お見舞いに向かう

 その日、徹夜で教科書を読み込んだせいか、変な夢を見た。

 私は気付いたら実家にいたのだ。

 森と畑に囲まれたフェルステル子爵領は、王都と比べれば取り立てて面白みのない場所だった。でも森に出ればキイチゴが摘める。ヘビイチゴはあまりおいしくはないものの、お酒に漬け込んでおけば傷薬や火傷の薬になったから、両親が嵐で帰ってこられない際、私が屋敷内の指揮を執っていたために、よくメイドたちと一緒にお酒に漬けるために摘んでいた。

 フェルステル子爵領には、毎年のように嵐がやってくる。

 クリストハルト様がおっしゃっていたように、嵐は例年行事のために、お金だって普通に積み立てているし、住民たちもいつものことのように思っていた。


「ほら、しっかりしなさいよ。窓だって板でふさいだ。ガッタンガッタン揺れたって、明日にはやむんだから」


 私は誰かに叱咤していた。

 どうもベッドの中には誰かいるらしいけれど、嵐に脅えてシーツお化けになってしまったその人は、姿を現さなかった。

 私はというと、毎年嵐の時期になるとやけに張り切っていた。

 お父様もお母様も、嵐の時期になったら畑の損害を見るために嵐が静かなうちに領内の農村に移動してしまっている上、お兄様は既に王都の学園にいたため、屋敷の指揮を執るのは私だったのだ。

 窓に板を打ち付けたり、あちこちに飛ばないよう家具を移動させたり。庭師に至っては庭の木々に麻布を引っ掛けて折れないように固定させる指揮を執るのは、毎度毎度楽しかったし、嵐になったら家が揺れるのも迫力があって面白かった。

 でも、どうもそのとき一緒にいた人は怖がっているようだった。


「でも……嵐で家がペシャンコにならない?」

「ならないわ。私、生まれたときからずっと嵐にあってガッタンガッタン揺れた家で過ごしているのよ。その間にペシャンコになっていたら、あなたに会ってないでしょ」


 シーツお化けはどうもほっとしたようだった。

 私は腰に手を当てていた。どうも、シーツお化けを慰め終えたと考えているらしい。

 王都に来てみたら、嵐に全く遭遇しないし、うちの領民みたいに災害慣れしている様子もなかったから、きっとうちが慣れ過ぎてしまったんだろう。シーツお化けもきっと、王都とかみたいに気候が穏やかなところから来た人だったんだろうけど。

 しかし誰だったのかな。

 うちは畑だけでなく森にも囲まれているせいか、やたらと王都から客人がやってきていた。療養だったり、流行病からの避難だったり、まあいろいろな理由でうちにやってきたために、私に女領主としての教育の一環として、その客人の面倒を一から十まで見ていたんだ。

 私がやたらめったら偉そうにしている以上は、多分年の近い子だったんだと思うけど、うーん。本当によくあることだったせいで、あんまり覚えていない。

 思い出せないなあと思っている内に、ガタガタ揺れる家から震動が途切れた……私が夢から目覚めかけているせいだろう。


****


「なんで唐突に昔の夢を見たんだろう」


 私は自室で教科書を広げたまんま、机にうつ伏せになって眠っていた。こんな姿勢で寝たせいで、腰が痛いし肩もガクガク言っている。変な眠り方をするもんじゃないと思いながら、私は水差しから水を取ってきて、たらいで顔を洗いはじめた。

 しかしなあ……。私は顔を洗ってから制服に着替えつつ考え込む。

 どれだけ魔法薬調剤の教科書を洗ってみても、私の惚れ薬づくりの手順は正確だった。でも聞いていた効果と違うのはどういうことなんだろう。

 時間は合ってる。分量も合ってる。手順も合ってる……あとわからないのは……。


「……まさかと思うけど、メイベル先生からもらってきた惚れ薬の材料のどこかに不備があった?」


 日頃から私に魔法薬調剤について一から十まで叩き込んでくれている人だから、材料に異物混入させているなんて思わないけれど。

 でも、何度調べてもわからないってことは、材料自体の不備以外に考えられないんだけど……。私は頭を悩ませつつ、筆記用具に教科書を用意した。

 とりあえずは、授業に出よう。


****


 その日、気のせいか授業に向かう人の数が少ないような気がして、首を捻っていた。


「今日って学校休みでしたっけ?」

「そんなことないですよ。寮で普通に授業に出る皆に会ったじゃないですか」


 私とシャルロッテさんは首を捻りながらも教室へと向かう。

 やけに静かな原因に気付いたのは、一限目の授業に出てからだった。女子は普通に出ているのに、男子の欠席率が異様に高い。そのせいで普段はギューギューになってしまっている座席も不思議と空間がポコポコと空いてしまっている。


「ええっと、皆さん。先程男子寮から連絡がありましたが、男子寮のほうで食中毒があったそうです。現在男子寮は閉鎖されていますので……」


 先生が食中毒の諸注意を並べている中、私はサァー……と血の気が引くのを感じていた。

 たしかにクリストハルト様は、現在は男子寮に住んでいるものの、常に護衛のドミニクさんが一緒だし、食事もドミニクさんが安全を確認してからじゃなかったら食べなかったはずだ。

 これ、まずくないかな……?

