それぞれの運命

 7月7日。太陽教会によって『祝祭の日』と定められているこの日、フローリア侯爵邸は遂に革命軍の手に落ち、ロシェミエール州の過半は革命軍の支配下に入った。


 それに伴い、革命軍の野戦司令部もフローリア侯爵邸に移されることになり、ルナンは部下と共に侯爵邸に足を運んでいた。


「少将閣下、お待ちしておりました」

「うむ、ご苦労であった」


 ルナンが屋敷に入ると、侯爵邸の制圧を担当していた第66連隊の連隊長が彼を迎えた。ルナンと彼の部下は応接間に通され、連隊長による報告を聞いていた。


「――侯爵邸ここには僅かな警備隊が残されていたのみであり、微弱な抵抗のみで館は制圧できました」

「それは幸いであったな。同志の血が流れるのは、極力避けねばならぬからな」

「はい、仰る通りでございます」


 ルナンの言葉に、連隊長が首肯する。ここに到るまで、夥しい血が流された。これ以上の流血は革命軍にとっても望むところではない。しかし、ルナンの関心が向いていたのはそこではなかった。


「で、侯爵本人は捕えられたのか?奴を捕えぬことには、ロシェミエールでの革命は完遂されたとは言えない」

「いえ、くまなく捜索しましたが、発見されませんでした。連隊のうち2個大隊を周辺地域への捜索へ切り替えておりますが、未だ報告は上がってきておりません。恐らくは、既に逃亡したものと思われます」

「……そうか。引き続き捜索を続けるように」


 ルナンは心中落胆しつつ答えた。侯爵が自らの館に留まるとは彼自身も思っていなかったが、しかし実際に取り逃がしたとなれば失望感を覚えずにはいられなかった。報告を聞き終え、ルナンは他の用件を済ませるべく席を立とうとする。しかし、そんな彼を連隊長は呼び止めた。


「少将閣下、お待ちください。ここの地下牢から、なんと言いますか……その、興味深いものが見つかりまして……」

「地下牢?ここの地下牢は昔政治犯の収容所と聞いたことはあるが……今はもう使われていないはずだぞ?」

「えぇ、そうなのですが……見てもらった方が早いかもしれません。おい、連れてこい」


 連隊長の指示を受け、兵士が背中に何かを負ぶって入ってくる。兵士は背中の何かをソファの上に横たえると、敬礼して部屋を出て行った。


 ルナンは、ソファの上に置かれたそれを凝視する。それは、銀髪の少女だった。まだ10代前半ぐらいに見える。服は着ているが、ボロボロであり、饐えた臭いを発している。手足に鎖を巻きつけられていたが、その身体は痩せ細っており、衰弱しきっている様子だ。その眼は開いていない。僅かに体に認められる震えとも痙攣ともつかない動きが無ければ、死んでいるのではないかと錯覚するほどに少女は生気を失っていた。


 その姿に、ルナンは見覚えがあった。彼は記憶の糸を辿り、それが誰であるかを思い出す。十数秒ほどの思考の末、彼の脳内の引き出しから出てきたのは数年前の記憶であった。


『侯爵閣下、失礼します……そちらは御息女ですか?』

『これはルナン中佐、見苦しいところをお見せした。マリア、ご挨拶しなさい』


 まだ中佐であった頃のルナンと、健在であった前当主カトラスの間に交わされた会話。マリアと呼ばれたその幼い孫娘は、祖父に促されると小さくお辞儀をする。そしてその後にカトラスは告げたのだ。この娘は侯爵家の三女であるが、自らの銀髪を継いだばかりに疎まれていることを。


 少女の名前は――マリア。そう、マリア・ジャンヌ・ド・フローリアである。自らの記憶が正しければ、目の前にいる少女は侯爵家の人間であるということになる。しかし――


「……あり得ん」

「少将閣下?いかがなさいましたでしょうか」


 ルナンは思慮の果てに、そう呟く。それを聞いた連隊長が不思議そうに尋ねるが、彼はそれを無視して考え込んだ。


 マリア・ジャンヌ・ド・フローリアは、公式にはということになっている。カトラスの謀殺と前後して病死したということになっているのだ。


 カトラスの死と同様、死因について疑念を抱くべき点は多いというべきではあるとはいえ、死去したという事実すら嘘であるとはルナンには到底信じがたかった。


 なぜなら――侯爵家の人間にとって彼女を生かしておくべき理由がないからである。となれば、目の前の少女は一体何者なのだ?


