と私は同じクラスじゃないし、運がよかったら一緒に踊らないはずだけれど……。

 ……いや、それって運が悪いんじゃないかな?


「うーん……」


 どうにもこうにも、私はクリストハルト様への気持ちを持て余していた。

 現状はどう考えたって惚れ薬が原因だし、甘い言葉を並べ立てられても、私は奇声を上げる以外になにもできていない。完全に断り切れてないのは、常日頃見ていたクリストハルト様を知っているからだ。

 私は勝手にファンクラブに入って、同じファンクラブメンバーと一緒に遠巻きになって彼を眺めていただけ。乗馬に出かけて馬に乗って駆けているクリストハルト様。取り巻きと一緒に私たちだとよくわからない王都界隈の政治について議論を交わしているクリストハルト様。フェンシングでドミニクさんに稽古を付けてもらっているクリストハルト様……。

 そのクールながらもどことなく熱意を持っている彼を知っていると、現状のすぐに顔を紅潮させて甘い言葉を囁いてくる彼が嘘っぽく見えてしまい、同一人物なはずなのに受け入れられない自分と「これを普段の彼が言ってくれたら……」という自分で頭が混乱してしまい、惚れ薬が切れて欲しいのか切れて欲しくないのかがわからなくなる。

 そもそも性格が変わるものじゃなかったはずなのに、どれだけ調べてみても性格が変わった原因がわからず、それが余計に私を悩ませている。

 ……とりあえず、授業には出よう。どうせあと五日あと五日。

 夢を見るにはあまりにも恐れ多い夢だけれど、これを現実として受け入れるにはキャラが違い過ぎて困る。

 ……そういえば、この間久々に見た自領の夢はなんだったんだろう。

 嵐のときに私のテンションがおかしいのはいつものことだけど、誰としゃべっていたのか、未だに思い出せない。


****


 舞踏会のレッスンは、王立学園内に存在しているダンスフロアで行われる。

 コンサートホールといいダンスフロアといい、やたらめったら広くて綺麗な専用ホールをいちいち持ってる王立学園や、それらの練習が必要になる王都の貴族ってどうなっているんだろう。

 さすがに制服では駄目と、男子はレッスン用の燕尾服を、女子はドレスを用意している。ちなみに女子の場合、本番用と練習用では違うものらしい。面倒臭いな、王都は!? とりあえず今はダンス用に用意したミモザ色のドレスを着ている。

 シャルロッテさんは勿忘草色のドレスを着て、そわそわしている。


「ドミニクさんたちは……」

「クラスが違うから、私たちと踊れるかわからないもんね。ああ、来たみたい」


 クリストハルト様とその取り巻きは、同じ燕尾服であっても華やかだ。そもそも全員、舞踏会には別の服を着るらしい。王都すごい、お金持ち怖い。

 制服姿でも素敵なクリストハルト様は、燕尾服のシンプルなデザインで、余計に顔の造形のよさに体躯の美しさが際だって、気のせいか発光して見える。

 シャルロッテさんが私にしがみついて視線を送っているドミニクさんは、元々肩幅も広く、護衛騎士として胸板も分厚めなのが、シンプルなデザインのせいで余計に際立っている。今日は帯剣もしてないのに、体格のよさが目立つのよね。

