運命からの解放

「降りろ」


 しばらく経った後、馬車は停止し、州兵によってデロルとアントワーヌは乱雑に馬車から降ろされる。彼らの目の前に現れたのは、ついさっき後にしたはずの自らの館であった。


 しかし、その有様は少なくとも彼らが知る館のそれではなかった。青い獅子の紋章のロシェミエール州旗ではなく、青赤白の三色に星を散りばめた全く理解しがたいデザインの旗が彼の館に掲げられており、その壁にはいくつもの弾痕が穿たれている。


 呆然と立ち尽くす彼らに向かって、州兵たちは無言で銃口を向けている。生まれて初めて直面する、直接的な死の予感。彼が多くの人間に与えてきたものが、ついに彼に牙をむいたのだ。


「お久しぶりです、侯爵閣下」


 呆然として立ち尽くしている二人に対して、歩み寄る影が一つ。デロルがそちらに視線を向けると、そこに立っていたのは――デロルが全幅の信頼を置いていた将校であり、そして反乱の首謀者でもあるルナン少将であった。ルナンはにこやかな笑みを浮かべながら、デロルの前に立つ。


「ルナン……貴様、これはどういうことだ!?」

「簡単な話です。州軍我々はあなたのためにあるのではなく、民のためにあるのです。あなたは民のために州軍を動かさず、国王のために動かそうとしました」

「ふざけるな……ふざけるな!貴様、それでもルスター軍人か!」

「えぇ、もちろん。私は胸を張ってルスターの軍人であることを誇りましょう。王国のためなどでなく、民のために戦うことを許された幸せな存在であると!」


 ルナンは言い放つ。その顔には、狂気ともとれる歪んだ喜びが浮かんでいた。その表情に若干の恐怖を抱きつつも、デロルは必死に思考を巡らせ、この場を切り抜ける方法を考えた。だが、一向に答えは出ない。


 そうこうしていると、ルナンの後ろから州兵が数人現れて、彼に何やら耳打ちをする。


「裁判の準備が整ったそうです、侯爵閣下。あなたがこれまで虐げ続けた人民の名において、あなたに裁きが下るでしょう」

「……下らん茶番を」

「茶番とは心外ですね。『貴族に刃向ったから』などという理由で人々を処刑するあなた方よりもよっぽど我々が法律に忠実であり、そして公正であるということを示すためにあなたを裁くのです。もし出来るのならば、今すぐにでもあなたの首と体を泣き別れさせたいですよ」


 ルナンはそう言い放ち、部下に指示してデロルとアントワーヌを館の中に連行させる。大広間へと連行された彼らが目にしたのは、法服を纏った州軍の憲兵たちがずらりと並んだ光景だった。彼らは無感情な目でデロルたちを睨めつけている。


 正面に座る大佐の階級章を身に着けた憲兵が、デロルの存在を確認すると、ゆっくりと口を開く。その声は、かつてデロルが聞いたことのない程冷たく、無機質なもののように感じられた。


「これより、ロシェミエール人民革命軍事法廷は被告――デロル・ガブリエル・ド・フローリア、並びにアントワーヌ・ヴィルジニー・ド・フローリアに対する裁判を行うことを宣言する」


 厳かな宣言と共に、裁判という名の事務手続きが始まった。ルナンはデロルとアントワーヌを尻目に階段を上り、上階から裁判の様子を眺めている。裁判長の憲兵大佐が手元の資料を見ながら、開廷を宣言し、続けて検事が罪状を読み上げる。


――曰く、デロルは州政府が保持する公有物であるロシェミエール州軍を私物化し、これを以て領民に対し不当な弾圧を行った。

――曰く、デロルは長年に渡り、州の予算を着服し、税務当局を買収することにより不当に税を徴収した。

――曰く、革命運動に参加したものなどに対し非人道的な拷問などを用いることを指示した。

――曰く、デロルは自己の権力を濫用し、警察や裁判所の権限を越えた捜査及び逮捕などの権限を行使し、市民の権利を奪った。


 滔々と罪状を読み上げる検事。当然この裁判の出席者は被告を除きすべて革命軍側の人間であるため、公正さの欠片すら存在しない。しかし、かなり誇張されているとはいえ、全てデロルにとって全くの事実無根というわけではなかった。


