第4話 死闘と提案

 洞窟には、怪物の足跡がくっきりっと残っています。


「絶対に許さないわ」


「そのようなお言葉は……人の言。僕が怪物を始末すればそれで終わりです」


 女神様はまた天井にお帰りになる。黄金の椅子に座れます。そう簡単に考えていました。


「いいえ。一度地上に降りたら女神に戻るには生贄が必要よ」


 女神ローザ様は僕が質問をしなくてもお答え下さりました。全知全能の女神様というわけでなく、人として人の心をお読みになったのです。


 僕は胸騒ぎを覚えます。


 僕は彼女を人として好きになった瞬間でした。


 気づけば彼女の手を取っていました。とても愚かな行為です。だけれど、どうしてもこの危機的な状況では我慢ができませんでした。彼女を救いたい。わがままな動機です。ローザ様の腰に手を当ててそっと、お美しい色白の肌に灯る淡い桃色の唇にキスをしました。


 きっと怒りを買うと思いました。


「あなた、神官でしょ? 誰にでもこんなことをするのかしら?」


「い、いえ」


 僕は口ごもります。言い訳のしようがない、甘い感じが口内にまだ残っています。


「私もこんな気持ちははじめて。妹のことで涙を絶え間なく流さなればならないというのに」


 不謹慎ですよね。僕たちはリア様の昇天日にキスをしたのですから。


「いいわ。私、この先で嫌な予感がするもの。鍵の怪物を殺して、私も死にたいと思ったのよ。本当はいけないことだわ」


「それは、人の感情としては正常ですよ」


「いいえ、女神の感情としては許されないわ。私は、生き続ける存在。私が死ぬことは、それ自体が罪よ」


 女神は死ぬことも許されない。僕は面食らいました。


 女神ローザ様が突然、僕の肩に腕を回してきました。


 さっき僕がしたのと同じことを、今度はローザ様がなさいました。僕たちは不謹慎にも手ごろな岩の上で横になって、絡み合いました。


 神と神官ではなくなりました。堕ちた存在です。


 怪物の唸り声が木霊しました。ローザ様が僕をジュストとお呼びになります。


「はい、ローザ様」


「私が怪物を引きつけるわ」


「いいえ、僕が行きます」


 ローザ様は武器を持っていませんから。僕は怪物の声がした方へ向かいます。


「あなたも怪我しているじゃない」


「女神様が職業の一つであるなら、僕が代わってあげたいですね」


 ローザ様は頬を赤らめて僕を否定します。


「男性はなれないわ」


 ローザ様を手ごろな岩の上に座らせて、僕は短剣を両手で握り締めます。洞窟の虫が放つ青い光でときどきぼんやりと黒い物体が浮かび上がって見えます。僕は駆けます。


「ジュスト離れないで! 私が戦わなきゃ。私が殺してやるの!」


「ローザ様! そのようなお言葉は!」


 ローザ様の鬼の形相。僕が解決しなければならないと心に決めます。


 怪物の黒い影が右へ左へと移動しています。僕は翻弄されるままに、短剣を右、左と向けます。怪物の吐き出す呼吸が空気を震わせています。


「来るならこい!」


 僕は叫んでしまいました。恐怖がそうさせたのです。じりじりと時間が過ぎるのが耐えられません。


「ガアアア」


 怪物が飛びかかってきました。と思った僕は両手に握っていた短剣をむやみに振りました。


 すぐ脇を大きな影と風がとおり過ぎました。


 僕は恐る恐る青い洞窟で目をしばたき、後方を振り返ります。


「ま、まずい。あっちにはローザ様が」


 遅かったのです。僕が到着したときには岩場で頭から血を流して倒れているローザ様が目に入りました。怪物の剛腕で殴り飛ばされたのでしょうか。怪物は拳を握りなおしています。


 今度こそ、しくじるわけにはいきません!


 怪物の背後から脇腹に短剣を突き刺しました。噴き出る血と、怪物の慟哭。


 短剣を柄まで差し込んで引き抜きます。唇を噛んで目をつぶります。


 もう一度突き立てます。背骨に当たったのか、上手く刺さりません。


 ですが、何度も刺す、抜く、を繰り返しているうちに肉にめり込み、内臓に当たる柔らかい感触や、誤って自分の指を切った痛みと恐怖で混乱してきます。怪物の悲鳴も絶望が滲んできます。


 顔を何度もぶたれた気もしますし、脳天がぐらぐらと揺れました。怪物の爪が僕の胸を裂き、とうとう僕は膝をつきます。怪物も後方に転倒しました。


 た、倒しましたよ! ローザ様。僕は怪物を仕留めました。恐ろしくて、生死を確認することができません。自分の怪我も。


 怪物の吐く息が消え入るのを聞きながら、ローザ様に寄りすがります。


「どうか、目を開けて下さい」


 血のついた白いお顔をすくい取るように、首の後ろから持ち上げます。あまり動かすのは危険ですが、傷口を確かめないと。


 額より少し上を切っているようです。


 目を閉じたローザ様の顔はこの世のものとは思えない美しさです。このお方に僕は、今まで仕えていたのかという思いがこみ上げてきて心は天に昇りました。


「僕は、ローザ様なしでは生きていけません。今こうして舞い降りて下さった。僕のためでなくとも、僕は嬉しく思いました」


 意識を失っていても、必ず届くと思います。この淡い桃色の唇に触れてみたい……重ねてみたいのです。


「ニンゲン……」


 心臓をわしづかみにされるような低い声に、背中がびくんと跳ねました。ローザ様の後頭部を落とさないよう、ゆっくり下ろします。


「人ニ堕チタ、女神ヲ、再ビ、天ニ、戻したくは、ないか?」


 血まみれの怪物。背後からとはいえ、僕にめった刺しにされた怪物の腹は腸がこぼれ落ちています。僕は吐き気をこらえ、背けそうになる顔を怪物に向けます。醜悪な顔と黄色い目が僕を睨みました。


「ど、どういうことです」


「コレで終ワルと思ったノか? 扉は繋がったママダ。誰も救われない」


 ときどき、流暢に話してきます。


 確かに。鍵の怪物を殺したところで、異界とは繋がったままのはずです。


「復讐の女神ローザを、元の女神に戻してやらなくていいのか?」

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