 ファンクラブメンバーも、婚約決まってない組も、そのグループを凝視している。既に婚約決まっている組は我関せずで、互いの婚約者のほうに行って談笑しているけれど。


「……いつにも増して、輝いて見えるわ、クリストハルト様」

「そうですね、ただ……」


 クリストハルト様は、私に視線を向けた瞬間、ドミニクさんが「殿下、殿下!」と止めるのも聞かずに、こちらにスタスタと歩いてきたと思ったら、手を取ってきた。


「私のアカシア、よく似合うよ」

「ハワワワワワワワワ…………あのぉ、こういう公共の場ではちょっと……」

「そうかい? 君が無事婚約が破談になって喜んでいたのだけれど。あとドミニクのお見舞いもありがとう。妬いてしまうけれど、君がくれたお菓子はおいしかったよ」

「それ用意したのはアウレリア様です……」


 ああ、昨日の話はちゃんと覚えていたのね。ドミニクさんの看病で忘れてたと思っていたけれど。

 私はまたも「顔はいい」と「解釈違い」で仰け反っていると、黙ってドミニクさんが歩いてきて「殿下失礼します」と無理矢理間に割って入ってきた。……助かった。


「殿下、そろそろ授業がはじまりますのでその辺で。おい、アホ娘」

「はっ、はいっ……!!」


 ドミニクさんありがとうと、ものすっごい形相で睨んでる、はい自業自得の狭間で揺れ動いていたら、短く言った。


「見舞いの品は感謝する。だが中庭とはいえど男子寮だ。女子だけで入るのは問題ある。あとあまりシャルロッテ嬢を巻き込むな。彼女が可哀想だ」


 そう言ってクリストハルト様を引き摺って去って行った。

 相変わらずの生真面目さ。それがありがたい。ありがとう。シャルロッテさんはというと、顔をポポポポポポと見事なまでに染め上げて、俯いてしまっていた。


「ええっと……よかったね?」

「よくは、ないです……好きになっても……しょうがないですから」


 そう言って床を向いてしまった。

 なんというか難しい。シャルロッテさんは家の都合でどう転んでもドミニクさんを選べないし、ドミニクさんの最優先事項はどう見たってクリストハルト様の護衛な訳で。

 せめて在学中の想い出をつくるくらいは駄目なのかな……でも、シャルロッテさんも元がずっと修道院にいたせいで、倫理観も貞操概念もガッチガチだ。結婚する相手を選ばないといけないのに恋にうつつを抜かすとかは、彼女の倫理観だと難しいみたい。貴族の中には不倫はステータス、跡継ぎさえいたらオールオッケーがまかり通っている領地だってあるけれど、彼女はそういうタイプではなさそうだ。

 どうにかなあれとは思うものの、こればっかりはふたりで話し合ったほうがいいと思うし、私が余計なことをしたら、私の現状みたくこじれると思う。さすがにシャルロッテさんも私みたいな苦労はしないほうがいいと思うのよ。

 なんだかんだしゃべっていたところで、ダンス講師がやってきた。


「それでは皆さん、円になってくださいね。ステップはもう覚えましたか? それでは男子は右回り、女子は左回りで、一回ごとにパートナーを交替してくださいね」


 そう言われて、私たちは踊りはじめた。私たちみたいな自領から出てきている下級貴族は、そもそも夜会するタイミングがほぼないせいで、ダンスのステップを刻むのも、手を取って踊るのも苦手だ。私は何度も何度も相手の足を踏み抜いて「すみません!」「ごめんなさい!」と言って謝り続けていたけれど、私以外にも大勢謝り続けていた。

 一方の王都出身上流貴族はというと、家庭教師を付けて稽古をしているせいか、本人のダンスは完璧だった。しかし、下級貴族の男子に足を踏み抜かれては「痛い!」「腕が千切れちゃうから止めて!」と悲鳴を上げ続けていた。

 私たちのクラスは、基本的に王都出身半分、下級貴族半分だから、まずまずという具合だったけれど、王都オンリーのクラスは、誰ひとりとして足を踏んだりステップを間違えたりすることなく、優美に踊っている。

 これがインテリジェンスか……多分違うことを考えながら眺めていたら、クリストハルト様が踊っているのが目に入った。

 たしか既に婚約者がいる人だったと思う。常に男子と一緒に談笑している女子と踊っているクリストハルト様を見て、私は思わず凝視してしまった。

 ……私が見惚れていた、凜とした眼差しの、少し間違えたら冷淡にのなりかねないクールな表情だった。

 そうだよねえ、惚れ薬で私を追いかけ回しているからって、いつもいつも私対応の駄目な感じじゃないもんねえ。でも多分、私が向けて欲しい表情はそっちであって、惚れ薬のじゃないの。

 ……そして私はおそろしい事実に気付いてしまった。

 ものすっごく遠巻きにし、合同授業をさぼり続けたら、もしかして惚れ薬の駄目な感じが発動しないんじゃ……?

 そうか、そうだ。元々逃げ続ける気満々だったのに、一度保健室に逃げ込もうとしたら待ち伏せされていて、それ以降は素直に授業を受けていたけれど。合同授業のある日は寮に引きこもったらもうクリストハルト様に会わないじゃない。

 あと五日くらいだったら、下剤つくって休めば、逃げ切れる。

 私は放課後、早速下剤をつくろうと、ひとりで考え込んでいる中、次のパートナーと出会った。次のパートナーは、うちのクラスの中でも一番体格のいい子であり……自領の隣の跡取り息子だった。要は、ダンスが下手くそ。

 私はうっかりとその子に思いっきり足を踏まれた際、なんか響いてはいけない音が聞こえて、そのまんまひっくり返ってしまった。


「ああっ! イルザさんすまん!」

「い、いいえ! いっだ!」


 体格差が災いし、力一杯踏み抜かれた足の甲は、みるみる腫れ上がってしまった。それを見かねた先生が「一旦曲を止めて!」とピアノ奏者に言ってからこちらにやってきた。


「ああ……ダンスは下手でも、せめてステップさえ覚えていれば互いの足を踏むことはなかったでしょうに……」

「すみません、すみません」

「イルザさん、保健室に行けますか?」

「な、なんとか!」

「それじゃあ行ってらっしゃい」


 私はひとり、ヒョッコヒョッコと足を引きずって保健室へと向かったのだった。

 ……下剤つくるんじゃねえと、天罰を食らったような気がしている。まあ、足がこんなに腫れ上がっているんだもの。舞踏会当日も参加を免除されると思うの。

 ……クリストハルト様を遠巻きから眺めたかったなあと残念に思うのは、さすがに駄目だと思う。自業自得自業自得。

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