 ルナンら革命軍司令部は館を占拠してからデロルが連行されるまでの僅かな時間で館の中を捜索し、彼の行状について多くの書類を押収して調べ上げた上で、裁判のシナリオを組み立てていたのである。


 デロルとアントワーヌの脇には銃を携行した州兵が数人付き添っており、反駁など許されるはずもなかった。彼らが無言を強いられる中、裁判は淡々と進められていく。


「被告人。これより刑を言い渡すが、その前に何か言いたいことは?」

「…………」


 裁判長の問いかけに、デロルは憎悪と殺意の籠った視線を向ける。しかし、彼は内心において動揺しており、口まで出かかった言葉を呑み込んでしまう。


 明らかなことはただ一つ。何を言おうと、彼の運命は変わらないということであった。


「……それではこれより判決を言い渡す。ロシェミエール人民革命軍事法廷はここに、被告人デロル・ガブリエル・ド・フローリアによるロシェミエール州軍の私物化、およびそれを用いた反革命反乱の陰謀、自らの尊属たる父カトラス・フランソワ・ド・フローリアの殺害その他の罪を認め、死罪を宣告するものとする。また、同じく被告人アントワーヌ・ヴィルジニー・ド・フローリアもこれらの罪を幇助し、また国民の財産を不法に領得しこれを不正な目的をもって利用してた罪によって死罪を宣告するものとする」


 裁判長がそう宣言すると同時に、デロルとアントワーヌの両脇で待機していた州兵が、項垂れる二人の腕を掴み無理やり立たせた。そしてそのまま引きずるように処刑場所である中庭まで連行していく。


 その道すがら、警備の兵士や処刑を一目見ようと集まった民衆たちは2人に罵声や呪詛を浴びせ、更には石を投げつけるものまで存在した。投石をした市民は兵士によって排除されたものの、依然として罵声は彼らの周りを覆いつくしていた。


『早く殺せ!』

『これは天罰だ!暴君に神が裁きを下したのだ!』

『革命万歳!』


 デロルは群衆の怒号と歓声を耳にしながら、呆然と俯いていた。このような言われようをするような統治をおこなった覚えはない。


 確かに、群集心理によって一部の市民が持つ憎悪の気持ちが増幅され、更には『革命』という異常事態がそれを助長した側面はあるだろう。


 しかし、彼は自らの権威が自らの民を畏怖させているという単純な事実を認めることができなかった。統治に満足する民は物を言わぬが、統治に恐怖する民もまた沈黙を守るのである。


 一歩、一歩と彼らは処刑台に近づいていく。王侯貴族に刃向かった人間を、『あくまでも人道的に苦しませずに』殺すため――彼らの"ノブレス・オブリージュ"の理念の下に設計された、落とし刃式断頭台ボワ・ド・ジュスティスへと。


 王国から認可を受けた処刑人による斬首という手間暇かかる処刑から、誰でも扱えて労力もかからない断頭台での斬首に移り変わったことは、革命にプラスに働いた。


 断頭台の手軽さに目を付けた革命軍は、占領地に設けた即席裁判所において大量の『反革命的人物』を死刑にし、その後断頭台で機械的に『処理』していくという一連の工程を編み出しており、各地で貴族たちは自らが産み出した断頭台によって首を落とされていた。


「侯爵閣下、如何です?自らの民からこのような声を掛けられる御気分は?」


 ルナンはデロルらと歩調を合わせるように歩きながら問う。泣き喚くアントワーヌと対照的にデロルはしばらく押し黙ったままであったが、やがてゆっくりと口を開く。


「私は私の民から嫌われるようなことをしたつもりはない。貴様のような卑劣な人間が、王国を滅茶苦茶にするために民を扇動し、私を陥れたのだ!」

「……命散らすその時まで、貴族というのは変わらぬものですね。民はあなたの私有物ではない。我々の意思など微々たるものです。これは民衆の怒りであり、我々はその代行者に過ぎない」

「知ったような口を利くな!この外道めッ!」


 デロルは激昂し、ルナンの襟首を掴もうとする。しかし、護衛の兵士によって押さえ込まれ、彼らの手によって口を塞がれる。同じように、アントワーヌも口を塞がれ、嗚咽を漏らすことしかできなくなっていた。ルナンはそれを冷めた眼差しで眺めた後、小さく溜息をつく。