 シャルロッテさんは心配そうな顔をして、机に視線を落としている。


「……大丈夫かしら」

「ええ、心配ね、男子寮……」

「……ドミニクさんも食中毒で倒れられていたら……」


 うん……?

 私は思わず振り返った。

 そういえば。シャルロッテさんは私が何度誘ってもクリストハルト様のファンクラブに入らなかったし、私と一緒にしょっちゅうクリストハルト様を鑑賞していたと思っていたけれど……。

 たしかに近くにはドミニクさんがいたわ。クリストハルト様の護衛だもの。


「シャルロッテさん……まさかと思うけれど、ドミニクさんのこと……」


 途端にシャルロッテさんはパッと顔を隠してしまった。赤い瞳と同じく、かろうじて見える耳まで真っ赤に染まっている。可愛い。


「……好きでいるのは、自由だから……結婚とか、そういうのは、考えてないから……」


 そう言ってもじもじしていた。

 よくよく考えると、シャルロッテさんは元々家の都合で修道院に入れられていた人だから、寄付に来る貴族よりも、見回りに来る騎士のほうが親しみやすいんだろう。

 でも彼女視点では、第二王子の護衛を務めているドミニクさんにモーションをかけようにも、彼女は実家を継がないといけない以上は、王都から離れられる人でなければ結婚できない訳で。ドミニクさんはそもそも、王立近衛騎士団所属のはず。あそこは王族護衛が最優先だったから、王都から離れようがない。

 そりゃ言えないわ。ドミニクさんは生真面目な人だから、仕事を辞めてうちに来てなんて言われても、困ってしまうだろう。

 私はもどかしさを覚えつつも、大きく頷いた。


「言わないから。私は絶対にこのこと、言わないから」

「……ありがとうございます、イルザさん」


 そう言って微笑むシャルロッテさんはやはり可愛らしかった。

 ドミニクさんは食中毒で倒れているんだったら、お見舞いでせめて腹痛薬くらいだったら処方できないかなと考えることにした。


****


 午後になって、やっとのことで男子寮の閉鎖は解けた。

 普段だったらいるメイベル先生が所用でいないため、急遽臨時の宮廷魔術師を呼び出して、男子寮の食中毒についての捜査や消毒があらかた終わったらしい。

 それを聞いてほっとしながら、私は大鍋と魔法薬の材料を持って、腹痛薬を処方していた。必要ないかもしれないけれど、お見舞いの品として。

 近くでそれをシャルロッテさんは見学している。


「でもわたしたち、男子寮に立入禁止では?」

「さすがに中には入れないから、来賓室で寮母さんにお薬を渡すだけよ」


 バラの実、リコリス、フェンネル、竜の角。それらを大鍋で温めた蒸留水を入れた中に放り込み、すぐに濾す。

 小瓶に入れた薬を持って、ふたりで出かけようとしたら、男子寮の来賓室は満員になってしまっていた。

 兄弟がいる場合もあるし、婚約者がいる方もおられるから、そりゃそうなっちゃうんだろうなあと、私とシャルロッテさんは顔を見合わせる。


「どうしましょう? ドミニクさんの安否だけでも知りたかったのだけれど」


 シャルロッテさんはおろおろしていたものの、素直に待っていたら、薬を渡すどころか安否の確認もできない。私はちらっと男子寮の中庭を見た。

 一応、中庭に入るまでだったら、黙認されている……おおっぴらに承認されていないのは、ここが婚約者同士のデートスポットにされてしまったら、婚約が決まってない人が嫉妬でやらかすケースがままあったからだ。

