第3話 女神ローザはもう女神じゃない

 目が覚めたときに、心臓が止まるような思いをしました。女神ローザ様が僕の顔の前でその顔を至近距離まで近づけていたのです。


「べ、別に覗き込んでいたわけじゃないわ」


 女神ローザ様は飛びのきました。僕は木立の影に寝かされています。


 え、どういう状況でしょうか。


 僕は、ひとまず助かったようです。はっとしました。

 僕は慌てて上体を起こします。


 女神ローザ様の紅蓮の瞳。妹のリア様の青とは対照的で情熱的です。


「め、女神ローザ様であらせられるのですね? 申しわけありません! あなた様の妹の聖女リア様をお守りすることができませんでした」


 彼女は表情一つも動かさず無言です。


 ローザ様は手で穴を掘られます。


「私はもう女神ではありません。地上に降りてしまいました。この子を救うために。それも、間に合いませんでした」


 ローザ様は唇を噛みます。お若いと言うのにほうれい線が浮き出るような悲痛な表情です。でも、涙は零さなかったのです。


 ええ、分かります。ローザ様が現れたときに、すでに泣いておられました。


「私は、黄金の椅子に座ることを放棄してしまいました」


 僕はその言葉の意味に、空恐ろしいものが含まれていることを感じ取りました。すなわち、異界の封印は、解けてしまったのではないでしょうか?


 僕達は聖女リア様を穴に埋めました。女神ローザ様は地上に降りたことで御業を使えないとのことです。普通の人間になってしまったのですか?


「あの、失礼をお許しください。女神ローザ様」


「私、もう女神じゃないから」


 女神ローザ様はそっけないですね。


「ごめんなさいいローザ様! 申しわけありません!」


「泣くようなことではないのよ。愚か者」


「ひいい」


 ローザ様、つ、強いお方ですね。


「弔いは済んだの」


 こ、こんな簡単に済ませていいのですか? 大聖堂はすぐそこですよ?


 僕はまた涙に支配されます。


「泣くのなら置いていくわ」


 え、嫌ですよ。お供を致します! 女神ローザ様が地上に降り立ったことの報告もしたいのですが、あっさりと口留めされました。


 女神ローザ様はこれからあの怪物を討つと言います。なら、護身用の短剣を家から取ってきます。途中で町の兵に助力を乞おうか迷いましたが、ローザ様には口止めされています。


 確かに、女神が地上にいることを知ったら町中パニックになりますよね。


 けれど、町は人っ子一人いない不穏な静けさなののが気がかりです。


 女神ローザ様と僕は、早足に森を突き抜けます。陽の光が僕らの影を長くしたので夕刻に近づいてきたことが分かります。


 森を出た先に洞窟があります。


 そこで僕らを待っていたのは、町民たちでした。


「ジュスト様! どうしてその女と?」


「この方は女神。言葉を慎みなさい」


 町人は、僕の言葉に怒りをあらわにします。


「女神が地上にいていいわけがねぇ!」


 百姓の男はそう言いました。


「女神が降りて来たせいで、子供らは皆殺しにされちまった」


 どういうことでしょうか。さきほどの町の静けさは、やはり異常だったのですね。怪物は、あの一匹ではないのでしょうか。


「ローザ様は、リア様を助けるために黄金の椅子から降りてきてくださったのです」


「だったら、リア様はどうした?」


 僕らは石を投げられました。


「ぶ、無礼ですよ?」


「うっせえ、権力者が!」


 僕の役職は貧民層、特に農家の人々に嫌われています。ですが、女神に石を投げてはいけません!


「天上に帰れ! とっとと帰れ」


 胸が締めつけられます。


「いいのよ、ジュスト。さぁ、怪物を追うわよ」


 石はローザ様にも当たりました。赤い血が頬を撫でていました。痛々しい。見ているこっちがめまいに見舞われます。


 僕は目を半分閉じてローザ様の盾となり、洞窟に駆け込みます。町民の怒声。さっきまでいっしょに教会で僕の説教を聞いて下さった方々もいました。


「女神は地に降りてきたらだめなんだ!」


 嘆きの声でした。絶望の声です。僕だって泣きたい。ローザ様も気丈にふるまっておられますが、心は泣いています。


 町民の声が洞窟の奥まで木霊します。


「女神ローザ様。僕はローザ様が黄金の椅子を放棄したこと、決して間違いではないと思います」


「私は、もう女神なんかじゃ」


「いいんです。僕は女神ローザ様が人として降り立って下さったこと、間違いじゃないと思います」


 とにかく、怪物を仕留めなければ。


「あれは、鍵の怪物の仕業」


 ローザ様は、洞窟の中腹に差し掛かったころでぽつりとこぼしました。足元はじめっとした土。鍾乳石が突き出しています。裸足でうっかり鍾乳石を踏んでしまっています。


 痛々しい!


「あの、これで足を」


 僕のローブをまた止血代わりにちぎって渡しました。


「ありがとう」


 ローザ様が足を止めます。


「鍵の怪物とは魔物でしょうか」



「私が妹を聖女として地上に送り込むように、女神と対極にある悪、破滅が怪物を地上に送り込んだの」


 ローザ教では女神ローザと対極の位置にあるのは、「破滅」です。


 「破滅」とは姿を持つ存在ではないです。倒すこともできません。人が罪を犯すように「破滅」は、僕らの身近にあり続けますから。


 その「破滅」が鍵の怪物を地上に送り込んできたのです。


 これは用意周到な計画だったのではないでしょうか。


「私はリアを……人として生活させてあげたかったのよね」


「分かりますよ。聖女リア様が半神半人だということは、みな知っていますよ。僕らは聖女様として敬いながらも人として接してきました。だからみな、悔しいんです」


 石を投げられたけれど、彼らの思いも分かっています。

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