「……連隊長、彼女は喋れる状態にあるか?」

「いえ、閣下が来られるまで幾度か呼びかけましたが、全く反応がありませんでした」

「そうか……」


 本人から直接身分を聞き出せたならば、まだ手の施しようはあったかもしれないが、本人から何も情報を得られないのであればルナンとしては打つ手がなかった。しかし、このまま捨て置くわけにもいかない。


「閣下、この娘のことをご存知で?」

「いや、思い当たる節があってな。すまないが連隊長以外は席を外してくれないか」


 ルナンの言葉に、応接間に詰めていた兵士が出て行く。彼ら全員が退室したことを確認してから、ルナンは口を開いた。


「これは口外無用で願いたいのだが。……彼女は、侯爵の娘――もっと正確に言えば三女かもしれない」

「侯爵家の三女……病死したと聞いていましたが」

「私もそう聞いていた。……これは君の部下には伏せていてほしいのだが」

「承知しました」


 ルナンは話をする前に、テーブルに置かれていた紅茶をグイっと飲む。饐えた臭いの中で飲む紅茶の味は美味しいとは言い難いものであったが、それでも渇いた喉を潤すのには役立った。ルナンは一呼吸おいて話を再開する。


「……彼女が目を覚まさない分には何も確信を得られないのだが、もし仮に彼女が死んでいたはずの三女だった場合、我々は彼女をどうすべきだろうか?」

「なるほど。彼女は憎むべき侯爵家の血族であり、当然に我らの敵です。しかし――この有様を見る限り、彼女も市民と同じように侯爵の被害者であった可能性もある。この状態で殺すというのは些か躊躇われます」

「やはり君もそう思うか。私も彼女を殺すのは忍びない。しかし、そんな私情と比した時に、革命の大義というのはあまりにも……あまりにも大きいのだ。我々が掲げる革命の理念のためには、彼女のような存在を容認することは出来ないだろう」


 ルナンは唇を噛み締めながら言う。彼にとっては、侯爵家による被害者という側面以上に、彼女の有様がかつての姉の姿を想起させるものだった。


「……私にいい案があります」

「なんだね」

「『侯爵家の三女』という身分ならば、恐らくは兵士にその生存を納得させることは出来ないでしょう。しかし、『何らかの理由で監禁されていた女中』であるならば話は別だと思います」

「なるほど。確かに彼女は公式には死んだことになっている。名字などを変える必要はあるだろうが……そういうことにすれば生きていても不思議ではないということか」


 ルナンは眼前の少女を一瞥し、顎に手を当てて考える仕草をする。目を覚ました彼女が、自らは侯爵家の人間であることを主張すれば厄介なことになる可能性もあるが、少なくともそのまま正直に答えるよりはマシであろう。そして何より、このまま殺されてはあまりにこの少女が哀れであった。


「……分かった。その案で行こう。連隊長、軍医らとその辺りの調整をしてくれ。しばらく師団で保護してから、私の知り合いの牧師が経営している孤児院に送るつもりだが……構わないか?」

「了解しました」


 ルナンの提案に対し、連隊長は首肯する。彼も、目の前の少女に対して憐みの感情を抱いていたのだ。取り敢えず彼女に医療措置を施さねばなるまい。


 その時であった。突然扉が開かれ、一人の兵士が部屋に立ち入ってきた。ルナンと連隊長が怪訝な表情を浮かべる中、彼は息を切らしながら告げる。


「ご歓談中失礼いたします!」

「何事だ!この部屋には誰も入れるなと言ったはずだぞ!?」

「そ、それが……その……」


 連隊長の叱責を受け、兵士はたじろぐ。ルナンは連隊長を手で制し、彼に報告を行うように促した。


「連隊長、どうやら緊急の用件のようだ。……報告しなさい」

「メンヒルから南に数キロ離れたバステア地方の森林において、侯爵とその娘を確保しました!」


――――――――――


 州兵によって確保され、剣や銃を向けられたまま馬車で護送されている状況で、デロルは必死に自らが生き延びる方法を考えていた。


 デロルが州軍に命令を出して、僅か3日である。彼が築き上げた地位も、権力も、何もかもが無に帰してしまった。信頼していた軍は殆どすべてが彼を裏切って反乱軍側につき、市民も抵抗するどころか反乱軍と戦おうとする州軍部隊を次々と攻撃し始めたというではないか。


「……やだ、嫌だ。死にたくない……こんなところで死ぬなんて……」

「黙っていろ!貴様らは罪人だ!」


 傍ではアントワーヌが腕に手枷を嵌められた状態で震えている。自らにこれから待ち受ける運命を悟っているのか、今にも泣き出しそうな顔で呟いては、同乗している兵士に怒鳴られていた。


 デロルはあくまでも表面的には冷静さを装いながら、内心で焦燥感を募らせていた。


(どうする……どうしたらいい?)


 恐らく――いや間違いなくこのままいけば自らと娘の命はない。しかし、だからといってこの状況を打開する方法があるわけでもない。そもそも、何故こうなった?一体どこで間違えたというのだ。


 州軍、そしてその将校を信用しきっていたデロルにとって、まさか自らの手足たる彼らが陰謀を巡らし、下士官兵にまで浸透させて、このような大それたことをしでかすとは夢想だにしていなかった。


 ルナン少将を始めとした州軍将校から絶大な支持を得ていたカトラスを謀殺した時点で彼の運命は半ば定まったようなものであり、首都の革命騒ぎはその運命の針を更に進めたに過ぎないのだが、デロルにとってはそんなことは知る由もない。


 理解できない反乱に対する恐怖を抱き苦悩するデロルと、自らの死の運命に怯えるアントワーヌを乗せた馬車は少しずつ、彼らの本来の居場所――そして墓場となるであろう場所へと向かっていた。


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