 中庭から声をかけたら、返事くらいはしてくれないかな。あとは薬を投げ渡せばいい訳だし。

 私はスタスタと来賓室を出て、中庭へと入った。それに慌ててシャルロッテさんが止めに入る。


「お、怒られますよ!」

「大丈夫よ。怒られるのは私だけだし。シャルロッテさんは来賓室で待機してて」

「で、ですけど……お薬つくってくださったのはイルザさんですし……わたし、なにもできていませんから……」


 彼女は相当ドミニクさんが心配らしい。そんなに心配しているんだったら、尚のこと安否確認したい。

 私はのっしのっしと中庭に入って辺りを見回す。そういや、私男子寮に誰がどの部屋を使っているか全然知らないもんなあ。


「ドミニクさーん、生きてらっしゃいますかぁー!?」

「イルザさん、イルザさん。それはいくらなんでも失礼ですよ!」


 シャルロッテさんは相変わらずハワワワワとしていたけれど、私はどの部屋にいるのかわからない以上、叫び続けている。


「ドーミニークさーん!!」

「おや、私の蝶。浮気かな?」


 私が中庭で部屋ひとつひとつに叫び散らしていたところで、バルコニーまで出てきた顔に気付いた。

 制服じゃなく、ラフなシャツ姿で、髪も普段はもっとしっかりセットしてらっしゃるのに、今日は髪油も使っていないナチュラルな仕上がりだ。オフのクリストハルト様も素敵……って、そうじゃなくって。


「クリストハルト様! ドミニクさんは無事ですかぁ!? 男子寮で食中毒発生して、先程まで閉鎖されてたでしょう!?」

「そうだね。私は無事だよ。ドミニクは可哀想に、一刻につき一杯は水を飲まないとつらそうだけどね」

「クリストハルト様は……」

「毒味役のおかげでね。無事なんだけれど申し訳ないから、今日は休んでずっと看病していたんだよ。食事も食べられてないから」


 それに私とシャルロッテさんが顔を見合わせてしまった。

 考えればわかることだった。閉鎖されてたら、ご飯を外に買いに行くことも、食堂に行くこともできないし、食中毒の原因が寮の食堂だった場合、閉鎖されてたらご飯をつくることもできないんだった……。

 私は一旦「すみません、薬投げますから、今度は割らないでください!」と言って大きく振りかぶってクリストハルト様に腹痛薬を投げた。綺麗なバラ色に出来上がったそれを、クリストハルト様は無事に受け取ってくれた。


「これを飲ませればいいのかい?」

「はい、あとこれを……!」


 もうひとつ投げたのは、ハンカチに包んでいた、柔らかめに焼かれたクッキーだった。


「これ、本当はドミニクさんに薬を飲む前に食べて欲しかったんですけど、これをクリストハルト様もよろしかったら召し上がってください!」

「これ……義姉上のところのかい?」

「はい! 少し分けていただきました! 多分男子寮の方々にも、もうしばらくしたら配られると思います!」


 普段だったらサロンは男子禁制だけれど、今日みたいに閉鎖時間が長かったら食堂も閉鎖されてるだろうし、皆もお腹を空かせて仕方がないだろうと、アウレリア様が連れてきた料理人たちが軽食をつくって配っていた。私たちはお見舞いに行きたいと言ったら先にくれたのだ。

 それを見て、少しだけクリストハルト様は目を細めて笑った。


「ありがとう。私の花。でも少し妬けてしまうね。ドミニクのお見舞いに来てくれて、義姉上に頼るなんて」


 だから、惚れ薬でそんな効果ないんだってば。

 私がモゴモゴと口を動かしていたら、「ダァァァァァァァァ!!」と野太い声で、なんとなく流れた甘い空気はたちどころに霧散してしまった。


「おいアホ娘! こんな場所にやってくるんじゃない!? 破廉恥だろうが!」


 ドミニクさんは汗ぐっしょりでこちらに顔を出してきた。しかし顔色が悪いところからして、クリストハルト様を庇ったんだろうと思うと、普段だったらすぐに入れるツッコミも鈍くなるというもので。


「ええっと、腹痛薬をクリストハルト様に渡しましたので、よろしかったらどうぞー。あと柔らかいクッキーありますんで、お腹にちょっとだけ物入れてから飲んでくださいねー」

「むっ……」


 ドミニクさんは少しだけ気まずそうに眉間に思いっきり皺を寄せたあと、ボソボソッと言う。


「……感謝する」


 それに私とシャルロッテさんは顔を合わせる。ああ、そうだ。これだけはきちんと伝えておかないと。


「クリストハルト様! おかげさまで、私四倍差婚免れました! ありがとうございます!」

「そうなのかい? それはよかった。本当によかった。よかった」


 顔を完全にほころばせて笑うクリストハルト様だったけれど、ひょいっとドミニクさんにバルコニーからどかされてしまった。


「これ以上余計なことを言うな、あとそろそろ破廉恥だから帰れ……シャルロッテ嬢も。あなたがここにいてはなにかと問題でしょう」

「は、はい……」


 シャルロッテさんはまたしても目の色と同じくらいに顔を真っ赤にして、私の背に隠れてしまった。

 ……うーん、これは、もしかしてもしかするんじゃないかな。

 私が余計なことを言っちゃ駄目だよなと「お大事にー」と言いながら、私たちは寮へと帰ることにした。

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