「自らの父を弑逆し、さらにはすら手にかけるあなたから外道呼ばわりされるとは、些か心外でありますな」

「……!」


 ルナンが耳元で囁くと、デロルは目を剥いて彼を睨みつける。ルナンはその反応を見て、侮蔑の感情を込めた笑みを浮かべた。


 やりとりの間にも、彼らは処刑台へとその歩みを進める。やがて、彼らの眼前に巨大な木製の架台に鈍く光る鋼鉄の刃が据え付けられた――ボワ・ド・ジュスティスが姿を現す。自らの命を奪うことになるであろう物体を前にして、デロルとアントワーヌは顔を青ざめる。


「これより、デロル・ガブリエル・ド・フローリアとその娘、アントワーヌ・ヴィルジニー・ド・フローリアに対する刑を執り行う!」


 憲兵の声と共に、州兵がデロルとアントワーヌを引き離し、それぞれを両側から拘束して前へ引きずっていく。既に反乱に加わらなかった州軍将校や侯爵領警備隊の隊員らの処刑が行われており、処刑台の周辺には彼らの首が転がっていた。


 デロルはその中に警備隊長の首を発見して大きく目を見開いた。程なくして、彼の胸中に最後まで忠義を尽くそうとした部下に対して何もできなかったことへの無力感と、彼の死を喜ぶ群衆への憤りが胸にこみ上げてきた。


「最後に、何か言い残したいことはありますか、侯爵閣下?」


 ルナンがデロルの顔を覗き込むようにして尋ねる。デロルはその顔に唾を吐きかけ、怒りをすべて吐き出す勢いで叫んだ。


「自らの主に刃を向け、己が不忠を誇りと偽る愚かな民衆よ!今は貴様らの不正義が正義として罷り通っているかもしれんが、いつの日か必ず神罰が下されん!私はたとえ地獄に落ちようとも、貴様らの破滅を希い続けるだろう!王国万歳!国王陛下万歳!」


 その叫びを聞き届けたルナンは傍らに待機する州兵に合図を送り、それに従い断頭台にかけられていた刃が落とされる。刃は一瞬にしてデロルの頭部を切断し、彼を物言わぬ骸へと変えてしまった。


 同時に、アントワーヌの身体にも刃が落ち、彼女の頭もまた胴体から切り離されてしまう。州兵は2人の頭を掲げ、歓声を上げる民衆に見せつける。


「同志たる民衆諸君、遂にロシェミエールにおける革命はここに為された!暴君は今やこの世になく、ロシェミエールは自由の地と変わった。しかし、これは終わりではない。未だ暴政に苦しむ同胞は数多い、我々はここを根拠地としてルスターの同胞を解放せねばならない。この革命の成功は、我々自身の手で勝ち取ったものであるということを自覚し、更なる栄光を掴もうではないか!」


 ルナンの言葉に呼応するように、民衆は歓喜に満ちた雄叫びを上げる。ルナンは暫くそれを見届けた後、踵を返して馬車に乗り込んだ。


――――――――――


「少将閣下、お疲れ様でした」

「ああ」


 司令部に戻り、副官らに出迎えられたルナンは、椅子に腰かけると小さく息をついた。自らの憎む人間だとはいえ、人が処刑される光景というのはやはり気分の良いものではない。


「一先ずやらねばならないことはこれで終わった。それで、セルヴェ大尉。あの少女の容態は?」

「朦朧としてはいますが、意識は戻ったようです。しかし……、その」


 言葉を濁らせる副官の表情を見て、ルナンは首を傾げる。言葉を選ぶように口ごもったのち、彼は恐る恐るというふうに口を開いた。


「我々に対して心を閉ざしていると言いますか、まったく口を開こうとしないのです。見たところかなり長い間地下牢に閉じ込められていたのでしょうし、無理もないとは思いますが」

「ふむ……なるほど。私が面会することは出来るか?」

「閣下ご自身がですか?それは構いませんが……」


 明らかに副官は困惑していたが、ルナンを制止することはなかった。彼女――マリアがルナンのことを覚えているかは分からないが、それでも話をしたいという気持ちがあった。

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